リベラルアーツ教育 その4 学部の廃止や再編を憂う

220px-Septem-artes-liberales_Herrad-von-Landsberg_Hortus-deliciarum_1180 150416101124-harvard-campus-780x439 logo人文社会科学系の学部がある国立大学の8割が、学部の再編や定員削減などを検討していると報じたのは、2015年7月のNHKの調査です。今、全国の地方にある多くの国立大学は、研究などはそっちのけで改組のために会議やタスクフォースに多大な時間をかけて、改編に奔走しているといえる状況です。

この調査によれば、人文社会科学系の学部がある大学42校のうち、「再編して新たな学部などを設ける」が11校、「具体的な内容は未定だが、再編を検討する」が8校、「定員を減らす学部などがある」が6校、「教育目標を明確にした」が3校、「国の方針を踏まえたものではないが、再編を盛り込んだ」が7校といわれます。

文部科学省の高等教育局長は次のように言います。
「大学は、将来の予想が困難な時代を生きる力を育成しなければならない。そのためには今の組織のままでいいのか。子どもは減少しており、特に教員養成系は教員免許取得を卒業条件としない一部の課程を廃止せざるをえない。人文社会科学系は、専門分野が過度に細分化されて、たこつぼ化している。養成する人材像が不明確で再編成が必要だ。」

こうした文部科学省からの学部の廃止や再編を促す通知に対して、25校が「趣旨は理解できる」と答え、「不本意だが受け入れざるをえない」が2校、「全く受け入れられない」が2校ということです。「全く受け入れられない」という勇気ある表明をしているのは滋賀大学の位田隆一学長です。人文社会科学系学部の改組や廃止を求めた文部科学省の通知に対して、「世界の教育後進国と言われても仕方がないほど嘆かわしい」と手厳しく批判しています。

「人文・社会系学部や教育系学部の廃止や再編成」というのは、国立大学にとって激震ともいえる出来事です。ひいては我が国の大学教育にとってもそうです。それは、自由に考え自由に判断する能力を獲得するには、教養課程の一年半では到底足りないにも関わらず、例えば、即戦力を育てるといううたい文句で、例えば記憶中心の4年間の教育課程で教員を学校に送り出す教育が行われています。6年間の教育課程が必要なのです。「教員養成の高度化」というかけ声はおぞましいほど稚拙な行為といわなければなりません。

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リベラルアーツ教育 その3 高等学校の登場

Bankara_students_in_1949 220px-The_first_gymnasium_in_Tokyo._Before_1902 images旧制高等学校とは、1894年に高等学校令から1950年まで存在した日本の高等教育機関です。1918年の高等学校令改正により各地で次々に高等学校が増設され、7年制高等学校が出現し大学予科は高等科に改称されていきます。これが略して旧制高校です。

戦前の旧制高校は第一高等学校から始まり、全国で30数校しかありませんでした。リベラルアーツ教育をする場所であったのは明白なのですが、なにぶん数が足りずいわばエリートの育成にならざるを得ませんでした。入学が極めて難しかったのです。

戦後日本の民主主義という新時代にそうしたエリート教育はふさわしくないという考えから、3,700余りの新制高等学校が誕生することになります。ですが新制大学を含め大学入試が知識の記憶がものをいうために、高等学校は再び記憶偏重の教育課程となってしまいます。予備校や塾も大いに繁盛しました。私は貧しかったために、一度も予備校通いや家庭教師についたことはありませんでした。なんとか北大に入れたという幸運者でした。

現在の大学も一般教養として教育している一年半余りの課程は、いわばリベラルアーツ教育ともいうべき重要な役割を持っています。ですが課題も背負っています。リベラルアーツ教育の目標を十分に達成するにはいくつかの考慮すべきことがあります。

第一は、クラスの編成が大規模であることです。現在のようにマイクを使って200人や300人の学生に講義するのでは、知識を注入することで精一杯です。第二は講義よりも演習、演説よりも討論中心のクラス、が望ましいことです。対話という形式をとらず、一方向による講演や講義では担当者の自己主張に終わってしまいます。第三は、あまり専門性に偏らない文明史的なものの見方ができるような講義や演習が大事だと思います。第四は、就職活動に奔走し勉強すべき時間が少ないような有様は改善すべきです。このような状態では、大学は短大に成り下がっているといわざるを得ません。

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リベラルアーツ教育 その2 旧制高等学校

img20140324135618260 clip_sap-fall007 2010111402-7db44我が国におけるリベラルアーツ教育の足跡は、旧制高等学校の歴史にみることができます。旧制高等学校は1894年に高等学校令から1950年まで存在した日本の高等教育機関です。女学校も中等教育から高等教育を実施して女子教育に貢献します。1918年の高等学校令改正により各地で次々に高等学校が増設され、7年制高等学校が出現し、大学予科は高等科に改称されていきます。これが旧制高校です。

教育内容は現在の大学教養課程に相当します。現在の高等学校と混同されることもありますが、現在の高等学校は旧制の学制においては旧制中学校がそれに相当します。

旧制高校では、帝国大学への予備教育を行う高等中学校本科は高等学校大学予科に名称を改められ、修業年限が2年制から1年延長された3年制となります。専門学部は3年制から4年制に移行します。1894年以降、第一高等学校 (一高)の修学期間は3年となり帝国大学の予科と位置づけられました。仙台の二高、京都の三高、金沢の四高、熊本の五高などもそうです。後に学部は帝国大学へと昇格したり、専門学校として分離されます。

1949年の新制国立大学設置当初から「教養学部」という学部を有するのは、全国の国立大学では東京大学教養学部が唯一のものです。東京大学教養学部の設置は旧制高校の教養主義的な伝統を継承しようとしたことです。北海道大学の教養部は1995年に廃止されてしまいました。

私学のリベラルアーツ・カレッジの雄である国際基督教大学(ICU)ですが、戦後その設立に携わったのは旧帝国大学卒の有力者です。旧制高等学校の伝統を継承しようと設立に尽力した経緯があります。

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リベラルアーツ教育  その1 カレッジと北大教養部時代 

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Max Weber German sociologist 1864-1920 born in Erfurt educated at universities of Heidelberg Berlin and Gottingen chair of sociology in Vienna 1918 chair of sociology at Munich 1919 one of the founders of sociology best known for his work Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus

Max Weber
German sociologist 1864-1920 born in Erfurt educated at universities of Heidelberg Berlin and Gottingen chair of sociology in Vienna 1918 chair of sociology at Munich 1919 one of the founders of sociology best known for his work Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus

 

 

 

 

 

 

ご承知かもしれませんが、アメリカではリベラルアーツ教育(Liberal Arts Education :LAE) が今でも盛んです。伝統のある有名な単科大学 (college)が各地に沢山あります。こうしたカレッジから総合大学へと進む学生が大勢います。LAEをきちんと受けている学生を総合大学は受け入れるのです。

LAEとは個人の知性を伸ばし、将来の専門分野を見定めるための準備とする教育のことです。知識を覚え込む普通教育と研究に独自の貢献をするための専門教育の中間に位置することです。教養課程といわれています。しかし、知識を蓄積することが、そのまま教養につながるとはいえないのが学ぶことの難しさです。

私も北海道大学に入学したときは、一年半は教養部に属し、その後法学部へ進みました。文科系では経済学部や文学部、教育学部もあり、同輩はそれぞれ専門分野を選んでいきました。教養部では、知識の詰め込みというよりも、学生に自由に学ばせる雰囲気がありました。休講はしばしばありました。そのおかげでカール・マルクス (Karl Heinrich Marx)だ、マックス・ウエーバー (Max Weber)だといった人物を話題とした議論をしばしば聴きました。河合栄治郎の「学生に与う」とかロジェ・マルタン・デュガール (Roger Martin du Gard) の「チボー家の人々」、阿部次郎の「三太郎の日記」など青春のバイブルといわれた作品、他に内村鑑三の著作を競うように読んだものです。こうした書物に親しむ機会は、学生としての一つの洗礼のようなものでした。

Liberal Artsの語源を調べると、教養がいかなることかが分かります。ラテン語で「Liber」とは書物という意味です。図書館 (library)や図書館司書 (librarian) という用語がここから生まれます。「Liber」のもう一つの意味は「自由」ということです。ヨハネの福音書8章31‐36節に「真理はあなたを自由にする」とあります。聖書によっては”The truth will set you free.” (New International Version)  とか“The truth shall make you free.”(King James Version)とあります。

教養課程とは、学問とはなにか、真理とはなにか、科学とはなにか、職業とはなにか、といった未知の世界を考える時間のことかもしれません。そして将来の専攻を決めていくのです。専攻を考えるためには、幅広い基礎的な知識や教養が求められます。

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音楽の楽しみ 合唱曲の数々 その53 ノルウェーとペイガニズム

7b31bfb61b8077bb32b99ab659cbf32d scaletowidth maxresdefaultかつて神戸にあった葺合区は生田区と共に、中央区になりました。葺合区にあった聖書学院というところで半年学んだことがあります。この運営はノルウェー (Norway)の福音ルーテル伝道会でした。教文館発行の「日本キリスト教歴史大事典」によりますと、ルーテル伝道会の日本での宣教開始は1949年とあります。

この伝道会の前身は1891年に設立された「ノルウェー・ルーテル中国伝道会」で、この年8名の宣教師を中国に派遣したようです。さらに1900年には、フィンランド(Finland) のルーテル福音教会は、最初の宣教師を日本に派遣し長野県を中心に伝道したという記録もあります。スカンディナヴィアの小さな国から「東の果て」ではあり「日の昇る国」でもある日本に「福音を聞き主を受け入れ信仰の道を歩む体験をする」というスカンディナヴィア人の心意気を感じます。

戦後、中国から引き揚げたノルウェーの宣教師は賀川豊彦の協力を得て、兵庫県西明石を宣教の出発点とします。賀川豊彦は大正・昭和期のキリスト教社会運動家、社会改良家。戦前日本の労働運動、農民運動の指導者として活躍します。神戸のスラム街での無料の巡回診療よって「貧民街の聖者」とも呼ばれました。自伝的小説「死線を越えて」の印税はすべて社会運動につぎ込まれたといわれます。

ノルウェーにキリスト教が入ったきたのは西暦1000年時代といわれます。アイルランド (Ireland)やブリテン(Britain) などへの侵略争いがヴァイキング (Viking) を通してキリスト教がもたらされます。その頃のノルウェーには自然崇拝や多神教の信仰であるペイガニズム (Paganism) がありました。ノルウェー人はノース人 (Norse) とも呼ばれていました。彼らの中にあった信仰に基づく神話が「Norse mythology」です。キリスト教化される前の神話のことです。当初キリスト教はペイガニズムや神話によって退けられてしまいます。やがてアングロ-サクソン (Anglo-Saxons) の宣教師がイングランドやドイツからノルウェーにやってきます。

アングロ人というのは、ドイツ北部よりグレートブリテン島 (Great Britain) に渡ってきた民族、同じくサクソン人はニーダーザクセン地方からの民族です。加えて北海 (North Sea) とバルト海 (Baltic Sea) を分かつユトランド半島 (Jutland) に住んでいたジュート人 (Jutes) がグレートブリテン島に渡ってきますJutland とは「ジュート人が住むところ」という意味です。こうしたアングロ人、サクソン人、ジュート人は先住のケルト系(Celtic) のブリトン人を支配しその文化を駆逐していきます。

アングロ-サクソン人のノルウェーにおける宣教活動は前述した前述したペイガニズムや土着の神話などに阻まれて困難だったようです。しかし、国王オラフ一世 (Olaf I) の改宗により全土にキリスト教が宣撫することになります。

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