留学を考える その52 サウスダコタ州–Great Faces, Great Places

サウスダコタ州(South Dakota)は、ラコタ(Lakota) とダコタ・スー族(Dakota Sioux )から名付けられたといわれます。州都はピーリー(Pierre)。州で最も大きな都市はスーフォールズ(Sioux Falls)となっています。サウスダコタ州は農業と畜産が主要な産業です。五大品目として牛、トウモロコシ、大豆、小麦、そして豚が知られています。

州の南部にBlack Hillsという丘陵地帯があります。、背丈の低い松で覆われています。スー族の領土であり儀式の聖地として崇められている地域です。そこは国立公園となっています。この丘陵地帯にあるのがマウントラッシュモア(Mount Rushmore)で、多くの観光客がやってきます。山の岩盤に歴代4人の大統領の顔が彫られています。ジョージ・ワシントン(George Washington)、トマス・ジェファソン(Thomas Jefferson)、セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)、アブラハム・リンカン(Abraham Lincoln)です。

ローラ・インガルス(Laura Ingalls) はブログのどこかで何度も紹介した記憶があります。この州の代表的な小説家です。開拓地での幼少のときの生活経験が小説の舞台となっています。 彼女はウイスコンシン州で生まれ、幼年期に一家は中西部を頻繁に移動して開拓生活をおくります。やがて学校に通い、小学校の教師となります。その間、「インガルス一家の物語」を書きます。これがNBCで「大草原の小さな家(Little House on the Prairie)」としてテレビ・シリーズ化され一躍日本に紹介されて好評を博しました。サウスダコタ州は映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ(Dance with Wolves)」の舞台ともなりました。

私にとってのサウスダコタ州です。一度ここに住んでいたかっての宣教師とその家族を訪ねました。私が家族と始めてジョージア州に来たとき、この牧師さんから車を譲り受けた思い出もあります。この車でジョージアからウイスコンシンへ行き、そしてサウスダコタを訪ねました。果てしない大平原やトウモロコシ畑を走りました。

この州のライセンスプレートには「Great Faces, Great Places」とあります。Great Facesとは彫られている4人の大統領のことです。この4人の大統領もプレートにプリントされています。趣のある一枚です。

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留学を考える その51 サウスカロライナ州—Smiling Faces Beautifu Places

サウスカロライナ州(South Carolina)は北部でノースカロライナ州、南部と西部でサバンナ川(Savannah River)を境に位置するジョージア州(Georgia)、及び東部で大西洋と接しています。海岸線には多くの沼や入り江があり、またジョージタウン(Georgetown)やチャールストン(Charleston)など自然の良港をひかえています。

サウスカロライナ州の開発の歴史は古くメイフラワー号がニューイングランドに上陸する約100年前の1526年にスペイン人のFrancisco Gordilloが入植を試みたという記録があるようです。1629年にイングランド王チャールズ一世(King Charles I)がカロライナを植民地とします。1729年にはノースカロライナとサウスカロライナが分離します。独立戦争を経て他の州と共に独立し、奴隷制による綿花のプランテーションによって大いに繁栄します。

1860年に奴隷制廃止論者であったリンカーンが大統領になると合衆国から離脱し、1861年には後続して脱退した他の南部諸州と共にアメリカ南部連合(Confederate States of America)を結成し、北軍の駐屯するチャールストンの港に位置するサムター要塞(Fort Sumter)を攻撃して南北戦争の口火が切られます。1865年にシャーマン将軍(William Sherman)率いる北軍の侵攻により、ジョージア州アトランタ(Atlanta)が焼き払われ、「海への進軍」(March to the sea through Georgia)およびサバナよりの北上作戦により南部経済は壊滅して南北戦争の終結が早まります。小説「風と共に去りぬ」(Gone with the Wind)はこの南北戦争が舞台です。

サウスカロライナ州は長い植民地時代を残す歴史があります。例えば、チャールストンは「聖なる市」(The Holy City)ともいわれます。高い尖塔を有する教会が街の景観を形成しています。十三の植民地の中で、カトリック、プロテスタントを問わず信教に対する寛容さを認めていた数少ない都市の一つがチャールストンで、ユダヤ教を認めた最初期の植民地都市ともいわれます。州の愛称は「Smiling Faces Beautifu Places」。いい呼び名です。

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留学を考える その50 ロードアイランド州— The Ocean State

合衆国東北部、ニューイングランド地方にあるのがロードアイランド州(Rhode Island)です。州都および人口最大都市は州北部、ナラガンセット湾(Narragansett Bay)の奥に位置する港湾都市のプロビデンス(Providence)です。プロビデンスは学術都市でもあり、州全土がプロビデンス大都市圏に含まれています。Providenceとは「神の意思」とか「神の摂理」という素晴らしい響きの単語の固有名詞です。

合衆国50州の中で面積が最小の州です。滋賀県と同程度の面積ですが、独立戦争や憲法の起草では重要な役割を果たした州でもあります。独立時の十三州の1つでもありました。州の愛称は「The Ocean State」、正式な名称は「State of Rhode Island and Providence Plantations」という具合で、合衆国で最も長い州名となっています。プロビデンスにコロニーである居住地を開拓したことを象徴しています。州の愛称は、「The Ocean State」とあります。大西洋に広がるナラガンセット湾からの恵みを示すようです。

現在のプロビデンス市の創設者であり、ロードアイランド植民地の共同設立者がロジャー・ウィリアムズ(RogerWilliams)です。彼はイギリス生まれの神学者であり、政教分離原則の著名な提案者として知られています。1636年、イギリス国教会およびアメリカ・インディアンの土地の強奪に対する強烈な批判を行ったためマサチューセッツ湾植民地を追われます。ですが4人の信奉者と共にナラガンセット湾の北部沿岸の土地をナラガンセット族(Narragansett)とピクォート族(Pequot)から土地を求めて、集落を作ります。ここをバプテスト開拓者のための宗教的自由の地と宣言します。「逆境にある私に神の慈悲深い摂理を感じさせる」と言ってプロビデンスを命名したといわれます。

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留学を考える その 49  ペンシルヴァニア州—Keystone State

ペンシルヴァニア州は正式には「Commonwealth of Pennsylvania」と呼ばれます。マサチューセッツ州もCommonwealthを使うことをこのブログで紹介してきました。

合衆国の北東、大西洋岸中部に位置しています。五大湖の近くでもあります。東はニュージャージー(New Jersey)、南東はデラウエア州(Delaware)、南はメリーランド州(Maryland)、南西はウエストバージニア州(West Virginia)、西はオハイオ州(Ohio)、エリー湖(Lake Erie )、北西はカナダのオンタリオ州(Ontario)、そして北はニューヨーク州(New York)というように州に囲まれています。アパラチア山脈が州の中央を斜めに連なっています。

州都はハリスバーグ(Harrisburg)。最も大きい町はフィラデルフィア(Philadelphia)です。次いでピッツバーグ( Pittsburgh)となっています。州のモットーは「Virtue, Liberty, and Independence」です。

1631年の6月にオランダから最初の移民が Delmarvaという岬にコロニーをつくります。それ以降、北欧スエーデン人らも続々と移民してきます。デラウエア川一帯に定住し、いまのペンシルヴァニアを形成していきます。そのせいか、クエーカー教徒(Quaker)が多い州でもあります。Quakerは、キリスト友会(Society of Friends)というキリスト教団体の一般的な呼称です。友会は、17世紀にジョージ・フォックス(George Fox)らによってイングランドで設立されました。Quakerの信仰の伝統的な表明方法は証言といわれます。その中で「平和主義」はQuakerの証言としても最も知られ、暴力は常に誤りであるという信念を貫いています。

ペンシルヴァニア州は1802年に「Keystone State」(礎石となる州)とつけられました。これは独立に立ち上がった13州の一つであり、地理的に13州の中心にあったのがペンシルヴァニアです。ウィリアム・ペン(William Penn)はペンシルベニア州では忘れられない人物です。フィラデルフィア市を建設しペンシルベニア州を整備したとあります。ペンは元軍人であり地方の政治家でした。彼自身もまたクエーカー教徒であり、やがて開拓地のための自由憲章の草稿を書き上げます。フィラデルフィアなどの植民地におけるペンの権限は、英国の施政下にあって窮屈だったようです。ですが施政下の枠組みにあっても、信教の自由、公正な裁判、主権を持つ人民により選ばれた代表、三権分立による統治をうたったことで知られています。こうしたペンが示した民主主義の重視は、アメリカ合衆国憲法に多大な影響を与えます。

もう一つの州の呼び名は「Quaker State」。前述したようにペンシルヴァニア州にはクエーカー教徒が多いことに由来しています。

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留学を考える その48 オレゴン州–Oregon Trail

オレゴン州は(Oregon)太平洋に面し、北はワシントン州(Washington)、南はカリフォルニア州(California)とネバダ州(Nevada)、東はアイダホ州(Idaho)で州境となっています。オレゴン州は西部開拓の歴史が色濃く残っています。合衆国を大西洋から太平洋まで拡げるという目標のために、1800年代には本格的な開拓が進み、幌馬車で東部から多くの入植者がオレゴン・トレイル(Oregon Trail)を経てがやってきました。当時、大陸横断には5–6ヶ月かかったようです。州都はセーラム(Salem)、最も大きい町はポートランド(Portland)です。

ポートランドは札幌市とほぼ同じ緯度にあり、姉妹都市関係を結んでいます。ダウンタウンですが、コロンビア川の支流ウィラメット川 (Willamette River) の川岸は公園となっています。その一角に日本人移民の歴史公園があります。そこに移民の足跡を記すレリーフが立っています。戦前、多くの日本人がオレゴン州に移民した経緯があります。レリーフには、農業と漁業で生計をたてながら子どもを教育する姿、アメリカに同化しようとした努力、大戦中の収容所での苦しい生活、そしてアメリカ人の差別に対する謝罪の言葉などが彫られています。

「オレゴン・トレイル」というコンピュータゲームも作られました。オレゴン州のライセンスプレートはいろいろなデザインがあります。そこにはオレゴン街道- Trail-が印字されています。札幌で育った私にはオレゴン州とポートランドは懐かしい響きがあります。州の愛称は「ビーバーの州」(Beaver State)でもあります。

ウィラメットバレー(Willamette Valley)という肥沃な農地を抱え、周辺の農産物が集まるところでもあります。広大な森林を背景に国内最大級の製材業と林業があります。ヘーゼルナッツ、クランベリー、葡萄の産地でもあります。酪農では牛、羊、酪製品、卵、鶏肉が盛んな地です。

ポートランドとユージンにはそれぞれ一度、会議で招かれて訪れたことがあります。学校もいくつか見学し、子どもが学ぶ姿に接することができました。DVを逃れ母子が保護されていることも知りました。その子どもたちが学ぶ教室もありました。

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留学を考える その47 オクラホマ州—Sooner State

オクラホマ州(Oklahoma)は合衆国の真ん中より少し南に位置する州です。東はミズーリ州(Missouri)とアーカンソー州(Arkansas)に、西はニューメキシコ州(New Mexico)、南はテキサス州(Texas)、北はコロラド州(Colorado)とカンザス州(Kansas)に接しています。州都および最大都市はオクラホマシティ市(Oklahoma City)であり、タルサ市(Tulsa)がそれに続きます。

この州のニックネームは”Sooner State”といいます。和訳すれば「早者勝ちの州 」とでもしておきましょう。号令とともに我先にと土地の権利を求めて幌馬車を駆って先陣争いをしたのだそうです。中には、公式の土地所有の解禁前に、移植してきた白人たちが「ここは俺の土地だ」と勝手に宣言した者が多かったようです。こうした駆け抜けの人は”The Sooner”と呼ばれました。可笑し味があります。

州名はチョクトー族(Choctaw)の言葉でokla(赤い) と humma(人間)を合わせたものであり、「赤い人々」という意味です。もともとチョクトー族は合衆国南東部のミシシッピ川河口域に住んでいた農耕民族であったそうです。Wikipediaによると、オクラホマ州は、全米のインディアン部族のほとんどを強制移住させる目的で作られた州です。そのため、他の州に比べネイティブアメリカンの居留地(Reservation)が際だって多いのが特徴です。オクラホマ州には沢山のネイティブアメリカンの部族が住んでいます。少なくても25の言語があるということは少なくても25の部族がいるということです。

オクラホマ州は天然ガス、石油および農業の生産高が高いのが特徴です。航空機、エネルギー、輸送機器、食品加工、エレクトロニクス、通信の各産業を経済の基盤とし、天然ガス、航空機および食品の重要な生産州です。天然ガスの生産では国内第2位の州となっています。国内でも経済成長率が高く、2007年度の統計によれば一人当たり収入成長率と州総生産の成長率では国内トップクラスとなっています。油田の発見により、石油精製工業、化学工業が発達しています。

オクラホマ州は、保守的な教義を信奉するキリスト教会が多いので、”Bible Belt”と呼ばれています。その意味は、合衆国の南東中心部には多くのプロテスタントの教会、しかも伝統的な教義を大事にする教会が多いということです。いわば保守的な教理を伝統とする教会です。その象徴は、1963年創立のオラル・ロバーツ大学(Oral Roberts University)でしょう。この大学は大衆伝道者だったオラル・ロバーツが創立します。カリスマ的な伝道師であったビリー・グラハム(Billy Graham)と双璧をなした宣教師です。

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