どうも気になる その3 道徳教育

文教政策で気になることがある。特に道徳教育が声高に叫ばれていることである。中央教育審議会は、道徳教育の充実のため道徳を「特別の教科」にするなどという答申をまとめ、早ければ2018年後に全面的に導入される予定のようである。当然、検定教科書の導入も進むだろうが、検定教科書の検定作業は悩ましいはずだ。学術的な通説がない分野を多く含む道徳で、教科調査官が何を根拠に検定意見を示せるのかは難しい。もっと難しいの小中学生の道徳の評価だろうと思うのである。

八王子市内の小中学生に配布されている道徳教材の「私たちの道徳」では、「人とのつながり」や「自他の姓名を尊重して」、「自然の偉大さを知って」、「法やきまりを守って」、「公正、公平な態度で」、「自分の役割を自覚して」などが強調されている。だがこうした分野における人間教育は本来、社会科や理科、国語などの教科で具体的な事例をもとに教えられるべきもののはずだ。

「修身」という科目をご存じだろうか。かつての小学校である国民学校における科目の一つであった。1890年10月30日に教育勅語がだされ、その一か月後に第一回帝国議会が開かれる。教育勅語は1945年まで存在した。1903年に文部省より国定修身教科書が発行される。「修身」では、友情とか努力、親孝行、公益や正直など25項目に及ぶ徳目を過去や現代の偉人や有名人の言葉やエピソードを交えて教えていた。例えば、「親孝行」や「勤勉」には、二宮金次郎のエピソードが登場する。別名二宮尊徳は、報徳思想による農村復興でも知られている。小学校に薪の束を背負い本を読む金次郎の銅像が必ずあった。

修身教育は、明治、大正、昭和と三つの世代を通じて長い間日本人の精神形成の中心的な役割を担ってきた。知識教育で定義や理屈を教授するのではなく、実在した人々の体験を題材として、道徳教育を進めていた。教育勅語が、道徳を国家に対する道徳、人間関係についての道徳、そして個人の道徳の三分野を強調した。国家に対する道徳では国体に関すること、万世一系の国家といったことである。人間関係についての道徳では公益や興産の心得であった。また個人の道徳では学問、知識、理性の尊重、そして勤労勤勉が強調された。

1941年7月に文部省の教学局から「臣民の道」が刊行される。これは国体の尊厳を観念として、国家奉仕を第一とする「臣民の道」を日常生活の実践とする生き方のことである。戦争も傾きかけ、挙国一致と戦争の遂行のために奉仕が国民に求められてきた頃である。もとより個人主義、自由主義、唯物主義を否定する観念でもある。

これから終戦までなお厳しい言論統制が敷かれる。

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どうも気になる その2 「積極的平和主義」

国民の政治意識は投票率に表れるといわれる。低い投票率は政治への無関心ととらえられがちである。しかし、この無関心を規定するものは決して単なる外部的な権力組織だけに向けられるのではない。そうした機構に浸透して、投票の不行使という国民の心的傾向なり行動なりを一定の溝に流し込むような心理的な見えざる力のようなものが問題となる。「どうせ投票したって政治は変わらない」という厭戦的な気分である。

筆者が心配するの政治への無関心というよりは、扇動的なスローガンのようものが先走っていることである。その例を挙げる。集団的自衛権の憲法解釈が論議されていることは存知のはずである。この背景には、ISによるテロ、中国の南沙諸島や尖閣諸島などへの進出といった外的影響の変化、あるいは脅威が叫ばれていることである。これを機に、わが国の防衛力の強化、自衛権の拡大解釈、ひいては憲法第九条の改正という構図になっていると思われる。

今、内閣で使われる「積極的平和主義」とは、我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定を実現しつつ、国際社会の平和と安定及び繁栄の確保のための理念だそうである。そして、「我が国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増している」ことや、「我が国が複雑かつ重大な国家安全保障上の課題に直面している」といった枕詞が必ず付帯している。国民は「そうだ、そうだ、、」と思い込んでこの方針に無言のエールを送る。

国民は確かにこうした近隣での地政学上の変化を報道を通して少しずつは理解している。それと同時に、国民としてのアイデンティを高揚するような雰囲気がうまれているようである。であるから「八紘一宇」とか「八紘為宇」と発言発言する議員はその意味や時代背景をご存じないお目出度い存在なのだが、危機を煽り立てる役割は十分果たしている。

集団自衛権の拡大、あるいは膨張の傾向は絶えずナショナリズムの内的な衝動をはらんでいると考えられる。忘れてはならない事実がある。戦前、国家が「真善美の極致たる日本帝国」という国体の精華を占有した。そこでは、学問も芸術もそうした価値的実体に依存し迎合するより他に存立しえなかったことだ。

国家のための学問や芸術が奨励された。そして、なにが国家のためかという内容の決定は「天皇陛下及び天皇陛下の政府に対し忠勤義務を持つところの官吏が下す」ということになる。学者も研究者も等しく既成事実に屈服したのである。まことにおぞましいことであった。

「積極的平和主義」とはかつての「大東亜共栄圏」の発想の匂いがするのであるが、、、いかがだろうか。

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どうも気になる その1 「八紘一宇」

毎日新聞を読みながら考えることがある。それは政治や経済、その他、教育や文化に関する話題である。新聞記者が書いたものは、どこまで信憑性や公平性があるかは別として、もの申したい話題はたくさんある。それを考えていくことにする。

最近、国会議員が質問の際に、「八紘一宇」とか「八紘為宇」とかの表現を用いて話題となった。あまりに叫喚的な表現なために、真面目に取り上げるに値しないように扱われた。このフレーズを引用した議員は「八紘一宇」の時代に生きた人ではない。従ってその意味するところをどこまで理解していたかは疑問である。だがこの「超国家主義的」と呼ばれるスローガンは戦前戦中は見えざる網によって十重二十重に国民の思想と行動を縛ってきた。

今年の戦後70年談話の内容と表現のことも話題となっている。それはわが国の戦前の帝国主義と植民地支配が近隣諸国に与えた影響をいかにとらえるかに関わっている。近隣の国々は、「未来志向の戦略的互恵関係とは、既存の現実の自体が如何なるものか顧みることから始まる」と考えている。それを今の安倍政権に期待しているようである。どのような談話になるのかは興味津々である。

思うに「八紘一宇」のスローガンを頭からデマゴーグときめてかかるのではなく、その底に潜む論理はなになのかを今一度問う時期に来ている。「八紘一宇」の呪縛からもはや解放されていると考えるべきではない。それが70年談話の意義だと思うのである。

憲法改正の動きも活発になっている。それに先だって閣議は、集団的自衛権を使えるようにするため、憲法解釈の変更を決定した。武器の行使による他国への攻撃を禁じてきた立場を転換し、関連法案成立後は、日本が攻撃されていなくても国民に明白な危険があるときなどは、自衛隊が他国と一緒になって反撃できるようになる。少々大雑把であるが、そんなことで一体どこまで自衛権は拡大されるかが「どうも気になる」のである。

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