どうも気になる その14 発達障害と診断と治療 その2 薬物依存の増大

精神病理学者アレン・フランセス氏の本から引用する。2010年度、アメリカでは5人に1人がなんらかの疾患のために少なくとも一種類の薬を飲んでいる。11%が抗うつ薬を服用し、さらに4%に子どもが刺激薬を飲んでいる。同じく十代の子どもの4%が抗うつ薬を服用している。養老院で暮らす人の25%が向精神薬を飲んでいる。カナダでは2005年から2009年にかけて精神刺激薬(Psychostimulants)の服用が36%、抗うつ薬の一種である選択的セロトニン再取り込み阻害薬(Selective Serotonin Reuptake Inhibitors: SSRI)の服用も44%も上昇していると報告されている。

いい加減な診断は、全米各地で過剰な薬物の服用をもたらしている。6%の者は処方された薬の中毒となり、こうした人は違法なドラグの服用者よりも救急救命室に運ばれたり死亡する割合が高くなっている。

2005年度の話だが、軍隊における精神疾患の診断は8倍にもふくれ、そのため110,000人の兵士が少なくとも一種類の向精神薬を投与され、何百人の兵士が偶発的な過剰服用のために命を落としている。精神疾患の薬は、今や製薬会社の最も利潤の大きい製品となっている。2011年では、向精神薬の売り上げが最も多く、全ての薬の売り上げの6%を占めているという。それに続いて抗うつ薬やAD/HD関連の薬の売り上げが高くなっている。1988年から2008年にかけて、向精神薬は4倍に、抗うつ薬は3倍とふくれあがっている。

医者が誤って薬を処方しているのだが、その80%の処方はほとんど精神医学の訓練を受けなかった内科医によってなされている。クリニックは製薬会社のセールスマンからの短時間の説明を受けて薬を採用しているという有様である。

驚くべきことだが、健常の範囲にいる「一寸心配な人々」が、薬の世話になることだ。そして、重篤な患者に対しては十分な治療がなされていない現状となっている。三分の二の重篤なうつ病患者は治療を受けていない。その結果、精神分裂病となり犯罪で逮捕され刑務所行きとなる有様である。

壁には次のような落書きがある。「健常な者には救いを!本当の患者には治療を!」

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どうも気になる その13 発達障害と診断と治療 その1 DSMー5とは

今、「Saving Normal: An Insider’s Revolt against Out-of-Control Psychiatric Diagnosis, DSM-5, Big Pharma, and the Medicalization of Ordinary Life」という本を読んでいる。要約すれば、健常な人に対しても精神疾患の診断がなされ、その歯止めが効かなくなり、薬の服用が増大していることに警鐘を鳴らす内容となっている。内容の正確さを期するために、英語の表記が多くなるのをお許し願いたい。

著者はアレン・フランセス(Dr. Allen Frances)という精神医学者である。アメリカ精神医学会(American Psychiatric Association:APA)が定めた「精神疾患の分類と診断の手引」である「Diagnostic Statistical Manual: DSM」というのがある。心理学や特別支援教育に馴染みのある者は知っている。すでに一版から五版まで発行されている。この手引きの第四版の編集委員長をしたのがアレン・フランセスである。そして2013年5月に第五版「DSMー5」が同学会から刊行された。

1992年に世界保健機関(World Health Organization: WHO)から「疾病及び関連保健問題の国際統計分類」に診断基準が初めて掲載される。これは「International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems: ICD-10」と呼ばれる。この分類のなかに広汎性発達障害(Pervasive Developmental Disorder)という単語が登場する。DSMー4によれば、広汎性発達障害は自閉症(Autism)、アスペルガー症候群(Asperger Syndrome)、レット症候群(Rett Syndrome)、小児期崩壊性障害(Childhood Disintegrative Disorder)、特定不能の広汎性発達障害などに分類されている。

専門家によっては、高機能広汎性発達障害(High Functioning Pervasive Developmental Disorder)と知的障害を伴う自閉症を包括し、自閉症スペクトラム(Autistic Spectrum Disorder)と呼ぶ者もいる。DSMー4の診断カテゴリーから大幅な変更が加えられたDSMー5では、自閉スペクトラム症の新設や気分や感情の高ぶりの波が大きい状態の双極性障害(Bipolar Disorder)が独立したカテゴリーとなった。

DSMー5の問題はなにかである。診断基準が変わったが子どもや保護者の困り感は全く変わらなく、特に診断数が増え薬の処方が拡がったことである。

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どうも気になる その13 「学習環境貧困家庭」とスマートフォン

困窮家庭と教育とスマートフォンの話題である。私事だが昭和36年大学受験を北海道旭川市で迎えた。三人兄弟の真ん中の筆者だが、家が貧乏だったので大学は道内、しかも公立校しかなかった。北大の授業料は年間7,000円、毎月の仕送りは5,000円で祖母の所に下宿した。兄は東京の私立大学に行っていた。国鉄勤めの父は鉄道弘済会から借金していた。

当時は空前の予備校ブーム。どこの予備校も繁昌していた。筆者は浪人もできなかった。幸い予備校で学ばないですんだが。日本育英会から無利息の奨学金を借り、バイトは家庭教師、ビルの床清掃やガラスふきをやった。

世の中には、経済的に困窮する貧困家庭の若者が大勢いる。彼らに学習の機会を備えるには、高校までを義務教育とすることだ。そうすれば大学教育を受ける機会が増える。さらに奨学金制度を充実し低所得者の子弟に安心して学校へ行けるようにすることも大事である。

さて、貧困家庭とスマートフォンの利用である。一日平均男子高生は4.1時間、女子高生は7.0時間と長時間化する傾向にあるとか。若年の不眠症の原因の一つが長時間、画面を見ることだそうだ。光により脳が活性化し、眠りを妨げるといわれる。親の通信料金負担もあるはずだ。スマートフォンをやる中高校生とそれを黙認する親の家庭は「学習環境貧困家庭」として、経済的に困窮する家庭と区別すべきである。

次のような記事を読んだ。「スマートフォンやPCを利用している時は表情筋がほとんど動かず、またばきの回数も半分以下になる。スマートフォンを使いすぎると老け顔のブサイクになる。無意識に眉間に皺がよったり、表情を変えることが少なくなるので筋力も衰える。」電車やバスの中でスマートフォンを「いじる」のを観察しているとすると、前屈みの姿勢になっていることがわかる。自転車に乗っていても乳母車を押していても下向きで器用に操作している。本人達も乳飲み子も歩行者も危ない。貧困家庭には、学習環境貧困家庭の他にこうした「育児環境貧困家庭」も増えているような気がする。

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どうも気になる その11 議員資格のこと

議員の資格と公職選挙法にはなにかしっくりしないものがある。最近、また国会議員の私的な行動が話題となり、それが週刊誌やネット上で炎上して所属する政党から除名処分を受けた。比例代表制によって当選した本人は議員を続けるようだ。

比例代表制度は、特定の政党を支持する割合を国会議員の選出に反映させようとする合理的な仕組みである。これまでの中選挙区制度は大政党には有利に働いてきた。少数政党への支持は議員の選出に反映されてこなかった。それを改めたのが小選挙区制であり比例代表制である。

比例代表制はいうまでもないが、候補者名ではなく政党名を選ぶ。各政党は事前に候補者名簿をつくり、所定の得票率にそって上位に記載された者から当選させる。復活当選するのだから、有権者には、「この人は一体誰?、」ということになる。選挙公約も聞いたことがないはずである。

そもそも国会議員は一部の人の利益を代表するのではない。「全国民を代表する」ことが建前となっている。従って当選した者は支持者、支持団体、政党に関係なく国民全体の利益を考えて活動する、というのだ。選良としての誇りや責任の自覚が要求されるのだが、このようなフレーズは死語に近くなっている。

党利党略がまかりとおり、私利私欲に走って大臣を辞任したり、議員辞職を勧告されたりする。このような者は次回の選挙では落選するはずなのだが、不思議なことに往々にして再選される。有権者の責任は大きいといわなければならない。

比例復活議員は、党が作成した名簿に掲載されていたからこそ議員になれたのである。こうした議員が、除名された場合は議員資格を失うという法改正が必要ではないか。それにしても、前経産相や前農相のような政治資金の還流、公金の隠匿など政治資金規正法違反で告発されかねない事例が多すぎやしないか。

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なにか気になる その10  国立大学法人信州大学長の祝辞から

筆者はかつて、『自然に囲まれた緑豊かなキャンパスでの勉学と課外活動、都会の喧騒とは無縁の落ち着いた生活空間』にて10数年働いたことがある。兵庫県の社町というところだった。この『 』でくくったフレーズは、信州大学長が新入生に送った祝辞の枕で述べた一節である。

祝辞だが、やがて学長の話は訓辞調となる。「スマホの電源を切って、本を読もう。友達と話をしよう。そして、自分で考えることを習慣づけよう。知識を総動員し、ものごとを根本から考え、全力で行動することが、独創性豊かな信大生を育てる。」

学長のボルテージは上がる。「スマホ依存症は知性、個性、独創性にとって、毒以外の何者でもない。スマホの見慣れた世界にいると、脳の取り込み情報は低下し、時間が速く過ぎ去ってしまう。”スマホやめるか、それとも信大生辞めるか”」 このような内容の訓辞を学長がするとは新入生や在校生は思いもよらなかっただろう。

それほどスマホは大学生にも悪影響を与えているのだろうかである。スマホ依存症とはなにか。筆者の定義は、「本業以外の時間に一日6時間以上スマホを使う生活習慣病」としておこう。煙草でいえば一日二箱吸う状態である。「スマホを使うので新聞は時代遅れのもの、読まなくてすむ」と考える大学生もいるようだ。

ただ、時代遅れであっても、新聞や本や雑誌をきちんと読む習慣は必要だ。古代エジプトで使用された文字の筆記媒体、パピルス(papyrus)から今にいたるまで紙媒体の情報は綿綿と生きている。文字は手書きしないと記憶できないし書くことができない。これは保証する。

「スマホやめるか、それとも信大生やめるか」は一つの修辞であり決して訓示の趣旨ではない。スマホは日常生活に定着したが、使いようによっては、これほど問題性もはらむ機器もないようだ。その使い方を一度振り返る機会にしたかったのではないか。信州大学長もスマホのユーザーなら説得力があるのだが、、、。

Shinshu-U  信州大学Matsumoto-castle 松本城

どうも気になる その9 普天間基地の移設と「県高国低」

普天間基地の移設に伴う新しい基地の建設が辺野古の海で始まった。沖縄県知事と国との移転に関する話し合いがようやく始まった。だが、両者の言い分は、原点が違うので全く合意点はなさそうだ。それはそうだろう。

最近の沖縄県と国の対立には2014年の衆議院議員選挙の結果が大きく影響している。沖縄は四つの小選挙区となっている。自民党はこの選挙で一人の当選者も出すことができなかった。かろうじて比例代表制度によって次点の4名が当選となった。沖縄知事選挙でも辺野古への基地移設に反対した翁長雄志氏が当選した。沖縄県の自民党国会議員団は力を失い、沖縄県との接触は今回のように官邸主導となる構図となった。

今度の官房長官の訪沖をみていると、かつて権力の構図は、現在は「党高政低」は「官高党低」となっているようだ。国会議員の力が低下し、県会議員や知事の力が増幅している。その具体事例が沖縄県である。

今、国会議員要覧を手にしているが、知っている議員は少ない。その理由ははっきりしている。第1回から2回の当選回数の議員が多いことだ。併せて170名となっている。いわゆる「xxxチルドレン」とか「刺客出身」、そして比例代表で選ばれた新人議員が多いからである。

小選挙区制度では、党公認は一人であり、派閥からは一人の人間しかだせない。従って派閥の系列化が弱くなる。そのため族議員が減り、国会議員に依存していた各官庁への陳情力も低下する。沖縄県議会の構成をみると自民公明で18名、その他は29名であるから議会の与党と知事は一緒になって官邸と堂々とやり合うことができる。「県高国低」という構図なのが沖縄である。地方自治のあり方を示している。

Henoko72  名護市辺野古Hutenma 宜野湾市普天間

どうも気になる その8 琉球処分から本土復帰へ

辺野古の海は碧く澄んでいる。筆者が家族と一緒に琉球に赴いたのは1970年。本土復帰の2年前である。全員パスポートを持参し予防注射を受けた。琉球での仕事は那覇において幼児教育を始めるためだった。1970年の琉球の教育は、施設設備、教師の養成、親の教育への意識などにおいて本土より5年以上は遅れているといわれていた頃だ。

驚いたのは教育の課題だけでない。基地の規模とそれが沖縄人に与える影響である。どこへ行っても基地があるのである。ドルで物を買いドルで支払う。不思議なところであった。本土復帰がいよいよ目前になると、本土復帰とはなにか、琉球の独立ということが叫ばれ始めた。だが時既に遅し。復帰の準備は「粛々」と進んだ。そして1972年5月15日の復帰の日を迎える。この日は雨であった。式典には佐藤総理大臣がやってきた。初代の沖縄県知事には屋良朝苗氏が就任した。

沖縄は日本政府と長い対立の歴史があった。そもそもの始まりは、1872年の琉球王国から琉球藩設置という経緯である。そして1879年の「琉球処分」により450年間続いた琉球王国は文字どおり消滅する過程、これが「琉球処分」であった。その後、琉球では皇民化・同化政策が推し進められた。戦時中は、沖縄戦の悲劇があった。敗戦後の米国統治下で「銃剣とブルドーザー」による強制的な基地建設が続いた。そして1972年5月の復帰後も基地の重圧に苦しみ続ける。こうした歴史にはその源流として「琉球処分」があると沖縄人は考えている。

ryubu  琉球舞踊と紅型ryukyu 明からの使者

どうも気になる その7 「Hafu」

「Hafu」って一体なに、と思われるだろう。混血の人、ハーフを表記するとこうなるだけである。英語圏では「ハーフ」といっても通じない。和製英語だからだ。正確には、「bi-racial」とか「mixed-racial」という使い方となる。

なんでも、ミスユニバースの日本代表に混血の女性が選ばれたようである。さっそくサイトを見ると、実にはつらつとした女性の写真がでている。この女性に対して、「日本人ではない」とか「純粋な日本人女性の顔をしていない」などというコメントがブログやツイッターに書き込まれているようだ。それに対して内外から批判がでている。こうした批判だが、どうも彼女は日本人の母親とアフリカ系アメリカ人の父親から生まれたことが話題となっているようだ。

そこで私見である。彼女はれっきとした日本人でありミスユニバースの日本代表である。本来皮膚の色、顔つきなどはバッシングの対象とはなりえない。だが、彼女は「純粋な日本人」の容貌をしていないと批判する者がでている。一体こうしたコメントを堂々と公にする日本人だが、「日本人は文化や社会に対して独特のアイデンティを持ち、外国人にはそのことを触れられたくない」とでも考えるのか、、、とんでもない時代錯誤である。

一体、誰が「純粋な日本人」なのか。そんな人はいるのかである。日本人はどこからやってきたのか、という話題を教科書にあったのを覚えている。南方系とか北方系といった論争であった。戦前、日本が朝鮮半島や台湾を併合していた時代には、日本人とは朝鮮人、台湾人など日本国籍を与えられた植民地の民族を含む国籍上の概念であった。旧日本帝国は多民族国家であることが強く意識されていたのだ。現在の日本国民に相当する人々は「内地人」と呼ばれた。今も沖縄では沖縄人を「ウチナンチュ」、本土の人を「ヤマトンチュ」と呼ぶ。アイヌ民族もいる。そういえば、筆者も北海道にいたとき本州のことを親にならって「内地」と呼んでいた。

このように、日本人というのは多種多様な民族から成ることは明らかである。「純粋な日本人」などは存在しない。世界のいかなる国のスタンダードからみても、今回のミスユニバース代表はれっきとした日本人であるのは間違いない。

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どうも気になる その6 「マクロ経済スライド」

新しい用語やフレーズが日々登場する。最近目にするのが 「マクロ経済スライド」である。この用語は決して新しいものではないのだが、、、「マクロ経済スライド」とは、そのときの現役人口の減少や平均余命の伸びに合わせて、年金の給付水準を自動的に調整する仕組みである。2004年に年金法の改正で使われたそうだ。

「マクロ経済スライド」の定義はさておき、次のような例で考えるとわかりやすい。

八王子が大災害に見舞われ、近くの市民センターで炊き出しが始まる。筆者も大勢の被災者の列に並んで、二個のおにぎりをもらおうと待っていた。大きな釜のご飯を割烹着を着たおばさん達がせっせと握っている。やがて、あまりにも列が長くなるのをみた職員がおばさんに「ご飯が足りなくなるのでおむすびを小さくするように」と指示した。

このようにおにぎりを小さくするのが「マクロ経済スライド」というのだそうだ。長くなっていく列に並ぶのが年金受給者、釜のご飯が年金財源というわけだ。ご飯を足せばよいのだが、少子化も手伝って年金制度を支える現役世代が少しずつ減っていて足すすべがない。

これまで年金支給額は、物価の上昇によって調整されてきた。物価が2%上昇すれば、年金も2%上昇するという仕組みであった。これでは財源が底をつく心配があるようだ。年金の財源で株や海外への投資によって財源を増やそうとはしているが、それでも追いつかないといわれる。

そこで自衛手段を考える。齢を重ねると胃袋は小さくなる。胃袋を小さくして、小さなおにぎり二個でも満腹になるように心掛ける。酒の量も減らす。外食はシニア割引の店を選ぶ。理髪も800円のところを選ぶ。そうすれば、2%の物価上昇であっても、1.3%の「マクロ経済スライド」によって年金が毎年0.2%上昇することで満足できるのではないか。政府はシニア割引をあらゆるビジネスで増やすことを業界に提案して欲しい。

国会議員の歳費も「マクロ経済スライド」によって決めて貰いたいものだ。

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どうも気になる その5 緊急防護措置区域と避難計画

原発の話題を考え筆を執るとなんとなく気が重くなる。今回は原発事故発生による避難計画のことである。原発事故には十分な対策が必要とされているそうである。それはそうだ。だが、一体どんな対策が要求されるのか、住民はどう対応したらよいかを考えると頭を抱えてしまう。

国際原子力機関(International Atomic Energy Agency: IAEA)は原子力施設から半径30キロ圏を緊急防護措置計画区域(Urgent Protective Action Planning Zone : UPZ)として規定しているようである。一旦火急の事態になったときは、重点的に防災対策を行うために設定されるのだという。わが国もこのUPZを採用している。そのために多くの帰宅困難者が不自由な生活をしている。

3.11以来、拙宅でも食料や水、電池や携帯ガスコンロなどを備え始めた。屋外には庭の遣り水のためにタンクを四つ設置している。隣近所でもトイレなどに使えることを念頭においている。倉庫が壊れない限り、一週間は電気やガスなしに暮らしたいと思っている。だが放射能の拡散には全く無力である。逃げようにも手段がない。大勢の避難で道は大混乱となるだろう。いっそう、子どものいる家庭は優先して避難対象とし、年寄りは最後まで待機するか、座して死を迎える心構えが必要である。

さて、住民の避難訓練、とりわけ幼稚園や小中高の取り組みである。文科省の発表によると、原発の近くのUPZに立地する公立の小中高校や幼稚園などが19道府県で2,077校あり、事故想定の避難訓練をしているのは34.4%の714校にとどまるということである。

緊急避難では、原発から5キロ圏内では、バスやヘリコプターで30キロ圏外に移動させ、屋内待避するのだという。避難所では保健職員が避難者の放射線量を調べるとある。しかし、このように円滑に住民が退避できるとは到底考えられない。風向き次第では、避難経路も避難先も変えなければならない。

原発事故への学校側の対応を定めた指針はなく、訓練などの取り組みは各学校に委ねられているようである。しかし、見えない敵を相手にして、文科省は原子力規制庁と連携して学校での訓練実施率の向上に取り組むなどとしている。こんな無責任な発表には虫酸が走る。原発そのものの存在が根源的な問題だ。

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