リベラルアーツ教育 その7 「合理的配慮」の「reasonable」

o0531041110285641187 url Disability_symbols一般に詩や哲学などの古典、ラテン語 (Lain) やギリシャ語(Greek)などの語学、歴史を学ぶことも教養といわれているようです。誠に雑ぱくな定義でありますが、、こうした分野における知識を蓄積しても日常生活や仕事にはじかに役立つということはありませんが、専門誌や雑誌にでてくる用語を吟味することには、自分の疑問を解くのに大いに参考になります。

この拙いブログでは外来語がでてくるときは、特に英語やドイツ語、ラテン語の綴りを付記することにしています。そのほうが、日本語の意味をより深く知ることの助けになると思うからです。また日本語であっても意味がいろいろと違います。それを外国語、特に英語の場合はラテン語やギリシャ語から由来するものが多数あるので、日本語となっている単語の理解に役立つことが多いのです。同時に日本語訳がはたして確かなのかを考える機会となります。

一体、「合理的配慮」という用語をあてたのは厚生労働省や文部科学省の官僚なのか、あるいは英語学者なのかは分かりません。いずれにせよ、英語のフレーズと日本語訳とを対比しながらその意味を考えていくと、「深く合理的な配慮の意味を伝えない」用語であることに気がつきます。私の疑問が深まるばかりです。

まずは「reasonable」という単語です。辞書を調べると、「reasonable」はラテン語の「ratio」とか「rationabilis」に由来し、その同義語として「mediocris」、「prudent」などとあります。ともあれ「ratio」からrationalという英語が生まれたことが容易に理解できます。「rationabilis」や「justus」からは、適正なという「legitimate」、公平なという「equitable」、細心なという「prudent」という単語もこれにあてはまります。

他方、注意すべきことは、「rationabilis」から、「並の」とか「平凡な」という意味の「mediocris」という派生語もあることです。これは、凡庸なとか平均的なといった「average」、さらにいい加減なとか手頃なといった「tolerable」という単語につながるのです。

このように「合理的ーreasonable」という単語は意味が深いのです。その使い方は日常の事象にあてはめると次の三つにわけられそうです。

1) 〈思考・行動などが〉
適正な,  当然な,  正当な,  筋の通った,  尤も至極な,  妥当な,   応分な,  順当な,  道理をわきまえた,  分別のある
2)  〈物事が〉
無理のない,  手ごろな,  穏当な,  当り前の
3) 〈値段などが〉
いい加減な,  あたぼう,  聞き分けのよい,  話のわかる,  手頃な,  格安な

さて、「reasonable accommodation」を「合理的配慮」としたのは果たして妥当なのかという疑問です。「道理をわきまえ筋の通った」内容か、はたまた「いい加減な聞き分けのよい」内容かどうかです。
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リベラルアーツ教育 その6 「自由七科」

georg-wilhelm-friedrich-hegel-03 curse-magic-graffiti-eyecatch-01-620x377 73ce447c「Liberal Arts」ということの続きです。「専門分野の枠を超えて共通に求められる知識や思考法などの知的な技法の獲得や、人間としての在り方や生き方に関する深い洞察、現実を正しく理解する力」というのが平成14年2月に中央教育審議会が答申した教養ということの定義です。「専門性につなげる、あるいは専門性にとらわれない幅広い教養や知識」といった人が持つ必要がある実践的な知識・学問の基本のこととあります。

定義はさておき、中世の西欧において必須とされたのが「自由七科」(septem artes liberales) というものです。その内訳ですが、主に言語にかかわる3科目の「三学」(trivium)と数学に関わる4科目の「四科」(quadrivium)の2つに分けられます。三学は文法・修辞学・弁証法(論理学)、四科が算術・幾何・天文・音楽と規定されていました。幾何学は図形の学問であり、天文とは円運動についての学問で現在の地理学に近いと考えられます。ラテン語で「tri」とは三、「quad」とは四、「septem」は七を意味します。この接頭語がついた英語は沢山あります。

哲学(Philosophia)ですが、以上の自由七科を統合しその上位に位置すると考えられました。ギリシャ語(Greek)で英知を意味する「sophia」、愛することを意味する「philo」から成ります。一切の思想的前提を立てない理性の学といわれる哲学は、弁証法によって思考を深めることを教えるものとされました。弁証法とはギリシア語でいう対話「dialektike」です。

哲学はさらに神学の予備学とされたというのですから、なんだかこんがらがってきます。神学は「理性によっては演繹不可能な信仰の保持および神の存在を前提とする」というのです。どうも神学が中世の学問の中心であったようです。ここまで思索してくるとヘーゲル(Georg Hegel) の「弁証法的論理学」とか「止揚」ということの内容、そしてなによりも神学の神髄を学ぶ必要を感じます。

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リベラルアーツ教育 その5 コミュニティ・カレッジ

iStock_000047714610XLarge large_matc_0 madisonclg_logo我が国のリベラルアーツの雄は国際基督教大学( International Christian University: ICU)といってもよいでしょう。単科大学という性質からみればInternational Christian Collegeと名付けるのが正しいと思われます。ICUはベラルアーツ・カレッジ(liberal arts college)として「平和」、「学術基礎」、「専門知識」を統合しながら、バイリンガリズムによる世界基準の「全人教育」という理想を掲げて1949年に創立されます。「国際的社会人としての教養をもって、神と人とに奉仕する有為の人材を養成し、恒久平和の確立に資することを目的とする」とあります。アメリカの長老派教会 (Presbyterian Church) によって支援され、財界からの寄付を受けて、リベラルアーツ・カレッジの伝統を踏襲しています。

「多様性」はアメリカの大学の特徴です。アメリカの大学はもともとは単科大学であるカレッジ(college)として創設された経緯があります。例えば聖職者を養成し、町や村のリーダーを養成することを主たる目的として定めました。そのために教養を幅広く身につけ、決断力を養い、リーダーシップをとれる人間になる基礎教育をするようになりました。これがリベラルアーツ教育です。そして、リベラルアーツ・カレッジが誕生します。

1636年に創立された牧師養成の機関がハーヴァード大学(Harvard University)です。ハーヴァードはアメリカ最初のカレッジです。やがて新しい専門分野を加えていきながら、大学院レベルの研究に力を入れている総合大学として発展してきました。世界で最も入学が難しいといわれています。

アメリカには州立、私立を含めて4,000以上の大学があります。その大半は小さなカレッジであることをご存じでしょうか。4年制のリベラルアーツの大学です。少人数のコミュニティのゆえ、手厚い指導のもとで幅広い知識を習得できます。美術や音楽のカレッジ、コンピュータ操作、歯科技工、機械、教師養成、軍の士官養成大学などもあります。あえて大きな総合大学を選ばずこうしたカレッジで勉強し、総合大学の大学院へ進む者が多いのがアメリカのカレッジの特徴です。

どうしても職業技術を身につけたい者には、コミュニティ・カレッジ(Community College)、あるいはテクニカル・カレッジを選び最低限の教育や職業訓練を受けることができます。ここで語学研修するのも賢い選択です。コミュニティ・カレッジは中小都市には必ずあります。

リベラルアーツ・カレッジなど多くのアメリカの大学は、できるだけバラエティの富んだ学生たちを入学させようという観点から入学審査を行います。リベラルアーツ・カレッジで有名なところは極めて授業料が高いです。そのため高所得者の子弟が多いのも事実です。そのために大学は多くの奨学金を用意して優秀な学生を集めようとします。大学がどの位の基本財産(Endowment)を有するかが大学発展の大きな要素となります。

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リベラルアーツ教育 その4 学部の廃止や再編を憂う

220px-Septem-artes-liberales_Herrad-von-Landsberg_Hortus-deliciarum_1180 150416101124-harvard-campus-780x439 logo人文社会科学系の学部がある国立大学の8割が、学部の再編や定員削減などを検討していると報じたのは、2015年7月のNHKの調査です。今、全国の地方にある多くの国立大学は、研究などはそっちのけで改組のために会議やタスクフォースに多大な時間をかけて、改編に奔走しているといえる状況です。

この調査によれば、人文社会科学系の学部がある大学42校のうち、「再編して新たな学部などを設ける」が11校、「具体的な内容は未定だが、再編を検討する」が8校、「定員を減らす学部などがある」が6校、「教育目標を明確にした」が3校、「国の方針を踏まえたものではないが、再編を盛り込んだ」が7校といわれます。

文部科学省の高等教育局長は次のように言います。
「大学は、将来の予想が困難な時代を生きる力を育成しなければならない。そのためには今の組織のままでいいのか。子どもは減少しており、特に教員養成系は教員免許取得を卒業条件としない一部の課程を廃止せざるをえない。人文社会科学系は、専門分野が過度に細分化されて、たこつぼ化している。養成する人材像が不明確で再編成が必要だ。」

こうした文部科学省からの学部の廃止や再編を促す通知に対して、25校が「趣旨は理解できる」と答え、「不本意だが受け入れざるをえない」が2校、「全く受け入れられない」が2校ということです。「全く受け入れられない」という勇気ある表明をしているのは滋賀大学の位田隆一学長です。人文社会科学系学部の改組や廃止を求めた文部科学省の通知に対して、「世界の教育後進国と言われても仕方がないほど嘆かわしい」と手厳しく批判しています。

「人文・社会系学部や教育系学部の廃止や再編成」というのは、国立大学にとって激震ともいえる出来事です。ひいては我が国の大学教育にとってもそうです。それは、自由に考え自由に判断する能力を獲得するには、教養課程の一年半では到底足りないにも関わらず、例えば、即戦力を育てるといううたい文句で、例えば記憶中心の4年間の教育課程で教員を学校に送り出す教育が行われています。6年間の教育課程が必要なのです。「教員養成の高度化」というかけ声はおぞましいほど稚拙な行為といわなければなりません。

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リベラルアーツ教育 その3 高等学校の登場

Bankara_students_in_1949 220px-The_first_gymnasium_in_Tokyo._Before_1902 images旧制高等学校とは、1894年に高等学校令から1950年まで存在した日本の高等教育機関です。1918年の高等学校令改正により各地で次々に高等学校が増設され、7年制高等学校が出現し大学予科は高等科に改称されていきます。これが略して旧制高校です。

戦前の旧制高校は第一高等学校から始まり、全国で30数校しかありませんでした。リベラルアーツ教育をする場所であったのは明白なのですが、なにぶん数が足りずいわばエリートの育成にならざるを得ませんでした。入学が極めて難しかったのです。

戦後日本の民主主義という新時代にそうしたエリート教育はふさわしくないという考えから、3,700余りの新制高等学校が誕生することになります。ですが新制大学を含め大学入試が知識の記憶がものをいうために、高等学校は再び記憶偏重の教育課程となってしまいます。予備校や塾も大いに繁盛しました。私は貧しかったために、一度も予備校通いや家庭教師についたことはありませんでした。なんとか北大に入れたという幸運者でした。

現在の大学も一般教養として教育している一年半余りの課程は、いわばリベラルアーツ教育ともいうべき重要な役割を持っています。ですが課題も背負っています。リベラルアーツ教育の目標を十分に達成するにはいくつかの考慮すべきことがあります。

第一は、クラスの編成が大規模であることです。現在のようにマイクを使って200人や300人の学生に講義するのでは、知識を注入することで精一杯です。第二は講義よりも演習、演説よりも討論中心のクラス、が望ましいことです。対話という形式をとらず、一方向による講演や講義では担当者の自己主張に終わってしまいます。第三は、あまり専門性に偏らない文明史的なものの見方ができるような講義や演習が大事だと思います。第四は、就職活動に奔走し勉強すべき時間が少ないような有様は改善すべきです。このような状態では、大学は短大に成り下がっているといわざるを得ません。

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リベラルアーツ教育 その2 旧制高等学校

img20140324135618260 clip_sap-fall007 2010111402-7db44我が国におけるリベラルアーツ教育の足跡は、旧制高等学校の歴史にみることができます。旧制高等学校は1894年に高等学校令から1950年まで存在した日本の高等教育機関です。女学校も中等教育から高等教育を実施して女子教育に貢献します。1918年の高等学校令改正により各地で次々に高等学校が増設され、7年制高等学校が出現し、大学予科は高等科に改称されていきます。これが旧制高校です。

教育内容は現在の大学教養課程に相当します。現在の高等学校と混同されることもありますが、現在の高等学校は旧制の学制においては旧制中学校がそれに相当します。

旧制高校では、帝国大学への予備教育を行う高等中学校本科は高等学校大学予科に名称を改められ、修業年限が2年制から1年延長された3年制となります。専門学部は3年制から4年制に移行します。1894年以降、第一高等学校 (一高)の修学期間は3年となり帝国大学の予科と位置づけられました。仙台の二高、京都の三高、金沢の四高、熊本の五高などもそうです。後に学部は帝国大学へと昇格したり、専門学校として分離されます。

1949年の新制国立大学設置当初から「教養学部」という学部を有するのは、全国の国立大学では東京大学教養学部が唯一のものです。東京大学教養学部の設置は旧制高校の教養主義的な伝統を継承しようとしたことです。北海道大学の教養部は1995年に廃止されてしまいました。

私学のリベラルアーツ・カレッジの雄である国際基督教大学(ICU)ですが、戦後その設立に携わったのは旧帝国大学卒の有力者です。旧制高等学校の伝統を継承しようと設立に尽力した経緯があります。

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リベラルアーツ教育  その1 カレッジと北大教養部時代 

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Max Weber German sociologist 1864-1920 born in Erfurt educated at universities of Heidelberg Berlin and Gottingen chair of sociology in Vienna 1918 chair of sociology at Munich 1919 one of the founders of sociology best known for his work Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus

Max Weber
German sociologist 1864-1920 born in Erfurt educated at universities of Heidelberg Berlin and Gottingen chair of sociology in Vienna 1918 chair of sociology at Munich 1919 one of the founders of sociology best known for his work Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus

 

 

 

 

 

 

ご承知かもしれませんが、アメリカではリベラルアーツ教育(Liberal Arts Education :LAE) が今でも盛んです。伝統のある有名な単科大学 (college)が各地に沢山あります。こうしたカレッジから総合大学へと進む学生が大勢います。LAEをきちんと受けている学生を総合大学は受け入れるのです。

LAEとは個人の知性を伸ばし、将来の専門分野を見定めるための準備とする教育のことです。知識を覚え込む普通教育と研究に独自の貢献をするための専門教育の中間に位置することです。教養課程といわれています。しかし、知識を蓄積することが、そのまま教養につながるとはいえないのが学ぶことの難しさです。

私も北海道大学に入学したときは、一年半は教養部に属し、その後法学部へ進みました。文科系では経済学部や文学部、教育学部もあり、同輩はそれぞれ専門分野を選んでいきました。教養部では、知識の詰め込みというよりも、学生に自由に学ばせる雰囲気がありました。休講はしばしばありました。そのおかげでカール・マルクス (Karl Heinrich Marx)だ、マックス・ウエーバー (Max Weber)だといった人物を話題とした議論をしばしば聴きました。河合栄治郎の「学生に与う」とかロジェ・マルタン・デュガール (Roger Martin du Gard) の「チボー家の人々」、阿部次郎の「三太郎の日記」など青春のバイブルといわれた作品、他に内村鑑三の著作を競うように読んだものです。こうした書物に親しむ機会は、学生としての一つの洗礼のようなものでした。

Liberal Artsの語源を調べると、教養がいかなることかが分かります。ラテン語で「Liber」とは書物という意味です。図書館 (library)や図書館司書 (librarian) という用語がここから生まれます。「Liber」のもう一つの意味は「自由」ということです。ヨハネの福音書8章31‐36節に「真理はあなたを自由にする」とあります。聖書によっては”The truth will set you free.” (New International Version)  とか“The truth shall make you free.”(King James Version)とあります。

教養課程とは、学問とはなにか、真理とはなにか、科学とはなにか、職業とはなにか、といった未知の世界を考える時間のことかもしれません。そして将来の専攻を決めていくのです。専攻を考えるためには、幅広い基礎的な知識や教養が求められます。

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