中東という地名を聞くと、なんとなく政情が不安定な国々というイメージが浮かびます。確かにその通りなのですが、例外があります。それはアラブ首長国連邦(United Arab Emirates: UAE)です。特に首都のアブダビ (Abu Dhabi)やドバイ(Dubai)は群を抜いて治安がよいことで知られています。「Emirates」とは「首長権限」という意味です。
中東に派遣されている自衛隊の機体と要員の交代が行われるのがジブチ(Republic of Djibouti)です。3か月毎に交代するのです。紅海(Red Sea)のインド洋への出口にあたる地政学上非常に重要な場所、いわゆる「アフリカの角」(Horn of Africa)地域にあるのがジブチです。アフリカ大陸にある国としては3番目に小さい国です。面積は四国の約1.3倍といわれます。歴史上、イタリア、イギリス、エチオピア帝国の力関係の緩衝地帯のような役割を果たしてきた旧フランス領です。
スエズ運河の建設が始まった1859年にフランスは地元のダナキル族(Danakil)からタジューラ湾(Gulf of Tadjoura)のオボック港(Obock)を租借します。エチオピア帝国がハラール(Harar)までの鉄道敷設権をフランス企業に与えたのをきっかけに、その周辺地域を含めてフランス領ソマリ (Somaliland)として植民地化されます。ジブチがフランスから独立したのは1977年です。
エリトリア(State of Eritrea)という国名を聞いたことがありますか?エトルリア(Etruria)はイタリア半島中部にあった古代都市、アナトリア(Anatolia)は、トルコのアジア部分の地域です。名称が似ていますが、全く違った地名です。エリトリアはアフリカの角と呼ばれるアフリカ大陸北東部にあり、西にスーダン(Sudan)、南にエチオピア(Ethiopia)、南東部にジブチ(Djibouti)と国境を接し、東は紅海(Red Sea)に面する国です。地図を見ますと、エリトリアは紅海に沿って約1350km続く海岸線を持ちます。領海域にはおよそ350の島々があります。
世界中に、食糧が不足して子どもに食べさせることができない国があります。スーダン(Republic of the Sudan)もその一つといえそうです。今年はバッタの巨大発生で畑を食い散らしていることが報道されています。スーダンは、北東アフリカに位置し、アフリカ大陸で3位の面積を有しています。エジプト(Egypt)、リビア(Lybia)、チャド(Chad)、中央アフリカ、南スーダン、エチオピア(Ethiopia)、エリトリア(Eritrea)と国境を接し、東は紅海(Red Sea)に面しています。対岸にはサウジアラビア(Saudi Arabia)があります。紅海の先にはスエズ運河(Suez Canal)があります。
ソマリア(Republic of Somalia)は、東アフリカのアフリカの角(African Horn)と呼ばれる地域を占める国です。飢餓に苦しむ貧しい国というイメージが浮かびます。エチオピア(Ethiopia)、ケニア(Kenya)およびジブチ(Djibouti)と国境を接し、インド洋とアデン湾(Gulf of Aden)に面しています。
1969年のクーデターによりバレ政権(Barre regime)が誕生します。1991年、バレ政権が崩壊して内戦状態になり、同年5月には北部で「ソマリランド共和国」(Republic of Somaliland)が分離独立を宣言します。また1998年7月には北東部で「プントランド」(Puntlaand)も自治政府の樹立を宣言します。 特に、旧イギリス領にあたるソマリランド共和国は、国際社会では「国家」として承認されていない「未承認国家」ですが、ソマリアの中で最も治安がよく、安定した政治体制が築かれていて、独立国家としての機能を有しているといわれます。
1991年に崩壊して以来,ソマリアは,全土を実効的に支配する政府が存在しない状態に陥ります。劣悪な治安状況の下,大量の難民及び国内避難民が発生します。干ばつが加わり,食糧不足が悪化し重大な人道危機が生じます。世界中でこの危機が報道されたのは真新しことです。1992年以降,停戦監視及び被災民援助活動の支援のために国連ソマリア活動(UNOSOM: United Nations Operation in Somalia)が設立され,アメリカを中心とする統一タスクフォース(UNITAF: Unified Task Force)の活動が開始されます。しかし武装勢力の激しい抵抗を受けて、1995年3月には完全撤退を余儀なくされます。2018年1月現在,緊急人道支援を必要とする人口は390万人に及ぶといわれます。
イエメン(Republic of Yemen)は中東のアラビア半島南端部に位置する共和制国家です。紀元前10世紀頃は、古代のイエメンの王国はインドと地中海及び東アフリカの貿易の中継地として繁栄したようです。そのため古代ギリシャ人やローマ人から「アラビアン・フェリックス」(Arabian Felix)と呼ばれます。ラテン語で「幸福なアラビア」という意味だそうです。ヘレニズム(Hellenism)やローマ時代の地理学者が,現在のアラビア半島南半部を呼んだ名称です。オマーンと同様に香料の産地で豊かな王国と考えられていたようです。
オマーン国(Sultanate of Oman)は、アラビア半島の東端にあり、アラビア海(Arabian Sea)とオマーン湾(Gulf of Oman)に面する絶対君主制国家です。北西にアラブ首長国連邦(United Arab Emirates: UAE)、西にサウジアラビア(Kingdom of Saudi Arabia)、南西にイエメン(Republic of Yemen)と隣接しています。石油輸出ルートとして著名なホルムズ海峡(Strait of Hormuz)の航路もオマーン飛地の領海内にあります。 首都マスカット(Muscat) はオマーン湾にのぞむオマーン最大の港湾都市で、政治や経済、文化、教育の中心です。全土が砂漠気候に属し、大きな河が存在しない珍しい国といわれています。
オマーンの農産物はナツメヤシ サヤインゲン、果物の他、カラン科の樹木から分泌される樹脂、乳香(frankincense)があります。乳香は数千年にわたり宗教的行事にお香などで利用されてきた歴史があります。芳香成分には、リラクセーションや瞑想に効果的であると考えられています。ベツレヘム(Bethlehem)でイエス・キリスト(Jesus Christ)が生まれた時、東方からやってきた3賢人がイエスに捧げた贈り物が乳香、没薬、黄金であったという記述がマタイによる福音書(Gospel According to Matthew)2章11節にあります。
ヨルダン川 (Jordan River)は、洗礼者ヨハネ(John the Baptist)がイエス・キリストに洗礼を授けた所とマルコによる福音書(Gospel According to Mark)1章9ー11節にあります。ヨルダンはこのヨルダン川中東にある人口約760万人ほどの国で、死海(Dead Sea)を挟んでイスラエルと接しています。人口の半数近くがパレスチナ難民とその子孫と言われています。また、最近では63万人のシリア難民が押し寄せているそうです。首都アンマン(Amman)は紀元前13世紀頃に首都として定められたヨルダン渓谷の街といわれます。
後述しますがイディシュ文学(Yiddish)はアシュケナージと呼ばれるユダヤ人の文学です。今回は「牛乳屋テヴィエ」(Tevye the Dairyman)とユダヤ文学の話題です。世界に散ったユダヤ人「ディアスポラ」(Diaspora)は建国の精神を抱いてイスラエルの地に戻ってきます。Diasporaとはギリシア語で「散らされている者」という意味です。そこから英語の「disperse」(散らす)という単語が派生します。
さて「牛乳屋テヴィエ」は「屋根の上のバイオリン弾き」(Fiddler on the Roof)というミュージカルでも知られています。主人公はテヴィエ(Tevye)とその家族です。舞台はウクライナ(Ukraine)のユダヤ人が住む村です。この作品を書いた劇作家、ショーレム・アレイヘム(Sholem Aleichem)はウクライナ出身のユダヤ系アメリカ人です。アレイヘムの小説は、民衆の啓蒙を主題とし、離散したユダヤ人社会で生れたイディシュ文学の代表といわれます。「牛乳屋テヴィエ」に登場するユダヤ人はアシュケナージの人々です。