懐かしのキネマ その10 笑いやユーモアで健康を「パッチ・アダムス」

アメリカ映画にはユニークな作品や、それを演じるユニークな俳優がいますね。泣き笑いして観衆に感動を与える映画を紹介しましょう。実在の医師と患者の心の交流を描いたヒューマンドラマ「パッチ・アダムス」(Patch Adams)です。ロビン・ウィリアムズ(Robin Williams) が医師パッチ・アダムスを演じています。

パッチ・アダムスは普通の医者とはちょっと違います。ユーモアが治療には一番効き目があると信じてやみません。彼は、自分のリスクを考えずに、とにかく患者を笑わせようと努力するのです。自殺未遂の果て、精神病院に入院したアダムスは、ジョークで患者たちを笑わせ、心を癒す能力に目覚めるのです。そんな彼に富豪で天才病の患者アーサー(Arther)は「パッチ」というニックネームをつけまます。パッチとは、解決するとか治すという意味です。2年後、パッチは精神科医を目指し、ヴァージニア大学(University of Virginia) の医学部に入学します。白衣を着て病院に潜入し、患者たちを笑わせ心をつかんでいきます。パッチの笑いの療法が次第に功を奏し、ベテラン看護婦たちも温かな目で見守ってくれるようになります。しかし、学部長のウォルコット(Walcott) はパッチを快く思わず、放校処分にします。ですが常に成績がトップクラスのパッチに学長が理解を示し、大学に残ることが許されるのです。

パッチは、病院の規則や高額医療費などの理不尽さから無料の病院を作りたいと考えるようになります。精神病院で患者同士として出会った富豪のアーサーから出資を受け、夢が現実します。同僚と共にさまざまな患者を無料で受け入れてきますが、ある患者がパッチの同僚である女性を殺し自殺するという事件が起きます。パッチはその衝撃から診療所を閉め病院もやめる決心します。再び患者の心を捉えたことを契機にやり直すのです。しかし、そんな時、医師免許も保持せず、無料で診察していたことを理由に退校が申し渡されます。その決定を不服とするパッチは、医師会の裁定を仰ぎ弁明しようとします。裁定の席上で、大勢の傍聴者を前にして、医者と患者は対等であることや、心をほぐすことが何よりの治療になることを訴えます。それが首尾良く認められ無事大学を卒業し、独自の治療方法を広く伝えることになるのです。

懐かしのキネマ その9 ウィリアム・ワイラーと「ベン・ハー」

アメリカの映画監督には多くの個性的な人がいます。ウィリアム・ワイラー(William Wyler)もその1人でしょう。非常に幅広いジャンルの映画を製作し、登場人物の心理や性格の描写に長けていたという評判です。ワイラーが1959年に製作した「ベン・ハー」(Ben Hur)はローマ帝国時代のユダヤ人家族を描いた大作です。

エルサレム(Jerusalem)の名家に生まれたベン・ハーは、義兄弟であるメッサラ(Messala)の裏切りにより奴隷船送りとなります。マケドニア(Macedonia)との海戦で乗っていた旗艦が転覆しますが、ローマ海軍の総司令官アリウス(Arrius)を救出します。海戦は大勝利となりアリウスとともにローマに凱旋します。やがて数年ぶりに戻った故郷で戦車競争出場の機会をつかんだベン・ハーは、競技場でメッサラとの宿命の対決に挑み勝利します。そしてライ病になっていた死の谷と呼ばれる洞穴に隔離されていた母と妹を許嫁のエスター(Esther)と一緒に助け出します。神の奇跡によって治癒した母と妹を抱きしめながら喜びを分かち合うのです。この原作の副題は「キリストの物語」(A Tale of the Christ)とあるように、キリストの生誕や受難と復活が「ベン・ハー」の物語の背景となっています。この作品は、アカデミー賞作品賞を含む合計11部門を受賞します。これは史上最高の受賞数といわれます。ワイラーは3度目の監督賞を受けます。

ワイラーが1953年に制作した作品に「ローマの休日」(Roman Holiday )があります。ヨーロッパ最古の某王室の王位継承者、アン(Ann)は公務で退屈しています。親善旅行で訪れたローマの宮殿から抜けだします。そんな彼女に偶然に出会った新聞記者ジョー(Joe)は、王女の秘密のローマ体験という大スクープをものにしようと、王女と知らないふりをしてローマのガイド役を買って出ます。市内観光にはしゃぐアンの姿を同僚のカメラマンにこっそり撮影させるのです。束の間の自由とスリルを満喫するうちにアンとジョーの間い強い恋心が芽生えます。アンを演じたのがオードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)、新聞記者を演じたのがグレゴリー・ペック(Gregory Peck)でした。

1958年にワイラーは「大いなる西部」(The Big Country)を監督します。東部から西部の婚約者のところにやってきたジム・マッケイ(Jim Mckay)は、“西部の掟”を知らず、周りから腰抜けだと罵られます。水源地の所有をめぐって、二人の地主は長い間対立し、両者とも水源地を買い取り、水を独占しようとしますが、水源地の地主ジュリー(Julie)は争いを嫌がり土地をどちらにも売りません。ジムは争いを収めようと土地を買い取るのです。

懐かしのキネマ その8 「ビルマの竪琴」

「ビルマの土は赤かった、岩はあたたかった」というテロップが最初に流れます。「ビルマの竪琴」の原作は竹山道雄。これが映画化されたのは1956年で監督は市川崑です。出演者ですが、水島上等兵は安井昌二、井上隊長は三國連太郎、伊東軍曹は浜村純が演じています。そして馬場一等兵は西村晃、物売りの老婆は北林谷栄という懐かしい俳優が登場します。

ビルマ戦線で逃避行する日本兵の小隊がありました。井上隊長は音大出で隊員達に「荒城の月」などの合唱曲を教えては歌っていました。隊員の中に竪琴の名人である水島という上等兵がいました。原住民に変装して斥候の任務を果し、竪琴の音を合図に小隊を撤退させていたした。小隊は国境の近くで終戦を知り、武器を捨て英国軍に投降します。そのとき、英軍兵士と一緒に歌ったのがイングランド民謡の「埴生の宿」(Home, Sweet Home)です。埴生とは、床も畳もなく土や粘土でつくられた家のことです。

小隊は遥か南のムドンに送られることになります。途中、三角山を固守して抵抗を続ける日本軍に降伏の説得を命じられたのが水島です。しかし、日本兵らは降伏を拒否し全滅します。水島はかろうじて生き延び、1人ムドンに向かう途中で無数の日本兵の死体と遭遇するのです。ムドンに着いた小隊は、収容所に出入りする物売り婆さんに水島を探して貰うように頼みます。ある日、作業に出た小隊は橋の上で青いオウムを肩にのせたビルマ僧を見掛けますが、その僧侶は目を伏せて足早に去ります。

水島は三角山の戦闘のあと、僧侶姿となりムドンへ急ぐのですが、途中で数知れぬ日本兵の白骨化した死骸を目の当たりにします。そして亡き同胞の霊を弔うためにビルマの地に留まろうと決心するのです。物売り婆さんからあの僧侶の肩にとまっていたオウムの弟だという青いオウムを譲り受けた隊員らは「水島、いっしょに日本へ帰ろう」という言葉を熱心に教え込みます。三日後に帰還ときまった日、隊長は物売り婆さんにオウムをあの僧侶に渡してくれと頼みます。すると、出発の前日になって水島が1人の子どもとで収容所の鉄条網の前に現われます。隊員は一斉に「水島!一緒に日本に帰ろう!」!と叫びます。僧侶姿の水島は子どもから竪琴をとり、「仰げば尊し」を弾いて姿を消すのです。

帰還の日、物売り婆さんは土産物をもって隊員に別れを告げるためにやってきます。そして水島から預かった手紙を隊長に渡します。引き揚げ船のなかで、井上隊長は隊員に静かに水島からの手紙を読み上げるのです。隊員は水島の気持ちをようやく理解するのです。

懐かしのキネマ その7 戦争と平和

アメリカの映画監督で異彩を放つのがオリヴァー・ストーン(Oliver Stone)です。合衆国陸軍に志願しヴェトナムで従軍した経歴の持ち主です。彼の多くの作品の傾向は、連邦政府やアメリカ政治を強く批判していることに現れています。特にヴェトナム戦争に対する強い懐疑は、映画「プラトーン」(Platoon)で示されています。戦争が人間に与えた影響を描き一躍有名になったのがこの作品です。無抵抗のヴェトナム村民に対する放火や虐殺、虐待や強姦、米兵たちの間で広がる麻薬常用や殺人、誤爆や同士討ちなど、軍隊の恥部を描いています。プラトーンとは歩兵小隊という軍事用語です。主演はクリス・テイラー(Chris Taylor)を演じたチャーリー・シーン(Charlie Sheen)です。

ストーンは「JFK」という映画も監督しています。ケネディ大統領暗殺事件の真相究明に執念を燃やす地方検事ジム・ギャリソン(Jim Garrison)の姿を描いた現代ミステリードラマです。この映画の本質は、合衆国政府が公式に発表した究明レポートに対する疑惑を提起していることです。政府というのは得てして、「記憶にない」と説明し、真実を隠し、ねじ曲げることによって大衆からの批判や攻撃をかわすものです。

1988年に制作されたのが「プライベート・ライアン」(Saving Private Ryan)です。主演は中隊長ミラー(John Miller)大尉を演じたトム・ハンクス(Tom Hanks)で、監督はスピルバーグ(Steven Spielberg)です。ノルマンディー(Normandy)上陸作戦を成功させたアメリカ軍ですが、ドイツ国防軍の激しい迎撃にさらされ多くの戦死者を出します。そんな中、アメリカ陸軍参謀総長ジョージ・マーシャル(George Marshall)の元に、ある兵士らの戦死報告が届きます。それはライアン家の四兄弟のうち三人が戦死したというものです。残る末子ジェームズ・ライアン(James Ryan) がノルマンディー上陸作戦の前日に行なわれた空挺降下の際に「敵地で行方不明になった」という報告が入ります。マーシャルはライアンを保護して本国に帰還させるように命令するのです。

救出命令を受けた中隊長ミラーの大隊は、ライアンがいると思われるフランス内陸部へ向かいます。大隊は味方がドイツ軍と交戦中の村に入り、戦闘に参加します。ついに探し求めていたライアンを発見し、ミラーはライアンに帰還するように命令します。ところがライアンは、「It Doesn’t Make Any Sense」「なにを言っているんだ、この戦場の同僚を見捨てて国に帰れるか!」とミラー中隊長の命令を拒否するのです。

懐かしのキネマ その6 「戦場のピアニスト」と「野いちご」

「戦場のピアニスト」(The Pianist)を監督したのが、ポーランド人のロマン・ポランスキー(Roman Polanski)です。良くも悪くもいろいろな話題の多い監督だったようです。ユダヤ人に対して行った組織的、国家的迫害であるホロコースト(Holocaust)の悲劇を映画で訴えるのは時代や人種を超えて人々に訴えるものがあります。ポランスキーもユダヤ系ポーランド人として、この映画製作に傾注したことが伝わります。「戦場のピアニスト」の要旨です。

1939年ナチスドイツがポーランドに侵攻したとき、主人公シュピルマン(Władysław Szpilman)はワルシャワ(Warsaw)の放送局で演奏するピアニストでした。ワルシャワ陥落後、ユダヤ人はゲットー(ghetto)と呼ばれる強制居住区に移され、飢えや無差別殺人に脅える日々を強いられます。やがて何十万ものユダヤ人が収容所へ移されるようになる頃、1人収容所行きを免れたシュピルマンは、砲弾が飛び交い、街が炎に包まれる中で必死に生き延びるのです。ある晩、彼は隠れ家で1人のドイツ人将校に見つかります。自分がピアニストだったことを告げると、将校はなにか弾くように命令します。そこでシュピルマンはショパン (Frédéri Chopin)のバラード第1番を弾くのです。この将校も音楽を愛していて、シュピルマンの演奏に感じ入りマントや食糧などを届けるのです。

スウェーデン(Sweden)を代表する映画監督にイングマール・ベルイマン(Ingmar Bergman)がいます。「野いちご」(Wild Strawberries)という作品は、功績を認められ名誉学位を受けることになった老教授イサク(Isaac)の一日が舞台です。授与式の前日、イサクは自分の死を暗示する夢を見るのです。人生の終わりにさしかかった老教授が、人間の老いや死、家族、夢を追想するのです。青春時代の失恋の思い出を野いちごに託した叙情的な作品と呼ばれています。ベルイマンの最高傑作の一つといわれていますが、内容が難しいだけにじっくり観る必要がある作品です。その他、「第七の封印」、「処女の泉」などどれも深い精神性や人生の意味を考えさせる作品を世に送っています。ベルイマンを20世紀最大の映画監督と呼ぶ人もいます。

懐かしのキネマ その5 個性的な監督

アカデミー賞を3回受賞し、アカデミー監督賞は7回ノミネートされ2回受賞したのが、スティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg)です。どの作品も興行的にも大成功で、最高の売り上げに貢献した監督といわれています。

1988年にスピルバーグが製作したのが、「プライベートライアン」Saving Private Ryan)という映画です。連合軍はノルマンディー(Normandy)上陸作戦を成功させますが、ドイツ軍の激しい迎撃にさらされ多くの戦死者を出します。そんな中、アメリカ陸軍参謀総長ジョージ・マーシャル(George Marshall)の元に、ある兵士の戦死報告が届きます。それはライアン家(Ryan)の四兄弟のうち三人が戦死したというものでした。残る末子ジェームズ・ライアン(James Ryan) も、ノルマンディー 上陸作戦の前日に行なわれた空挺降下の際に「敵地で行方不明になった」という報告が入ます。マーシャルはライアンを保護して本国に帰還させるように命令するのです。命令を受けたレンジャー大隊の中隊長ミラー(John Miller)大尉は、6名の部下とで、ライアンがいると思われるフランス内陸部へ向かうのです。

「シンドラーのリスト」(Schindler’s List) この映画の舞台は、第二次大戦下、ナチス・ドイツ占領下のポーランドです。ユダヤ人が居住地から収容所に送られ、虐殺されていくのを知ったドイツ人の実業家のオスカー・シンドラー(Oscar Schindler) は、迫害されるユダヤ人を自身の工場に雇用し、事業に成功します。そして、雇用された1,200人のユダヤ人がナチスの虐殺から救われます。

懐かしいキネマ その4 監督 西部劇の神様

西部劇映画はアメリカの十八番ともいえるジャンルです。アメリカの発展には、西部の進出と開拓が必要でした。そこにはどうしても白人とアメリカ先住民族との確執が起こりました。白人中心主義が強かった時代です。その確執を共感的にとらえた映画は沢山あります。例えば[Dance with Wolves]という映画です。監督と主演はケビン・コスナー(Kevin Costner)です。コスナーは、先住民族であるインディアンを虐殺し、バッファローを絶滅寸前に追いやる政府の方針や軍隊に対して警鐘を鳴らし、同時にフロンティアへの敬意を表しています。その点で従来の西部劇とは大きく異なる視点で制作しています。

西部劇映画を監督した人にジョン・フォード(John Ford)がいます。西部の荒野の厳しい自然風景を壮大なスケールで描くのと得意としています。荒野に生きる男の心情を情感豊かに表現する作風は観ている人を魅了します。[西部劇の神様]とも呼ばれるほどです。俳優は、ヘンリー・フォンダ(Henry Fonda)、ジョン・ウェイン(John Wayne)、モーリン・オハラ(Maureen O’Hara)らのアイリッシュ系やワード・ポンド(Ward Pond)らを重用したことでも知られています。フォードはジョン・ウェインをしばしば使い、「黄色いリボン」(She Wore a Yellow Ribbon)、「駅馬車」(Stagecoach)、リバティバランスを撃った男(The Man Who Shot Liberty Valance)、「静かなる男」(The Quiet Man)、「捜索者」The Searchers なども監督します。ジョン・スタインベックの小説を主題とした「怒りの葡萄」 (Grapes of Wrath)でもメガフォンをとった名監督です。

懐かしのキネマ その3 有名な監督

今回は映画作品を手掛けた監督を取り上げます。「アラビアのロレンス」(Lawrence of Arabia)は、1962年に公開されたイギリス・アメリカ合作映画です。監督はデヴィッド・リーン(David Lean)。この映画でアカデミー監督賞を受賞します。プロデューサーであるサム・スピーゲル(Samuel Spiegel)とタッグを組んだ戦争映画『戦場にかける橋』もそうです。この映画で日本軍の捕虜収容所の所長、斉藤大佐を演じたのが早川雪洲です。イギリスを代表する俳優アレック・ギネス(Alec Guinness)はニコルソン大佐を演じています。「ドクトル・ジバゴ」(Doctor Zhivago) というロシア革命の混乱に翻弄される人々を描いた映画の監督もデヴィッド・リーンです。主人公で医師のユーリー・ジバゴ(Yuri Zhivago)と恋人ララ(Lara)の運命を描いた大河小説が原作となっています。ノーベル文学賞を授与された作品を映画化したものです。

ヴィットリオ・デ・シーカ(Vittorio De Sica)というイタリア人の監督兼俳優をご存知でしょうか。「自転車泥棒」や「ひまわり」の監督として名作を作っています。「ひまわり」は戦争で出征した夫が戦争が終わっても帰らず、訃報も届かず行方不明扱いのままです。妻は生存を信じてやまず、彼を探しにロシアに向かうのですが。ようやく夫と再会したとき、ロシア人の女性と結婚していることを知ります。

デ・シーカが俳優としても出演した映画に「ロベレ将軍」(Generale Della Rovere)、「武器よさらば」(Farewell to Arms) があります。後者ではイタリア人軍医役として出演しました。映画「武器よさらば」はアーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)の長編小説を基にしています。イタリア人監督といえば、フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini)を忘れることができません。「道」(La Strada)「カビリアの夜」(Nights of Cabiria)「甘い生活」(La dolce vita)があります。どれも独特の映像感覚が発揮されているといわれます。フェデリコ・フェリーニの全作品のサウンドトラックを作ったのがニーノ・ロータ(Nino Rota)です。

イタリア人監督にセルジオ・レオーネ(Sergio Leone)がいます。強烈な個性の主人公を登場させ、これぞマカロニ・ウェスタンといわせた作品を世に発表します。「荒野の用心棒」(A Fistful of Dollars)、「夕陽のガンマン」(For a Few Dollars More)、「ウェスタン」(Once Upon a Time in the West)などです。「ウェスタン」ではチャールズ・ブロンソン(Charles Bronson)、クラウディア・カルディナーレ(Claudia Cardinale)など懐かしい俳優が登場しています。ピエトロ・ジェルミ(Pietro Germi) という監督もいました。「鉄道員」(The Railroad Man)という作品です。大戦後の初老の鉄道機関士とその幼い息子の喜怒哀楽を描いた名作です。この映画でジェルミは主人公の機関士を演じています。

懐かしのキネマ その2 サウンドトラック

映画には主題曲があります。サウンドトラック(サントラ)(soundtrack)で良く知られています。前回少し触れた映画「ティファニーで朝食を」の主題歌「ムーンリバー」(Moon River)は、作曲家ヘンリー・マンシーニ(Henry Mancine)というイタリア系アメリカ人によるものです。ニューヨークのアパートで猫と暮らしている娼婦ホリー(Holly) は、宝石店ティファニーの前で朝食のパンを食べるのが大好きです。やがて彼女のアパートに作家志望の青年ポールが引っ越してきます。2人の愛のさや当てに相応しい甘ったるいメロディに酔いしれます。

映画「ひまわり」(Sunflower)のサントラ「愛のテーマ」もマンシーニの作曲です。1970年に製作されたこの映画は、戦争によって引き裂かれた夫婦の行く末を描いた作品で、キャストは、ソフィア・ローレン(Sophia Loren)とマルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Mastroianni)。エンディングでの地平線にまで及ぶ画面一面のひまわり畑が記憶に残ります。ロマンチックなサスペンス映画のサントラ「シャレード」(Charade)も甘ったるい名曲です。「刑事コロンボ」の主題曲もあります。映画「別働隊」の主題歌「モナ・リサ」(Monna Lisa)もあります。第二次大戦中、北イタリアを舞台としたパルチザン(ゲリラ–Partisan)の活躍を描いたものでした。マンシーニの作品はどれも印象に残るものです。

1997年のアメリカ映画「タイタニック」(Titanic)の主題歌「 My Heart Will Go On」も印象に残る曲です。作曲者はジェームズ・ホーナー(James Horner)。「ドクトル・ジバゴ」(Doctor Zhivago)の「ララのテーマ」(Lara’s Theme) も趣があります。作曲はモーリス・ジャール(Maurice Jarre)です。主演は、オマー・シャリフ(Omar Sharif) とジュリー・クリスティ(Julie Christie)でした。このように映画にとってはサントラは、欠かすことのできない助演者のような存在であることがわかります。

懐かしのキネマ その1 映画雑誌 

今回から映画に関する話題を取り上げていきます。私は父の影響を受けた大の映画ファンです。父とは生前は時々観に行ったものです。最後に一緒に観たのは「戦場にかける橋」(The Bridge on The River Kwai) でした。映画雑誌、名監督、名俳優や脇役、名作映画、サウンドトラック、映画の文化などを綴ってみます。

映画はキネマ (kinema) とも呼ばれます。キネマトグラフ(kinematograph)の略字です。「キネマ旬報」という映画雑誌があります。1919年7月に創刊されて今も発行されています。名称からはレトロ趣味の感じがします。毎年、「日本映画ベスト・テン」・「外国映画ベスト・テン」・「文化映画ベスト・テン」が選出されて名画が紹介されています。最近は読者の投票でもっとも人気が高かった作品として「キネマ旬報読者賞」が作られています。今となっては懐かしい「映画の友」とか「映画情報」という雑誌もありました。シネマ(cinema) という単語もあります。同じく映画という意味ですが、この単語で思い出すのは、「シネマ‐スコープ(CinemaScope)」です。映画館で横長のスクリーンに驚いたものです。もちろん「総天然色」でした。

「スクリーン」という映画雑誌を覚えている人はよっぽど映画が好きな人です。発行が 1946年という歴史があります。洋画専門の雑誌です。カラーページなので、書店で手にとっては「観たいな、、」とつぶやきました。「スクリーン」の表紙には、しばしばオードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)が登場しました。ハリウッド黄金時代に活躍した女優です。1953年の「ローマの休日」(Holiday in Rome)や1963年の「ティファニーで朝食を」(Breakfast at Tiffany’s)など、鼻から抜けるような彼女の発音は忘れられません。