ヘイズは再選に立候補しないことを選択します。もし2期目を目指していたなら、共和党の指導者たちから再選を拒否されることはほぼ確実であっと思われます。1880年には3人の有力候補が共和党の指名を争います。コンクリング上院議員(Senator Conkling)が率いる「堅実派(Stalwart)」のユリシーズ・グラント(Ulysses Grant)、対立する「半獣派(Half-Breed)」のリーダーであるジェームズ・ブレイン(James G. Blaine)、そして財務長官シャーマンです。グラントは大会に相当数の忠実な代議員を擁していましたが、その数は過半数に満たない状況でした。他の候補者はいずれも過半数に達せず、36回目の投票で、疲弊した代議員たちは妥協候補としてオハイオのジェームズ・ガーフィールド(James A. Garfield)下院議員を指名します。大会は、堅実派を抑えるために、ニューヨークのチェスター・アーサー(Chester A. Arthur) を副大統領に指名します。
民主党は1880年にサミュエル・ティルデン(Samuel J. Tilden)を再指名し、1876年にティルデンが不正行為で負けたと考える人々から票を得ようとします。しかし、ティルデンは再度の候補者擁立を辞退し、民主党大会はウィンフィールド・ハンコック元帥(Gen.Winfield S. Hancock)を指名します。ハンコックは南北戦争で連邦軍の将官を務めたのですが、政治的な実績はなく、公共政策の問題にもほとんど通じていませんでした。
この選挙戦は、特段の盛り上がりを見せず、目新しい争点も生まれませんでした。この時期の国政選挙はいつものように、共和党は保護関税の党としての役割を強調し、関税に反対する民主党は国内産業の成長を妨げると主張します。実際、民主党の関税に対する考え方は大きく分かれており、ハンコックは「関税は地方だけの問題だ」と宣言し、両党の政治指導者たちを驚かせます。ガーフィールド(James A. Garfield)は214対155という選挙人名簿差で大統領に当選しますが、一般投票では9,644票と僅差での勝利でした。他方、ハンコックは旧南部連合の全州と連邦に忠誠を誓った旧奴隷州のうち3州を制圧し、新たな「強固な南部(solid South)」の存在を示すのです。