ウクライナの歴史から学ぶ その十六 ロシアによるウクライナ侵略

本稿は、「ウクライナの歴史から学ぶ」の最後の話題です。マイダン革命に対して、ロシアは猛反発し、ウクライナ領のクリミア半島のロシアによる併合と親ロ派武装勢力によるドンバス(Donbass)地方での不安と緊張が高まります。これがクリミア戦争の下敷きとなります。ドンバスは、ウクライナの東南部に位置する地方で石炭の産地です。2014年5月にポロシェンコ(Petro Poroshenko)が大統領に選ばれます。彼は人民の反乱を集結するために武力の行使を正当化します。ポロシェンコはEUへの加盟を模索しながら、国民の50%以上の賛成を獲得します。彼は東ウクライナでの市民の内戦を鎮めようとし、ロシア連邦との修復も計ろうとします。

Wheat Field in Ukraine

ウクライナにおけるオレンジ革命やマイダン運動の余波で、2014年3月初旬からロシアを後ろ盾とする反政府の分離主義グループが、ウクライナのドネツィク州(Donetsk)とルハーンシク州(Luhansk)(ドンバス)で抗議行動を起こします。これらのデモ活動はロシアによるクリミアの併合を受けてのもので、ウクライナ南部と東部におよぶ広域な親露派の同時抗議の一環でありました。これが激化してドネツィク人民共和国(Donetsk People’s Republic)とルハンシク人民共和国(People’s Republic of Lugansk)を自称する分離主義勢力とウクライナ政府側との武力衝突に発展します。これがドンバス戦争(War in Donbass)です。当初の抗議行動は、主にウクライナ新政府に対する国内不満を表明するものでしたが、ロシアが親露派を利用してウクライナに対する組織的な政治活動および軍事行動を開始した事案とされています。

Sunflowers in Ukraine

2019年に実施された大統領選挙では、ヨーロッパとの統合路線を訴える一方でロシアとの対話も重視する姿勢も示したウォロディミル・ゼレンスキー(Volodymyr Zelenskyy)が73%の得票率で対露強硬派として知られた現職大統領のポロシェンコを破り当選します。その後、停戦協定が結ばれては協定違反の武力衝突が繰り返されます。2021年秋にはロシアがウクライナ国境への軍の集結を開始し、ドネツィク人民共和国とルハンシク人民共和国を国家承認したうえで、2022年2月24日にロシアがウクライナへの侵略を開始し現在に至っています。

ウクライナの歴史から学ぶ その十五 オレンジ革命とマイダン革命

ウクライナ語の地位向上,特に教育現場におけるウクライナ語使用の拡大,ウクライナ語の公用語化,ウクライナ語出版物の増大などの要求が生まれ、さらに歴史の見直し作業も進みます。1989年に入って,2つの民間団体が形成されます。「シェフチェンコ名称母語協会」と「ナロードニイ・ルーフ」です。後者は「」ペレストロイカを支持するウクライナ民衆運動」の略語でルーフとは「民衆運動」の意味です。ここに結集した反体制派や体制内改革派の活動をベースに、モスクワでの保守派による1991年8月クーデタ(Coup detat)の失敗直後,ウクライナは8月24日独立を宣言します。同年12月1日の国民投票で9割以上の賛成により独立宣言は承認され,同月初代大統領にクラフチューク(Leonid Kravchuk)が就任します。同年末のロシアを中心とする独立国家共同体(CIS)の発足に参加します。

Maidan Revolution

1994年の大統領選挙ではクラフチュークは、CIS諸国との経済的統合を推進しますが、軍事的、政治的統合はしないと表明したクチマ(Leonid Kuchma)が大統領に当選します。クチマ大統領は、「戦略的な国家目標は、EU加盟によるヨーロッパとの統合にあり、ロシアとの経済的な協力は経済発展寄与のためである」と発表します。2013年にヤヌコビッチ(Viktor Yanukovych)大統領がロシアとの経済協力を目指すために、ウクライナヨーロッパ連合の結成を延期すると首都キーウなどで大規模な大衆のデモが起こります。

Ukraine woman with flag

2004年11月に、ロシアとの関係を重要視する与党代表で首相のヴィクトル・ヤヌコビッチ(Viktor Yanukovych) と、ヨーロッパへの帰属を唱える野党代表で前首相のヴィクトル・ユシチェンコ(Viktor Juscenko)との激しい選挙運動が行われます。ヤヌコビッチが当選すると、その選挙で不正があったとして抗議運動が起こります。野党支持者がシンボルカラーとして、リボンや旗、マフラーなどオレンジ色の物を使用したことからオレンジ革命(Orange Revolution)と呼ばれています。2014年に、首都キーウでヤヌコヴィチ大統領側のウクライナ政府側と欧州連合(EU)と良好関係を築こうとした民衆との暴力的衝突が起こります。ヤヌコヴィチ大統領が失脚し、隣国ロシアへ亡命することになります。この暴力的騒乱がマイダン革命(Maidan Revolution)とか尊厳の革命(Revolution of Dignity)と呼ばれます。マイダンとはウクライナ語で「広場」という意味です。