心に残る一冊 その5 「死と愛」 

19世紀の後半から20世紀の中葉にかけ、社会のドグマに挑戦し人間の経験についてより豊かな理解を取り入れることを促したのがニーチェ(Friedlich Nietzsche)でありキルケゴール(Soren Kierkegaard)でありハイデッガー(Martin Heidegger)といわれた哲学者です。こうした運動は実存主義として知られています。それを精神医学に応用したのが実存分析(Existential analysis)と呼ばれ、現象学的精神病理学の一つの到達点とされています。この現象学は単一のものでなく、多くの異なった流派を内包しています。たとえばビンスワンガー(Ludwig Binswanger)の実存分析とフランクルの実存分析とは大いに異なっています。

ビンスワンガーは精神病理学の一つの観察様式や探求方法で患者の了解を深めることに役立たせようとする理論といわれます。他方フランクルの方法はロゴセラピーという臨床や治療に結びついてつけられているところに特徴があります。

本著の原題は「Aerztlich Seelsorge」。「医療的な魂のケア」とでも訳せそうです。「心理療法からロゴテラピーへ」、「精神分析から実存分析へ」、「心理的告白から医学的指導」の三章からなります。心理療法の臨床家を悩ます患者との世界観における対立の問題に洞察を与えます。

フランクは自分の患者で亡くなったつまを寂しく思うあまり悩む男を取り上げます。もし、患者が先に死んだとしたらどうなっていただろうかと問うと、「妻も同じように苦しんだろう」と答えます。

患者は自分の妻に深い悲しみを与えまいと気遣ってきたわけが、今やその悲しみを自分自身が蒙らなければならない。だがその苦しみは意味が与えられることで、耐えうるものとなっている。このようにフランクルは述べるのです。

人間像とは少しも観念的なものではなく、現実的、存在論的なものであるとフランクは主張します。従来の心理療法の彼岸にあったものを臨床心理学の領域に引き入れた功績が、こうした著作を読むと理解できてきます。

心に残る一冊 その4 「時代精神の病理学」 

原題は「Pathology Des Zeitgeistes」とい日本語訳では「時代精神の病理学」となっています。「Zeitgeist」とは「その時代のエートス」といった意味です。ヴィクトール・フランクル(Viktor Frankl)は、フロイド(Sigmund Freud)やアドラー(Alfred Adler)の薫陶を受けた精神医学者です。後年はこの二人と袂を分かち、精神医学界にロゴテラピー(Logotherapy)という療法を創始していきます。その背景には、アウシュビッツ(Auschwitz)強制収容所の経験が基にあるといえそうです。

この著作は五年間にわたるラジオ番組での講演が下敷きとなっています。「精神医学の啓蒙という問題」、「老化の精神衛生」、「中年の精神衛生」、「不安神経症」、「宿命論的態度」、「睡眠障害」、「自分自身に対する不安」など、現代的な心理学や精神医学のテーマを取り上げています。大変わかりやすい内容であるのが特徴です。「科学者には表面的に分かりやすく書くか、または判りにくければ基本から書くの二つに一つしかない」というアルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)のフレーズを引用しています。

こうした講演の基調にあるのは、これまでの精神医学や精神分析学(Psychoanalysis)、個人心理学に対する強い疑念です。個人心理学は人間をただの自然物と考え、人間の精神性を見逃していると主張します。人の行動は無意識によって左右されるという基本的な仮説を退け、人間には衝動があるといっても、人間の最も本質的なものは衝動からは説明できないと看破するのです。

心に残る一冊 その3 「夜と霧」 

この著作は、私はこれまでいろいろな機会で紹介してきました。それほど強烈な印象を受けた一冊です。

第二次世界大戦中、何百万人というユダヤ人がナチスによって強制収容所に送られました。その一人が精神病理学者のヴィクトール・フランクル(Viktor Frankl)です。収容所体験をもとに書かれたのが「夜と霧」です。原名は「強制収容所における一心理学者の体験」となっています。この本は、日本語を含め17カ国語に翻訳され多くの人々に読み継がれています。

私がこの本を読んだのは、フランクルが編み出した「ロゴテラピー(Logo Therapy)」という心理療法に関心をもったからです。彼は、収容所のなかでユダヤ人が生と死の狭間のなかで、生きていくことの意味を考えます。希望を持ち続けた者が生き延びることができたのを観察します。いうなれば、人間は様々な条件や状況の中で自らの意志で態度を決める自由を持っていると主張します。誰かが運命を決めるという決定論を否定するのです。人間は生きる意味を強く求める存在であることも強調します。意味への意志を持つ存在だ、というのです。そして、それぞれの人間の人生には独自の意味や価値が存在しているということです。

フランクルは次のように訴えます。

「人間の実存は本来決して現実に無意味になりえないことが明らかになる。すなわち、人間の生命はその意味を「極限まで」保持しているのである。従って人間が息をしている限り、また彼が意識をもっている限り、人間は価値に対して、少なくとも態度価値にたいして、責任を担っているのである。人間は意識存在をもっている限り、責任性存在をもっているのである。価値を実現化するという彼の義務は、人間をその存在の最後の瞬間まで離さないのである。」

“Say Yes to Life” それでも人生に意味がある、というのです。

心に残る一冊 その2 「三太郎の日記」

大学に入ると、周りの者がなにか変な思想にかぶれているように感じられました。先輩は「あれを読め、これを読め」といってせかすのです。1960年安保闘争後のことで、左翼といわれる学生が盛んにアジをとばしていました。立看が林立し学生による政治闘争がくすぶるキャンパスでした。そんな中で受験からの解放感も手伝って、手にした一冊が「三太郎の日記」です。

読んでいくうちに「三太郎」に託して語る著者、阿部次郎の内省が語られるのに新鮮さをおぼえました。主人公の三太郎は、自己を確立していく難しさを語ります。回りくどく、時に屈折している文章は青年のみずみずしい感受性や、思索のなかで迷う阿部次郎の姿そのもののようです。

「何を与えるかは神様の問題である。与えられるものをいかに発見し、いかに実現すべきかは人間の問題である。」

「弱い者は自らを強くするの努力によって、最初から強い者よりも更に深く人生を経験することができるはずである。」

「弱者の戒むべきは、その弱さに耽溺することである。自らを強くするの要求を伴うかぎり、われらは決して自己の弱さを悲観する必要を見ない。」

18歳の私には誠に新鮮な内容に思え、食い入るように読みました。

心に残る一冊 その1 定年退職後の読書

定年退職から十数年が経ちます。退職を機に持っていた本を整理しました。移り住むことになった東京の住み家がコンクリートの長屋なので、保管する場所があまりありませんでした。以前は研究室という誠に都合の良い保管場所がありました。

研究室を去るにあたり二つのことを考えました。「専門書は棄ててまだ読んでいない本を残す」、「学生時代に心に残った本を読み直す」ということです。いわゆる専門書のほとんどは、回収業者のところに持っていきました。中には学生時代に購入した岩波書店のものもたくさんありました。岩波書店には絶大な信頼を置いていました。

高校時代に、一教師より「沢山の小説を読むように」と言われたのが私の読書のきっかけとなります。この教師は英語の担当でした。それ以来、受験勉強の傍ら、大学での予習復習の合間に随分読むことができました。

大分すっきりした本棚には、また新しい本や書類が雑然と積まれています。捨てなかった大事な本ももちろんあります。ところで私の父も本の虫でした。定年後は部屋に閉じこもってはむさぼるように本に食い入っていたようです。そして、「”ユリシーズ”はなんど読んでもわからない」とか「”戦争と平和”はすごいけど、誰が誰だったかがわからなくなる」などといっていました。確かに、ロシア人の名前は似たところがあります。父がこんがらかったのも無理はありません。

”ユリシーズ(Ulysses)”はアイルランドの作家ジェイムズ・ジョイス(James Joyce)の小説。”戦争と平和”はロシアのレフ・トルストイ(Lev Tolstoy)の作品です。

アメリカ合衆国とニックネームの由来  その62  北マリアナ諸島

本稿で合衆国とニックネームの旅は終わりです。北マリアナ諸島自治連邦区(Commonwealth of the Northern Mariana Islands)は、ミクロネシアのマリアナ諸島のうち、南端のグアム島を除く、サイパン島(Saipan Island)やテニアン島(Tinian Island)、ロタ島(Rota Island)などの14の島から成るアメリカ合衆国の自治領です。主都は、サイパン島(Saipan)のススペ(Susupe)となっています。


北マリアナ諸島は、1919年から1945年まで日本が委任統治していました。日本からの移民は主にサトウキビやヤシを栽培していました。最盛期には3万人の日本人が生活していたといわれます。戦後、アメリカの信託統治を経て、現在は米国領の中でもコモンウェルス(commonwealth)という政治的地位にあり、北マリアナ諸島の住民は、アメリカ合衆国の市民権を有しています。他の州とは異なり連邦税の納税義務を有しない代わりに、アメリカ合衆国大統領選挙の投票権がありません。2008年よりオブザーバーの資格でアメリカ合衆国下院の委員会に代表委員を送ることが認められるようになりました。

「北マリアナ諸島連邦」と日本語訳されることがあるりますが、北マリアナ諸島は連邦制(confederation)をとっておらず、アメリカ合衆国と連邦の関係にあるわけでもありません。この連邦とは、コモンウェルス(commonwealth)とよばれる自治の形態で、他の国々と政治的、経済的につながりを持つことができます。このような扱いから準州(territory)とも呼ばれています。

北マリアナ諸島のニックネームはいろいろな資料を調べましたが見つかりません。「太平洋の真珠」(Pearls of the Pacific)とでもしておきましょうか。