ユダヤ人と私  その33 ユダヤ人への誤解と偏見

ユダヤ人が他の民族にはみられない迫害を受けてきたことは既に述べました。そのような過酷な状況に耐えて、なおユダヤ人であることの矜持を保ってきたことは興味ある話題です。

生命の危機や財産の没収、改宗の強制、そして追放などに耐えるためには大きな知恵を必要としたようです。別な見方をするならば、こうした試練に耐えられたユダヤ人が生き残り陶冶されたわけです。まさに知的に優れた者が生き残ったともいえそうです。ユダヤ教が崇高にして絶対であるという信念が、ユダヤ人としての揺るぎない誇りと文化を継承してきたといえます。

しかし、ユダヤ人の独自性、例えば安息日を忠実に守る、安息日には乗りものを使わない、火を使わない、料理も作らない、食事の戒律を守るなど厳しい掟は他の民族からすれば奇異に映ることもあります。ユダヤ人のこうした生き様は、ユダヤ人が世界の他の民族とは異なるものであり、ユダヤの世界対他の世界というように考えていることから生まれまています。ですがこうした考え方は、多民族と対立したり排斥したりするということではありません。

厳しい戒律を実践するユダヤ人は狂信的な集団であるという偏見が長く続きました。これは明らかな間違いです。ユダヤ人は適度を尊ぶ民族だからです。禁欲、清廉、隠遁といった習慣はありません。ラビもまた妻帯することができます。独身は人間を創造し性を与えた神に背く行為であると考えるのです。金銭も同様です。お金が貯まるときは、慈善(charity)を施すことを強調します。

ユダヤ社会には「ツェダカ」(Tzedakah) 」と呼ばれる貧しいものに手を差し伸べる教えがあります。
寄付の習慣があります。収入の10%と定められています。キリスト教会が奨励している「十分の一献金」はユダヤ教から由来します。寄附するときの順序は、遠くの人より近くの人、近くの人よりも肉親、親族、遠くの肉親よりも同居の肉親という順序で寄付をするべきであるとされています。ヘブル語で「Tzedakah」は正義とか平等、公正という意味です。ツェダカは興味ある思想です。

ユダヤ人と私  その32 ユダヤ教とハヌカとマガベウスと感謝祭

どの国にも収穫を感謝し、お祝いをする習慣があります。我が国でも古くから五穀の収穫を祝う風習があります。「新嘗祭」といって宮中祭祀の一つで今も続いています。その年の収穫物はそれからの一年を養う大切な蓄えとなります。勤労感謝の祝日はその年の五穀豊穣と来るべき年の豊作を祈願する日でもあります。

ユダヤ人には、ハヌカ(Hanukah)という祝いの儀式があります。「奉献の祭り」とか「宮清めの祭り」と呼ばれています。この儀式と祭りには次のような背景があります。紀元前165年、ユダ・マガベウス(Judas Maccabeus)という指導者に率いられたユダヤ人がマカバイ戦争(Maccabean Revolt)を指導し、エルサレムの神殿からシリアの支配下にあった異教の祭壇を撤去し神殿を清めて再びヤハウェ神(Yahweh)に神殿の奉納を行ったとされています。神殿の燭台(menorah)に汚されていない油壺が一つだけ見つかったそうです。それを灯して奉納を祝ったことから、ハヌカは別名「光の祭り」といわれています。今年のハヌカは11月27日の日没から12月5日の日没までの8日間です。

ハヌカが広く知られるようになったのには、ヘンデル(George F. Handel)が作曲した聖譚曲、オラトリオ(Oratorio)に「Judas Macabeo」があります。この曲に「見よ、征服の勇者は帰る(See, the Conquring Hero Comes!) 」という管弦楽付きの合唱曲があります。スポーツ大会の表彰式でしばしば演奏されるものです。勇者とはマガベウスのことです。このように宗教的な歴史を取り上げた中世の典礼劇がオラトリオで、バロック(Baroque)音楽を代表する楽曲形式の一つといわれます。

話題をより一般的な祝いに戻しますと感謝祭(Thanksgiving)に触れなければなりません。アメリカこの祭りが始まったのは清教徒たちがプリマス(Plymouth)の地で1621年に始めたともいわれます。この地で干ばつが続きようやく雨が降った1623年が本格的な感謝祭の始まりだという説もあります。同時に、感謝祭ではマサチューセッツ(Massachusetts)のプリマスにあるPlymouth Rockという記念碑の前では、ネイティブ・アメリカンであるワンパンゴ部族(Wampanoag)による感謝祭に対する反対の集会もひらかれます。この日を追悼日(National Day of Mourning)として民族の差別を覚える日としている。アメリカ・インディアン民族遺産日(American Indian Heritage Day)とする人々もいます。

ユダヤ人と私 その31 ユダヤ教の主な儀礼  過越しの祭

奴隷状態にあったユダヤ民族のエジプト脱出を記念するのが「過越しの祭(Passover)」です。旧約聖書の出エジプト記(Book of Exodus)12章に記述されています。それによりますと、エジプトに避難していたイスラエル人は奴隷として虐げられていました。神は、指導者モーセ(Moses)に対して民を約束の地カナン(Cannan)へと導くようにいいます。エジプト君主のファラオ(Pharaoh)がこれを妨害しようとします。そこで神は、エジプトに対して災いを臨ませます。

その災いとは、人間から家畜に至るまで、エジプトの「すべての初子を撃つ」というものでありました。神は、門口に仔羊の血が塗らねていない家にその災いを臨ませることをモーセに伝えます。このように、仔羊の血が門口にあったユダヤ人の家だけは悪霊が過越したという故事にちなむのです。 悪霊が通り過ぎるのを願ったのです。

聖書の命令に従って、ユダヤ教では今日でも過越祭を守り行っています。 このユダヤ暦によれば春分の日の後の最初の満月の日からの一週間はペサハ (Pesach)と呼ばれるユダヤ教の祭りのひとつです。過越しの祭では、マッツァ(Matzah)と呼ばれる酵母なしのパンを食します。酵母を混ぜて膨らむのを待つだけの時間の余裕がなかったのでパンをそのまま食べたといわれます。3月末から4月はじめの1週間、ユダヤの人びとは、エジプトを脱出した時の記憶を忘れないように酵母でふくらませたパンを食べないのです。過越祭のことを除酵祭とも呼ばれています。

ユダヤ人と私  その30 ユダヤ教の主な儀礼 安息日と割礼

ユダヤ人にとって最も大事な儀式は、シャバト(Shabato)と呼ばれる安息日をまもることです。正確には金曜日の日没から安息日が始まります。土曜日はいかなる労働も行わないことを求められます。「安息日を覚えてこれを聖なる日とせよ」という教えです。このフレーズは旧約聖書の出エジプト記(Book of Exodus)20章8節にあります。3世紀頃から安息日を花嫁と呼ぶ習慣もあります。金曜日は日が落ちる頃、ラビは戸外に出て安息日の正装をし「花嫁よ、来たれ」と言ったそうです。なお、「Shabato」は 英語では「Sabbath」で安息という意味です。

シャバトのいわれは創世記(Genesis)にあり、神が6日かけて世界を作った後、7日目に休んだことに由来します。これが現在世界中で使われるカレンダーが週で区切られ、特定の日を休みとする習慣が広がったいわれです。ユダヤ人のコミュニティでは、学校や職場は金曜日は午前中までで、日没後は商店などを閉め公共の交通機関も止まってしまいます。家事をすることもできません。主婦は安息日のため金曜日に週末の食事を用意するので忙しく振る舞うことになります。

もう一つの儀式は、生後8日目の男子に施される割礼(circumcision)です。男性器の包皮を切りとる儀式です。これはヘブル名の命名式も兼ねていて、家族や親戚、友人などを沢山招いた中で盛大に祝います。割礼の記録は、創世記(Book of Genesis)17章9-14節にあり、アブラハム(Abraham)と神の永遠の契約として割礼を行うことが定められています。Wikipediaによりますとキリスト教圏、例えばアメリカでは5割の子供が割礼をするとあります。衛生上の理由などで割礼が行われているようですが、さほど一般的ではないようです。

ユダヤ人と私  その29 ユダヤ教の主な儀礼 バア・ミツヴァ

ユダヤ教にはいくつかの教派があります。ユダヤ教保守派(Conservative Judaism)‎、ユダヤ教正統派‎(Orthodox Judaism)、ユダヤ教改革派(Reform Judaism‎)などです。ユダヤ人とはユダヤ教を信じる人々です。ですから日本人もロシア人もアメリカ人もユダヤ教で信仰告白をすればユダヤ人となります。ユダヤ人とは多民族、他文化、多言語の人々の集まりです。こうした教派に共通な人生の節目に行う主な儀礼について述べることにします。私が私淑し尊敬する外科医師、Dr. Robert Jacobs氏から伺ったことがある儀式です。

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 実は、かつてJacobs氏からご子息の成人の祝いの案内を頂戴したことがあります。ユダヤ教徒には、男子が13歳、女子が12歳になるとそれぞれバア・ミツヴァ(Bar Mitzvah)、バト・ミツヴァ(Bat Mitzvah)という儀式があります。ヘブル語でBarは息子、Batは娘という意味です。男女ともこの儀式によって、ユダヤ法に従う宗教的で社会的な責任があるとみなされます。ちなみにプロテスタントのキリスト教会では堅信礼(confirmation)とか成人祝福式といわれます。日本における元服にあたります。

男子はこの年齢になるまでに、ヘデル(cheyder)という寺子屋のような学校でヘブル語(Hebrew)やモーセ五書といわれるトーラー(Torah)、さらにユダヤ教徒の生活や信仰の基となるタルムード(Talmud)を勉強します。こうしてバア・ミツヴァ儀式で祈祷の朗誦ができるようになるのです。

この儀式を経るとユダヤ社会では大人として認められ、それまで免除されていた断食を初めとするすべての戒律の順守、倫理観に基づいた生活習慣の実践、責任ある行動などが要求されます。コミュニティの一員として儀式や礼拝への参加も正式に認められます。