「アルファ碁」(AlphaGo) その四 人間と介護ロボット

今、介護ロボットの開発が急がれています。人工知能 (AI) を備えたロボットです。近い将来、人間の介添えをしたり相談相手になることが期待されています。どうしてかというと、感情や心理を読み取る能力を有するようになると予想されるからです。こうしたロボットは人の悩みの相談相手になれるはずです。相当な精度で言葉を理解し、対話の間合いや空気を読み、適切な言葉を返してくるようになるかもしれません。

カウンセリングは、悩みを訴える人の相談に応じて助言や指導をすることです。日常生活や職場生活において、心にため込んでしまった気持ちを誰かに聴いてもらいたい、誰かに自分を理解してもらいたい、寂しいので誰かと会話をしたいという場面が生まれます。愚痴を聞いてもらいたいときもあります。カウンセラーは悩める人の側に立ち、聴き手になったり伴奏者となったりして、悩みの解決へと導きます。

もし、人工知能を備えたロボットが人の心理や感情を理解することできるようになれば、介護ロボットとして人間の代用をすることは十分に考えられます。カウンセラーとして最善の対応ができるようになるかもしれません。このように、人工知能を備えたロボットがさまざまな分野で登場することが予想されます。自動運転もそうです。ですが人間が介護ロボットにとってすべて代わられるような事態にならないように、人間もまた進化しなければなりません。

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「アルファ碁」(AlphaGo) その三 人間の対戦心理

私は数字の裏に隠された事実を探すことを研究の対象としてきました。調査や測定の結果を分析することです。このとき統計の技法を使います。統計には記述統計と推測統計の二種類があります。記述統計は、収集したデータの平均や分散などから分布を明らかにすることです。例えば子供の習熟度についての傾向や性質を知るものです。他方、推測統計は採取した標本データから全体の母集団の性質とか将来の傾向などを確率によって推測するものです。投票所前での投票調査による結果の予測もその一例です。

「アルファ碁」という本によりますと、アルファ碁が打ち手を決めるのは膨大な過去の対戦棋譜に基づくデータであるとあります。この棋譜が多ければ多いほど、どのような手を打つのが最善なのかを確率的に予想するのです。

アルファ碁は、過去の棋譜から学んだことを復習するのです。復習するのは、覚えるためではなく新しい新しい手を発見するというか予測するためです。棋士もまた「定石を覚えたら忘れて」新しい定石を探す努力を続けているはずです。アルファ碁が世界のトップ棋士に勝利しているのは、棋譜というデータの集積を分析する能力に長けているからです。その能力は疲れを知らないというとてつもない性能から生まれています。

人間の人間たる所以は、勢いに乗ることができることです。勢いがつくと自信がでてきて普段の力よりさらに良い方向へ引き上げてくれます。学習すれするほど知識が増して、試験の結果がよくなり、自信がついてきます。このときは、まだ疲れを知らない状態です。しかし、逆に追い詰められると心理的に打撃を受けて自信がぐらつきます。碁でいえば対戦心理とやらでポカをしたり一手パスをしてしまう状態です。今のアルファ碁には勢いとか自信とかはないはず。ポーカーフェイスとか冷静なのです。

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「アルファ碁」(AlphaGo) その二 人間の実戦心理

人工知能囲碁プログラム「アルファ碁」(AlphaGo)の登場には棋界が驚きました。韓国の一流の棋士を四勝一敗で破って一躍注目を浴びました。今年は、井山裕太本因坊が挑戦するようです。「アルファ碁」が本因坊に挑戦するようです。済みません、間違えました。

「アルファ碁」は、一手を打つのに平均30秒から2分間の考慮時間を使うそうです。その間、過去の膨大な棋譜に基づくデータから最善の手を探すといわれます。最善の手を打てばアルファ碁が勝つ確率は53%とか次の最善の手は48%ということになるそうです。アルファ碁はたった僅かの時間内での計算によって、こうした確率をだすのです。まさに「電子計算機」の真骨頂が盤上に示されるといえます。アルファ碁の着手は確率、つまり「偶然性を持つある現象について、その現象が現れることが期待される割合」です。凄いことです。

理論的にいいますと、計算によって着手が決まっているので人間の考える着手とは無関係といえます。ところがです。人間は着手をあれこれ考えるうちに疲れるのです。ところが人工知能は疲れという概念は存在しません。実戦の心理状態という概念もありません。人間は疲れるから人間の価値がでてくるのです。感情があるから人間なのです。もし人工知能が感情や心理を有するようになると、人間と同じように間違って手を打つことが考えられます。より人間に近い「存在」となるはずです。そうなれば、碁を打ちながらミスも生まれるでしょう。感情や心理を持たないから棋士に勝てるのが人工知能なのです。人工知能の研究者にはジレンマに陥るような未来の対局の姿です。
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「アルファ碁」(AlphaGo) その一 定石と固定観念

今年最初のブログです。本年もまたお付き合いの程お願いいたします。昨年から少々暖めていた人工知能囲碁プログラム「アルファ碁」(AlphaGo)にまつわる話題を取り上げてまいります。

私の「道落」の一つが囲碁。強いとはとてもいえないのですが、碁の深さや難しさに魅了されつつ、毎日練習するのを日課としています。囲碁には「定石」といわれる昔から度重なる研究と実践によって生まれた石の形があります。定石とは対戦者が最善を尽くして「部分的」に互角に分かれる石の形のことです。どちらかが有利なら、それは定石とはいいません。私も定石を何度も練習しています。ですがいざ実戦となるとその手順を間違えることがしばしばあります。対戦相手は定石にないような手を打ってきます。高段者は新しい定石を学び低段者を翻弄します。

1954年製作の「十二人の怒れる男」というアメリカ映画がありました。ある裁判で一人の陪審員が他の十一人の陪審員たちに、固定観念に囚われずに証拠の疑わしい点を一つ一つ再検証することを提案します。やがて少数意見が多数意見となり無罪評決となるというストーリーでした。イスラエルでは会議をするとき、もし出席者七人のうち六人が賛成する発言をしたとき、七人目の人は無条件に反対意見を述べなければならないというのです。多数とは違う少数意見はそれ自体に価値があるというのです。

この陪審員の評決に関するエピソードを囲碁に当てはめてみますと、固定観念を捨てるとき思わぬ妙手が生まれるときある、ということかもしれません。最近は定石の考え方が変わって、新しい定石が生まれています。こうした変化には、固定観念から離れて新しい手を考えて打とうという姿勢があるからです。そういえば「定石を覚えて二目弱くなり」という定石信奉者を皮肉った川柳があります。イスラエルの格言にもう一つ。「何も打つ手がないときにも、ひとつだけ必ず打つ手がある。それは勇気を持つことである。」 私には後学のために役立ちそうな含蓄のある言葉です。
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