二文字熟語と取り組む その37 「股肱」

2010102820344028f P1160733 20200000013920144736279425187_s「股」はもも、「肱」はひじ。「股肱」で手足の意です。主君の手足となって働く、最も頼りになる家来や部下とか腹心にことです。自分の手足のように信頼している忠義な家来といえば、豊臣秀吉にあっては石田三成、徳川家康においては本多正信、上杉景勝にとっては直江兼続らの重臣といったところでしょう。「股肱の臣」というフレーズがあります。
「我を以て元首の将となし、汝を以て股肱の臣たらしむ」(太平記から)

「肝」という漢字の「月」の部分は、見掛け上同じ形をしています。しかし、「肝」という漢字の「月」の部分は、本来は「肉」という字です。「肉(にく)」が偏(へん)になるときには「月」の形になり、肉月(にくづき)と呼ばれるのです。

「つきへん」を部首とする漢字は「朗」「期」「朧(おぼろ)」など月といった天文的事象や日にちなど暦に関することが多く、「にくづき」を部首とする漢字は股、肱の他に「脚」「肘」「肥」など身体部位やその状態に関係することが多いといえます。

「服」の月ですが、「字源」によればもとは舟の添え板の意味から生まれたようです。そして舟に関係する漢字をつくります。「ふなづき」の由来です。

「にくづき」は二本線がぴったり両側につく、「ふなづき」は点々を書く、「つきへん」は右側が開いている、というのが正確な書き方であるという説もあります。残念ながらワープロで使うフォントではこの違いはでてきません。常用漢字ではこのへんの違いがないのかもしれません。手書きの良さ、素晴らしさはこの微妙な表現にもあるといえましょう。

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二文字熟語と取り組む その36 「忖度」

esyaku koujien ec9e48aefbc64e5f93388bd351cc21a2-300x184広辞苑で「忖度」を調べると「他人の気持ちをおしはかること」とあります。

「忖」は心と音符の寸からなり、指をそっと置いて長さや脈をはかるように、気持ちを思いやること、慮るとあります。「寸」は手の指を四本並べ長さの一本分で「はかる」、「おもう」という意です。昔は手尺や指の幅で長さをはかりました。「心をもっておしはかる」意が「忖」ということになります。
「他人に心あり、予これを忖度す」(詩経)

「度」ですが、仏教において「渡る」と同じ意味で彼岸に渡るの意味に使われるとあります。悟りを得させる、彼岸にわたす、頭をそって仏門に入るという意味でます。僧侶となるための出家の儀式が「得度」です。他の意味として、のり、ものさし、目盛り、おきてなどがあります。そこから、法度とか制度という熟語が生まれます。、

「忄」は心が偏になるときの形。感情、意思に関する部首です。りしんべんの名称は「立心偏」に由来します。心をものさしで測るといった按配です。

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二文字熟語と取り組む その35 「杜撰」

8d8c8fae9f56658040c2a9fe29ace1fa img_1 23226「杜撰」の出典は、南宋の王楙が著した「野客叢書」。王楙は1100年代の詩人とあります。叢書とは本のシリーズのことです。そこに「杜默 為詩、多不合律」という一節があります。南宋の首都は臨安。地図をみると現在の杭州で上海の南に位置しています。日本は鎌倉時代です。

「杜」は「杜黙」という中国の詩人、「撰」は詩文を作ることを表します。杜黙の作る詩には、作詩の規則である律を外れたものが多かったことから、誤りが多い著作を意味するようになったというのです。

「杜撰」は次のような様です。
1 著作物で典拠が正確でないこと、誤りが多い著作
2 手をぬいたところが多く,いい加減であること

このように「杜撰」は、杜黙の詩は詩の形式に合わないものが多かったという故事から由来します。自分の名前が、このような熟語になろうとは本人も驚いているでしょう。

「杜撰」といえば、やっつけ、粗雑な 、行き当たりばったり、 雑ぱくなといった類似語や表現が浮かびます。 「杜撰」の「杜」は、本物でない、仮の意味という俗語であるという説もあります。

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二文字熟語と取り組む その34 「首長」

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先日、テレビのコンメンテータが「首長」という語を「くびちょう」と呼んでいたのに少々驚きました。一般には、都道府県の知事や、市町村、特別区の長を指して使われています。発音はもちろんシュチョウです。シュは「首」の音読み、チョウは「長」の音読みですから、この熟語は、他の熟語と同様に2文字とも音読みで発音されるのです。高校のときまで、二文字熟語は訓読みか音読みであると教わってきたので、私は「くびちょう」に驚いたのです。

ところが「化学」と「科学」を区別するために「化学」を「ばけガク」と呼びます。他にも「私立」と「市立」が紛らわしいので「わたくしリツ」「いちリツ」と読み分けたりします。このような変則的な読み方がされるのは、同音異義語が多いからでしょうか。

「くびちょう」に戻ります。テレビで「しゅちょう」と発音されたとき、「市長」とか「首相」と聞き違えるかもしれません。読み上げテキストの脈絡で、どちらの「首長」かは判断できますが、「くびちょう」の響きはどうも違和感があります。今、「くびちょう」を呼ぶのは定着しつつあるようで、ささやかな抵抗をしたい気分です。

お役所用語か放送用語かは定かではありませんが、市長や知事にとっては、首長は「くびちょう」では落ち着かないのではないでしょうか。「シュチョウ」と読み上げられ、もしかしたら「シュショウ」というように聞かれ、「俺は首相なのか、、」とほくそ笑むかもしれません。首相を「あべくびそう」と発音されるようになれば、官房長官が記者会見でさっそく苦言を呈するでしょう。

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二文字熟語と取り組む その33 「傾城」

keisei sugawara-ehon5-600 島原「北方有佳人  絶世独立 一顧傾人城  再顧傾人国」
「北方に佳人有り、絶世は独り立つ、一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾く」

前漢の歴史を紀伝体で記した書。紀元後80年ころ作られたとあります。中国二十四史の一つです。漢書は一つの王朝に区切って書かれたといわれます。代々の王朝を通して描いたのが通史でその代表が「史記」といわれます。

「漢書」に外戚伝という、名前の通り家族や親族のことを記した文書があります。親に対する「孝」を重んじる儒教社会が中国。君主が人々に対する模範として、率先して母親やその親族に対して礼を尽くすべきことを記しています。そこに「傾城」の故事がでてくるのは興味あることです。

「傾城」とは、絶世の美女です。別名は「傾国」。もう一つは、太夫や天神など上級の遊女のことです。君主がその美しさに夢中になって、城を傾けて(滅ぼして)しまうというのです。色香におぼれて城も国も顧みないほどの美女、たとえば楊貴妃のような女性は、いつの時代にもいたのでしょう。「傾城」は別名、「契情」ともいわれます。音意共にうつした当て字です。

「傾城」にはいろいろなフレーズがあります。「傾城に誠なし」、「傾城に可愛がられて運の尽き」とは男性をおちょくるギャグです。
「傾城の恋はまことの恋ならで 金持って来いが ほんの恋なり」は、花魁や遊女の逞しさをうたっています。

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二文字熟語と取り組む その32 「狷介」

a697 20150607141001f7d 20081013220722「狷介」をいくつかの辞書を調べると、「心が狭く,自分の考えに固執し,人の考えを素直に聞こうとしない・こと(さま)」、「自分の意思をまげず人と和合しないこと」、「自ら守ること厳しく妥協しない」とあります。「狷介な人物」とか「 狷介孤高」といった四文字熟語もあります。

「許は狷介の士なるも未だ尭の心に達せず」という例文もあります。許とは人の名前です。「尭」とは「さとる」「たかい」「けだかい」という意味です。「狷」 は分を守って不義をしない意、「介」はかたい意とあります。ということは、現在は多く悪い意味で使われるのですが、これとは異なるニュアンスがあります。興味あることです。

今日、心がせまい、気がみじかい、かたいじ、強情っぱり 、意地っぱり、 頑なといったように使われる「狷介」ですが、「自ら守ること厳しく妥協しない」、「指南または規律に抵抗する」という意味があったのですから、時代を経ると意味が変わってくることに少々驚きます。

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