留学を考える その59 ワシントン州—The Evergreen State

ワシントン州(Washington)は、太平洋西岸北部に位置しています。東隣はアイダホ州(Idaho)、南部はオレゴン州(Oregon)、北はカナダのブリティッシュコロンビア州(British Columbia) となっています。州都はオリンピア(Olympia)。最大の都市はシアトル(Seattle)です。東海岸で合衆国の州都があるWashington, D.C.とは地理的に対極にあります。大きな都市は、 スポケーン(Spokane)、タコマ(Tacoma)などです。兵庫県加東市とオリンピアは姉妹都市となっています。実に不似合いなのです。私は加東市に10年あまり過ごしました。

ワシントン州は豊かな木材資源に恵まれています。モミ(Douglas fir)、松であるponderosaとか白松、トウヒ(spruce)、ヒマラヤ杉(cedar)などを産しています。果物の産地でもあります。リンゴ、梨、ラズベリー、チェリー、ネクタリン、アプリコット、葡萄の他、スペアミントやホップ、アスパラガス、ポテトなども採れます。カリフォルニアと同様にワインの産地でもあります。水産資源も豊かです。鮭やニジマスなどが知られています。

ワシントン州は農業だけでなく、航空機、ミサイル、コンピュータ、造船、通信、金属加工、精密機械、食品加工、食品流通などの産業も盛んです。ボーイング(Boeing)、マイクロソフト(Microsoft)、スターバックス(Starbucks)、コストコ(Costco) 、アマゾン(Amazon)などの本社があります。

戦前、日本から多くの移民が渡ったのがワシントン州です。移民の大半は森林業や水産業の労働者となりました。人種差別も根深く残る頃です。「ヒマラヤ杉に降る雪」(Snow Falling on Cedars)という小説が1995年に作られます。作家はデイヴィッド・グターソン(David Guterson)。1954年の冬、日系アメリカ人漁師カズオは同僚を殺害した第一級殺人容疑で罪に問われます。地元新聞記者は、カズオの容疑を晴らす可能性の高い証拠をつかみます。彼自身は、幼馴染でカズオの妻であるハツエとの過去の恋愛関係に対する感傷を抱いています。さらに日系アメリカ人への厳しい偏見と第二次大戦という強い背景によって、新聞記者は得た証拠をどのように扱うべきかを苦しみます。Snow Falling on Cedarsは1995年のフォークナー(William Faulkner)賞受賞作品です。この小説は1999年に映画化もされます。

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留学を考える その58 ヴァジニア州–“Oh Shenandoah”

ヴァジニア州の大学についての二稿目です。ヴァジニア州にある「シェナンドー国立公園」(Shenandoah National Park)についての思い出です。合衆国の国立や州立公園にはバックカントリーと原生地域のキャンプ場が完備されています。シェナンドー国立公園のキャンプ場は、犬を受け入れています。トレイルを含むほぼ全ての地域に犬を連れてハイキングを楽しむことができます。障害者やお年寄りのアクセシビリティ(accessibility)も完備しているので、車椅子の人も存分にレクリエーションを楽しむことができます。広大な公園全体が原生自然保全地域(National Wilderness Preservation)となっています。

「シェナンドー」という呼び名は私にとって忘れない記憶につながります。北海道大学男声合唱団にいたとき歌った懐かしい曲の一つに「Oh Shenandoah」というアメリカの民謡があります。ほのぼのとした哀愁味がある曲です。独唱でも合唱でもいいのです。この曲の歌詞はいくつかの解釈があります。開拓時代、カナダ人やアメリカ人の毛皮の貿易商がカヌーでミズリー(Missouri)を超えてシェナンドー川にやってきたとあります。彼らはネイティブ・アメリカンの「Shenandoah」という酋長とその娘に出会います。そして是非この娘と再会して結婚したい、という願望を歌ったようです。
この曲の歌詞(Lyrics)をみてみましょう。

Oh Shenandoah,
I long to see you,
Away you rolling river.
Oh Shenandoah,
I long to see you,
Away, I’m bound away
‘Cross the wide Missouri.

Oh Shenandoah,
I love your daughter,
Away, you rolling river.
For her I’d cross,
Your roaming waters,
Away, I’m bound away,
‘Cross the wide Missouri.

シェナンドー川(Shenandoah River)は、ヴァジニア州とウェストヴァジニア州を流れるポトマック川(Potomac River)の支流となっています。

第3代合衆国大統領トマス・ジェファソン(Thomas Jefferson)の出身がヴァジニア州です。Jeffersonの邸宅がモンティチェロ(Monticello)にあります。1979年頃、長男が合衆国の歴史を学んでいたので「モンティチェロに是非いってみたい」というので、D.C.のモール(National Mall)を歩いたあとにこの地を訪ねたことがあります。モンティチェロはかつては奴隷プランテーションでもありました。

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留学を考える その57 ヴァジニア州–Mother of Presidents

ワシントンD.C.からポトマック川(Potomac River)を越えたところに位置するアーリントン郡(Arlington County)、そこからヴァジニア州(Virginia)は南西に広がります。イギリスから最初に独立した13州のうちの一つ。南北戦争では南部連合(Confederacy)に属して合衆国軍(Union)と戦いました。州都はリッチモンド(Richmond)となっています。チェスピーク湾(Chesapeake Bay)は大西洋に面し、あちこちに独立戦争の戦跡が国立公園として保存されています。

ヴァジニア州は正式にはThe Commonwealth of Virginiaと呼ばれます。植民地時代から地域が共通した目標である独立に向けて共に発展する意思を表しています。この州からは、歴代8名の大統領を送り出しています。George Washington, Thomas Jeffersonらです。そのために、「大統領の母なる地」(Mother of Presidents)とも言われるほどです。D.C.の対岸の州内にはアメリカ国防総省(Pentagon)やCIA本部、アーリントン国立墓地(Arlington National Cemetery)もあります。

ウイリアムスバーグ(Williamsburg)は是非訪れたいところです。1690年代には植民地時代の首都でありました。1.5km x 1.5 kmのスペースに、入植当時に建てられた建造物はすっかり復元されて、植民地の面影を感じることができます。

ヴァジニア州フェアファクス郡(Fairfax County)の学校を何度も視察しました。フェアファクスはD.C.の隣で訪問に便利なこともあります。ヴァジニアは「Mother of Presidents」の名にふさわしい風格のある州です。美しい砂浜の海岸線やアパラチア山脈の谷間の街々、植民地時代や南北戦争の歴史で由緒のあるところです。空から見ると街々が森や木で覆われ豊かさを感じさせてくれます。

シェナンドー国立公園(Shenandoah National Park)は森と渓谷、ハイキングやキャンピングで知られています。ヴァジニア州のライセンスプレートはいろいろなデザインがあります。うっそうとした豊かな森や清流の自然や生態系を反映して、デザインには野鳥などを配置しています。次回にシェナンドー国立公園にまつわるエピソードを紹介します。

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留学を考える その56 ヴァモント州—Green Mountain State

ヴァモント(Vermont)州はアメリカ合衆国北東部のニューイングランド(New England)地方の内陸にあります。北はカナダのケベック州(Quebec)に、東はニューハンプシャー州(New Hampshire)、南はマサチューセッツ州(Commonwealth of Massachusetts)、西はニューヨーク州(New York)に隣接しています。州都モントピーリア(Montpelier)は全米で最も小さい州都といわれています。最大の都市はバーリントン(Burlington)なのですが、この町も全州の中での最大の都市を並べてみると最も小さい都市といといわれています。少々可笑し味があります。それだけ小さい州というわけです。バーリントンはカレッジ・タウンと呼ばれるほど大学が集まっています。

ヴァモント州最大の産業は観光です。畜産業も盛んです。観光客の多くはインターステート(IS)で数時間の距離にあるニューヨークやボストンからやってきます。豊かな自然を売りにしてスキー、サイクリング、キャンプ、フィッシングの鱒釣りなどが盛んです。秋はりんご狩りなどに大勢の観光客が訪れます。この州で忘れられないのはメープル・シロップ(Maple syrup)の生産です。全米で最大の生産量を誇っています。サトウカエデの樹液を集めて精製します。シロップの琥珀色は薄いほど高級となります。メープル・シロップは熱いワッフルやパンケーキなどにかけてバターと一緒にいただくと最高ですね。

州の多くは山岳と森林で占められています。気候は内陸性ですから夏は暑く、冬は相当「しばれ」ます。ニューイングランドの紅葉は格別です。州の愛称は「Green Mountain State」でこれがライセンスプレートに書かれています。プレートも緑色でこだわりを感じます。

かって家族と一緒にカナダを旅してからモントピーリアを通りました。小さな議事堂のロタンダ(rotunda)といわれる中央のドーム内は州の博物館となっています。小さなバーモントの歴史は、イギリスからの独立をヴァモントが宣言した1777年以来の州つくりと大自然との共存の歩みといえましょう。

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留学を考える その55 ユタ州–Greatest Snow on Earth

このブログでは、いつの日か機会を見つけて若い人に留学を勧めたいということを主張しています。人生にとってこうした経験は必ずやプラスになることを信じて疑いません。いろいろな人と出会い、文化と接し、異なる角度から物事を考える機会となります。もちろん大学での学びは将来の仕事につながります。

話題は戻ります。ユタ州(Utah)の州都、ソールトレイク・シティ(Salt Lake City)に近づきますと、地上は真っ白。その名の通り塩の大地が広がります。しかし、州の中央部には海抜三千メートルの山脈があり、北海道のような粉雪で深く、世界的に名高いスキーリゾートとなっています。ユタ州の西部は起伏が続いています。ですが大部分が不毛の砂漠となっています。岩だらけの風景の中にひときわ目立つのがモニュメント・バレー(Monument Valley)です。しばしば西部劇の映画などで登場しました。

ユタ州は「末日聖徒イエス・キリスト教会」、俗称モルモン教会(Mormon)の発祥の地といわれます。長老であったブリガム・ヤング(Brigham Young)とその開拓者集団は、1847年7月にイリノイ州から今のソルトレイク・バレー(Salt Valley)に定着して発展していきました。現在でもモルモン教徒が全州人口の約60%を占めているといわれています。敬けんで穏やかなモルモンの人々が育んできた風土の影響で、全米でも治安も良いことで知られています。ユタ州立大学(Utah State University)のあるローガン市(Logan)は小規模都市を含めて全米一位の治安のよい町といわれます。

ソールトレイク・シティでは、モルモン教会の合唱がお勧めです。この合唱団は「Mormon Tabernacle Choir」といいます。神の幕屋教会合唱団と訳しておきます。世界一流オーケストラとの数々の共演や世界各地での演奏会で知られています。リハーサルは毎週木曜日午後8時から開かれ、その後に聴衆からの質問のやり取りがあります。ユタ州立大学を訪ねたついでに、このリハーサルの日時を確認してから練習を聴きに出掛けました。オルガンも素晴らしいものです。練習を公開するのはいいですね

ユタ州のライセンスプレートには、「Greatest Snow on Earth」、「世界で最も素晴らしい雪」と印字されています。塩と雪の白さで観光客が魅了される州といえましょう。州の愛称は「蜜蜂の巣の州ーBeehive State」となっています。

高等教育機関ですが、宇宙工学などの研究で知られるユタ大学(University of Utah)、 農業工学分野で強い研究のユタ州立大学(Utah State University)、合衆国最大の私立大学の一つでモルモン教会立のブリガム・ヤング大学(Brigham Young University)、リベラルアーツ教育のウエストミンスター・カレッジ (Westminster College)などがあります。

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留学を考える その54 テキサス州–The Lone Star State

テキサス州(Texas)はアメリカでは第二の面積を占める南部の大きな州です。1836年にテキサス共和国として一方的にメキシコから独立を宣言しますが、同年メキシコ軍の攻撃により敗れます。入植者がたてこもって抵抗した拠点がサンアントニオ(San Antonio)にあるアラモ砦(The Alamo)。デビー・クロケット(Devy Crocket)、ウイリアム・トラビス( William Travis)など指導者の名前が浮かんできます。映画も作られました。映画といえば「ジャイアンツ–Giants」。ジェームス・ディーン(James Dean)が懐かしい。

現在の州都はオースチン(Austin)ですが、近年特に人気が高い町がリバー・ウォーク(River Walk)のあるサンアントニオです。リバー・ウォークは小さな河の両岸にレストランが並んでいます。散歩、船下りが楽しいところです。今や年間1,000万人以上が訪れる全米有数の観光都市としても知られています。その人気もあって研究者を集める多くの学会もここで開かれています。

ブッシュ大統領(George Bush)親子やジョンソン大統領(Lyndon Johnson)はテキサスの出身です。メキシコ湾や内陸部に油田が多く、エクソンモービル(Exxon Mobil)などの石油会社の本社があります。カウボーイ文化に象徴される放牧業や畜産業でも知られています。アメリカン航空、コンチネンタル航空、AT&Aなど多くの企業の本拠地となっています。カリフォルニア、ニューヨークと並ぶ商業や経済の中心です。

ライセンスプレートには「The Lone Star State」とあります。メキシコからの独立という願いとして、テキサスの州旗に白い星を一つあしらったといわれています。これがLone Starの由来です。 オースチン市内の学校を見学したことがあります。引率の女性教師はピックアップトラックで案内してくれました。別な機会にサンアントニオへは学会発表で行ったのですが、不遜ながら発表を適当に切り上げてアラモ砦を見学し、リバー・ウォークへ向かいました。

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留学を考える その53 テネシー州—Volunteer State

テネシー州(Tennessee)はケンタッキー州(Kentucky)、ミズーリ州(Missouri)、ヴァージニア州(Virginia)など8つの州と接しています。最大の都市はメンフィス(Memphis)。州都はナッシュビル(Nashville)となっています。「チュチュトレイン」のチャタヌガ(Chattanooga)もこの州にあります。アパラチア山脈(Appalachian Mountains)を中心とするグレート・スモーキー山脈国立公園(Great Smoky Mountains)はハイカーが押し寄せるところです。産業では、タバコ、綿花、そして大豆などの農産物が有名です。

中学生時代の社会科の教科書に「テネシー計画」についての記述がありました。1933年にルーズベルト大統領(Franklin Roosebelt)が、ニューディール(New Deal)政策の一環として、テネシー川流域の総合開発を目的とした世界最初の地域開発といわれています。テネシー川流域開発公社(Tennessee Valley Authority: TVA)が主体となり、多くの多目的ダムなどの建設によって、膨大な雇用を創出したプロジェクトです。丁度世界恐慌のときです。中学生ながら、「いつかテネシーへ行ってみたい」という思いを持ったものです。

テネシーはカントリーウェスタン(Country Western)の発祥の地です。すでに紹介したエルヴィス・プレスリーもここの出身。彼が主に音楽活動を行ったのがメンフィス(Menphis)です。70代以上の方にはテネシー・ワルツ(Tennessee Walz)が懐かしでしょう。1950年にパティ・ペイジ(Patti Page)が歌い世界的なミリオンセラーとなります。日本では江利チエミが歌います。カントリーミュージックの影響が強い歌です。

ナッシュビル(Nashville)にも沢山の南部のライブを楽しめるところがあります。その響きはBluegrassと呼ばれるアコースティック音楽のジャンルです。演奏にはギター、マンドリン、フィドル(ヴァイオリン)、ギターなどの楽器が使われます。アパラチア南部に入植したスコッチ・アイリッシュ(Scotch Irish)といわれる北アイルランドやスコットランドから移住した人たちの伝承音楽をベースにしているようです。Bluegrassはアップテンポの曲が多く、楽器には速弾きなどの即興演奏(インプロヴァイズ)もあります。もちろん、ブルース感を表現する弾き方やハーモニーにも特徴があります。ナッシュビルに来たら必ず本場のBluegrassを楽しむべきです。

テネシー州のライセンスプレートには「Volunteer State」とあります。1800代のBattle of New Orleansに人々が駆けつけてきことに由来しています。この戦いでイギリス軍を破り、ルイジアナ(Louisiana)やテネシーが植民地から解放されていきます。

テネシーの高等教育機関です。バンダービルト大学(Vanderbilt University)、テネシー大学(University of Tennessee-Knoxville)、テネシー州立大学(Tennessee State University)などが研究中心の大学です。ベルモント大学(Belmont University)、 長老派教会(Presbyterian Church)が経営するロードカレッジ(Rhodes College)も入学が難しいリベラルアーツの大学です。授業料や生活費が他州に比べて安いのが魅力です。是非テネシーへの留学を考えてください。

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留学を考える その52 サウスダコタ州–Great Faces, Great Places

サウスダコタ州(South Dakota)は、ラコタ(Lakota) とダコタ・スー族(Dakota Sioux )から名付けられたといわれます。州都はピーリー(Pierre)。州で最も大きな都市はスーフォールズ(Sioux Falls)となっています。サウスダコタ州は農業と畜産が主要な産業です。五大品目として牛、トウモロコシ、大豆、小麦、そして豚が知られています。

州の南部にBlack Hillsという丘陵地帯があります。、背丈の低い松で覆われています。スー族の領土であり儀式の聖地として崇められている地域です。そこは国立公園となっています。この丘陵地帯にあるのがマウントラッシュモア(Mount Rushmore)で、多くの観光客がやってきます。山の岩盤に歴代4人の大統領の顔が彫られています。ジョージ・ワシントン(George Washington)、トマス・ジェファソン(Thomas Jefferson)、セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)、アブラハム・リンカン(Abraham Lincoln)です。

ローラ・インガルス(Laura Ingalls) はブログのどこかで何度も紹介した記憶があります。この州の代表的な小説家です。開拓地での幼少のときの生活経験が小説の舞台となっています。 彼女はウイスコンシン州で生まれ、幼年期に一家は中西部を頻繁に移動して開拓生活をおくります。やがて学校に通い、小学校の教師となります。その間、「インガルス一家の物語」を書きます。これがNBCで「大草原の小さな家(Little House on the Prairie)」としてテレビ・シリーズ化され一躍日本に紹介されて好評を博しました。サウスダコタ州は映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ(Dance with Wolves)」の舞台ともなりました。

私にとってのサウスダコタ州です。一度ここに住んでいたかっての宣教師とその家族を訪ねました。私が家族と始めてジョージア州に来たとき、この牧師さんから車を譲り受けた思い出もあります。この車でジョージアからウイスコンシンへ行き、そしてサウスダコタを訪ねました。果てしない大平原やトウモロコシ畑を走りました。

この州のライセンスプレートには「Great Faces, Great Places」とあります。Great Facesとは彫られている4人の大統領のことです。この4人の大統領もプレートにプリントされています。趣のある一枚です。

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留学を考える その51 サウスカロライナ州—Smiling Faces Beautifu Places

サウスカロライナ州(South Carolina)は北部でノースカロライナ州、南部と西部でサバンナ川(Savannah River)を境に位置するジョージア州(Georgia)、及び東部で大西洋と接しています。海岸線には多くの沼や入り江があり、またジョージタウン(Georgetown)やチャールストン(Charleston)など自然の良港をひかえています。

サウスカロライナ州の開発の歴史は古くメイフラワー号がニューイングランドに上陸する約100年前の1526年にスペイン人のFrancisco Gordilloが入植を試みたという記録があるようです。1629年にイングランド王チャールズ一世(King Charles I)がカロライナを植民地とします。1729年にはノースカロライナとサウスカロライナが分離します。独立戦争を経て他の州と共に独立し、奴隷制による綿花のプランテーションによって大いに繁栄します。

1860年に奴隷制廃止論者であったリンカーンが大統領になると合衆国から離脱し、1861年には後続して脱退した他の南部諸州と共にアメリカ南部連合(Confederate States of America)を結成し、北軍の駐屯するチャールストンの港に位置するサムター要塞(Fort Sumter)を攻撃して南北戦争の口火が切られます。1865年にシャーマン将軍(William Sherman)率いる北軍の侵攻により、ジョージア州アトランタ(Atlanta)が焼き払われ、「海への進軍」(March to the sea through Georgia)およびサバナよりの北上作戦により南部経済は壊滅して南北戦争の終結が早まります。小説「風と共に去りぬ」(Gone with the Wind)はこの南北戦争が舞台です。

サウスカロライナ州は長い植民地時代を残す歴史があります。例えば、チャールストンは「聖なる市」(The Holy City)ともいわれます。高い尖塔を有する教会が街の景観を形成しています。十三の植民地の中で、カトリック、プロテスタントを問わず信教に対する寛容さを認めていた数少ない都市の一つがチャールストンで、ユダヤ教を認めた最初期の植民地都市ともいわれます。州の愛称は「Smiling Faces Beautifu Places」。いい呼び名です。

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留学を考える その50 ロードアイランド州— The Ocean State

合衆国東北部、ニューイングランド地方にあるのがロードアイランド州(Rhode Island)です。州都および人口最大都市は州北部、ナラガンセット湾(Narragansett Bay)の奥に位置する港湾都市のプロビデンス(Providence)です。プロビデンスは学術都市でもあり、州全土がプロビデンス大都市圏に含まれています。Providenceとは「神の意思」とか「神の摂理」という素晴らしい響きの単語の固有名詞です。

合衆国50州の中で面積が最小の州です。滋賀県と同程度の面積ですが、独立戦争や憲法の起草では重要な役割を果たした州でもあります。独立時の十三州の1つでもありました。州の愛称は「The Ocean State」、正式な名称は「State of Rhode Island and Providence Plantations」という具合で、合衆国で最も長い州名となっています。プロビデンスにコロニーである居住地を開拓したことを象徴しています。州の愛称は、「The Ocean State」とあります。大西洋に広がるナラガンセット湾からの恵みを示すようです。

現在のプロビデンス市の創設者であり、ロードアイランド植民地の共同設立者がロジャー・ウィリアムズ(RogerWilliams)です。彼はイギリス生まれの神学者であり、政教分離原則の著名な提案者として知られています。1636年、イギリス国教会およびアメリカ・インディアンの土地の強奪に対する強烈な批判を行ったためマサチューセッツ湾植民地を追われます。ですが4人の信奉者と共にナラガンセット湾の北部沿岸の土地をナラガンセット族(Narragansett)とピクォート族(Pequot)から土地を求めて、集落を作ります。ここをバプテスト開拓者のための宗教的自由の地と宣言します。「逆境にある私に神の慈悲深い摂理を感じさせる」と言ってプロビデンスを命名したといわれます。

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