クリスマス・アドベント その12 ”O Holy Night”

“O Holy Night”の作曲者はアドルフ・アダン(Adolphe C. Adam)というフランス人です。我が国では「オー・ホーリーナイト」と呼ばれています。アダンは1800年代の中盤に活躍し多くの曲を作ったといわれます。中でもこの”O Holy Night” (Cantique de Noel–クリスマス賛歌)というクリスマス・キャロルは特に知られています。

“O Holy Night”ですが、作曲は1847年。フランス南部の街、ロクマラ(Roquemaure)にある教会のオルガンが修復され、その祝いとして教区の司祭が詩人プラシド・カポー(Placide Cappeau)にクリスマスの詩を依頼します。カポーは”Midnight, Christians”という題を付け、それにアダンが旋律をつけたのです。当時、この曲はラジオで放送され広く人々に口ずさまれるようになったといわれます。アダンはバレー音楽(ballet)であるジゼル(Giselle)をはじめ39ものオペラも作曲した人でもあります。

その後、”O Holy Night” はソプラノ(soprano)やテノール(tenor)で歌われることが多くなりました。それは当時、ユニテリアン教会(Uniterian church)の牧師であったジョン・ドワイト(John S. Dwight)がカポーの原詩 “Cantique de Noel” をもとにして、フランス語と英語でイエスの誕生と救いについて親しみのある歌詞をつけたからです。

曲は静かな音程で始まり、やがて次第に興奮が高まるような音階となり、最後は極めて高い音階で歌われます。誕生劇が ”聖なる夜かな” という歌詞と共に最高潮に達します。荘厳な曲でもあります。

この曲は多くの人気歌手によって歌われています。例えばマライア・キャリ(Mariah Carey)、ビング・クロスビ(Bing Crosby)、ホットニ・ヒューストン(Whitney Houston)、マハリア・ジャクソン(Mahalia Jackson)といった歌手です。

O holy night! The stars are brightly shining,
It is the night of our dear Saviour’s birth.
Long lay the world in sin and error pining,
‘Til He appear’d and the soul felt its worth.
A thrill of hope the weary world rejoices,
For yonder breaks a new and glorious morn.
Fall on your knees! O hear the angel voices!
O night divine, O night when Christ was born;
O night divine, O night, O night Divine.

クリスマス・アドベント その7 カンタータ第140番

教会暦は伝統的に一年は待降節(アドベント)から始まります。そして受難節、復活節、聖霊降臨節、三位一体節などへと続きます。そうした節毎にバッハ(Johann Sebastian Bach)などの作曲家がいろいろな音楽を作っています。

バッハの多くの作品の中にカンタータ(Cantata)第140番があります。この局は「コラール・カンタータ」(BWV140)(Choral Cantata) と呼ばれています。カンタータの基礎となっているのは合唱、コラールです。教会暦によりますと、聖霊降臨の1週間後は三位一体節と呼ばれます。バッハは三位一体節後第27主日の礼拝に合わせてカンタータ140番を作曲したといわれます。

教会では、全ての日曜日礼拝には拝読される福音書の章句が決められています。三位一体節から数えて第27日曜日の福音書聖句は、マタイによる福音書(Gospel of Matthew)25章1節から13節となっています。この箇所では、花婿の到着を待つ花嫁の譬えを用いて、神の国の到来への備えが唱えられています。それをふまえ、真夜中に物見らの声に先導されたイエスの到着、待ちこがれる魂との喜ばしい婚姻へと至る情景を描いています。

カンタータ140番は「目覚めよと呼ぶ声あり」と呼ばれ、英語では”Wake, Arise,” ドイツ語では”Wachet auf, ruft uns die Stimme”として知られる名高い曲です。カンタータに配置される独唱はレシタティーヴォ(recitative)といわれます。レシタティーヴォは、概して大規模な組曲形式の作品の中に現れる歌唱様式といわれます。叙唱とか朗唱とも呼ばれています。楽器はホルンの他、木管と弦楽器、そしてチェンバロが使われます。

カンタータ140番は次の7曲から構成されています。

第1曲 コラール  目覚めよと呼ぶ声あり
  弦楽器とオーボエが付点リズムでもって演奏され、それに行進曲風の合唱が続きます。晴れやかな喜びに満ちた曲です。
第2曲 レチタティーヴォ 彼は来る、まことに来る
  イエスの姿を伝えるテノールの語りかける場面となっています。
第3曲 二重唱  いつ来ますや
  わが救いの魂(ソプラノ)とイエス(バス)の間で交わされる愛の二重唱です。
第4曲 コラール  シオンは物見らの歌うの聞けり
 テノールの歌うコラールは、ユニゾンの弦が晴れやかな落ち着きのある有名な曲です。物見の呼び声が夜のしじまを破って響く冒頭の合唱曲とシオンの娘の喜びを歌うテノールのこの曲は特に名高いものです。
第5曲 レシタティーヴォ
  さらばわがもとへ入れといって花嫁が登場します。
第6曲 二重唱  わが愛するものはわが属となれり
  再び魂とイエスとの二重唱となります。
第7曲 コラール  グローリアの頌め歌、汝に上がれ
  簡潔ながら力強い4声部によるコラールで終わります.

クリスマス・アドベント その6 休憩(Intermission)  ロゴスと言葉

ここらで少し休憩とします。クリスマスについてです。いくら世界中の人々がクリスマスを祝うといっても、聖霊によるマリアへの受胎告知やイエスの誕生に納得できない人々がいるはずです。その後のキリストの受難と昇天、そして復活もそうかもしれません。キリスト教徒でない人々の中には聖書の中味を、「作り話」、「ファンタジ」、「空想」として捉えるために、受胎告知や復活といった奇跡にさしたる抵抗は感じないようです。ですからクリスマスも、わだかまりもなく子どもや家族と楽しむことができるのです。今回はその先のことを考えてまいります。

復活とか蘇りという出来事は、考えてみれば宗教の世界で通用する現象です。キリスト教徒は、そうした「出来事」にかつては困惑したり懐疑したことはあったにせよ、それを「吹っ切って」洗礼を受け信徒になったのです。こうした転機は奇跡としかいいようがありません。

「人知では到底計り知れないこと」 は世の中にはいくらでもあります。高い教育を受け、自然科学に触れ、進化論を知ったにせよ、こうした宗教上の現象は、この世界とは次元の越えた現象といってよいでしょう。そこには吹っ切れたという個人的な体験があったからだろうと察するほかはありません。恐らく当人もこの不思議な導きを言葉では説明できないでしょう。

人の使う言葉には限界があります。愛するものの死に接したとき、哀しみを表現する言葉が浮かびません。どんな慰めの言葉も癒しにならない時があります。人間の言葉とはそいうものです。語いが足りないというほかありません。

ヨハネによる福音書1章1節に「始めにことばありき」(In the beginning was the Word) という章句があります。ここでの言葉-Wordは神のことばーロゴス(logos)ということです。この世界の根源として神が存在するという意味とされます。ブリタニカ百科事典には 「ロゴスは世界の根幹となる概念であり、世界を定める理(ことわり)」 とあります。

クリスマス・アドベント その5 クリスマスのいわれ

クリスマス(Christmas)は、ChristとMassの連語であることを前回述べました。「キリストの誕生を祝うミサ礼拝」ということです。クリスマスの歴史を振り返りますと、比較的新しいことがわかります。そのことに触れてみるのが今回の話題です。

Scandinavian Christmas tradition. Christmas Gnome and Yule goat with a gift basket.

クリスマスは、もともと”Yule time”と呼ばれ、特にゲルマン(Germanic)の”jul”やアングロサクソン(Anglo Saxson)の”geol”からきたのだといわれます。YuleとかYuletide(Yule time)というのは冬至の日を意味します。昔は、冬至がくると人々はその日を祝うのが習慣だったようです。ヨーロッパの人にとっては日がだんだん長くなることを待望して祝ったののです。Encyclopaedia Britannicaによれば、Yuleは非宗教的な祭りだったのが、いつのまにかChristmasに吸収されていったとあります。

北欧のスウェーデン(Sweeden)、デンマーク(Denmark)、ノールウエイ(Norway)でいまもクリスマスを”Yule”と呼んでいます。フィンランド(Finland)は”Joulu”と呼びます。クリスマスを意味する”Yuletide”という英単語のことです。”tide”の語源は期間とか時間という意味です。通常、tideは潮という意味です。Yuletideは12月24日から1月6日までの期間を指します。クリスマスの期間ということです。ですがこのYuleは今は古英語になってしまいました。

ラテン語で誕生は”natalis”です。クリスマスを意味する言葉ですが、このラテン語からクリスマスの言葉が生まれます。イタリア語は”Natale”、スペイン語は”Navidad”、フランス語はノエル(Noel)です。そしてドイツ語は”Weihnachten”です。”Weihは”聖なるかな”、そして”nachten”は”夜”という意味です。”Heilige Nacht”も同じ意味です。今回は、クリスマスとは世俗的な祝いや祭りから生まれたということを読者にお伝えしました。

クリスマス・アドベント その4 The First Noel

クリスマス(Christmas)の季節が今年もやってきました。キリスト教会では待降節(Advent)とか降臨節を迎えています。クリスマスまでの4週間のことです。礼拝堂では日曜日の礼拝毎にローソクが1本ずつ点火されます。所属するルーテル教会を例に挙げながら、クリスマスの内容や意義を記してみます。

Christmasは二つの単語から成ります。Christ(キリスト)とMas(マス)です。後者のMasはもともとはMassであり、礼拝とかミサを表します。従ってChristmasは「キリストの礼拝」となります。古事によるとChristmasは、元々12世紀頃の古い英語ではCristesmassと綴られていたそうでです。

ベブル語(Hebrew)の聖書にはMessiah(メシア、またはメサイア)が登場します。Messiahとは王様とか聖職者を意味します。王様はやがてキリストがMessiah=救世主として崇められるようになるのです。Messiahは特別に油や香料をそそがれたもの(anointed)、それが「救いをもたらす者」というようになります。Christmasは別名、ラテン語(Latin)から派生した誕生(Christ Natalis)ともいわれます。スカンディナビア半島では11世紀頃からChristmasの祝いが始まったとされ、その誕生祝いのことを「Old Norse Jol」と呼んでいました。スカンジナビアの人々(Scandinavian People) という意味だそうです。

時代がくだり、14世紀になると古いフランス語でノエル(Noel、または Nael)がChristmasとして使われます。Noelとはもともとは誕生という意味です。18世紀になるとこれが「The First Noel」という讃美歌に登場し世界中で親しまれるようになります。「初めてのクリスマス」という讃美歌です。我が国では「牧人ひつじを」という題名で讃美歌103番、聖歌27番として歌われています。

The first Noel, the angels say
To Bethlehem’s shepherds as they lay.
At midnight watch, when keeping sheep,
The winter wild, the light snow deep.
Noel, Noel, Noel, Noel
Born is the King of Israel. (American version)

クリスマス・アドベント その3 イマヌエル

今日は、アドベント、別名降臨節に関する記事を聖書から見てみることにします。それは旧約聖書のイザヤ書(The Book of Isaiah)です。預言者イザヤ(Isaiah)の名によって残される旧約聖書中最大の書といわれます。その成立は複数の者によって書き起こされ,内容からみて2部に分けられます。

最初は、1〜39章は前8世紀頃、主に預言者イザヤによって書かれ、主の懲らしめと裁きが中心に描かれています。40章で「慰めよ。慰めよ」という言葉がでてきます。次ぎに40章から66章は、慰めと回復のメッセージといわれています。具体的には、ユダ(Judea)とエルサレム(Jerusalem)に対するメッセージです。ユダが主から離れていくので、懲らしめを受けるのですが、最後には癒され、救われるという展開になっています。

北イスラエル王国(Northeran Israel)は、紀元前7世紀頃中東のオリエントを統一して最初の世界帝国であったアッシリア(Assyria)の攻撃を目前に控えていただけでなく、南ユダ王国(South Judea)も崩壊するのは時間の問題でありました。そうした緊迫した情勢を背景に、イスラエルの民の多くは一国も早く国外へ脱出することを望んでいました。アッシリア帝国による侵略の脅威に曝される中、神のみ告を信じていたのもユダヤ人です。

イザヤは「神が我らとともにおられる」を意味するイマヌエル(Emmanuel)という言葉を使います。イマヌエルとは、驚くべき指導者であり、力ある神の象徴であり、彼によってイスラエルが救われて平和の道を歩むことができると預言するのです。イマヌエルは新約聖書のキリストを示唆しています。イザヤは、「救いは主のもの」、あるいは「ヤハウェ(Yahweh、Jehovah)は救いなり」と教えます。人間が救われるのは、人間からでも行いからでも富からでもなく、主からなのだ、ということを最初から最後に至るまで一貫して教えています。

クリスマス・アドベント その2 樅の木

Rockefeller Center

アドベント・リース(Advent wreath)には樅の木(Tannenbaum)の枝が使われます。しなやかなので丸いリースを作りやすいのです。樅の木は、「Christmas Tree」とも呼ばれます。そしてクリスマスのデコレーションに使われます。有名なのは、ニューヨーク市のロックフェラーセンター(Rockefeller Center)前に立てられるものです。毎年その点火がニュースとなります。高さ20メートルを超え、2007年からはLEDが使われています。今年は明日12月2日に点火式が行われます。

樅の木に戻ります。この常緑樹は強い生命力の象徴とされます。また「知恵の樹」とも呼ばれます。沢山の種類の飾り物がとりつけられます。子どもたちはそれを楽しみにしています。もともとはリンゴとかナッツなどの食べ物が枝にくくられたそうです。そしてロウソクとなり今は豆電球で飾られます。ベツレヘムの星(Bethlehem)やガブリエルの天使(Gabriel)の飾りもつけられます。

樅の木がクリスマスの木として使われるようになったのは15世紀頃といわれています。ドイツのゼレシュタト(Selestat)にある St. George’s Churchがその起源とか。ブリタニカ百科事典(Encyclopedia Britannica)によると, 樅の木は常緑樹(evergreen trees)として、エジプト人(Egypt) や中国人、ヘブル人(Hebrew)などが永遠の命を象徴する木として崇めていました。こうした信仰はヨーロッパの非キリスト教徒(pagan)らにも広まり、やがてスカンジナビア(Scandinavia)や西ヨーロッパに広まり、家々や納屋に立てられた樅の木は魔除けとしても、また鳥の止まり木としても飾られるようになったといわれます。

樅の木の代わりに”Paradise Tree”という常緑樹もクリスマスでは飾られたといわれます。中世のミステリ劇に登場する木です。それによると12月24日はアダムとイブ(Adam & Eva)と命名された日として祝われます。そこに飾られる木には禁断の実とされたリンゴが供えられました。さらに、種なしの薄焼きパン(Unleavened bread)も付けられました。種なしパンには聖餐(Eucharist)とか贖罪、救済(Redemption)の意味があったようです。

種なしパン

クリスマスアドベント その1 クリスマス・リース

この季節になると、ところどころの玄関にリース(wreath)とかクランツ(cranz)と呼ばれる飾り物をつけているのを見かけます。こうした家はクリスチャンの家族なのだろうと察します。


このリースは常緑樹である樅の木の枝を丸めて作ります。祭壇に置くときは、柊(ヒイラギ)の葉があしらわれてそこにろうそくを立てるのです。「柊」は季節にふさわしい漢字であり、緑々しい木です。柊が玄関の側に植えられるのは邪鬼を払うという言い伝えがあります。教会で飾られるリースは特別な意味があります。リースにある先の尖った柊の葉ですが、柊は十字架上で処刑されたキリストの冠の棘を表します。柊は英語で”holly tree”と呼ばれています。

リースは、クリスマス・リース(Christmas wreath)とも呼ばれ11月最終日曜日からキリスト教会で飾られます。今年のアドベントは11月29日から始まりました。燭台となるリースの上には4本のろうそくが立てられます。この日からキリストの誕生を待ち望む期間、待降節といわれるアドベント(Advent)が始まるのです。アドベントはキリストの誕生までの4週間を指します。

アドベント期間の礼拝に出席すると目に飛び込んでくるのが色。例えば、ろうそくの色は悔い改めや望みを表す紫とか青でです。聖職者の祭服や祭壇布、礼拝堂のタペストリーなどにも用いられます。典礼色に倣い、第三週のみピンクやローズカラーのろうそくを用いる場合が多いようです。ルーテル教会やメソジスト教会、聖公会などはそうです。アドベントの礼拝や祈祷での賛美歌は、救世主メシア(Messiah)の到来を待ち望むものが歌われます。

Isaiah

「久しく待ちにし、主よとく来たりて」 “O come, O come, Emmanuel” は、アドベントの時期に広く歌われる讃美歌です。詞・曲とも中世の聖歌だったとされます。旧約聖書のイザヤ書(The Book of Isaiah)第7章14節にある預言から由来しています。

Oh come, Oh come, Emmanuel
And ransom captive Israel
That mourns in lonely exile here
Until the Son of God appear
Rejoice! Rejoice! Emmanuel
Shall come to thee, O Israel!

アメリカの州鳥 その58 アメリカ領プエルト・リコの鳥: シトドフウキンチョウ

アメリカ合衆国の州の鳥の紹介はこれが最後です。プエルト・リコ(Puerto Rico)はカリブ(Calib)海域北東部にあり、西にハイチ(Haichi)とドミニカ(Dominica)共和国があります。住民の大半はスペイン系の白人で、アフリカ黒人の血をひく人々です。他のカリブ海の島々に比べ、奴隷制が発達しなかったので白人が多いのです。文化的にはスペインの植民地時代からの伝統が色濃いのが特色です。

     Tanagers

1493年に本島のプエルト・リコにクリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)が上陸します。1508年にスペインからの総督としてフアン・ポンセ・デ・レオン(Juan Ponce de Leon)らのコンキスタンドール(Conquistador)という征服者がやってきて、植民地化します。それ以来、プエルト・リコと名付けられます。Puertoとは、スペイン語で美しいとか豊かな、Ricoとは港という意味です。

1898年にアメリカ・スペイン戦争により合衆国領となり1952年にアメリカの自治領となります。1946年に合衆国はプエルト・リコ人を知事に任命し、1948年には初の民選知事が誕生します。現在の政治ですが、現体制を維持し、自治権を拡大しようとする勢力、完全な州制へ移行しようとする勢力、そして独立しようとする勢力からなります。独立派は少数派となっています。

プエルト・リコは農漁業やラム酒、観光、製薬などが主たる収入源で、サトウキビ、コーヒーの栽培が盛んです。高い失業率をかかえ、経済は製造業、金融サービス業、観光業、そして連邦政府からの援助に頼っています。

プエルト・リコの鳥は、シトドフウキンチョウ(Tanagers)です。ガラパゴス諸島を含む南北アメリカの熱帯に生息します。オスは色鮮やかな羽色が多いのですが、メスは地味です。9枚の風切羽を持つのが特徴といわれます。熱帯林の樹冠に住み、食性は多様で、昆虫食、花蜜食などを求める雑食の鳥です。アルバムを見るととても美しい姿の鳥です。

アメリカの州鳥 その57 アメリカ領グアムの鳥: グアムクイナ

グアム(Guam)は太平洋西部、ミクロネシア (Micronesia)のマリアナ諸島(Mariana Islands)の南端に位置しています。面積は日本の淡路島より少し小さい位です。ポルトガル人航海者マゼラン(Ferdinand Magellan)によって1521年に世界一周の途上で発見されます。1565年スペインのコンキスタドール(征服者)であるミゲル・ロペス・デ・レガスピ(Miguel López de Legazpi)がグアム島に到達し、スペイ ン国王がグアム島およびその他のマリアナ諸島の領有権を正式に宣言します。それ以来333年にわたり、スペインの統治時代が続きます。

ゲフパゴ•チャモロ(Gef Pago)文化村

1898年のアメリカ・スペイン戦争の結果、アメリカ領となります。アメ リカ海軍による統治は農業、保健衛生、教育、土地管理、税制、公共事業などに変革や改善をもたらします。1941年12月の真珠湾攻撃による太平洋戦争勃発を機に、日本軍はグアムを占領します。1950年にアメリカの自治属領(準州)となり、今日に至っています。グアムは太平洋の交通の要所で、軍事的経済的に重要性を持っています。

住民はチャモロ族(Chamorro)です。マリアナ諸島の先住民全般を指す民族です。チャモロ族は生活環境に適した独特の住居やカヌーを造り漁業に従事し、また複雑な織物や手の込んだ陶器の製作に通じています。強固な母系社会を形成し、チャモロ文化の担い手となっていました。フィリピンやメキシコからの移民により混血化し、純粋なチャモロ族はいないといわれます。

グアムの南東岸にあるイナラハン湾(Inarajan Bay)を背にして、伝統的なわらぶき屋根が軒を連ねるのがゲフパゴ•チャモロ(Gef Pago)文化村です。チャモロの手工芸品作りの実演や昔ながらの漁法を見ることができます。今はコロナ禍にあって日本からの観光客は全く途絶えて、グアムの経済を疲弊させています。

グアムの鳥はグアムクイナ(Guam rail)です。写真をみると尾羽は短く、上面の羽衣は褐色や黄褐色をしています。頭頂や眼先、頬の羽衣は赤褐色です。頸部から胸部の羽衣は淡灰色で、やがて淡黄色や黄褐色の帯模様がでてきます。沖縄県北部の国頭村地域だけに生息するヤンバルクイナとそっくりです。飛べない鳥です。ヤンバルとは(山原)と書きます。