心に残る一冊 その145 「やぶからし」 その二 笠折半九郎

「喧嘩は理窟ではない、多くはその時のはずみである」 このような書き出しで始まる短編小説が「笠折半九郎」です。

理窟のあるものならなんとか納まりもつくのですが、無条理にはじまるものは手がつけられないことが多いようです。半九郎と小次郎という二人の若侍の喧嘩がその例でした。二人は紀伊家の同じ中小姓で親友です。半九郎は西丸角櫓の番之頭を兼任し、食禄は三百石。小次郎は二百五十石をもらっています。半九郎は、生一本な直情径行派であるので対し、小次郎は沈着な理性派です。

喧嘩と和解を繰り返しながら、二人は主君紀伊頼宣の主従という隔てを超えた家臣への信愛によって絆で結ばれています。しかし他愛もない話柄が意外な方向へもつれ、ついには決闘を約して別れます。その前夜半叩き起こしたのは小次郎です。城の火事を知らせてきたのです。共に城に走り、配下を指揮して命がけで角櫓を守りとおします。

鎮火後に行われた恩賞で、持ち場を死守した半九郎だけには沙汰がありません。半九郎自身はなんとも思わないのですが、まわりが論功行賞の不平をあげつらって、半九郎をけしかける輩がでてきます。「自分は火消人足ではない」と答えた半九郎の返辞が恩賞組の反感を呼びます。仲介にはいった小次郎との勘定のもつれがまたも燃え上がって、再び決闘という次第となります。

争いの原因を知った頼宣が決闘の場に現れ、力一杯に「馬鹿者、馬鹿者、馬鹿者!」と連呼しながら半九郎を殴打して云います。
「世間の評判などはとりとめのないものだ、城は一国の鎮台として大切だ、宝物ものもまた家にとって大切だ」
「しかし、人間の命は城にも代えられぬ、予にとっては角櫓ひとつよりも、家臣のほうが大切なのだ」
「それほどの思し召しとも存ぜず、愚かな執着に眼がくらんでおりました」
「このうえは唯、、お慈悲でごさいます、わたしに腹を、」
「ならん!」
「そなたらは勝手に果たし合いをしようとした、軽からぬ罪だ、両人とも五十日の閉門を申しつける」
「小次郎も半九郎も一緒に謹慎しておれ、離れてはならんぞ、」

二人は平伏したまま泣いています。

心に残る一冊 その144 「やぶからし」 その一 入婿十万両

山本周五郎の作品の一つ、「やぶからし」を紹介することにします。讃岐多度津の京極藩に矢走源兵衛という槍奉行がいます。婿に迎えているのが一人娘、不由の良人である矢走淺二郎です。不由は京極藩随一の男勝りの才智容色をそなえています。

淺二郎は大坂の唐物売買商、難波屋宗右衛門の倅です。巨万の富者として知られていました。諸藩はいずれも財政難で逼迫しています。京極藩も例外でありません。淺二郎が京極藩に婿としてやってきたのは藩の財政事情があったのです。藩の財政を短期間に立て直す秘命を帯びて、見識の高い不由と祝言を挙げたにも関わらず不由は臥床を共にしません。

家中の若侍たちは、讃岐多度津の京極藩随一の娘、不由を横取りされたと怒り淺二郎に嫌がらせをするのです。出ては家中の侍に嘲笑され、入っては不由の卑めを受けるのです。
「なんだ、商人上がりの算盤才子が、、」
「あんな生白い奴に御槍奉行の跡が継がせるとは四国武士の恥辱だ」
こう云いながら嫌がらせが続きます。

ある時、淺二郎は三人の若い家中に襲われます。
「新参なれば遠慮しているのに、おのれを知らぬ無道者、、さあ参れ!」
日頃の柔和さとはがらりと変わった態度です。大きく見ひらいた双眸には犯しがたい威力と殺気が閃めいています。たまたま所用で通った不由ははからずも思いがけない淺二郎の姿を発見します。

淺二郎は恩師である岡田寒泉という人の示唆によって、京極家の家譜を閲覧して調べます。そこで京極家の家臣だった淺二郎の先祖が、唐物売買を始めるにあたり、藩祖から拝領した五千両を資本としたのが難波屋の巨富を積み上げるもとになったことを家譜から見つけます。淺二郎はその家譜を持って、ただちに生家に赴き十万両を藩家に献上させるのです。こうして藩の財政再建の目処をつけます。役目を果たした淺二郎は、槍奉行の矢走源兵衛に暇乞いをします。

「これにてお召し出しに与りましたお役目をどうやら果たしました、私を離別して頂きとう存じます」
「お嬢さまは清浄無垢にござりまする」
「殿にもお暇を願っております」
「ご承知くださいまするな」

淺二郎が立とうとするとき、不由が「お待ち下さい」と云って入ってきます。
「様子は次の間で伺いました、大坂へお帰りあそばすとのことでございますが、それならわたしもとお伴れくださいませ」
「、、、それはなぜでござるか、」
「わたしは貴方様の妻、妻は良人に従うのが道でござりまする、、、」
「それに貴方さまはわたしが清浄無垢と仰せられましたが、わたしはもはや身籠もっております」
「なにを仰せられる」淺二郎は呆れて「ご当家に参って以来、一夜たりとも閨を共にせぬこと、ご承知のはずではないか、」

彼の男らしさを知った不由は、不束を詫びて良人の膝に泣き伏します。

心に残る一冊 その143 「若き日の摂津守」 その二 町奉行日記

「望月どのはまだ出仕されない、その後なんの沙汰もなく、奉行職交代のようすもない」ー当番書役私記

家老や重臣を前に奉行職を任じられた望月小平太が云います。
「私は壕外をなくそうとするのではございません、長年の間、溜まっていた塵芥をかたづけ、毒草の根を断ち切るだけです、それだけがわたしの役目です」
小平太は脇においてある調書をとり、本田斉宮という重職に渡して「他の重職の方々でも回覧してもらいたい」と云います。

壕外をとりしきる三人の親方の一人、大橋の太十を小平太は訪ねます。着流しで刀をずっこけそうに差し、右手を懐にいれています。
「太十は私だが、、なにか私に御用ですか」
「おれは町奉行の望月小平太だ、」

二人は豪勢な造りの書院造りをとおり庭にでます。そこに茶と菓子が運ばれてきます。
「冗談じゃあね、おめえ大橋の大十だろう、」
「望月がどんな人間か、評判ぐれえは聞いている筈だ、おれは茶なんかほしくって寄ったんじゃね、ふざけるな」
太十は酒肴の用意を命じます。若い女が酌に座ります。どうやら太十の妾らしいようです。
「いい女だな」小平太は云います。
「お見通しでございますかな」
「いい心持ちだ、太十」
「痛み入ります」
小平太は云います。「まだそんな堅苦し口をきいているのか、こっちは兄弟分になろうと云っているんだぜ、さあ、大きいので一杯いこう」
「太十、、これはおめえとおれの、兄弟分のかための盃だ、いいだろうな」

五人の芸妓は小平太の陽気で巧みな遊び振りに、さそいこまれて、みんなすっかりはしゃぎだして無遠慮に嬌声をあげています。酔ったあげく休むと云って若い芸妓としけもむ小平太です。壕外の三人の親方、大河岸の灘八、継町の才兵衛、大橋の太十が集まり、小平太の桁外れの振る舞いを話題にします。
「あれは誰にもできるという芸じゃない、おらあすっかり惚れ込んじまったよ」灘八が云います。
「灘波屋八郎兵衛、気に入ったぞ、とても他人とはおもえねえって」

そこに小平太があらわれます。袴をさばいて上座に座り刀を置いて三人をみまます。濃い眉と一文字なりの唇とが、厳しい威厳を示しています。
「町奉行、望月小平太である」切り口上で云います。
「灘波屋八郎兵衛、継町の才兵衛、大橋の太十、こんにちはいずれも大儀であった」
三人は平伏します。
「これで挨拶は済んだ、三人とも楽にしてくれ」
小平太は手早く袴と紋付きを脱ぎ、白い下着の帯をぐるぐると巻き付け、三人の前へきてあぐらをかきます。三人はあっけにとられます。
「さあ、灘波屋のとっつあんから順に盃をもらおう」

「それはまた、どういわけです?」
「侍と町人、町奉行と壕外の親分、、こういう裃をぬいで、男と男になりたかった」小平太は云います。
「人間と人間、男と男になって頼みたいことがあったからだ」
「頼みとは?」八郎兵衛が云います。

小平太は懐から奉書紙で包んだ書状を出し、それを一通ずつ三人の前に出します。
「、、右により四月限り、壕外を立ち退くこと実正なり、万一仰せにそむき候ばあいは、いかようなる罪科に問われるとも、、、、」

同じ四月十二日の町奉行日記にはこうあります。
「壕外に住む親方三名、灘波屋八郎兵衛、継町の才兵衛、大橋の太十は、家財を処理していづれかへ立ち退いた、いかなる理由によるかわからないが、長年にわたって御政道のさまたげとなっていたことが、これでようやく落着した、藩家のために慶賀すべきことと思う」

心に残る一冊 その142 「若き日の摂津守」 その一 町奉行日記

「壬戌の年、正月七日
本日、新任奉行職の通達があった。江戸邸の望月小平太どのという、年寄り役武右衛門どのの長男で年は二十六才ながら小姓頭から上意によって町奉行に仰せつけられたということである、着任まで佐藤どのの代理に変わりはない」 このような当番書役の日記でこの小説が始まります。

国許では今か今かと新奉行、小平太の到着を待っていますが、なかなか着任しません。小平太は江戸邸で悪評の高い人物だといわれていました。武芸には長じているのですが、行状は放埒を極め、着流しなんとやらという仇名もつくほどです。家中の一部には新奉行の人事に反感を抱く者があり、特に徒士組の激派にはその動きが強いのです。徒士組とは将軍や藩主身辺の警固とか、行列に先駆して沿道の整備についたり、通常は玄関や中の口に詰めていました。いわば親衛隊といったような集団です。

城中大書院にて城代家老の今村掃部や他の家老が集まり、小平太の赴任披露を兼ねた重職評定が開かれます。小平太は末席から挨拶をします。
「私が町奉行に仰せつけられた仔細について、これから申し述べたいことがございざいます」
小平太は用意した調書をおいてもう一度重職を見渡します。
「おそれながら、、、故智光院さまのご他界によって、」この間諸般のご改革をすすめられましたが、お国表における壕外の問題だけが、こんにちなお放任されたままになっております」
「放任と言う言葉は承服できない」 一人の重職が云います。

この城下町の東端に船着き場があり、一方が海、他の三方は掘割りでかこまれ、港橋という橋一つで町とつながっています。この区域は町から隔絶していることと、船の出入りが多い港であることから「壕外」と呼ばれ、以前から悪徳の巣のようになっていました。宿屋はそのまま遊郭のようなありさまで、港外は抜け荷の売買が公然と行われ、そのため遠近から遊興にくる者、凶状持ち、浮浪者などがうろうろしていました。壕外には三人の親方がとりしきっていました。大河岸の灘八、継町の才兵衛、大橋の太十です。喧嘩盗賊のことから年貢運上の割府まであつかっています。
「御墨付です」小平太は云います。その書状を抜いて「上意」と云います。
「このたび、望月小平太に申しつけ候役目の儀は、藩家にとってゆるがせならぬ大事なれば、同人の望むことはすなわち余の望むところと心得べく、たとえ順序規律に違うがごときことありしとも、決して異議不服をとなえざるよう、屹と申し達するものなり」

小平太は墨付きを裏返しにして持ち、列座の人々に示します。
「御墨付けにはゆゆしき大事のように、仰せられてあったではないか」森島和兵衛という重職が訊ねます。
「町奉行のほかに特命がないなら、どうして御墨付けなのを下されたのか?」
「一口に申せば、壕外の処置がいかにむずかしいか、ということをご承知だからだとおもいます」
「壕外の処置とはという意味だ?」
「あの区域全体の掃除です」
「壕外は悪徒の巣窟です」
「抜け荷船が自由に出入りし、賭博場は大きいもので三箇所あり、宿屋は遊郭にひとしく、隠し売り女も野放しです」
「その取り締まりには三名の親方なる者が預かっており、外からの門渉をまったく受け付けない」
「こんな状態と続けていることは藩全体の恥辱です」

心に残る一冊 その141 「若き日の摂津守」 その二 君辱められるれば臣死す

「若き日の摂津守」の二回目です。光辰は十人ばかりの供をつれて遠乗りにでかけます。そのとき鹿を見つけます。光辰は馬を乗り捨てて、ただもう鹿に気を奪われて、斜面をすばやくのぼります。供のことはすっかり忘れるのです。一刻近く歩くと小屋の集落があり、一人の老人が土を掘っては埋めています。そこにいた老女に「喉が渇いた、」と云います。光辰は老人のことをきくと、「あれは市兵衛さんといって、気が狂ってるんですよ」
「川辺が鴨狩りのお止場になって、土地を追われて気が狂ったんです」
「ああやってなにもならない土を掘っては埋めしているんです」
「どうして、自分の田や畑がなくなったんだ」

お止場は重臣たちの直轄となり、郡奉行の支配となり、許しをえなければ立ち入ることが出来なくなります。お止場とは狩り場のことです。土地を追われた者たちは、ここに掘っ立て小屋を建て、その日暮らしの生活をしているというのです。お止場は鴨だけでなく鮎釣り場にも及び、土地の者は追い立てられたというのです。

数日の後の夜、一綴りの書類が寝所に届けられます。おたきはそこに置いてある書類を取って戻ってきます。
「いまこれを宿直の間から入れた者がございます」おたきは云います。
書類の内容は、藩主を敬して遠ざけたうえに、世襲の重臣たちが交代で政治を支配し、年々一万石以上にあたる横領を続けてきたその例がくわしく列記してあります。お止場も一例として挙げてあります。鴨は狩りごとに二万羽ちかく捕れます。名物として知られているため、高い値段でさばくことができました。

古くから、鴨も鮎も古くから湖畔の住民たちの生計を支えるものでした。お止場を指定して住民を立ち退かせ、郡奉行の支配に移し、とれた鴨や鮎を御勝手入りとして売るのです。売った代銀も藩主のものになるという名目ですが、実際は重臣達が分け取りをしています。住民は窮乏しているのです。

「重大夫!」、と光辰云います。
「他の者も聞け、侍の心得として、君辱められるれば臣死す、ということがあるそうだ、知っているか」
「殿、、、」と重大夫がするどく戒めます。
「知っているか!」
「図書はどうだ、古大夫はどうだ、知っているかいないか、民部、そのほうだどうだ?」
「おそれながら、侍としてその心得を知らぬ者はないと存じます」永井民部が云います。
「よし、」と光辰は頷きます。
「、、、ここでは家臣が領主を辱めている、重大夫、もっと寄れ!」
「お口が過ぎますぞ、殿、御座にお戻りあそばせ」重大夫が云います。

すると光辰は槍の鞘をとります。静かな手つきで鞘をとると、槍を持ち直し「無礼者!」と叫んで重大夫の胸を刺します。動作は緩慢でしたが、槍を持ち直してからの素早さは水際たっています。それまでの光辰のぼうっとした表情は消えて、凜とした姿勢です。重臣達は度肝を抜かれ、口をあいたまま声を出す者がいません。そして周りの重臣たちに光辰は叫びます。
「重大夫の罪は死にあたると思うが、一命は助けてやる、江戸に帰ったら父上に申し上げ、改めてその罪の詮議をしよう、医者を呼んで手当をしてやれ!」
「民部帰るぞ、」 

永井民部は案内にたちながら、低い声ですばやく囁きます、
「いましがた城中から使者がありました。お部屋さまには御懐妊とのことでございます。」

心に残る一冊 その その140 「若き日の摂津守」 その一 若き日の摂津守

山本周五郎の作品には、白痴とか唖者を装って主君に仕えるとか、家臣を欺くといった場面が登場します。既にこのシリーズで取り上げた「小説日本婦道記」に収録される「「二十三年」という短編に「おかや」という女性がいました。二十三年もの間、口が利けず白痴のふりをして新沼靭負に仕え、その息子の牧二郎の養育にあたるのでした。若き日の摂津守光辰も白痴のふりをして藩を牛耳る家老や重臣を一掃する物語です。

摂津守光辰は「うまれつき英明果断にして俊敏」ということが藩の正史にありました。けれども別の藩の記録には次のような記述もありました。
「幼少のころから知恵づくことがおくれ、体は健康であったが、意力が弱く、人の助けがなければ何一つできなかった。つねに涎をながしながら、みずから拭くすべを知らなかったし、側近のものが怠ると失禁されることも稀ではなかった」

光辰は家督相続をして摂津守に任じられ、二十一歳のとき初めて国入りをします。二の丸御殿で祝宴がひらかれます。家臣が宴に列席します。光辰は上段に座っているだけで、しもぐくれのおっとりした顔立ちで、上背のあるいい体格だが、眼つきや口許にしまったところがなく、疲れたような、寝不足なような、とらえどころのない、ぼうっとした表情をしています。後ろに小姓頭がときどきみをかがめて光辰になにごとか注意します。すると光辰はでかかっていた欠伸を半分でやめたり、袖でゆっくりと口の周りを拭きます。家老や年寄らの重臣が光辰をみる眼には憐れみと軽蔑の色があらわれています。

光辰と正室の間にはまだ子がおりません。年が違いすぎるのか体質があわないのか、結婚してからもう五年もなるので、家臣たちは国許の健康な娘を側室にあげるということに決まります。酒宴の席上給仕にでたのは側室の候補なのですが、家老の浅利重大夫から光辰に告げてあったのですが、光辰はてんで娘達を見ようとしません
「殿、、お気に召した者がございますか?」
「おれは誰でもいい」光辰は途方にくれたような顔でこころぼそくそう云います。

「民部、、」光辰は助けるように小姓頭の永井民部に訊きます。
「このおれは、誰だ」
「おそれながら、、当松城五万六千石の御領主、摂津守光辰さまであらせられます」

「だめだな、、こちらで選ぶよりしかあるまい」と家老の浜岡図書が云います。その夜、重臣達が集まり、側室の選考をします。そして吉田屋という藩の御用商人の娘を選びます。商人の娘なら、たとえ世継ぎを生んだとしても親が藩政の邪魔になるような怖れはないという理由です。年は十七歳、容貌はまず十人並みですが、体はよく発達して健康そうです。この娘はおたきといいました。

おたきは寝所にあがります。白小袖に白の帯をしめた姿で褥の上へあがります。
「いいか、」光辰が囁きます。
「はい、」
光辰は妻戸をあけ、一冊の書物を出してくると、畳のうえにじかに座ったまま読み始めます。それはおたきが伽にあがって七日めの晩から、一夜も欠かしたことのない習慣です。
「黙っていてくれるか、、」
初めての夜、光辰はおたきに云います。家臣達に知られると困る、黙っていてくれるかと云うと、小滝は黙っていると約束します。おたきはやがて、殿様はばかをよそおっているのではないかと思うのです。光辰は、おたきに触れようとしないのですが、「決して嫌いではない、お前がすきなのだ、、それまで待ってくれ、」とおたきに云います。おたきは光辰の言葉には真実を感じるのです。

心に残る一冊 その139 「若き日の摂津守」 その一 逃亡記

山本周五郎の作品にもどります。「若き日の摂津守」に収録されている作品を取り上げます。今回は「逃亡記」です。

溝口掃部は城代家老で禄は3,200石です。あつみ、みさをという18才と17才の二人の娘がいます。横江半四郎は長女のあつみと結婚することになっています。城代家老の片山主水正と一代交代の定まりなので、半四郎が溝口家を継いでも城代にはなれません。

  横江家は代々江戸邸の年寄り役で禄は1,520石。半四郎の兄文四郎が横江の家督を継ぎます。あつみとの祝言をあげるために、江戸から国許についた半四郎は掃部の屋敷で草鞋を脱ぎます。掃部は、新しい国絵図を作る仕事をしています。
「そこで早速だが、そこもとに国絵図の支配をやってもらう、、」掃部は半四郎に云います。

話がややこしくなるわけは、半四郎はもともと横江の子ではなく、長門守祐永が侍女に生ませた子だということです。長門守祐永の世子である与五郎祐刻が病弱のうえに暗愚というので、一藩の主たる資質がありません。そこで半四郎を世子にしようという計画が生まれます。この計画を現老職が探知し半四郎を亡き者にしようとします。表面は溝口の婿という触れだしで城下に連れ出し、ここで暗殺するという手筈です。

この謀殺計画を知った溝口では、半四郎を逃がそうとします。その助けの案内をするのが溝口家の奥に仕えるさとという女です。

国絵図を作る理由は、領地を接している諸侯の間に境界の争いが起こるからです。まだ測量が不十分であり、各藩の国絵図なども明確ではなかったのです。通常、分限帳といって郷村の草木や川魚の運上金などを記したものがあります。これには藩の勘定奉行の署名があれば、どの藩の所領かがわかるのです。

半四郎らが逃げている途中、領内でも指折りの豪農の屋敷にやってきます。当主は殿島八右衛門といい藩主の長門守から特別の待遇をうけています。そこの屋敷で半四郎は年貢や運上の分限帳のうち、八右衛門署名の文書を見つけます。長門守と八右衛門との結託を示すのが分限帳なのです。吉岡郷は隣藩の領分だったのですが、境論が表沙汰になった場合、この分限帳がなければ松井藩の言い分がとおるかもしれない、半四郎はそう推測します。半四郎やさとが分限帳を抱えて立ち去ると間もなく、分限帳の存在を消そうとして殿島はこの館に火を放ちます。

殿島と松井藩とが通牒していることを知ったのも、分限帳を手にいれることができたのもさとのお陰で逃げ回ったからです。半四郎は、分限帳によって松井藩の企みを潰すことに確実に勝目算があると見通します。

半四郎はさとに「嫁になるのはいやか」と申し込みます。そして、さとが実は溝口家の妹、みさをであることを半四郎は知ってびっくりします。半四郎はもともと、あつみと許嫁だったのです。あつみとみさをは、こうしたいきさつを可笑しく会話しています。そして半四郎は分限帳をもって松井藩に掛け合いにいきます。

心に残る一冊 その138 Intermission 「遙かなノートル・ダム」

「遙かなノートル・ダム」の作者はフランス文学者の森有正です。呼び捨てにするのをためらうのですが、、氏の人となり、生き方、思索の方法が織り込まれていて、私の考え方の一つの道標になっているかけがえのない一冊です。森は明治の外交官、政治家、初代文部大臣であった森有礼の孫にあたります。森有礼が英語の国語化を提唱したのは有名です。

森有正は小さい時からフランス語を学び、やがて大学などで教えながらパリに滞在し、そこが著作の場となります。パリでの生活にあって、その間数々の随想や紀行などを著します。自然や人々の息づかいが伝わるような濃密な文体で知られています。読みこなすのは容易ではありません。晩年は哲学的なエッセイを多数執筆して没します。森有正全集全14巻の第4巻が「遙かなノートル・ダム」です。

著者はフランスの教育に深い関心を示します。著者の経験と思索の中には、いつもフランスの教育が陰を落としています。フランスの教育に触れる箇所があります。

「フランスにおいては、自国の言葉の学習に大きい努力が払われている。小学校に入る6歳くらいから、大学に入る18歳くらいで行われるバカロレア(Baccalaureate)という国家試験まで、12年間にわたり緻密に行われる。その目的は単に本を読むことを学ぶだけでなく、作文すなわち表現力を涵養するために行われる。漠然と感想を綴ることではなく、読解、文法、語彙、読み方にわたって教育が行われ、その総合的は把握が作文によってためされるのである。文法にしても、しかじかの規則を覚えることではなく、その規則の適用である短い文章を書くことが無数に練習され、理解はすなわち実際に間違いのない文章を書くことによって実証される」

教育の中心課題が知識の組織的蓄積であって、そこから自分の発想を磨くという眼目を忘れてはならないと説きます。近年は問題解決学習とかアクティブ・ラーニング(AL)ということが話題となっています。ALとは、学習者が能動的(アクティブ)に学習(ラーニング)に参加する学習法の総称です。しかし、その基礎になるのは知識や語いの集積です。これが不足していてはどうにも学習は成立しません。

心に残る一冊 その137 「虚空遍歴」 その八 中藤冲也と山本周五郎

山本周五郎は多くの短編小説を当時の月刊誌、たとえば婦人倶楽部、主婦之友、小説新潮、オール読物、講談雑誌、キング、さらに週刊朝日などいった大衆色の強い雑誌や週刊誌に発表します。どれも珠玉のような作品だと思います。山本が大衆小説作家であるかどうかは別として、多くの読者に感銘を与えています。

他方、「虚空遍歴」や「樅ノ木は残った」という二つの大作は山本の小説家としての地位や名声を確立したものといえるのではないでしょうか。主人公の中藤冲也や原田甲斐は、なにを達成したかではなく、なにを成し遂げようとする志を抱いて生きてきたかが描かれる作品です。それは芸の理想とか主君への忠義をどう実現するかということです。

そうした生き様を示す箇所が随所にあります。例えば「虚空遍歴」では死に瀕する冲也の呟きです。
「男が自分の仕事にいのちを賭けるということは、他人の仕事を否定することではなく、どんな障害があっても屈せず、また、そのときの流行に支配されることなく、自分の信じた道を守りとおしてゆくことなんだ」

山本は冲也に次のように云わせる箇所もあります。
「才能のある人間が新しい芸を創りだすのは、古い芸にかじりついているよりよっぽど本筋だ、世間なみの義理や人情のために、創りだせるものを殺しちまうとすればそれは本当の芸人じゃあねえ、本当の芸っていうものはな、・・・ときには師匠の芸を殺しさえするもんだぜ」

原田甲斐もまた、「樅ノ木は残った」のなかで自らの命を藩に捧げるという忠義を貫きます。
「私です、私が逆上のあまり、、これは甲斐めの仕業です、久世候、、」
「こやつの非で伊達藩に累が及ばぬようお頼み申し上げます、」

ここでの古い芸とは純文学、新しい芸は大衆文学のことのようです。師匠とは当時の文壇の大御所のことかもしれません。山本は痛烈に文壇に一石を投じていきます。1943年に『日本婦道記』で直木賞に推薦されますが、これを辞退ことに山本の矜持が示されています。自分の作品が文壇から認められなくとも大衆が認めてくれるはずだ、という主張です。その後も毎日出版文化賞や文藝春秋読者賞を辞退するのは、文壇に対する一種の挑戦状のようなものだったのです。

最後に、冲也は江戸でたいそう人気のあった端唄の名人としてもてはやされ、そのまま端唄で名声を確立できたほどの名手です。しかし、冲也が目指す高みは端唄の確立ではなく、浄瑠璃作品を作ることでした。端唄が大衆小説であれば、浄瑠璃は純文学作品にあたるのかもしれません。

山本は文学に大衆文学も純文学もないといいます。「小説にはいい小説と悪い小説があるだけ」とはいいながら、純文学作品を目指していたのではないか、そんなことを考えるのです。

心に残る一冊 その136 「虚空遍歴」 その七 おけいとお京との対面

雪の北陸路、今庄という小さな町の旅籠で冲也は、病床から呟きます。

「おれは浄瑠璃で生きる決心をし、一生を賭けても自分の浄瑠璃を仕上げようと、そのことにぜんぶを打ち込んでやって来た、これからも、生きている限りやりぬいてゆくだろう、――だが、この道には師もなければ知己もない、師にまなび、知己に囲まれているようにみえても、つきつめたところは自分ひとりだ、誰の助力も、どんな支えも役には立たない、しんそこ自分ひとりなんだ」

「おれは自分にできる限りのことをした」と冲也はまた云います。
「自分の力でできる精いっぱいのことをした、それがこんなことになってしまった、こんなみじめなざまに、――どうしてだ、どこで間違ったんだ、おれのどこがいけなかったんだ」

「男が自分の仕事にいのちを賭けるということは、他人の仕事を否定することではなく、どんな障害があっても屈せず、また、そのときの流行に支配されることなく、自分の信じた道を守りとおしてゆくことなんだ」

おけいは江戸にいるお京へ急飛脚をの手紙を出します。冲也の容態が非常に悪くなってきたからです。夜半ごろ、おけいがまだ寝床へ入る前に、名を呼ばれたように思います。いってみると、冲也は眼を大きくみはり口を開けて囁いています。
「なにかおっしゃって、」
「ああ、」といって眼が一点に向けられたまま動かなくなります。

冲也が亡くなって三日目、お京と冲也の弟子、常磐津由太夫が遺骸を引き取りにやってきます。その宿でお京とおけいが対面します。おけいは冲也の浄瑠璃に対する凄まじい執念と意志、どんなことであろうと本気でやろうとしたこと、人のおもわくなんぞ気にせず生き抜いてきた冲也を尊敬してきました。
「苦労したのね」
「できないことだわ、あたしなんかその半分もできやしないわ、、」お京がおけいに云います。
「なにか遺言のようなものはなかったかしら、、」
おけいはちょっと考えて、立ち上がって三味線をとり、調子をあわせながら遺言というのではないが、と断ってから唄いだします。
「いい唄だわ、」
「、、でもこうなってみると、しょせんうちの人は端唄作者だったのね」
おけいは口をあけ、眼をみはります。
「失礼ですが、、」とおけいは感情を抑えます。

お京は長旅で疲れたと云って宿に戻ります。おけいは遺骸に向かった座り直します。
「、、、いまのお京さんの云ったことをお聞きになりましたか、しょせんあなたは端唄作者だって、」
「ひどい、あんまりだわ、あなた、あんまりじゃありませんか」
冲也の死顔の目尻から涙のようなものが一筋、糸をひいたようにしたたり落ちます。