心に残る一冊 その142 「若き日の摂津守」 その一 町奉行日記

「壬戌の年、正月七日
本日、新任奉行職の通達があった。江戸邸の望月小平太どのという、年寄り役武右衛門どのの長男で年は二十六才ながら小姓頭から上意によって町奉行に仰せつけられたということである、着任まで佐藤どのの代理に変わりはない」 このような当番書役の日記でこの小説が始まります。

国許では今か今かと新奉行、小平太の到着を待っていますが、なかなか着任しません。小平太は江戸邸で悪評の高い人物だといわれていました。武芸には長じているのですが、行状は放埒を極め、着流しなんとやらという仇名もつくほどです。家中の一部には新奉行の人事に反感を抱く者があり、特に徒士組の激派にはその動きが強いのです。徒士組とは将軍や藩主身辺の警固とか、行列に先駆して沿道の整備についたり、通常は玄関や中の口に詰めていました。いわば親衛隊といったような集団です。

城中大書院にて城代家老の今村掃部や他の家老が集まり、小平太の赴任披露を兼ねた重職評定が開かれます。小平太は末席から挨拶をします。
「私が町奉行に仰せつけられた仔細について、これから申し述べたいことがございざいます」
小平太は用意した調書をおいてもう一度重職を見渡します。
「おそれながら、、、故智光院さまのご他界によって、」この間諸般のご改革をすすめられましたが、お国表における壕外の問題だけが、こんにちなお放任されたままになっております」
「放任と言う言葉は承服できない」 一人の重職が云います。

この城下町の東端に船着き場があり、一方が海、他の三方は掘割りでかこまれ、港橋という橋一つで町とつながっています。この区域は町から隔絶していることと、船の出入りが多い港であることから「壕外」と呼ばれ、以前から悪徳の巣のようになっていました。宿屋はそのまま遊郭のようなありさまで、港外は抜け荷の売買が公然と行われ、そのため遠近から遊興にくる者、凶状持ち、浮浪者などがうろうろしていました。壕外には三人の親方がとりしきっていました。大河岸の灘八、継町の才兵衛、大橋の太十です。喧嘩盗賊のことから年貢運上の割府まであつかっています。
「御墨付です」小平太は云います。その書状を抜いて「上意」と云います。
「このたび、望月小平太に申しつけ候役目の儀は、藩家にとってゆるがせならぬ大事なれば、同人の望むことはすなわち余の望むところと心得べく、たとえ順序規律に違うがごときことありしとも、決して異議不服をとなえざるよう、屹と申し達するものなり」

小平太は墨付きを裏返しにして持ち、列座の人々に示します。
「御墨付けにはゆゆしき大事のように、仰せられてあったではないか」森島和兵衛という重職が訊ねます。
「町奉行のほかに特命がないなら、どうして御墨付けなのを下されたのか?」
「一口に申せば、壕外の処置がいかにむずかしいか、ということをご承知だからだとおもいます」
「壕外の処置とはという意味だ?」
「あの区域全体の掃除です」
「壕外は悪徒の巣窟です」
「抜け荷船が自由に出入りし、賭博場は大きいもので三箇所あり、宿屋は遊郭にひとしく、隠し売り女も野放しです」
「その取り締まりには三名の親方なる者が預かっており、外からの門渉をまったく受け付けない」
「こんな状態と続けていることは藩全体の恥辱です」