ロバート・オッペンハイマーの遺産 その2国際原子力機関の提唱】 

オッペンハイマーは、彼が力を尽くして研究してきた核がもたらす脅威を封じ込めることによって、その爆弾文化から人々を遠ざけようと果敢に努力します。その最も印象的な努力は、原子エネルギーの国際管理計画でした。それはアチソン・リリエンソール(Acheson-Lilienthal)報告者として知られています。その骨子は「国際原子力機関をつくり,それが各国の原子力施設を所有し,運営する」という革新的構想などが明らかにされていました。実はその報告者はオッペンハイマーが考えたもので、大部分彼が原稿を書いたのです。

1945年10月にオッペンハイマーはロスアラモスの職を正式に辞します。そのときの告別の辞で次のように述べます。
「何年か先に、この研究所の仕事に関わったすべての人が、達成した仕事を誇りを持って振り返ることができる日を望んでいます。ですが今日のところ、その誇りは深い懸念によって加減しなければなりません。原子爆弾が交戦中の国々の、あるいは戦争に備えている国の新しい兵器として加えられることになれば、ロスアラモスと広島の名前を人類が呪う日が必ずやってきます。」

Einstein and Oppenheimer

さらに1945年11月2日にロスアラモス劇場で「われわれを取り囲む苦境」と題してオッペンハイマーは演説します。
「わたしたちは、実際的な政治についてはあまり知りません。ですが科学者である以上、世界がどのように動いているかを知ることは良いことであり、また人類全体に可能な限り大きな力を与え、その力の光と価値によって世界を管理することは良いことであると信じています。核兵器の開発が理性的な解決に結びつくチャンスのあるところ、災難を引き起こすチャンスの少ないところは、世界の中でアメリカしかないでしょう。科学者は重大な危機に対する責任を逃れることができません。この責任を逃れるために科学者は努力するのです。科学者には分別があります。非常に深刻な危機であると受け入れること、われわれが製造を始めた原爆が非常に恐ろしいものであると認めることです。」「原爆は、直ちにアメリカを理不尽な攻撃に曝されやすくする無差別な恐怖の武器であり、核時代の夜明けにわれわれに警告しています。」
しかし、オッペンハイマーの警告は無視され、最終的に彼は沈黙させられます。

オッペンハイマーは語学能力にも秀でた理論物理学者だったといわれます。ドイツ語、英語、フランス語、ベルギー語、ギリシャ語、ヘブライ語などです。さらに東洋の哲学、特に神秘主義の中に心の慰めを発見していきます。サンスクリット語(Sanskrit) の叙事詩の一つ「マハーバーラタ」(Mahabharata)を読めるようになります。彼は、この叙事詩から煩悩からの解脱を求めていたといわれます。科学者として物質世界とかかわりながら、そこから解脱したいと考えていたのです。純粋に精神的な領域に逃げようとしていたわけでも、宗教を求めていたのでもなく、求めていたのは心の平和であったといわれます。

Atomic Bomb

オッペンハイマーは核軍備拡大競争の危険性について懸念していました。「わたしは二つの事が重要であると気づいています。まず爆弾を国際的な管理下におかなければならないことです。なぜなら、一国の管理に任せば、どうしても競争意識がでます。次ぎにこの産業の時代が続けば、必ず核エネルギーに依存するようになると確信できます。」オッペンハイマーはこうして、原爆と原子力の平和利用の両面を管理できる、本当の力を持った国際的原子力機関を提唱するのです。さらにエネルギー工場で核兵器を造っていることがわかった場合、核拡散を進める可能性ありとして、工場の懲罰的な閉鎖というある種の罰則を科すことが大事であるとも主張するのです。

オッペンハイマーは、原子力の全局面を独占して、その利益を個々の国に恩恵として割り当てる国際機関を提唱します。このような機関はテクノロジーを管理すると同時に、これを厳格に民生用として開発することにすると提案します。しかし、長い目でみれば、世界政府なしでは、永久の平和はあり得ないと考えるのです。平和がなければ原子力戦が起こるであろうとも予言します。ただ、世界政府は今すぐ見込まれるものでないのは明らかなので、原子力の分野においてはすべての国が「部分的主権の放棄」に同意すべきというのが彼の考えでした。

Robert Oppenheimer

オッペンハイマーが危惧していのは、大きな戦争ばかりではありませんでした。彼は核のテロリズムも心配していました。「爆弾の国際管理は、わが国が戦争前に享受していた安全保障に匹敵するものを持つことができるただ一つの方法である」「今後百年間に生まれる可能性のある悪い政府、新しい発見、無責任な政府の下で、これらの兵器が予行的に使われる恐れに対して、絶え間なく心配せずに生きるためには、これしか方法がありません。」

オッペンハイマーとアインシュタインは、物理学者としては対立したといわれますが、ヒューマニストとしては同志でありました。軍との契約に依存する兵器研究所や大学での科学者としての仕事が、冷戦下の国家安全保障のネットワークによって大口取引されていました。このような歴史おいてオッペンハイマーは別の道を選んだのです。科学のこうした軍用化が始まっている現在、オッペンハイマーはロスアラモスに背を向けます。そうした自分の影響力を軍拡競争に歯止めをかけようとした生き方にアインシュタインは敬意を表するのです。
(投稿日時 2024年7月3日)       成田 滋