ウィスコンシンで会った人々 その92 花魁噺 「お見立て」

落語には江戸が舞台となるものが多いので、どうしても上野や山谷、浅草、そして吉原が登場する。その一席「お見立て」である。

吉原の喜瀬川花魁の許へ、春日部から彼女をごひいきにする杢兵衛大尽がやってきた。花魁は表では客として大尽をとるが、裏では大嫌い。若い衆の喜助に「花魁は病気だ」と言って断るように伝える。喜助は、「一目でも杢兵衛大尽に会っては、、」と説得するが。花魁はどうしても首を振らない。杢兵衛は「それなら病気見舞いをする」と言う。だが花魁も花魁。「吉原の規則では、病気のときは誰にも会わせないことになっている」と喜助から杢兵衛に伝えさせる。

杢兵衛は、「花魁の兄弟だといえば会うことが許されるはずだ、、」と引き下がらない。花魁は面倒なので喜助に、「杢兵衛大尽がお顔を長らく見せなかったので、恋患いで痩せこけお亡くなりになりました」と言わせる。すると、杢兵衛は「それなら墓参りに行くべえ、案内しろ。墓はどこだ?」と言う。喜助は肥後の熊本をでも言えばいいのに、うっかり山谷と言ってしまう。仕方なく、花魁と相談の結果、杢兵衛を山谷へ連れて行き、適当に寺を見繕って入る。

煙の多い線香と花束をわんさと買い求める。墓石の字のわからなそうなのを選び「これが花魁のお墓です」と偽って、墓石が見えなくなるようにして花や線香を手向ける。だがそれは百年前の誰かの墓。杢兵衛は怒鳴る。喜助は慌てて「間違えました。お隣りでした」と花、線香を移すが、見ると童の墓。「間違えました。じゃぁ、こちらです」と移すと、これが故陸軍上等兵の墓。杢兵衛はとうとう激怒する。

杢兵衛 「喜助!、喜瀬川の墓ァいってえ、どれだ!?」
喜助 「ずらり並んでおります。よろしいのをお見立てください」

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ウィスコンシンで会った人々 その91 恋患い噺 「崇徳院」

恋患いを治せば長屋が貰えるともちかけられ、娘を探して奔走するという噺である。噺のもとは小倉百人一首。百人一首といえどもネタになるのが落語の荒唐無稽なところである。

若旦那が上野の清水観音堂へ参詣し茶店で休んでいると、歳が十七八位で水のしたたるような娘が店に入って来る。娘を見た若旦那は、娘に一目惚れをしてしまう。娘は茶店を出ようと立ち上がる際、膝にかけていた茶帛紗を落とし、気づかず歩き出してしまう。若旦那が急いで拾い追いかけて届けると、娘は短冊に「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の、」と、歌の上の句だけ書いて若旦那に手渡し去って行く。

若旦那は、歌の下の句「われても末に あはむとぞ思ふ」を思い出して、娘の「今日のところはお別れしますが、いずれのちにお目にかかれますように」と読みとる。だが娘がどこの誰なのかがわからなく再会が叶わない。そのうち食欲と体力を失い重病になる。

近所の医者が見立は、「医者や薬では治らない気の病で、思いごとが叶えばたちどころに治る。だが放っておくと五日もつかどうか、、」となった。親旦那は息子の幼なじみの出入りの職人、熊五郎に事情を話しなんとか助けてくれと相談する。熊五郎は親旦那に「医者に見放されたのなら寺を手配した方がよい」と早とちりして叱られる。熊五郎にが若旦那に会って聞き質すと、消え入りそうな声で「恋患いだ」と言う。

熊五郎はこの話を親旦那に報告する。親旦那は「三日間の期限を与えるから、その娘を何としても捜し出せ。褒美に蔵付きの借家を五軒譲り、借金を帳消しにする」と熊五郎に懇願する。熊五郎は、女房と相談し草鞋を腰に巻いて街中を走り回る。ところが全く分からない。

熊五郎の女房は呆れて、「人の多く集まる湯屋や床屋で ”瀬をはやみー” と叫んで探さんと駄目、」、「娘を探し出せなければ、家には入れないよ!」と言いくるめる。熊五郎は街中の床屋に飛び込んではで ”瀬をはやみー” と叫ぶが、客が一人もいない。ある客から「うちの娘はその歌が好きでよく歌っている。別嬪だし、清水さんにも足しげく通っている」という話を聞く。よく聞いてみるとその子は八歳だという。結局、有力な手がかりが得られないまま日が過ぎる。

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ウィスコンシンで会った人々 その90 素人芝居噺 「蛙茶番」

江戸っ子らしいはねっかえりの素人役者が出てくる芝居噺を紹介する。これまで犬や鹿が出てくる話はいくつか紹介した。今回の芝居噺には蛙と蛇が登場する。

町内の連中が集まって素人芝居のある日。芝居に付き物の「役揉め」が始まる。ガマ蛙の縫いぐるみを着るのは嫌だと、建具屋の伝法な若旦那、半次がドタキャン。そこで芝居好きの小僧、定吉が代役でガマ蛙の役をする事になって一件落着する。だが役決めで一難去ってまた一難。

今度は、番頭が場内の整理をする舞台番役に半次を指名する。「町内一の芸人」を自負する半次は役者志願だったが、「化け物芝居ならスッピンで出てもらうが、今回は舞台番に回ってもらおう」と釘をさされる。定吉は半次に舞台番になったことを伝えにいく。だが、半次に剣突を食らって定吉はすごすごと戻ってくる。

そこで機転の利く番頭が定吉に入れ知恵をつける。
番頭 「いいか、半公が岡惚れしているみぃ坊が顔をポーっと赤くして次のように言っていたといえ!」

みぃ坊 「素人がいやがる舞台番を引き受ける半ちゃんは利口なんだ。半ちゃんはいなせ 。だから、さぞかしいい舞台番ができるに違いないわ」

みぃ坊 「あたしお芝居なんかどうでもいいけど、半ちゃんの粋な舞台番を見に行こうっ!」

こうして、定吉は舞台番姿を楽しみに芝居を見に、みぃ坊がやってくると持ち上げ、何とか半次を呼び出すのには成功する。しかし、ひじり緬の真っ赤な褌を締め、それを観客に見せて注目を自分に集めようと考えた半次だが、肝心の褌を湯屋の脱衣場に忘れ芝居小屋にやってくる。舞台に姿を現わすがみぃ坊は見つからない。ガマ蛙役の定吉は「青大将が睨んでる」と言って舞台に出ようとしない。そして客席は大パニックになる。

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ウィスコンシンで会った人々 その89 恋患い噺 「幾代餅」

昔はお大名が街を通るとき、見目麗しい娘を見ると籠を止めて“あの娘を所望する”と声を上げる。すぐに飛んできたお付きの者がその娘の家に行って、「あー、そのほうの娘は、お上のお目にとまった。ご奉公にあげなさい」。綺麗な女の子を側女にするとはなんと贅沢な、自分も大名になってみたかった、というのが落語の枕にしばしば出てくる。

「幾代餅」という演目を紹介する。ある女を見て、好きだと誰にも言えないので、病うのを「恋患い」。この病はどんな名医でも、どんな高価な薬を煎じてても治せないというオチである。米屋に勤める清蔵はいたって真面目な男。ある時「大名道具」と言われる松の位の幾代太夫の看板を一目みて、すっかり魂を奪われたようにふやけてしまう。恋病である。それを周りがなんとかしようとし、最後は二人は一緒になって餅屋を開き、名物「幾代餅」を売出して繁盛するという筋書きである。

次のような噺があるが演目名を忘れた。能天熊が、兄貴分である八公のところへ顔出しすると生憎と留守。お内儀が相手する。兄貴分は裏で建増しの普請の真っ最中。

熊 「たいしたもんだ。この木口の高いときに普請とは。こちらの兄イは働き者だ、、」
お内儀 「いいえ、町内の若い衆さんが寄ってたかってこしらえてくれたようなもの」

これを聞いて、一層感心した熊。家へ帰って女房にこの話をして「お前には言えないだろう」というと「言えるよ。普請してみろ」と逆襲する始末。呆れ果てて湯屋へ出掛けると八公に会う。そこで一計を企てる。「すまねぇが今、家へ行って、かかあに家の中のことを褒めて、『こちらの熊は働き者だ』と言ってくれ。それで、かかあがどういう返事をするか、あとで聞かせてくれ」と頼む。

八公は熊の家へ行って何か褒めようとするが、何もない。気が付くと女房が臨月間近のお腹をしているので、

八公 「この暮らしの大変な時に、やや子をこしらえるなぞ、熊兄イは働き者だ」
熊の女房 「いいえ、子はうちの人の働きじゃない。町内の若い衆が寄ってたかってこしらえてくれたようなもの。」

さすがに貫禄のある女房ではある。

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ウィスコンシンで会った人々 その88 犬噺 「元犬」

犬が主人公の噺をもう一席お付き合いいただきたい。江戸の台東区には多くの寺社仏閣がある。浅草寺、東本願寺、寛永寺、待乳山聖天本龍院などが知られている。台東区は、江戸幕府の御府内となっていたので、最も人口が密集していた地域であったといわれる。寺社が多かったわけである。

江戸は蔵前の八幡宮の境内。一匹の真っ白な犬がいて、近所の人からは「シロ」と呼ばれて可愛がられていた。当時、毛並みの中で白犬はなかなかいなかった。ある時、参詣人がこの犬を見かける。皆不思議そうに眺めていた。参詣人はシロを見て「綺麗だな、」とか「可愛いな、、」と褒める。そんなことで、シロは人間に生まれ変わりたいと思うようになる。そして、その日からシロは八幡様に百日のお詣りを始める。

100日満願の日、白犬は晴れて人間に生まれ変わることができる。
ところが体を見ると真っ裸、服を探してフラフラ歩きようやく近所の人から服を貰う。周りの人々は忙しそうに働いているのを見て、自分もどこかで奉公口を見つけ働きたいと考える。そこで口入れをしている上総屋の旦那に連れられて、シロを可愛がってくれたご隠居さんのところへ連れていかれる。

ご隠居の家では、人間になったシロは地べたに座ったり、顔を足でなでたり、クンクンなりたりして注意される。台所ではお茶を沸かす
鉄瓶がちんちんなっている。それにつられてチンチンするという案配である。

ご隠居 「どうしてそんな格好をするんか?」
シロ 「自分もそれが得意なんです」

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ウィスコンシンで会った人々 その87 犬噺 「大どこの犬」

動物が主人公の噺を二席。二匹の犬が主役である。昔は、犬の名前は毛の色や表情などで付けられたものが多かった。例えば、ブチ、アカ、シロ、クロ、ボン太、など。時に小僧の名前をつけたともいう。巻八、コタロウ、豆蔵、茶々丸などである。猫ではないが、犬にも「たま」に「ソラ」というのもある。

江戸は、とある乾物屋の朝。丁稚小僧が表戸を開けようとすると、戸袋の所に箱が置いてあり、中には白と黒とぶちの子犬。大旦那になんとか頼み込んで飼うことになる。特に黒いのを小僧が可愛がり、クロと呼んで兄弟同然にして育てる。

ある時、通りがかりの商人風の男が乾物屋のクロをみる。そして大旦那にこのクロを譲ってくれぬか、と相談する。わけをきくと、大坂は鴻池の主人の一人息子が可愛がっていた黒犬が死んで、息子は悲しみ病気がちだという。それで全国を旅して黒犬を探しているというのである。事情を知った旦那は小僧が懇願するのを振り切ってクロを譲ることにする。クロは鴻池にもらわれていく。

鴻池宅にもらわれたクロには医者が3人付き、広い敷地で豪勢な暮らしを始める。下にも置かず大切にされ、エサがいいせいか、毛並みもつやつやとして、体もずんずん大きくなる。一人息子も元気になる。やがて「鴻池の大将」として近所のボス犬となる。ある時、近辺で見慣れない痩せ細った犬が、街の犬にいじめられ、フラフラと鴻池宅前まで逃げてくる。

シロ 「クーン、ウォーン、ウォーン、
クロ 「ウー、ウー、ウー、ワン!」

ここからは二匹の犬語による架空の対話である。同時通訳すると次のようになる。

シロ 「あなたは兄さんのクロではありませんか、、」
クロ 「てめえは何者だ!」
シロ 「あなたと乾物屋でブチと一緒にいたシロです。クロ兄さんじゃございませんか、」
クロ 「クロはオレだ!」
シロ 「あっ、兄さん、お懐かしゅうございます」
よく見ると、犬は末の弟のシロ。

クロ 「おお、お前はシロか、妹のブチはどうしている?」
シロ 「姉さんのブチは食べ物がなくなり、クロ兄さん、クロ兄さんと呼びながら痩せこけて死んでしまいました」
クロ 「おおそうか、それは可哀想なことをした。シロ、ここではなんでも好きな者が食べられるぞ。虎屋の羊羹、福砂屋のカステラ、神戸のステーキ、、、最近は俺は太り気味でな、、ガンマ-GTPが高い、、」
シロ 「兄さんは、犬の誇りを忘れたのですか、、」
クロ 「、、、、面目ない、、」

クロ 「、、ここは大坂一の大店、なんでもあるんじゃ、、」
シロ 「これはなんですか?」
クロ 「鯉の天ぷらでな、、美味いぞ、さあさあお食べ!」
シロ 「どこで獲れたんですか?」
クロ 「当たり前よ、鴻池からさ」

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ウィスコンシンで会った人々 その86 病院噺 「カラオケ病院」

医者という職業は、どうも洋の東西を問わずブラックジョークのネタになることが多い。大抵はおちょくる話だ。どうしてかというと、高額所得者といわれ、世間の嫉みの対象になるからだ。それに名医から藪医者までいろいろいて、どうも腕が信用できないという風潮もある。最近はセカンドオピニオンというように、患者が医者を選ぶ時代となっている。

落語でも医者、看護師、病人、病院にまつわる演目を探しては聴いたが、「カラオケ病院」と「医ー家族」という創作落語に落ち着いた。前者の作者は噺家の五代目春風亭柳昇、後者は六代目桂文枝である。二人は、創作落語では東と西の双璧のような存在。時代を風刺する演目を作っている。

「カラオケ病院」という演目である。柳昇師匠の枕では、ご自身の人間ドックの余談がでてくる。”胃カメラを飲むと蛇の気持ちが分かる”。東大病院で胃カメラ検査したとき、看護師が”フィルムを入れるのを忘れた”というのだ。二度の検査に立ち会うという噺である。本当かどうか分からぬが、、

患者が来なくなった病院で院長がスタッフを集めて鳩首協議を始める。ところが欠席者が数名いる。内科の医師は腰痛で悩み、成田の不動山へ行って神頼みしている。外科の医師は学校へ行っているという。何の勉強?ときくと、「この病院はやがてつぶれるので、それに備えて料理屋を始める」。和食屋だそうだ。洋食はいつも肉を切っているから大丈夫だというので、魚や野菜のきざみ方を学んでいるとか。

協議ではいろいろな提案がでる。終身入院はどうか、治らなかったら治療費はただ、手術代をタダにする代わりに麻酔ナシで手術する、バニーガールを雇い待合室でビールを飲ませる、などでたらめな案しか出ない

そこで待合室を改造し、カラオケ室にするという案が承認される。カラオケや笑いで病を治そうというのだ。そしてカラオケルームが晴れて開業する。しかもカラオケには健康保険がきく。大勢の客ー患者が集まる。サゲはこの演目を聴いてのお楽しみ。

次に、桂文枝師匠の「医ー家族」である。医者の跡継ぎというのが話題。ある町医者の病院で、一人息子が父親に相談があると言う。父親は、今日はこれから手術の後に診察、往診、医師会の集まりと忙しいと言って取り合わない。盲腸の手術なのだが、今時町医者で手術してくれる患者はおらず、久し振りの手術で張り切っている。御飯をかきこみながら、妻や看護師に指示を出し、手術帽が見つからないから妻のシャワーキャップをかぶって手術室へと向かう。

そこにどうしても話を聞いてほしい息子が入ってきて、医者になるのは辞めると宣言する。何年もかけて医大に入ったのに何を言うんだと、親子喧嘩が始まる。患者は不安になって、自分の手術はどうなるのかと訴えるが、息子が医者になるのを辞めて役者になりたいという。また喧嘩が再開する。すると看護師が患者の脈がおかしいことに気づき、医者は大慌て。ついには医学書を取り出しながら、どうにか手術を終わらせる。

サゲをここで書くのは少々はばかる。是非読者でお楽しみいただきたい。

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