認知心理学の面白さ その四十 論理情動行動療法の方法

論理情動行動療法(Rational Emotive Behavioral Therapy: REBT)とは、自滅的になって自分を苦しめてしまうような「不健康な感情」を変えていくように自分自身で取り組んでいく技法とされます。それは具体的にはどのような技法かについてです。

REBTは、まず不健康な感情に取り組むことから始めます。例を挙げると、登校しないとか、出勤しないという課題と取り組む前に、それに伴う不健康な感情である不安や怒り、うつといったことを健康な感情である悲しみや笑い、長閑することで生活を前向きに捉えようとします。

“It feels like people are always trying to avoid me.”

REBTでは、不健康な感情は自分の認知がつくり出していることを知ることにつとめます。他者の行動や過去のエピソードといったことが、自分を苦しめる不健康な感情を起こすとは考えないのです。外部のできごとを捉える認知の仕方が不健康な感情を生み出す主因であると考えるのです。

次ぎに、健康な考え方を身につけることだ大事だとされます。REBTは、認知を知覚に基づく事実認知、事実に基づく推論推論的認知、そして事実認知や推論的認知に基づく自分や他者、人生に対する評価という評価的認知の3種類に分類します。

認知の例とは次のような状態です。
—> 事実認知:あなたは眼をそらした。
—> 推論認知:あなたは私を嫌っている。
—> 評価認知:私は嫌われてはならない。

この認知の状態で、特に不健康な感情を生み出す認知は評価的認知にあります。自分や他者、そして人生への「理にそぐわない信念」といわれる「イラショナル・ビリーフ(irrational belief)」に注目します。「理にそぐわない信念」の例としては、「私は/あなたは/人生は、~ねばならない(must)/そうでなければ価値がない/耐えられない/絶対に!」といった強烈な思い込みです。

認知心理学の面白さ その三十九  アルバート・エリスと論理情動行動療法

アメリカの心理学者の一人にアルバート・エリス(Albert Ellis)がいます。伝記を読みますと、幼少期はつらい生活環境だったようです。5歳から7歳にかけて8度の入退院を繰り返したとあります。両親の病院訪問はほとんどなかったそうです。母親が情動的に不安定で家にいなかったこともありました。そのためエリスは兄弟姉妹の面倒をみなければならなかったと回想しています。折りしもアメリカは1929年に始まった大恐慌に見舞われます。エリスは兄弟とともに家族のために働かざるをえなかったようです。こうした複雑な家族で育ったエリスは後年の研究分野として双極性障害(bipolar disorder) といわれる躁状態とうつ状態の病相を繰り返す精神疾患の治療にあたることになります。

エリスは1947年にコロンビア大学 (Columbia University) で臨床心理学の学位を取得します。その後、ニューヨーク市内でアルバート・エリス研究所 (Albert Ellis Institute) を立ち上げます。やがてアメリカにおける認知的行動療法 (cognitive-behavioral therapies)の創始者の一人として活躍します。こうして精神分析学の世界から決別していきます。

エリスが唱えた療法は論理情動行動療法(Rational Emotive Behavioral Therapy: REBT)といわれます。日本人生哲学感情心理学会サイトによりますと、REBTとは「自滅的な行動を伴って自分を苦しめるような「不健康な感情」を「健康な感情」に変えていくように自分自身で取り組んでいく技法」と説明されています。「健康な感情」とは、自己の目的を妨げず、長期的に人生を楽しめる感情であるとします。

認知心理学の面白さ その三十八 スキーマと同化と調節、そして均衡化ージャン・ピエジェ

ピアジェの研究の手法は、三人の我が子の観察をとおして理論を構築していったことに特徴があるといわれます。その手法に対しては、子供は同質な被験者でありもっと違った対象を観察すべきであるという批判も一部にはあります。

ピアジェの認知発達には「スキーマ(schema)」という用語が登場します。「スキーマ」とは身の回りのことを把握するために持っている自分の知識や概念、行動を指します。泣くとミルクがもらえるとか、なにかをやり遂げると褒美がもらえるのだ、というスキーマが形成されます。学習とはスキーマが増えることです。このようなスキーマから、他のことを与えられて行えば褒美がもらえるのだと理解します。これが同化(assimilation)と呼ばれます。しかし、大きくなるとこのスキーマが通用しなくなります。我慢するとか耐えるという行動によって褒美を貰えることを学習します。つまり既存の知識によって、新たなものを得ることを知るのです。このようにスキーマを変化させることをピアジェは調節(accommodation)と呼んでいます。

ピアジェはさらに、子供の発達には均衡化(equilibration)という状態が生まれると主張します。子供の発達はスキーマの修正したり変化させていく過程です。これを繰り返すことによって,主体のもつスキーマをより高次のものに構造化したり、ある認識を次の段階のさらに安定したものに発達させたりします。つまり,同化と調節を繰り返すことによって,これまでなかった新しいスキーマを追加したり,間違っていたスキーマを修正したりすることによって,均衡のとれた発達を遂げていくのだと考えたのです。

最初の稿で、ピアジェは若いとき生物学に高い関心を持っていたことに触れました。均衡化とは、有機体はその環境に適応しようとするものを持っているという前提にたちます。ピアジェは知識の構造の再体制化を図るのは生物学的にはうなずけるとして、生物学の理論を認知発達に持ち込んだのではないでしょうか。

認知心理学の面白さ その三十七 発生的認識論とジャン・ピエジェ

ピアジェの発達理論は、人間の認知の発達についての研究結果です。人間の認識の発生を系統発生 (phylogenesis)と個体発生(ontogenesis)との両面から考察しています。系統発生とは、人間の認識は人間が科学的な知識を積み重ねてきたこと、個体発生とは個人の中でも積み重ねることによって発生してくると考えたのです。これは発生的認識論(genetic epistemology)と呼ばれます。

ピアジェは,人間の思考に関して質的に異なる4つの段階を設定しています。それを簡単に紹介しましょう。
1  感覚-運動期(sensorimotor stage)
この時期は生まれてから2歳くらいまでの発達過程です。生まれつき持った反射によって刺激に対して反応します。自分の身体部位を連続的に繰り返し動かしたり、ものを掴んで投げ、跳ね返ったりすることを繰り返し行います。周りの動きや五感を通して周りを知覚しますが、自己中心的な行動に終始します。

2  前操作期 (preoperational stage)
この時期は2歳から7歳くらいまでの発達過程といわれまです。話し言葉を覚える時期です。遊びは紙で皿をつくったり、箱で家を作ったりしながら、ものごとの象徴や順序を覚えていきます。「ごっこ遊び」がそうです。これは,思考が表象や象徴による心的イメージによって行われる現象です。ですがまだ抽象的な思考が不十分です。たとえば自分の家の犬と隣の犬は、「犬」という共通なものではなく別のものとしてとらえています。認知発達としてはいまだ論理や情報の操作ということは困難です。

3  具体的操作期 (concrete operational stage)
7~10歳頃を指します。この時期には,数の保存や系列化,たてゴリ化など簡単なある性質や共通点をもとに思考ができるようになります。ある性質をもつグループとまた別の性質をもつグループの共通項、つまりどちらのグループにもにも属するものを推理することができることです。論理と保存という概念を理解し、抽象的な思考の基礎ができる時期といえます。

4  抽象的操作期 (formal operational stage)
抽象的操作期とは,11~14歳の時期をいいます。この時期おいては,思考が現実の具体的な出来事の内容や時間的な流れにとらわれることがありません。そして,現実を可能性の中のひとつとして,位置づけて論理的に思考が行われます。内容に依存することなく,純粋に形式のみに従って論理的な思考が可能となるのです。それが、仮説演繹的思考とか組み合わせ思考、計量的な概念といった特徴です。

認知心理学の面白さ その三十六 認知の発達とジャン・ピアジェ

心理学界では右の横綱はフロイド(Sigmund Freud)、左はスキナー(Burrhus Skinner)といえそうですが、認知心理学界の横綱といえばジャン・ピアジェ(Jean Piaget)であることに異論はでないでしょう。フロイドは精神分析学の大家でありますが、ピアジェも精神分析を研究した経緯があります。ともあれ子供の認知発達と発生的認識論を構成主義(constructivism) という枠組みで考えた希有の心理学者です。

Jean Piaget (1896-1980), the Swiss psychologist and philosopher, teaching children in a classroom. Much of his study of theories of human knowledge (epistemology) was based on how children’s minds develop. Piaget showed that children think in different ways to adults. He demonstrated that children’s misconceptions are often entirely logical if their limited knowledge is taken into account. Consequently, he thought that there is often more than one way of knowing something. He believed that children constantly build and test their own theories about the world. Piaget’s work led to the creation of scientific fields such as developmental psychology and cognitive theory.

1896年にスイス(Switzerland)で生まれます。ノイエチャッテル大学 (University of Neuchatel)で中世の歴史を研究する父親の薫陶を受け、生物学など自然科学に関心の高い子供であったようです。15歳のとき、動物学の分野で発表した論文が高い評価を受けたという記録さえ残っています。

ノイエチャッテル大学で学位を得てから、パリ(Paris)へ移りそこで知能検査であるスタンフォードビネー検査 (Stanford–Binet Intelligence Scales) の開発でビネー(Alfred Binet)の下で働きます。スイスのジュネーブ(Geneva)に戻った後は、ルソー研究所(Rousseau Institute)の所長となります。

やがてジュネーブ大学(University of Geneva)やパリのソルボンヌ大学(Sorbonne University )で教えます。1955年にはジュネーブ大学内に国際発生認識センター (International Center for Genetic Epistemology)を創設します。その間、コーネル大学(Cornell University)やカリフォルニア大学バークレイ校(University of California, Berkeley)などでも講義しています。

生涯を終える1980年まで、発生認識センターの所長として研究に従事します。このセンターにおける華々しい活躍と多くの業績を指して周りの人々は「ピアジェの町工場」(Piaget’s factory)と呼んだほどです。我が国の発達心理の発展や教育界に及ぼしたピアジェの貢献は計りしれないものがあります。