文化を考える その1 時代小説から

佐伯泰英の時代小説に「吉原裏同心」というシリーズものがある。この小説の舞台は江戸の吉原である。ここに暮らす人々の夢と欲望、汚れさと純真さ、嫉妬と愛情などが描かれている。

天下御免の色里、吉原の頂点にいるのが花魁である。一見華やかな太夫、花魁の世界。その背景には、売られ買われる女性がいる。それを取り巻く大勢の人が吉原で暮らす。例えば、吉原の秩序を保つ江戸町奉行の与力や同心、廓内での騒ぎをまとめる頭取や小頭、さらに医者、仕出し屋、職人、商人、芸者がいて吉原という集団を形成している。

愛欲が渦巻く遊里にはいろいろな事件が起こる。しかし、幕府公認のこの色里には廓内のきまりがあり、それによって自治や治安が保たれるという不思議な世界である。

筆者がこの時代小説に惹かれるのは、吉原という共同体に受け継がれる行動のパタンやその背後にある価値観という文化なのである。この文化を考えるには、その文化に縛られる吉原という場を設定する必要がある。そうでなければ、吉原という「場」をステレオタイプ(固定観念)でとらえてしまう。この観念に対抗する視点を持たなければ、なぜ裏同心という存在が重要になるかがわからない。

江戸文化というと一見、茫漠としているが、それは人々が手を加えて形成してきた衣食住をはじめ、歌舞音曲、作法、詩歌など生活様式と内容という総体のことである。この総体を意識すると、吉原に暮らす人々の日常性のなかに少々大袈裟であるが、文化ということになにか原理的な意味を見つけられるような気がしてきている。

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英語あれこれ その22 聞き返すことをためらわない

英語で赤恥をかいた経験はすでに披瀝した。そんな体験からもう一稿を綴ってみる。外国人と話をしていて意味がわからないことがしばしばある。今もある。そのとき、ニコニコしたり、安易に頷いたりすると赤面することがあるという教訓である。特に質問されたとき、その意味を一定程度、確認することが大事だ。そうでないと質問にきちんと答えることができない。

理解出来ないときは、聞き返すことをためらわないことだ。次のような丁寧な尋ね方の決まり文句がある。以下、すべて中学で学ぶ言い回しである。

「もう一度言ってください。」 I beg your pardon?
「おしゃることがわかりませんが、、」 I cannot follow you. Could you tell me again?
「わかりやすく言ってください。」 Could you paraphrase it?
「すみませんが、もう一度言ってください。」 Will you say it again?

すこしくだけた表現もある。次のように聞き返してもOKである。
「もう一度お願いします。」 Say it again please.
「もう一度どうぞ。」 Pardon? Beg pardon?
「済みませんが判りません。」 I don’t understand what you mean.

次のような独特な尋ね方もある。
「チンプンカンプンです。」 I’m in the air. Could you,,,,?
「意味がわかりません。」 I’m lost. Could you,,,,?
「わからないんですが、、」 I can’t follow you.

分からないときは、「なにか例がありますか、」とか「例を示してください」と食い下がることである。聞き返すことにためらわないことが上達への道。そして「あなたともっと会話したい」と意思表明する。すごすごと引き下がるとあとで必ず後悔する。
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英語あれこれ その21 英文は直接話法で

この春、バルセロナを旅していたとき、兵教大の同窓生から英文要約を点検して欲しいというメールが入った。その要約を直して、同行していた長男の嫁Kateに見せると「受身形」に赤線が入った。直接話法にすることだ、というのである。

筆者の英語には特徴がある。その特徴は、日本人としての典型的なものといえそうだ。例えば、遠回しに表現したり、間接的にあることを伝えようとすることである。そのために間接話法というのを使う傾向がある。

間接話法の文章には説得力が欠けるというのである。「誰かかがそう言った、誰かがそのように考えている、研究結果がよく暗黙の了解がある」ということが間接話法で表現される。今時でいえば「KY」というのである。しかし文章を書くとき、KYは全くよくない。暗黙知といっても、間合いや言い表さない余白、舌足らずなどの部分を補ってくれるものが必要となる。文章では、舌足らずは舌足らずであり、相手に通じない。

日本人の思考の特徴は「ら旋型」と呼ばれる。その意味は、遠巻きに巡り巡りながら物事の核心へと向かっていくことだそうだ。当然、まわりくどくなったり同じことを繰り返すことにもなる。時間が未来となったり過去となったりする。単刀直入に核心を衝く表現は望まれないことがある。「趣がない」とか、「強すぎる」などといって好まれない。むしろ文章には、余韻や余白などの「遊び」が必要だといわれる。詩歌がそうだ。だが英語で文章を書くとき、特にペーパーを書くときはこの遊びは全く通用しない。

文章には簡潔さが大事である。そのために必要なスキルとは、理路整然とした文章を書くための修辞法を学ぶことである。修辞法とは、文節と文節、文と文をつなぐ接続の手法、比較対照の事例の使い方、文章のリズム、適切な語彙の使用といったことである。

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