クリスマス・アドベント その25 Intermission ネットワークが学校に

米国での話。中位以上の市には教育情報センターがある。教員の研修や講習会、ネットワークの管理や維持、教材開発、他機関や企業からのサンプル教材や教育情報の調査などが主たる業務のようである。学校での利用にふさわしいとあれば、それをリソースセンター(図書館)を通して学校へ提供する。ネットワークが張られるからできることだ。

1980年代後半になると、どの教室にも端末が置かれる。教師も教育委員会からメールアドレスをもらうようになる。こうして教師は、自分の教室で教育委員会や学校長からの連絡はで直接読むことになる。毎日のメールや連絡事項、スケジュールをいやがおうでも読まなければならない時代がやってきたのである。こうしてネットワークにつながるコンピュータが登場すると学校内の連絡網は一変する。

学校の規模が大きくなると、全員が集まって意思の疎通をはかることが困難になる。組織が部門毎に小単位で動くようになる。部門や個人を結びつけ、それぞれがなにを行っているかを把握する仕掛けがグループウェアだ。

校長からの連絡などは、各自のコンピュータ上に流れてくる。教職員のスケジュールを管理する機能も使われる。誰がどこへいつ出張するのか、どのような会議が予定されているのかがわかる。設備備品の貸し出しなどの予約、会議室の予約状況を管理できる。こうした機能は学校全体のスケジュールに連動することが多い。また、会議に参加するメンバーを指定し、必要な書類を登録しておいて各自がそれを持参する仕組みもできる。議事録を保存し欠席した者が過去の会議記録を参照することができる。参照するか否かはわからないが、、、

文書などもいちいちコピーして配るのではなく、各自が画面で確認したりプリントできるなど、校務の効率化を計ることができるようになる。グループウェアは、皆がきちんと毎日目を通したり、書き込みをすることでその役割と機能が増加する。使うことを怠ると組織にも個人にも被害が及ぶ。「知ななかった」とか「連絡を受けていなかった」という言い訳はできなくなる。

やがて個別の指導計画(IEP)作成や指導に関する情報もネットワークで管理されるようになる。

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クリスマス・アドベント その24 Intermission ITと電子黒板

12月21日の産経の記事には驚く。インターネットをはじめ情報通信技術(IT)の開発や普及が進む中、教育現場でもIT活用が広まっているというのである。国は2020年までに、学校に1人1台のタブレット端末の整備を目指しているそうである。それに呼応するかのように、教科書会社などでもさまざまデジタル教材を開発しているときく。

こんな記事を読むと、まるで1990年代に戻ったかのような錯覚にとらわれる。教師側の習熟不足で“宝の持ち腐れ”になるなどの課題が懸念されている。さらに生徒が自分のタブレットを落としたり紛失しやしないか、他のタブレットにアクセスしてデータを書き換えたりしないか、ゲームに夢中になりすぎやしないかという心配である。

コンピュータが学校に導入された頃の話である。ある業者が「学校というところは実に甘い汁を吸えるところだ」といっていた。どうしてかというと、「一旦学校に納入した機器はメインテナンスフリーだ」というのである。機器は使われないので故障もなく、やがて3、4年で機器の更新がやってきてまたいい思いをする、というのである。その例が教室にある電子黒板である。

会計検査院は今年10月、国の補助金で学校に配備された電子黒板のうち、多くが活用されていないとして、文科省に是正を求める意見を求めたそうである。2009年度の補助金で学校に配備した7,838台の電子黒板の活用状況を調査したところ、半数以上の4,215台は毎月の平均利用率が10%未満であるというのである。そのうち1,732台はDVD教材を流すだけなど、電子黒板特有の機能が生かされていなかった。

活用していない理由を教師に聞いたところ、▽「操作方法が難解」17.4%▽「活用のイメージが持てない」12.7%▽「研修などが不足」12.5%など、教師側の習熟不足にかかわる理由が4割以上を占めたという。これは、教師の研修が盛んに叫ばれた1990年代に聞いた話ではないか。

現在、次の学習指導要領の主役として「アクティブ・ラーニング」が取り沙汰されている。「能動的学習」と訳されているようだ。わざわざこのように呼ばなくても「自主的学習」でいいと思うのだが。文科省では「課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習」ということらしい。「能動的学習」は観察や実験を通じて現象を確認し、「自分の考えを図に整理し、それを教師がタブレットPCで撮影し、いくつかの案を電子黒板に映して共有、学級全体の考えを分類し自分の考えと比較する」というのだ。新しいことといえば「タブレットPCで撮影し」くらい。「総合的な学習の時間」は舞台から去るのだろう。

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クリスマス・アドベント その23 Intermission ITとOSの悩み

医療界から教育界に目を向けて情報通信技術:ITの活用を考える。1987年にハイパーカード(HyperCard)という商用アプリケーションが爆発的に市場にでまわり、それが学校にも浸透し始めた。Machintosh上でカードを用い、カードとカードをつなぐリンクとしてはボタンを用いる。カードの上にはボタンの他にテキストや画像を配置することができた。プログラムを記述するにはHyperTalkと呼ばれる言語を用いる。「デスクトップ」、「メニュー」、「ボタン」、「アイコン」などを使うので、操作性に優れ、直感的な操作が可能となった。こうした環境はGUI(グラフィカルユーザインタフェース)と呼ばれた。

HyperCardでは、プログラムを直接記述しなくても教材を作ることができた。こうして、HyperCardはマルチメディアオーサリングツールといわれた。教師も親も簡単な教材が作れたのでHyperCardは一大文化のようなものを形成した。現在のKeynoteやPowerPointを見ていると、27年前に登場したHyperCard以来、進歩してきたとはさぼど思われない。

次から次へと新しいOSが登場し、そのたびにこれまで作成してきた教材が動作するのかはいつも話題となった。懸念したとおりHyperCardで作った教材はOSの変化ですっかりお蔵入りとなっている。IT時代とはいえ、OSとアプリケーションの互換性、そして機器の性能にはいつも悩ませられる。

初等中等教育は特にITの影響を受けやすい。上手に使えることができれば教育効果も高いはずである。だが、絶えず新しいITを追いかける習性があるのか、あるいは教師のIT活用技術が低いせいか、IT機器や教材は使われずじまいとなる傾向がある。
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クリスマス・アドベント その22 Intermission ガン研究とガン治療

以前、このブログで書いたことの続きと回想である。四半世紀以上も前、沖縄へ旅していたとき家内の胸部にしこりが見つかった。急ぎマディソンに戻り、ウィスコンシン大学病院へ入院し診断の数日後手術を受けた。

主治医のDr. George Bryan教授から手術の経過を聞くと、胸の周りにある12のリンパ腺に既にガン細胞が広がっていて全て除去したとのことだった。手術の経過を二人できいた。説明によれば最悪のガンの一つで、術後一年内に死亡するのは50%だという。この数字は全米の大学病院や総合病院をつなぐネットワーク上のデータベースによってわかるというのである。ガンの種類、人種、年齢、治療法などを組み合わせることによって、患者の生存率がわかるということだった。

化学療法(chemotherapy)による抗ガン剤にはたくさんの種類があり、それを組み合わせて治療すること、投与後の患者の様態をみながら薬の配合を変えるなどとのことだった。これを多剤併用療法という。こうした多剤併用による治療の効果は、ネットワーク上のデータベースによってわかるのだという。

一つのエピソードだが、Bryan教授は私が苦学生であることを知っていたので、高い入院や治療費のことを心配してくれ、自分が受ける報酬を返上してくださった。幸い私は家族の保険に入っていたので、診断から治療まで保険でカバーされた。一セントも払わなかった。

ガン研究とガン治療もネットワークのデータベースによって後押しされていることを実感した。33年も前のことである。

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クリスマス・アドベント その21 ”Ave Maria”

教会暦では降誕祭ともいわれるクリスマスは1月6日まで続く。ケーキやサンタクロースで浮かれたクリスマスは店じまいとなり、しめ縄飾りに切り替えるのはどうも節操がないような気がする。

筆者はどんな音楽にもこだわりなく楽しめる性分である。残念ながらというか仕方がないというか、どのような教会の所属するかによって、演奏したり歌ったりする音楽とそうでない音楽がある。カトリック教会から訣別したゆえに、ルーテル教会には決して演奏することのない音楽というか曲がある。「アヴェ・マリア」(ラテン語でAve Maria)という曲がそうだ。カトリック教会もマルチン・ルターが作曲した賛美歌「神はわが櫓」を歌うことはない。

これまでアヴェ・マリアはいろいろな作曲家が作ってきた。カトリック教会ではイエスの母、マリアを聖母として崇めている。アヴェ・マリアはマリアへの祈祷を指す。直訳すると受胎告知されたマリアに対して「恵まれた女よ、おめでとう」と呼びかける言葉である。ルカによる福音書(Gospel of Luke)1章26-38節の記述にある。

グレゴリオ聖歌などのミサ曲にも登場する。その他、祈祷のための教会音楽や祈祷文を歌詞にしたものなどさまざまな楽曲が存在する。16世紀スペインの作曲家トマス・ルイス・デ・ビクトリア(Tomas Luis de Victoria)やジョヴァンニ・パレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina)、19世紀フランスの作曲家グノー(Charles Gounod)、同じく19世紀イタリアのロッシーニ(Gioachino Rossini)など多くの作曲家がアヴェ・マリアを残している。
https://www.youtube.com/watch?v=zDGMJsVzWNg

シューベルト(Franz P. Schubert)の晩年の歌曲「エレンの歌第3番」がアヴェ・マリアとして知られている。この曲はもともと宗教曲ではなかった。だが誰かがこの旋律にアヴェ・マリアの歌詞を付けて曲にしたとされる。このようにラテン語による典礼文を載せて歌うことは現代でもしばしばある。前述のグノーがバッハの「平均律クラヴィーア(Clavier)曲集 第1巻」の「前奏曲 第1番」の旋律にアヴェ・マリアをつけて完成させた声楽曲もそうだ。読者も必ずどこかで聴いたことがあるはずである。なおクラヴィーアとはオルガンを含む鍵盤を有する弦楽器のことである。
https://www.youtube.com/watch?v=mz7-6hC4tUs

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クリスマス・アドベント その20 ”The First Noel”

今日は12月25日。降臨節(Advent)の4週間目、礼拝堂では日曜日の礼拝毎にローソクが1本ずつ増え4本目に点火される。

ChristmasのMasはもともとはMassであり、礼拝とかミサを表す。従ってChristmasは「キリストの礼拝」となる。古事によるとChristmasは、元々12世紀頃の古英語ではCristesmassと綴られていたそうである。

ベブル語(Hebrew)の聖書にはMessiah(メシア、またはメサイア)が登場する。Messiahとは王様とか聖職者を意味する。王様はやがてキリストがMessiah=救世主として崇められるようになる。Messiahは特別に油や香料をそそがれたもの(anointed)、それが「救いをもたらす者」となった。

Christmasは別名、ラテン語(Latin)から派生した誕生(Christ Natalis)ともいわれる。スカンディナビア半島では11世紀頃からChristmasの祝いが始まったとされている。その誕生祝いのことを「Old Norse Jol」と呼んでいた。Scandinavian Peopleという意味だそうである。

時代がくだり、14世紀になると古いフランス語でノエル(Noël、英語ではNoel、または Nael)がChristmasとして使われる。Noelとはもともとは誕生という意味である。18世紀になるとこれが「The First Noel」という讃美歌に登場し世界中で親しまれるようになる。

The first Noel, the angels say
To Bethlehem’s shepherds as they lay.
At midnight watch, when keeping sheep,
The winter wild, the light snow deep.
Noel, Noel, Noel, Noel
Born is the King of Israel. (American version)
https://www.youtube.com/watch?v=ANUV9vD1zg8

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クリスマス・アドベント その19 ”Ave Verum Corpus”

”Ave Verum Corpus”は、アヴェ・ベルム・コルプスという題名がつく。モーツアルト(Wolfgangus Amadeus Mozart)から オーストリアの都市バーデン(Baden)教区教会のオルガニストで聖歌隊指揮者であったマートン・シュトル(Marton Schutol)への贈り物といわれる。シュトルはモーツアルトの崇拝者で、彼の曲を聖歌隊ではしばしば歌っていたといわれる。カトリック教会で用いられる聖体賛美歌といわれるが、

この曲はモテット(Mottetto)といわれる楽曲で、中世からルネッサンスにかけて成立したミサ曲以外の世俗的なポリフォニー(polyphony)といわれる多声部の宗教曲である。モテットとカンタータ(Cantata)の違いだが、モテットは短い曲で器楽が独奏する部分がなく、絶えず伴奏として演奏される。他方カンタータは主題にそって長い演奏が続き、独立した器楽の声部が合唱や朗唱に混じって随所に登場する。

”Ave Verum Corpus”とは「めでたし、乙女マリアより生まれ給いしまことの御身体」という意味である。最初はニ長調で始まり、途中でへ長調、そしてニ短調へと変わり、最後はニ長調へと転調される。たった四行のラテン語の歌詞、しかも46小節という短い曲ではあるが、その旋律は信仰が純化されるような味わいの響きを持つ。

https://www.youtube.com/watch?v=HXjn6srhAlY

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クリスマス・アドベント その18 ”The Twelve Days of Christmas”

この曲のタイトルにある12日間とはクリスマスの12月25日から1月6日までの降誕節のことである。この6日は顕現祭(Epiphany)と呼ばれ、イエス・キリストが神性を人々の前で表したことを記念するキリスト教の祭日を指す。ルーテル教会でも、伝統的にこの日が祝われてきた。すでに取り上げてきたバッハのクリスマス・オラトリオ(Christ Oratorio)の第6部が、この日の讃美の音楽である。

“The Twelve Days of Christmas”は、ヨーロッパに16世紀頃から伝わるクリスマス・キャロルの一つである。1780年にイングランドで作られた詩がもととなり、やがて1909年に民謡であった旋律にイギリスの作曲家フレデリック・オースチン(Frederic Austin)が編曲した。曲の特徴としては、12番までの歌詞が付けられた一種の童謡歌であことだ。一定の韻律をもった2行以上からなる詩の単位(stanza)が歌い上げられ、それと共に1番ごとに累積的な歌詞(cumulative song)となって長くなる。

Cumulative songsはグループで歌うときが多い。韻律によってstanzaは決まっており、歌詞も覚えやすいので子供たちが好んで歌う。

12番のうちの1番、2番、3番だけの歌詞(Lyrics)を紹介しておく。歌詞の最後の部分は、贈り物として捧げる品が増えていくことがわかる。歌詞でいう12日の最初は日は12月25日である。そして1月5日の夜をもって待降節–アドベントクリスマスは終わりとなる。

▼1番 On the first day of Christmas, my true love sent to me
A partridge in a pear tree.

▼2番 On the second day of Christmas my true love sent to me
Two turtle doves and a partridge in a pear tree.

▼3番 On the third day of Christmas, my true love sent to me
Three french hens, two turtle doves and a partridge in a pear tree.

https://www.youtube.com/watch?v=QpinzLXXp14

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クリスマス・アドベント その17 Intermission 医療とデータベース

IT時代になって久しいといわれる。近年のスマートフォンやタブレット端末の普及は子供からお年寄りに及ぶ。電車やバスに乗っていても、歩いていても、はては自転車に乗りながらも画面を見ている。歩行者にも本人にも誠に危うく、はた迷惑で虫酸がでる気分である。

会社から家庭へ、そして個人に行き届いたITであるが、いまだにガラパゴスのような状態は教育や福祉、医療の世界に取り残されたように展開している。筆者もITと教育に関してはかつて苦い思いをしたことがある。

最近、医療機関の間で患者のデータがクラウド化されようと動き始めているようである。過去の病歴、アレルギーの有無、検査結果、診断、手術内容、CTやMRI画像、服用する薬剤などがネットワークを介して医師の手元に届くといった動きである。患者が別の病院に行っても、過去のデータによって診断が正確になり検査や薬の重複もなくなる。結果として検査や治療の時間が短縮され、医療費の軽減につながる。厚生省もクラウド化を推奨している。

毎年同じ病院で定期検査を受けるたびに、また別な病院でも問診票に記入させられるのは砂をかむような気分である。「ゆりかごから墓場まで」というフレーズは一人一人の健康や病気の情報が継承され活用されることを指すのではないか。ITとはこのフレーズを実現してくれるものだと思うのである。ITを使った情報の活用によって、現在のような病院や福祉機関ごとの閉じた医療福祉サービスを繋いで欲しいものだ。

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クリスマス・アドベント その16 グレゴリオ聖歌(Gregorian Chants)

グレゴリオ聖歌は、主に9世紀から10世紀にかけて、西ヨーロッパから東ヨーロッパで発展し、受け継がれてきた宗教音楽である。ローマ教皇グレゴリウス1世(Gregorius I)が編さんしたことからグレゴリオ聖歌といわれる。

もともと西方教会における単旋律聖歌(plain chants)を軸とする無伴奏の宗教音楽である。聖歌は伝統的には男声に限られ、元来はミサや聖書日課の祈りにおいては、
僧侶など聖職者によって歌われていた。

歴史的には修道会では修道僧や修道女によってグレゴリオ聖歌は唱えられてきた。ローマカトリック教会の公式な聖歌として、典礼(litergy)に基づくミサや会堂(カテドラル)の中で録画されたグレゴリオ聖歌がよく知られている。

聖歌は通常、斉唱(unison)で歌われたが、やがて聖歌に歌詞や音を追加したり即興的にオクターブである8度音程、5度、4度、3度の和声を重ねる技法が使われるようになった。メロディの中心は朗誦音(リサイティング・トーン: reciting tone)と呼ばれる。

通常、ミサでは次の6つの聖歌が歌われる。キリエ(Kyrie)、グロリア(Gloria)、クレド(Credo)、サンクトゥス(Sanctus)、ベネディクトゥス(Benedictus)、およびアニュス・デイ(Agnus Dei)はどのミサでも同じテキストを使用する。

キリエ(憐れみの賛歌)は「キリエ・エレイソン」(主よ、憐れみたまえ)の三唱、「クリステ・エレイソン」(キリストよ、憐れみたまえ)の三唱、再度「キリエ・エレイソン」の三唱からなる。グロリア(栄光の賛歌)は大栄頌を唱えるもので、クレド(信条告白)はニケア信条(Nicene Creed)を唱える。これらの典礼文は長い。そのため聖歌では歌詞の切れ目に対応した構造をもっている。

サンクトゥス(聖なるかな)とアニュス・デイ(神の子羊)は、キリエと同様、典礼文に繰り返しが多く、音楽的にも繰り返し構造をとるものとなっている。
https://www.youtube.com/watch?v=Lljfmr8pHpE

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