国王が特定の人物を深く信任し、その者に王権の実質的な建言を委任することを朝鮮の歴史では、「勢道政治」と呼ばれます。国王の信任を受ける者は有力な両班であると同時に、国王または王室と血縁関係にある王室の外戚でありました。こうした政治では、政権の基盤は一つの血縁集団となり、政治の綱紀は紊乱し、儒教的な清廉潔白を重んじる政治は有名無実化します。
中央の綱紀紊乱は地方における行政や財政に乱脈をもたらし、賄賂を使い、私財を蓄えるなどの不正行為が行われます。両班社会はこうして崩壊し始め儒教は思想的な影響を喪失し、民衆の中で新しい宗教がもてはやされます。こうした宗教の力は既成の体制への挑戦となります。
天主教(천주교)と呼ばれるキリスト教のことです。16世紀の初頭、清に渡った使臣によって天主教は朝鮮に入ってきます。この新しい宗教に関心を持ったのは実学者で、他の西洋の学術を含め、広く「西学」と呼ばれ、思想的に関心が高まります。西学は、現実から乖離し党争にあけくれる当時の政治を反省し、制度改革や産業の発達を目指す思想です。18世紀末には、研究が重ねられついに布教運動まで発展します。やがて使臣らは西洋の神父より洗礼を受けて帰国すると、布教活動はますます活発化していきます。
不遇の両班だけでなく、常人、婦女子へと天主教の平等主義が受け入れられていきます。当時の身分階級は、両班、中人、常民、賎人の4つに大別されていました。常人の大部分は農民でした。1785年にはソウル市内には教会堂(교회당)が建てられます。特に現世に対して希望を持てなかった人々に天国の福音は新しい喜びを与えるのに十分だったといわれます。やがて天主教はソウル一帯から広がり、1794年には4,000名の信者に達したという記録があります。