大会翌日、部員の一人と旭川市内で映画を見ました。題名は「八十日間世界一周」(Around the World in Eighty Days)といって、後期ビクトリア朝の一貴族が賭けをして、世界を80日間で一周しようと試みる波瀾万丈の物語です。コンクールのことは定かに覚えていないのに、この映画を見たことを覚えているとはなんと近藤先生には失礼なこととお許し願いたいです。私は大の映画きちがいでもあるのです。(差別用語をご容赦ください。)稚内にいたとき、父親と「戦場に架ける橋」(The Bridge on The River Kwai)という有名な作品を見に行ったのも覚えています。タイとビルマ国境にあった捕虜収容所が舞台です。日本人大佐と英国大佐との対立と交流を通じ極限状態における人間の尊厳や名誉、そして戦争の惨さを表現した見事な作品です。
近藤先生からは、音楽鑑賞の時間にさまざまな西洋音楽を聴かせてもらいました。音楽室には歴代の有名な作曲家の写真が時代別に飾られていました。一番左端にはヨハン・セバスチャン・バッハ(Johann Sebastian Bach)が、右端にはルートビッヒ・ベートーベン(Ludwig van Beethoven)が並んでいたものです。この音楽鑑賞をとおして賛美歌やバロック音楽等に接する機会ともなりました。マディソンでにはリコーダの工房があり、そこでローズウッド(rosewood) のアルトリコーダを購入しました。バロック音楽にリコーダは欠かせない楽器です。
日本ルーテル教団の宣教師のお一人がジェームズ・ウィズィ師(Rev. James Wiese)です。この方との出会いを紹介することにします。ウィズィ師は1936年10月に、インディアナ州の農村で生まれます。13歳でコンコーディア・フォートウェイン校(Concordia Fort Wayne)の牧師養成プログラムに入学します。セントルイスのコンコーディア神学校(Concordia Seminary) で神学修士号を取得します。その後、スタンフォード大学(Stanford University) で学校経営と日本研究の修士号も取得した方です。
神学校卒業後、奥様のリタ(Rita)さんとで日本にやってきます。それから34年間、家族とともに日本で教会の様々な役職を歴任し、セントポール国際ルーテル教会(St; Paul International Lutheran Church)の牧師、日本ルーテル教団立の聖望学園(Holy Hope Schools)のチャプレン(chaplain)兼校長となります。聖望学園はウィズィ師の尽力でセントルイスにあるミズーリ・シノッド教会の婦人会の寄付によって設立された中等教育学校です。後にアメリカンスクール(American School in Japan)の開発部長などを歴任されます。その他、大阪国際学校の初代校長兼理事長、横田米軍基地牧師を務めるという経歴の持ち主です。彼はまた、在日商工会議所、東京国際交流会館、そしてロータリークラブ(Rotary Club) にも積極的に参加します。さらに日本スタンフォード協会(Japan Stanford Association)の会員でもありました。
ハーレー・ダビッドソン(Harley-Davidson) に颯爽と乗っていた先生の紹介です。お名前はルロイ・アザリンド(Dr. LeRoy Aserlind)といいます。私のウィスコンシン大学(University of Wisconsin) での指導教授であった方です。
1978年にロータリー財団(Rotary Foundation)が指定するジョージア州(Georgia)での3カ月の英語研修を終わってウィスコンシンへ車で向かいました。『U-Haul』という小さなトレーラーにわずかの家財道具を乗せて出発しました。初めての大陸での長旅でした。『Haul』とは「引っ張る」という意味です。ですから、”You haul”をひっかけた造語が『U-Haul』といわれます。ウィスコンシン州の州都マディソン(Madison) に着きました。ウィスコンシン大学の威厳のある構内に入ったとき、「果たしてここで学位をとれるだろうか、、」という不安がこみ上げてきました。かつて、新潟などで宣教されていたルーテル教会の牧師さんがマディソンで牧会をされていました。この先生には事前にウィスコンシン大学で学ぶことを知らせてありました。この方のお名前はトマス・ゴーイング(Rev. Thomas Going)といいます。ゴーイング牧師は、1958年から2000年の長きにわたり新潟市、加茂市、三条市、そして東京で宣教されます。
Bascom Hall
ゴーイング牧師は、ウィスコンシン大学教育学部(School of Education) の行動障害学科の一人、アザリンド教授に私を指導してくれるよう依頼してくださっていました。アザリンド教授は1963年にウィスコンシン大学マディソン校で博士号を取得し、その後、リハビリテーション心理学・特別支援教育学科となった行動障害学科の助教授に任命されました。 1968年に准教授、1972年に教授に昇進し、1971年から5年間学科長を務めました。1965年から1970年にかけて、アザリンド教授は米国教育省のプロジェクトを指揮し、発達障害のある生徒の教師を養成する最初のプログラムの一つを提供しました。
国吉氏は、戦時中は沖縄地方気象台に勤務されていて、気象情報を軍に提供するという仕事をされていました。悲惨な沖縄戦で九死に一生を得たご体験の持ち主です。ロータリアンとして40年以上も毎週の例会に欠かさず出席していた熱心な会員です。国吉氏は私をロータリーインターナショナル(Rotary International)の奨学生に推薦してくれました。そのお陰で約1万ドルの奨学金を貰うことができました。当時の為替レートでいえば、200万円です。それと共に嘉手納基地の米軍将校夫人クラブ(Officer’s Women Club)からも1,700ドルの奨学金が提供されました。そして1978年に家族を連れてアメリカに向かいました。
現在、トランプ政権の中東情勢をめぐる外国人留学生のビザ制限などに対して,名門大学は法廷闘争を展開しています。この闘争は、大学側に有利な展開も予想されています。ハーヴァード大学とマサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology: MIT) は2020年に、トランプ政権の外国人留学生のビザ制限に対し連邦地裁に提訴し、一時的な勝利を収めました。司法はこれまで、政権の移民制限策に対して慎重な姿勢を示してきたため、法廷では大学側の理が通る可能性が高いと見られていました。ただし、政権がさらに法改正や規則の変更で圧力を強めると、再び法的な応酬が繰り返されることになるかもしれません。
アメリカ東部にある名門私立大学でアイビー・リーグ(Ivy League)の一つ、ペンシルベニア大学(University of Pennsylvania) は2023年12月9日、エリザベス・マギル(Mary Elizabeth Magill学長とスコット・ボク(Scott Bok)理事長の辞任を発表しました。マギル氏は大学内で強まる反ユダヤ主義への対応を巡り、批判されていました。連邦政府は、全国の大学への数十億ドル規模の資金の流れを停止すると脅迫しており、多くの大学は司法省から保健福祉省に至るまで、様々な機関からの調査に直面している。しかし、トランプ政権の大学に対する懲罰的なアプローチは、アイビー・リーグの大学で最も深刻に表れています。昨春、ガザ紛争に反対するキャンパスでの抗議運動の中心地となった同大学は、反ユダヤ主義的行為を容認し無法状態を蔓延させたという非難と学術的・政治的言論を抑圧したという非難に、数ヶ月にわたって対峙してきました。
トランプ政権が非難のターゲットとしているのは、こうしたアイビー・リーグの大学です。名門ハーヴァード大学(Harvard University)との対立も続いています。政権はハーヴァード大学に対して外国人留学生の受け入れ資格停止を通告し、反発した大学側との法廷闘争に突入しています。背景には「リベラルの牙城」と呼ばれるハーヴァード大学を狙い撃ちすることで他の大学にも「改革」を迫り、さらには中国共産党など外国の影響力を排除する意図が潜むようです。ハーヴァード大学の歴史で最初の黒人学長だったクローディン・ゲイ学長(Claudine Gay)は2024年1月2日に辞任します。その後、就任したアラン・ガーバー学長(A)lan M. Garber)はトランプ政権の政策に訴訟を起こし毅然として立ち向かっています。すなわち、トランプ政権が大学に対し課してきた一連の制裁措置、すなわち連邦研究費の凍結、留学生プログラムの停止、税制優遇の剥奪検討などに対し、訴訟を起こしています。
さらに、ヴァジニア大学(University of Virginia)のジャームズ・ライアン学長(James Ryan)が2025年6月28日に辞表を表明します。ライアンが退任を急いだ決断は、ヴァジニア大学に対する連邦政府の監視が強化されている時期に行われました。ライアンは退任の手紙の中で、「自分が学長職に留任していた場合、大学は多額の資金を失うリスクがあったことを認めます。自分の地位に留まり、連邦政府の資金削減のリスクを冒すことは、空想的なだけでなく、職を失う何百人もの従業員、資金を失う研究者、そして奨学金を失ったりビザを差し押さえられたりする何百人もの学生にとって、利己的で自己中心的に見えるだろう」と述べて辞任するのが最上であるという判断をしたのです。
アメリカの政治専門サイト「ポリティコ」(Politics, Policy, Political News: POLITICO) は5月27日、トランプ政権が各国の大使館などに対して、合衆国内の大学への留学を希望する人たちの学生ビザ(visa) 取得に向けた新規受け付けを一時停止するよう指示したと報じました。この対象となるのは、一般的な学生向けの「F-1ビザ」と語学研修などの「Jビザ」と伝えています。「面接予約の停止は追って案内があるまで続く」と発表しています。ただし、すでに受け付けた面接予約はそのまま進めてよいとしています。
合衆国の大学は8~9月にかけて新年度が始まります。留学希望者は今の時期からビザ申請を本格化させるのです。CNNテレビは「タイミングは偶然ではない。収入を留学生に頼る多くの大学に打撃を与えるためだ」との専門家の意見が伝えられています。トランプ政権は、反ユダヤ主義的な投稿を行ったり、親パレスチナの抗議活動に参加したりした学生のビザを取り消すなど、締め付けを強めています。ルビオ(Marco A. Rubio)国務長官も「ビザは固有の権利ではなく、与えられた特典だ」と述べ、審査を厳格化する考えを表明しています。5月20日の上院公聴会では、彼は現政権発足後に300件以上の学生ビザなどを取り消したと明らかにしています。
以前、この欄で「大統領令と連邦教育省の閉鎖」という話題を取り上げました。このようにトランプ政権やその他の保守派政治家が「アメリカ連邦教育省(Department of Education)の廃止」を謳っていますが、結論からいえば大統領が単独で教育省を廃止することはできません。これは、連邦議会(Congress) の承認が必須だからです。連邦教育省は、1979年に制定された連邦法(Department of Education Organization Act)に基づいて設立されました。この法律を変更または撤廃しない限り、教育省を廃止することはできません。教育省の設立は法律に基づくものであることです。教育省を廃止するには、以下のようなプロセスが必要です。
特別支援教育の分野でに有名な立法は「障がい者教育法 (Individuals with Disabilities Education Act: DEA)」です。通称、「Public Law 94-142」といわれています。障がいのある生徒一人ひとりのニーズを満たすために特別にデザインされた教育で、無償で提供されています。次にタイトルIXとは、1972年に制定されたアメリカの連邦法で、連邦政府から財政援助を受ける教育機関における性別に基づく差別を禁止するものです。具体的には、教育プログラムや活動への参加を性別を理由に排除したり、その恩恵を拒否されたり、差別を受けたりすることを禁じています。
2000年に連邦議会は国民追悼の法(National Moment of Remembrance Act)を可決し、午後3時に立ち止まって追悼するよう人々に呼びかけました。Memorial Dayの日には、国旗が掲揚され、正午まで厳粛に半旗に下げられます。その後、その日の残りの時間は全譜面に掲げられます。国立メモリアルデー・コンサートNational Memorial Day Concert は、合衆国議会議事堂(Capitol)の西芝生で開催されます。これは必見ものです。是非クリックして楽しんでください。
街の通り沿いにや家には星条旗が掲げられ、商業施設の広告にも「Memorial Day Sale」の文字が見えます。報道では、退役軍人のインタビューや追悼関連の特集が組まれます。「Remember and Honor(戦没将兵を忘れず敬意を表しよう)」というメッセージが多く見られます。このようにアメリカでは、戦没者の追悼が社会的に“見える形”で行われます。日本とは違い、軍服を着た人が日常に溶け込んでいます。さらに退役軍人が地域のヒーローのように扱われます。学校でも子どもたちは、国旗の意味や国家への忠誠心を学んでいます。小学生から国歌を教えられます。
Memorial Dayは他方で、アメリカでは夏の始まりを告げる祝日でもあります。家族親戚が集まってバーベキューを楽しむ「家族で過ごす週末」としての意味合いも強いです。この「国のために戦った人への敬意」と「家族や日常の自由を大切にすること」が同居しています。「祈り」と「自由を楽しむ」ことが矛盾ではなく、「自由には代償がある」という歴史的な意識が根付いているのかもしれません。
今アメリカの大学は夏休み。そこに降ってわいたようなニュースです。数カ月後に授業が始まるまで、入学が許可された海外からの新入生や留学生は、トランプ政権によって「留学生受け入れ資格を取り消されるかもしれない」という事態です。特に、ハーヴァード大学はその騒ぎの渦中にあります。ハーヴァード大学に在籍する留学生は約6,800人。在学中の留学生は転校しなければ、アメリカでの滞在資格を失うかもしれないようです。それに対してハーヴァード大学は5月22日に国土安全保障省(Department of Homeland Security)が出したビザの剥奪?という措置が合衆国憲法修正第1条および適正手続きの権利などを侵害しているとして、マサチューセッツ州の連邦地方裁判所(連邦地裁)に訴状を提出しました。
少し遡って4月14日にトランプ政権は、ハーヴァード大学に対して、多様性重視のプログラム(Diversity, Equity & Inclusion:DEI)の廃止を迫っています。これは、ハーヴァード大学やコロンビア大学の多様性を重視した学生選抜、反ユダヤ主義の活動に関与した学生への処分を求め「学生・交流訪問者プログラム」(Student and Exchange Visitor Program)の認定の取り消しを伝えるのです。すでに130以上の大学で1,000人以上の留学生のビザが取り消しにあっているという報道もあります。
ハーヴァード大学の研究に対する政権の圧力は酷いものがあります。ハーヴァード大学に対して、トランプは22億ドル(3,200億円)の助成金を凍結し、マサチューセッツ州の医療研究向けの助成金10億ドル(1,400億円)の差し止めも検討しています。科学誌ネーチャー(Nataure)によりますと、研究プロジェクトが停止されれば、研究者の約1,600人の75%が海外への移動を考えているとあります。さらにアメリカ航空宇宙局(NASA)に対して研究予算の半減を提示しています。海洋大気庁 (National Oceanic and Atmospheric Administration: NOAA)の職員を20%削減する計画も発表されています。そうした事情を背景としてか、ヨーロッパ連合(EU)の委員長を務めているウルズラ・フォンデアライエン(Ursula von der Leyen)は、5億ユーロ(8億1,000万円)という科学者を招聘するパッケージを発表しています。アメリカの有名大学などで働く研究者を招こうという意図です。
合衆国の公的医療保険制の最後の稿です。「オバマケア(Obama Care)」という言葉がしばしばニュースとなりました。通称アフォーダブルケア法(Patient Protection and Affordable Care Act: ACA)と呼ばれ、合衆国第111議会で制定され、2010年3月にバラク・オバマ大統領(Barack Obama) によって署名された合衆国の連邦法のことです。2010年修正の医療・教育改革法(Health Care and Education Reconciliation Act of 2010)と合わせて、1965年にメディケアとメディケイドが可決されて以来、合衆国の医療制度において最も重要な内容の見直しと適用範囲の拡大を意味する医療保険制度です。
保険によるカバーが増えたことは、メディケイドの加入資格の拡大と個人保険市場の変化を伴っています。両者ともに新たな支出をし、その財源は新たな税金とメディケア・プロバイダー料金とメディケア・アドバンテージの削減の組み合わせで賄われています。行政管理予算局(Office of Management and Budget) の報告書によると、この法律は主に高額所得者の上位1%に課税し、所得分布の下位40%の家族に平均で約600ドルの給付金を提供することで所得の不平等を削減しようとするものです。
2 保険が標準でカバーしなければならない保障範囲(Essential health benefits)が定められました。被雇用者保険、メディケア、メディケイド、その他の公的制度でカバーされない無保険者は、承認を受けた民間保険に加入するか、罰金を払わなければなりませんでしたが、2019年以降は廃止されました.。これは歳入庁の定めによる金銭的困難者、宗教団体の一員ならば除外され、低収入者には補助金を給付できる条項が定められています。
公的医療保険制度の関心は、なんといっても貧しい家庭の子どもたちの健康保障です。合衆国の子ども医療保険プログラム(Children’s Health Insurance Program: CHIP)は、各州が主体となって低所得世帯の19 歳以下の子どもに対し、無料または低コストの医療を提供する公的医療保険制度です。合衆国には、前述してきたように低所得者に対する公的医療保険のメディケイド(Medicaid)がありますが、メディケイドに加入するには所得基準が高すぎ、民間の医療保険に加入する余裕がない低所得者も多く存在します。CHIPはメディケイドの加入資格基準を満たさない低所得世帯の子どもに対する公的医療保険となっています。
合衆国では1970年代から1980年代初めに、連邦貧困水準以下の低所得世帯の子どもの無保険率が上昇し問題となっていました。そのような状況の中で、CHIPはソーシャルセキュリティ法(Social Security Act)の新たな権利として、共和党及び民主党の支持の下、クリントン(Bill Clinton)政権下の1997年均衡予算法(Balanced Budget Act of 1997)によって設立されます。2015会計年度におけるCHIPの加入者数はおよそ840万人となりました。
少し遡りますが1997年当時、1,000万人の子どもが医療保険に加入しておらず、その大半は州のメディケイドの加入資格基準を僅かに上回る所得の勤労者世帯の子どもでした。CHIPは無保険の子どもを減らすことを目的とし、10年間に約200億ドルが連邦予算に計上されます。CHIPが制定された当初、州がどの程度CHIPに対応するかが懸念されたのですが、2000会計年度までには、ワシントンDCを含む全州と全準州がCHIPを設立しています。その後、2009年にオバマ大統領(Barack H. Obama)が子ども医療保険再認可法(Children’s Health Insurance Program Reauthorization Act of 2009: CHIPRA)に署名し、CHIPは名実共に子ども医療保険制度となります。
州のメディケイドと密接に連携する連邦政府の保健福祉省(Department of Health and Human Services)内のメディケア・メディケイドサービスセンター(Center for Medicare & Medicaid Services)は、メディケイドとともにCHIPを管轄し、州が連邦規則に従って加入資格や医療サービスの内容、保険料などを独自に立案した上でCHIPを運営しています。CHIPはメディケイドに比べて立案の上で州の裁量が大きいのですが、州のメディケイドと密接に連携しているのが特徴といえます。
合衆国の公的医療保険制度の3回目です。貧富の差が激しいアメリカ市民の姿が医療保険の実態から理解できる話題です、1970年代に始まった健康維持機構との連携は、1997年にビル・クリントン大統領(Bill Clinton) の下でメディケア・パートCとして正式に認められ拡大されます。 2003年、ジョージ・ブッシュ大統領(George W. Bush) の政権下で、ほぼすべての自己投与処方薬をカバーするメディケア・プログラムがメディケアパートDとして可決され、2006年に発効します。
パートAの入院および高度看護の保険は、主に雇用主と労働者がそれぞれ1.45%を負担し、合計2.9%の給与税収入によって賄われます。1993年12月までは、社会保障給与税と同様に、メディケア税が年間に課される給与額の上限が法律で定められていました。1994年1月以降、この給与額の上限は撤廃されました。自営業者は、従業員と雇用主の両方であるため、自営業の純収入にかかる2.9%の税金を全額計算する必要がありますが、所得税の計算において、その半分を所得から控除することができます。2013年以降、個人の場合年収20万ドル、夫婦合算申告の場合は25万ドルを超える稼得所得に対するパートA税率は3.8%に引き上げられました。これは、医療費負担適正化法(Affordable Care Act)で義務付けられているメディケア非加入者への補助金費用の一部を賄うためです。
これらの財政的課題に対応するため、議会は2010年の医療保険改革法(Patient Protection and Affordable Care Act:PPACA)と2015年のメディケアアクセス、無料または低コストの医療保険を提供する公的児童医療保険プログラム(Children’s Health Insurance Program: CHIP)を提出します。こうして医療提供者、主に急性期病院と熟練看護施設への将来の支払いを大幅に削減し、メディケア支出をさらに安定化させるため施策が講じられます。