留学の奨め その14 感謝祭(Thanksgiving)の由来

苦しい留学生活にもつかの間の寛げる時がくる。9月に始まった学期に一息つける時である。勉強に相当疲れた頃にやってくるのが留学の奨め その14 感謝祭(Thanksgiving)の由来(感謝祭)の休暇である。11月の最終木曜日。今年は11月27日である。翌日はBlack Friday。大抵の州ではこの週末は4連休となる。

1598年に今のテキサス州(Texas) のエルパソ(El Paso)でThanksgivingが祝われたといわれる。1619年には、ヴァージニア植民地(Virginia Colony)でThanksgivingが執り行われたという記録がある。1621年にはマサチューセッツ(Masachusettes)のプリマス(Plymouth)という港町で収穫に感謝する祝いが開かれた。これが現在のThanksgivingの原型だといわれる。

しかし歴史家には別の主張をする者もいる。1623年の植民地に干ばつが長く続いた。その後に雨が降り、幸い作物を収穫できたことを人々は感謝したという。そして祝いの宴(feast)ではなく感謝の礼拝(worship service)が行われたのが原型だというのである。これもなるほどと頷ける。

11月最終木曜日が国民の祝日となったのは1789年である。そのときの大統領は初代のジョージ・ワシントン(George Washington)。すべての州がThanksgivingを祝日としたのは1863年である。

しかし、国民誰もがThanksgivingを祝うわけではない。1970年以降、一部の先住民族であるネイティブアメリカン(Native American)とその支援者は、この日を「全米哀悼の日」(National Day of Mouring)として抗議の日としている。プリマスにあるプリマスロック(Plymouth Rock)の前で記念式典を開いている。また、この日は「アメリカインディアン遺産記念日(American Indian Heritage Day)」ともされている。伝統文化や言語の遺産を再認識する日としている。プリマスロックの前にある記念碑には「1620年に清教徒団が上陸した場所」と記されている。

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留学の奨め その13 リベラルアーツ教育とサービス・ラーニング

あまり聞き慣れない用語であるが、「サービス・ラーニング(Service-Learning)」の概念が注目されるようになったのは、1970年代末以降のアメリカである。大学教育が専門性や知識の習得に偏重しているという批判がひろまり、そのような教育では公正な市民社会を築く上では不十分だと指摘されてきた。知識偏重の教育はいつどこでも叩かれる。受験勉強がそうだ。大学は幸いにして学んだことを社会で活かすことができる機会を備えることができる。それが各種の奉仕活動という体験である。

1982年に設立された非営利のサービス機関にInternational Partnership for Service-Learning : IPSLという団体がある。この組織は以来、主として米国の学部生や院生らを発展途上国にて各種の社会奉仕活動に従事させ、住民との交流を通して開発や環境などグローバルな課題や問題意識を学ぶ運動を推進している。 現在は各国の学生も受け入れている。IPSLのサイト(http://www.ipsl.org/)からService-Learningのなんたるかを簡単に紹介することとする。

サービス・ラーニングは「教室で得た知識が果たして社会生活の実践役立つのかどうかを確認する過程」とでもいえよう。インターンシップにも似ているが活字から学んだ概念や理論が実際の現場で果たして役立つのか、そうでなければ現場から学ぶこととはなになのか、、理論がなぜ適用できないのか、などを思考することではないか。それによって自分の知識の理解を再考し深化させながら、再理論化の作業をする。

次に、サービス・ラーニングはボランティア活動とは異なる。いろいろと周りが設定してくれた環境で活動する。期待されていることをやればよい。だが、大事なことは学生の主体性とか自発性を要求するのがサービス・ラーニングとされる。既存のメニュからだけでなく、学生自らが自分の問題意識にそって、コミュニティに分け入り社会に貢献しようとする気概が求められる。

さらにサービス・ラーニングは、経験の振り返り(reflection)のプロセスを強調する。そうした振り返りは、個人の日誌づけの励行とかブログなどで文字化してもよいし、グループでの討論によって経験を分かち合うことからも生まれる。振り返りは経験知をとおして既存の知識の修正にもつながり、やがて個人の成長に大きく貢献する。

リベラルアーツ教育の神髄とはこうした活字化と実践化の統合にあるように思える。そこからグローバルな視野を広げたり持続的な平和活動への関心が高まることにつながるようにも思える。

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留学の奨め その12 リベラルアーツ教育とボランティア活動の限界

最近の大学におけるリベラルアーツ大学のカリキュラムをみていると、バイリンガルな人材の養成、留学体験による他文化理解、そしてグローバルな資質の養成などなっている。そのために、他文化理解科目の設置や英語による授業、留学生との交流、留学の推進などを掲げている。一体そんな環境で国際的に活躍できる人材が育つのか? 全く「アカン」といいたい。

筆者は、留学とは学位を獲得することと定義している。英語研修とかホームステイによる異文化体験ということではない。ところが多くの大学が学生を仲介するのは、一週間とか二週間の英語研修である。そのため保護者も我が子のために数十万円の出費を強いられる。学生といえば、全くの海外旅行気分である。事前研修というのがある。小遣いはいくら位とか、パスポートの期限は大丈夫か、英語会話の練習とか、ホームステイの心構えとか、、、アホらしくなる。

最近は語学研修からボランティア体験が脚光を浴びているようだ。大学側もその準備のために相当な努力を強いられている。まずは、ボランティアを受け入れてくれるパートナー機関を探すことから始まる。機関は大学であったり現地のNPO法人であったり、政府関連機関であったりする。ボランティア体験は、主として現地での活動の観察や交流、各種の体験、話し合いなどとなる。

しかし、ボランティア体験だけではグローバルな人材を育てることには限界があることが、ようやく認識されてきた。それはボランティア活動の計画がすべて機関間で周到にお膳立てされ、学生の側の声やニーズが届いていなかったことである。受け身の姿勢からは学ぶことの果実は少ない。そこから「サービス・ラーニング(Service Learning)」という新しい発想が生まれてきた。

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留学の奨め その11 リベラルアーツ教育と国際系学部の新設

リベラルアーツを標榜する大学が日本でも増えているようだ。特に「国際リベラルアーツ」を掲げる学部の新設が相次いでいる。こうした学部のカリキュラムを国際系リベラルアーツと呼ぶのだそうだ。だがリベラルアーツの雄は国際基督教大学(ICU)。1949年に創立され、「国際的社会人としての教養をもって、神と人とに奉仕する有為の人材を養成し、恒久平和の確立に資することを目的とする」とある。戦後間もなくのことである。

かつて筆者も北海道大学の教養部で1年半を過ごした。東京大学にも教養学部があった。リベラルアーツ教育が重視されていた。だが、教養部の勉強は高校の延長のようなところもあった。目新しいことといえば、ドイツ語とフランス語のいづれかが必須であったことだ。それから哲学入門とか人生論ノートなどの本がたっぷり読めた。今思えば、筆者も海外での学びに至ったのは、この教養部時代からなんらかの影響を受けたといえる。

国際リベラルアーツのカリキュラムであるが、原則英語での授業、国際教養科目の充実などを強調している。また外国人留学生との交流とか留学を義務付けるというのもある。これといって珍しいことではない。国際系学部は私立だけでない。長崎大学が新設を検討している人文・社会科学系学部の概要だが、世界の政治や経済、文化を学べるコースを用意し、国際的に活躍できる人材を育てる拠点にするのだそうだ。

なぜこのような様相になってきているかである。それは国の指針「グローバル人材育成戦略」があり、大学はそれに沿って学部を新設しようとしている。我が国を取り巻くグローバル化は急速に進展しているといっても、1990年後半からの海外留学生数の減少、海外勤務を希望しない内向きの学生の増加が報告されてきた。そのため、政府もこのような状況を危惧し「グローバル人材育成推進会議 審議まとめ」を発表した。「高校・大学、企業、政府・行政、保護者等が積極的に若い世代を後押しする環境を社会全体で生み出すことが不可欠」と提言している。これが文部科学省の「スーパーグローバル大学創成支援事業」につながっている。

最近の報道では、大阪や山梨の私立大も「外国語・国際系学部」(仮称)をつくろうとしているそうだ。だが国際系学部は過当競争に陥りつつある。筆者には大学間の差別化が難しくなっているように思える。学生募集に奔走している姿が映る。大学が新しい学部をつくりグローバル化の牽引役になろとしても、そうたやすくことが運ぶものではないはずである。

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留学の奨め その10 米国大学への留学生の増加

米国のシンクタンク(think tank)、国際教育研究所(Institute of International Education: IIE)が発表した2013〜14年度の米国の大学や大学院への留学生の統計は興味深い。国際教育研究所はフルブライト財団の支援によるFulbright Programを主宰したり、国内外の留学生を支援する、いわば米国における国際交流教育推進の旗艦組織である。

この統計によると前年度と比較して8.1%増の約88万6千人で、留学生の総数は1,107万5千人であるという。米国は留学生で支えられているといってよいほどの数字である。率直にいって米国の大学への留学はやはり高い人気があるという印象である。

国別の留学生の数だが、第1位は5年連続して中国人で、27万4千人とあり、これは前年の16.5%の伸びで留学生全体の31%を占めた。第二位はインドで10万3千人の6.1%の伸び、第三位は韓国となっている。日本からは1万9千人。前年度より6.2%減っている。この減少は9年連続して続いている。1990年後半の留学生のピークだった頃と較べで半減してしまったといわれる。

留学生の増加の伸びでいえば、最高はサウジアラビアからの留学生の伸びが21%で5万4千人となっている。ブラジル、クエートからの留学生も大幅に増えている。この理由は国費留学生の増加であるという。

米国の大学で留学生が増加する第一の理由は、優れた高等教育を受けられる環境があるからである。留学中に学位を取得すれば、自国に帰ったときその身分が優遇され、地位や高所得が約束されている場合が多い。今も留学は大きなステイタスとなっている。

第二は派遣先の国内で、高等教育機関を十分な早さで作れないなど、人材養成が追いつかず、そのために留学生が増えているという状況である。若者の向学心を満たす教育や研究環境が不十分ということだろう。

第三は米国は伝統的に留学生の出身国がどこであれ歓迎するという姿勢をとっていることである。中国やインドだけでなく、キューバやイラン、ベネズエラからもたくさんの留学生を迎え入れている。しかも留学生の授業料は高い。大学にとっては大事な収入源ともなっている。

米国との外交関係が緊迫した状態にある国からも米国には留学生が押し寄せている。国際間の緊張が続くとはいえ、留学生を受け入れる体制、例えば人権の尊重、政教の分離、安全が整っているからだと考えられる。

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ollege of Holy Cross                                                 小村寿太郎

留学の奨め その9 研究者の仕事探しと異動

今回はアメリカの研究者の異動に関する話題である。若手の研究者とって、大学での仕事探しはどこも大変なものである。 彼らは業績やキャリアが不足しているので、誰もが通過しなければならない難関である。大学におけるポストの空きの広告がでると、自分の研究分野をにらみながら応募することになる。

はじめは、自分の研究業績のレジュメ(resume)を大学に送る。研究業績にはポスドクの経歴も入る。この書類審査を通過すると大学での人事選考委員会に招かれる。この時の旅費は招く側が負担する。ここが日本と違うところだ。首尾良くポジッションを得るしても、大抵は3年の雇用契約である。ここから終身雇用身分であるエニュア(tenure)への途が始まる。雇用契約が切れ更新がないとまた仕事探しである。まるで渡り鳥のように転々とする。その間業績を増やしていく。米国にもコネ(old boy connection)が働く。

もう一つは、大学が特定の研究者に招聘状を出す場合である。招聘する側からの一本釣りである。こうした研究者は研究業績にすぐれ、名が知れた人達である。引き抜く方の大学はその研究者の収入などを事前に調べ、それ以上の条件を提示する。例えば1.5倍の給料をだすとか、という具合である。指名された研究者は、提示された待遇、大学の所在地の環境、同僚となるスタッフの研究状況などを調べ自分の研究にプラスになるかなどを考慮する。

このとき、研究者は自分の上司や学部長などに「他大学から1.5倍の給料でオファーがきているが、もし大学が今の給料を上げてくれれば残るが、、、、」と交渉するのである。学部長が「お前に残って欲しい。給料を上げよう」といえば、他大学からのオファーを断る。「予算がないので、給料を上げるわけにはいかない」といえば、移ることになる。このように交渉が可能なのが面白いところだ。また学部長も予算やスタッフの給料を決める裁量を持っているのも驚く。

総じて米国の大学における研究者の給与は高いが、雇用契約や安定度に関しては研究職は日本よりも厳しい市場である。

tenuretrackstructure_new tenure_cartoon  “一つの扉はテニュア、もう一つはマクドナルド行きの扉だ”

留学の奨め その8 学長選び

アメリカの大学ではいろいろなことが話題となる。学長(President or Chancellor)の発言が報道されることが多い。フットボールコーチのほうが学長より年俸が高いとか、リーダーシップが強過ぎるといったことも取り上げられる。特に学長選びは新聞紙上を賑わせる。大学運営で最も大事なことだからだ。

学長を選ぶのは大学の理事会(Board of Regents)である。学内での学長選挙などない。どんなに高名な教授でも学長にはなれない。理事会は候補者をいろいろな基準をあてて、全米から探す。そしてねらいを付けた数名の候補者を大学に招いてヒアリングをやる。ヒアリングは公開される場合もある。ヒアリングの後はパーティまで開いて候補者と理事、参加者が懇談するというあっけらかんさもある。

学長は研究者から選ばれる。研究業績、政府とのパイプ、学会活動、研究費の獲得などが選考の基準となる。そして、大学運営にかかわってきた経歴も重視される。ノーベル賞受賞が学長に選ばれるなどとはきいたことがない。ほとんどの場合彼らは大学運営では全くの素人である。

かつて兵庫の小さな大学で働いていたとき、3年ごとの学長選挙を経験した。以前は、教授に投票権があってそれ以外の教員は傍観する有様であった。選挙が公示されると立候補者の推薦陣営が水面下で運動をやる。陣営の活動は、出身大学を出たものが仲間を誘い込むというものである。筆者は、こうした地元の大学出身ではない、いわば地盤も看板もないアウトサイダーのような存在であった。それゆえ、立候補者の陣営から盛んに電話がかかってきた。

そして投票日。立会人は候補者の側から選ばれる。彼等は投票行動をじっと見つめる。筆者のような「無党派層」は特に注目される。「成田」というのと「朝野」というのが学長に立候補しているとする。記名するときは、後者のほうが時間がかかる。立会人はそれを見て、「誰それは誰に票を投じた」とわかるそうだ。まるで田舎の町長や村長選挙のようである。実にくだらない話しだが、こんな学長選びが10数年前まで行われていた。蛸壺の中のような大学運営であった。今は、理事会が実質的に決める。欧米にならった学長選びだ。

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North Carolina State University Chancellor, Randy Woodson

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University of Wisconsin Chancellor, Rebecca Blank

留学の奨め その7 Intermission 週末の学生生活

留学生の米国生活のことは、別に目新しいことではない。だが苦学した筆者には普段の院生の日課とはかけ離れた毎日だった。それは家族を抱えてアルバイトに専念しなければならなかったからだ。授業のない土日は家族を支える金子の稼ぎ時だった。

大学は日曜日の午後から始まる。週末をのんびりすごしたり、フットボールで浮かれた学生はぞくぞくと図書館にやってくる。アメリカの学部だが、授業に休講はない。基本的に詰め込みの連続である。大教室でも私語はない。出欠とりもない。だが教室は学生で一杯だ。試験が2回、そして小論文が一つ課されるのが普通である。そのために勉強は大変である。大学院も然り。授業時間は1日平均すると3時間程度、留学生であればその前に与えられるアサインメントのための予習、そして復習をこなすのに5、6時間はかかる。

学期は二期制。9月〜12月と1月〜5月である。学期の末には卒業式がある。それぞれ16週間の学期は各々独立していて異なる科目を履修する。7〜8週間ごとに中間と期末テストがあり、加えてそれぞれの科目について10枚くらいの小論文を提出しなければならない。だから金曜日になると、ヤレヤレという気持ちになる。この緊張のとけた空気のことを “TGIF(Thank God, it’s Friday)” と呼ぶ。”神様、ありがとう。ようやく金曜日が来ました ” という雰囲気である。金曜日の午後は授業はない。午後4時頃になると構内は閑散となる。学生はつかの間の羽目を外す時間がくる。

1学期、16週間という速いペースに馴れると、学生生活を楽しむことができるようになる。

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留学の奨め その6 図書館司書の優秀さ

筆者は北海道大学と立教大学で学び、その後はウィスコンシン大学で学位をとり、国立特殊教育総合研究所と兵庫教育大学で仕事をした。だが日本の大学の図書館で世話になったことは全くない。なんでも自分で検索などの作業をしなければならなかったからだ。有能な図書館司書(librarian)がいなかったということだ。

今回の話題は図書館司書の専門性と養成についてである。振り返ると日米の大学の違いは、大袈裟にいえば図書館の置かれている地位と図書館司書の専門性、そして図書館学(library of science)の認識にあるのではないかと考える。

ウィスコンシン大学では、オリエンテーションで図書館の利用方法を教えてもらった。そのお陰で専門職である司書にひとかたならぬお世話になった。そしてその専門性には驚いたものである。実に良く訓練されている。もっとも、司書は最低の条件として図書館学の修士号を有している。

我が国とアメリカの司書養成の仕組みや内容を調べると、そこに大きな違いがあることがわかる。まず、我が国では司書となる資格は図書館法に規定する公共図書館の専門職員となるためとなっている。しかし、公共図書館の大部分では、司書の資格を取得した者を正職員として採用する人事制度がない。事務職員としての採用制度だからである。公立、私立の小中高校に司書はいないのというのは誠に貧弱な体制だ。

我が国では、司書資格の取得方法は二つある。大学の正規の教育課程の一部として設置されている司書課程と夏季に大学で集中して行われる司書講習がある。大学の司書課程はそのための全国統一的なカリキュラムが、図書館法の制定以来、現在に至るまで作成されていない。専門性に必要な科目の単位数が少なく、司書講習に相当する科目の単位の認定を受けて、大学を卒業すれば司書資格を取得できてしまう。

次に司書講習である。本来現職の図書館職員向けのものとされているため単位認定が甘く、「暇と講習料さえあれば取得できる資格」といわれるほど講習内容が貧相でおざなりな講習会といわれる。我が国の司書に関する根本的な課題とは。それは司書の専門性と役割を重視しない風土、そして図書館学の未熟さである。ところで心配になったのだが、公立図書館や大学に司書の資格を持った者がいるのだろうか。

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留学の奨め その5 図書館の利用

アメリカの大学の特徴はいろいろとある。その一つは図書館サービスの充実である。図書館の利用は留学生には力強い味方となる。多くのアメリカの大学図書館は学外者に対しても広く門戸を開放している。自分がウィスコンシン大学に行っても、理由を説明しパスポートを見せると入館証を発行してくれる。図書館の開館時間は大学によって異なる。閉館は21〜22時というところが多い。試験期間中は通常24時間開いている。

私立のボストン大学(Boston University)は市中心部にあるので、地下鉄などを利用して家賃の安いアパートから通学する学生が多い。そうしたこともあって、この大学の図書館は地下鉄の終電に合わせて午前2時閉館となっている。地下鉄沿線に住んでいる学生は2時近くまで安心して勉強できる。ボストンの郊外、ケンブリッジ(Cambridge)にあるハーバード大学は、徒歩圏内に大学寮や学生向けのアパートがあるので、そこにいる人は深夜でも安心して図書館を使うことができる。人文社会科学の図書館であるLamont Libraryは24時間開いている。

もし図書館が24時間開館というのであれば、利用者はいつでも帰れるというのが開館の大きな前提となる。日本の大学で24時間開館という例は京都大学の一部を除き、きいたことがない。恐らく京大近辺は徒歩圏内に学生寮やアパートがたくさんあって、夜中でも人通りがあるという恵まれた条件があるからではないだろうか。

アメリカにおける大学図書館の地域住民への開放を促す歴史は古い。税金で賄われている大学図書館がその門戸を開くのは当然だという観念がある。大学図書館の地域開放は善意や地域社会との良好な関係を築くためではなく、行わなければならない義務であるという主張が高まったのである。だが人口の増加により公共図書館は、地域住民に対するサービスが不十分になってきたこともある。高等教育への関心が高まり、新しい大学が次々に設立され、その教育をサポートするだけの十分な資料がなかったことなどから、大学図書館はその専門的な情報の保存と発信基地として地域に貢献してきたのである。

図書館の開放によって大学は地域社会と良好な関係を作り上げてきた。それに至るまで、長年にわたって大学図書館の地域開放の長所や課題が議論されてきた。そうした歴史を踏まえ、アメリカの大学図書館の多くは開放という姿勢をとり続けている。個々の大学の発展だけではなく、アメリカ全体の教育や研究水準の発展を志向するからだろうと考えられる。

screenshot_118  New York City Libraryscreenshot_119 George Peabody Library

留学の奨め その4 入学審査

外国の大学にどのようにして入学するか。今回はアメリカの大学に限定してみる。学部も大学院も共通した手続きとなる。大学の入学係のサイトをみると、留学生向けの出願規定がでている。まずは入学試験というのはない。外国人学生は高校の成績証明書、英語力検定試験のTOEFLの結果の提出を求められるはずである。ウィスコンシン大学マディソン校(University of Wisconsin-Madison)では、その他に担任教師やスクールカウンセラーからの推薦状をつけるようにとある。こうした書類によって審査される。アメリカの学生は、SAT(Scholastic Assessment Test)という大学進学適性試験を事前に受けてその結果を提出する。

TOEFLの得点だが、学部一年に入るためには、ペーパーテストでは580ー620点、Web上での得点は95-105点が必要とある。もしこの通過点に達していなければさらに勉強して試験を受け直す。大学によっては留学生にはSATかACT(American College Test)が要求される。

IELTS(International English Language Testing System)も権威ある英語力検定試験である。アメリカ国内の3,000以上の大学や機関はIELTSを公式に認めている。IELTSで8.0-7.0をとっていれば入学を許可してくれるはずである。

大学の中には自分の簡単な履歴(resume)の提出を要求するところもある。この履歴には、自分の得意な科目、スポーツ、特技、課外活動、ボランティア活動、表彰歴、海外留学経験、リーダーシップの経験などを正確な英語で書くことが大事だ。このリーダーシップは特に審査員の目にとまるはずである。

エッセイ(小論文)の内容には創造性や独創性が要求される。しかも書いた内容の洞察力の鋭さや質の高さが求められる。推薦状においても学力、才能、人格、素養、課外活動のすべてにおいて秀でた個性が映し出され、できれば格調高い英語で表現されていれば万全である。エッセイは、英語学などで修士号を有し修辞に詳しいネイティブに点検してもらうことを勧める。そこらのALTではいけない。

大学には預金残高証明(Financial Verifiation)を提出することを義務づけているのもある。前回述べたように、大学で学ぶ資金がないと受け入れてくれない。はじめから奨学金を当てにして「行けばなんとかなるだろう」という考えは論外である。アメリカは高学歴が幅をきかす社会なので、ハイリターンには高額の投資が必要である。授業料はアメリカでも高騰してきている。貧しい家庭の子弟には苦しい状況である。

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北海道とスコットランド Intermission NO2

国籍の話題である。ニューヨーク・タイムズ(New York Times)を始めとするアメリカのメディアは、ノーベル物理学賞の受賞者となったカリフォルニア大学サンタバーバーラ(University of California, Santa Barbara)校の中村修二教授を「アメリカ人」と紹介しているという。この記事の見出しは「2人の日本人と1人のアメリカ人がノーベル物理学賞を分け合った」となっていた。AP NewsやThe Times-Tribuneも”Japanese-born American professor”と紹介している。筆者はこれでよいと考える立場だ。

合衆国では、自らの意志で米市民権を取得した場合は、帰化の時点で日本国籍を喪失するとなっている。中村教授は「米国の市民権」を取得しているのだからアメリカ人なのである。

国籍で気になることだが、アメリカ大使館が「米国籍取得で日本国籍を離脱」と主張しても、戸籍離脱届けをしないかぎり、国籍は残存している。我が国には国籍離脱届という制度がある。それを行使しないかぎり戸籍謄本に残こる。

そこでだが、中村教授は国籍離脱届けを提出していないだろうと察する。中村氏は外国籍取得と国籍離脱届提出の間の段階に留まっており、戸籍は残存している状態にある二重国籍なのだろうと考える。それ故、我が国のメディアが中村教授は日本人とするのも得心する。

何故こんなことを主張するかといえば、筆者の次女がそうなのだ。彼女は米国籍をもつ日本人である。だが筆者の戸籍に依然として記載されている。筆者は二重国籍が望ましいのかどうなのかを尋ねるために役所に相談にいった。まず戸籍から抹消するためには、市民権の証書、それも原本を役所に持参しなければならない。複写は受けつけないとのことである。だが吏員の対応には自信があるように感じなかった。

役所は曰く。戸籍法では、国籍離脱から3ヶ月以内に提出が義務付けられている。だが外国籍を取得したことは、日本政府は知りようがないのでなんの罰則規定もあてはまらないのだと。国籍法第13条に国籍離脱の届けの規定がある。それには届け書を作成して添付書類を添えて,法務局,地方法務局又は在外公館に届け出る、とある。

我が国は「国籍単一の原則」から二重国籍を原則的に認めていない。だが中村教授も筆者の娘のように、なんの手続きもしていない事例が多々あるはずだ。手続きがややこしいのと、二重国籍でも何の不自由もないからである。わざわざ旅費をかけて日本に戻り、国籍離脱手続きをするだろうか。しかも国籍法に二重国籍への罰則規定がないから、国籍剥奪の強制執行制度もない。日本政府が中村教授や娘らの現状をかえりみて、「国籍離脱届を出すように」と説得する可能性は1%位ある。

ノーベル賞の受賞者がアメリカ人か日本人かについては、中村教授にきくのがよい。だが氏の関心は国籍ではないことははっきりしている。

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「公認心理師法案」に関してーー注意を喚起したい

現在、心理職の国家資格化に関するいろいろな論議が進んでいます。先月、「公認心理師法案早期実現のお願い」という文書が臨床心理職国家資格推進連絡協議会、医療心理師国家資格制度推進協議会、日本心理学諸学会連合、一般社団法人日本心理臨床学会、一般社団法人日本臨床心理士会の連名でだされました。

今年の6月16日に「公認心理師法案」が国会に提出され、9月29日からの臨時国会の文部科学委員会で審議される運びとなっています。この法案にうたわれる「公認心理師」なるものは、特別支援教育士とか臨床心理士といった資格をお持ちの方々には直接関わる事案です。既存の資格を取得するために、多くの投資をされた皆さんには大事な法案だと考えられます。すべて「公認心理師」によって、こうした資格がどうなるかです。

この法案で皆さんに大事だと思われるのは第二章の試験です。以下のような案となっています。(受験資格)にはこれまでの資格を有する方々へはなんの配慮もされていません。所定の心理学関連の単位を取得していれば受験資格があるとあります。
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第二章 試験
(資格)
第四条 公認心理師試験(以下「試験」という。)に合格した者は、公認心理師となる資格を有する。
(試験)
第五条 試験は、公認心理師として必要な知識及び技能について行う。
(試験の実施)
第六条 試験は、毎年一回以上、文部科学大臣及び厚生労働大臣が行う。
(受験資格)
第七条 試験は、次の各号のいずれかに該当する者でなければ、受けることができない。

一. 学校教育法に基づく大学(短期大学を除く)において心理学その他の公認心理師となるために必要な科目として文部科学省令・厚生労働省令で定めるものを修めて卒業し、かつ、同法に基づく大学院において心理学その他の公認心理師となるために必要な科目として文部科学省令・厚生労働省令で定めるものを修めてその課程を修了した者、その他その者に準ずるものとして文部科学省令・厚生労働省令で定める者
二. 学校教育法に基づく大学において心理学その他の公認心理師となるために必要な科目として文部科学省令・厚生労働省令で定めるものを修めて卒業した者その他その者に準ずるものとして文部科学省令・厚生労働省令で定める者であって、文部科学省令・厚生労働省令で定める施設において文部科学省令・厚生労働省令で定める期間以上第2条第1号から第3号までに掲げる行為の業務に従事したもの
三. 文部科学大臣及び厚生労働大臣が前2号に掲げる者と同等以上の知識及び技能を有すると認定した者
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社団法人日本心理学会が認定する民間資格に「認定心理士」があります。一般財団法人特別支援教育士資格認定協会の「特別支援教育士」もそうです。さらに臨床心理士があります。言うまでもなく日本臨床心理士資格認定協会が認定している資格です。こうした資格がどうなるのか、ということを提起するのが「公認心理師」です。

私なりにこの法案を調べましたが、次のような疑問が浮かんでまいります。まず「公認心理師」とは、いろいろな専門性を有する人々の民間資格をうやむやにする懸念があることです。例えば、臨床心理士の資格です。この資格は信頼性が高く、心理士系の資格の中では就職に有利と言われている資格です。臨床心理士では、認定心理士とは異なり、心理学に関し学んでいる学術のレベルが違い、クライアントに提供できる技能の質が違っています。同じように特別支援教育士も専門性のある資格です。臨床心理士側は、「公認心理師」のレベルが低く双方の資格の価値が下がることを危惧しなければなりません。しかも、現段階でイメージされる公認心理師では、臨床を経験することは困難です。

先に述べましたが、すでに民間資格をとった人は、資格をとるために多額の投資をしています。講習会の旅費、認定料、資格更新の受講料などです。その投資が今やどぶに捨てるような事態になりつつあるのです。また高い受験料や認定料を支払って「公認心理師」を取得しダブルライセンス保有者となったとしても、これまでの資格はなんの役にも立たなくなる可能性もあるのです。

海外の資格の多くで、例えば臨床心理士であるClinical Psychologistになるための要件は、博士号を有すること、そして臨床の経験があるということです。我が国の民間資格はどれも学会に属して受験資格を得るといういわば、系統的な単位を取得し専門性をつけるということを重視しないところに課題があります。いつも民間資格の質が問われるのが我が国の有様です。「公認心理師」が学部卒で取れそうだという点に大きな疑問と不安が湧きます。

「公認心理師」の出現によるメリットとはですが、皮肉にも臨床心理士も公認心理士も特別支援教育士も更新する必要がなくなることです。もしかしたら消滅するのでは、という懸念もあります。たとえ存続するにせよ、更新のための費用は「公認心理師」を含めてとられることを覚悟しなければなりません。そんな資格を持っても一体役に立つのかを自らに問う必要があると考えます。

最後ですが、「公認心理師法案早期実現のお願い」の要望書には次のようにあります。

「今日、国民のこころの問題(うつ病、自殺、虐待等)や発達・健康上の問題(不登校、発達障害、認知障害等)は、複雑化・多様化しており、それらへの対応が急務です。しかしこれらの問題に対して他の専門職と連携しながら心理的にアプローチする国家資格が、わが国にはまだありません。国民が安心して心理的アプローチを利用できるようにするには、国家資格によって裏付けられた一定の資質を備えた専門職が必要です。」

問題としたい点は、最後のフレーズです。国家資格によって裏付けられようとなかろうと、民間団体がこれまで認めてきた者は、一定の資質を備えた専門職であるということです。「国民が安心して心理的アプローチを利用する」には、高度の専門教育を受け、長い臨床実践を経た者が必要なのです。国家資格ではありません。「公認心理師って一体全体なんなのか、その専門性とは一体何か、保護者や子どもその他クライアントのことを念頭に置いているのか、、 認定団体は自己保身的ではないか、、、」を国民は問うことになるでしょう。

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文化を考える その33 「正義が川のように流れ下り」

“I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.”

冒頭から英文でお許しいただきたい。出てくる単語はすべて中学の英語で学ぶものばかりである。どうしてもこのパラグラフを引用しないと、今回のブログは体をなさないと考える。ノーベル平和賞の受賞者、マーチン・ルーサー・キング牧師(Martin Luther King, Jr.)の有名な演説の一部である。1963年8月に首都ワシントンDCで繰り広げられた大行進のとき読み上げたものである。

プロテスタントバプテスト派の牧師であるキング博士は、ペンシルベニア州のクローザー神学校(Crozer Theological Seminar)を経て父親と同じくバプテスト派の牧師となる。その後1955年にボストン大学神学部で博士号を取得した。

キング牧師は、解放宣言で明確に打ち出された奴隷の廃止に関して「それは、捕らわれの身にあった彼らの長い夜に終止符を打つ、喜びに満ちた夜明けとして訪れたのだった」と説く。この箇所は、旧約聖書詩篇30章5節(Psalm)から引用したものだ。
■その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。

次に奴隷解放に至るまでの長い道のりを回想し次のように説く。
「そうだ、決してわれわれは満足していないのだ。そして、正義が川のように流れ下り、公正が力強い急流となって流れ落ちるまで、われわれは決して満足することがない」この部分は、アモス書5章24節(Book of Amos)の次の聖句に由来する。
■公道を水のように、正義をつきない川のように流れさせよ。

さらに「いつの日にか、すべての谷は隆起し、丘や山は低地となる。荒地は平らになり、歪んだ地もまっすぐになる日が来ると。」という部分はイザヤ書40章4節(Book of Isaiah)からそのまま引用している。
■すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。

イザヤ(Isaiah)は旧約聖書に登場する有名な預言者の一人。イザヤ書40章3節で「荒れ野に主の道を備えよ」と新しい国造りをイザヤは指し示す。「虚飾ではぎとられた荒れ地を耕し、権力者と驕り高ぶっている山と丘を低め、おとしめられてきた者がいる谷を埋め、主のための道を備えよう。」と説く。

文章の冒頭の語句を繰り返す反復も修辞の手段として、演説全体で用いられている。なかでも “I Have a Dream …” という表現は8度出てきており、その表現でキング牧師が描く差別のない一体化したアメリカを聴衆に訴えている。

そして演説の最後は、“Free at last ” で終わる。このフレーズは、黒人霊歌のタイトルである。キング牧師の演説草稿は深い思索と博識に裏打ちされていることを教えてくれる。

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文化を考える  その32 ”I Have a Dream” Speech

深く人々の心に刻まれる文章、魂を揺さぶられるような演説とはなにかを考えている。

これまでいろいろな作品や演説を読み聴きしてきた。作者の時代を思い起こしながら、作者の意図をくみ取ろうとする作業はまるで至福のときである。思うに文章を書くこと、草稿を練るには、その下地となる基礎知識とか時代背景を知らねばならない、ということを肝に銘じている。

ある話題を取り上げようとする。それに関した知識があれば、話題への切り込み方がちがってくる。時代考証や先行文献などに裏打ちされた文脈や内容であれば読者を引き込むことができる。

演説の草稿は、通常スピーチライター(speech writer: SW)が書く。大統領や総理大臣の演説原稿はSWによるものだ。時に演説者自身の手によって作られるのもある。その代表例が、1963年8月28日に、ワシントンDCのリンカーン記念堂(Lincoln Memorial)で行ったキング牧師(Martin Luther King, Jr.)の演説である。通称、”I have a dream.”と呼ばれる。あまたの演説の中で最高のものと称される有名な内容である。

なぜこれほどの内容の草稿なのか。それはキング博士の牧師として、運動家としての深い信仰や信念に裏打ちされていることに畏敬の念を抱くのである。とりわけ旧約聖書の理解なしに、この草稿は生まれなかったと思えるほどである。

小学生にも分かるような表現やフレーズがある。大人向けの首句反復という修辞もある。独立宣言や黒人霊歌からの引用もある。だが、黒人への偏見と差別という出来事が、旧約聖書に記述される紀元前のエジプトで起こった差別と迫害の出来事をはっきりと思い出させるような引喩が心を打つのである。紀元前から続く人種偏見をキング牧師は聖書の内容から熟知していたことに畏れ入るのである。次稿はそのことに触れる。

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文化を考える その31 街角の風景  今も人種差別が

先日、ミズリー州の街で黒人青年が警官に射殺される事件が起こった。オバマ大統領も市民に冷静さを呼びかけるほどであった。ことの顛末ははっきりしないが、根強い人種差別の歴史を思い起こす事件である。

人種差別を英語では「Discrimination」とか「Racial Segregation」という。この人間の考え方の源には、生まれつきの遺伝的な要素によって人の特徴や能力は決まっているのだから、別々に生きることが幸せなのだ、という思い込みである。そこから特定の人種に対する特別な信念や行動が生まれると考えられる。それが具体的に現れるのが人種差別とか人種の優越性の観念である。これは「レーシズム」(racism)という。

オックスフォード英語辞典(Oxford English Dictionary)によると、「レーシズムとは信念やイデオロギーのことであり、人種というのはそれぞれ共通の特性や能力を有する、それによって他の人種に対する優越性や劣等性をきめるもの」と記述されている。別の辞典では、「レーシズムとは人種によって固有の文化を形成する要素である」ともある。こうした定義で共通していることは、「遺伝」、「信念」、「特性」、「すみ分け」などが強調されることである。レーシズムによって、皮膚の色とか人種の違いが排他的な態度、優越的な態度と他人を蔑むこと、人権や自由を脅かす行為につながる。

南部アラバマ州では1950年代から「ジム・クロウ法」(Jim Crow)という人種分離法がつくられ、交通機関、駅、トイレ、映画館、学校や図書館などの公共機関、ホテル、レストラン、バーなどで白人と有色人種(the colored)を分離することが正当化された。やがて州都モンガメリー(Montgomery)で1955年に起こったローザ・パークス(Rosa Parks)逮捕事件が公民権運動の口火をきる。

パークスは、白人専用のバスに乗り込んで逮捕される。これをきっかけに、キング牧師(Martin Luther King Jr.)らがバス・ボイコットの運動で立ち上がる。運動は全米に広がり、1956年には合衆国最高裁判所が「バス車内における白人専用及び優先座席を違憲とする判決を出す。1963年8月にキング牧師に率いられたワシントン大行進。1964年7月に公民権法(Civil Rights Act)が制定され、長年続いてきた人種差別撤廃運動は終わりを告げる。

今日、法的には人種差別は完全に違法である。人種、文化、言語、信条などによって差別をすることは教育、就職、表現などにおいて禁止されているが、、、。このような社会が創られるまでは、幾多の困難や障壁があった。黒人奴隷が存在した。リンカーン(Abraham Lincoln)大統領が黒人の解放を訴え、それを機に南北戦争(Civil War)が起こった。そして奴隷解放が宣言された。だが、アメリカ社会にはいまだに目に見えない人種偏見が続いている。バラク・オバマ(Barack Obama)が大統領になったときの異例の報道はそれを物語る。

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文化を考える その30 街角の風景 エリザベス・サンダースホーム

1955年にスペインで作られた映画「汚れなき悪戯(いたずら)」をご存じの方は60歳後半の人。養子縁組の話題の続きである。

19世紀前半、スペインの小さな寒村が映画の舞台である。ある年の聖マルセリーノ祭(Marcelino)の朝、教会堂の門前に赤子が置かれているのをフランシスコ会の修道士たちが見つける。彼らは赤子の里親を求めて歩き回るが見つからない。そこで修道院で育てることになる。そして名前をマルセリーノと名付ける。

5年後、マルセリーノは賢い少年に成長していく。しかし、母親がいないことや友だちができないことに修道士たちは心配する。修道士は、屋根裏部屋には決して入っていけないとマルセリーノに言いつける。ある日マルセリーノは入ってはいけない屋根裏で大きな十字架のキリスト像を見る。そこでキリストとの対話が始まるのである。そしてパンや飲み物を運ぶという「汚れなき悪戯」が始まる。

19世紀のアメリカでは、移民の増大や南北戦争によって多くのホームレスや孤児を生んだ。各州ではこうした子どもへの対応を考え始める。1917年には、ミネソタ州がはじめて養子縁組を認める法を制定する。二つの大きな戦争、朝鮮動乱、ベトナム戦争などによって多くの国々で孤児が発生した。こうした経緯で、アメリカでこのような恵まれない子どもに家庭を与えるための養子縁組制度、いわば子のための制度が広く社会に浸透していく。

「我が故郷ウイスコンシン 忘れられない人ーその30」で紹介したMr.& Mrs. John Silbernagelの娘、Karenのことだ。彼女は結婚する前にスリランカから養子を引き受けた。独身女性が養子縁組をするなど筆者には思いもよらなかった。その子を実の子として献身的に愛情を注ぐ未婚の母親姿を見て感じ入った。「生みの親よりも育ての親」である。その後彼女は結婚し、実の子どもを授かる。

1948年、岩崎弥太郎の孫、澤田美喜がエリザベス・サンダースホームを設立する。連合国軍兵士と日本人女性の間に強姦や売春、あるいは恋愛で生まれ見捨てられた混血孤児たちのため児童養護施設であった。その後ここで約2,000人の子どもが育てられ、多くは養子としてアメリカに渡った。彼女の夫は初代国連大使を務めた澤田廉三である。
img_0汚れなき悪戯」からsawadamiki2澤田美喜氏images

 

文化を考える その29 街角の風景 養子縁組み

養子縁組が多いのがアメリカ。私の息子夫婦には2人の男の子がいるのだが、3人目は養子を育てたいといっていた。8年前にサバティカルで阪大にいたとき、日本人の子どもを養子にするための手続きで関係機関を調べていた。だが外国に住んでいて、日本から養子をとるのは極めて困難であることがわかったようだ。だが今も養子を探している。

我が国は、家父長制を基本としていたので、家長の後継者を得るための養子縁組が存在していた。こうした伝統のせいだろうが、今は「子どもと家族の幸せ」という考えで養子をとることは並大抵のことではない。

養子制度は長い伝統があるす。制度を遡ると、 紀元前18世紀、古代バビロニアのハムラビ法典などに由来することが判明している。当時は養子が合法的であり、保護者の責任などが規定されていたことが伺える。Wikipediaによれば婚約、婚姻、離婚、姦通と近親相姦、遺産相続などの規定もあったようだ。ローマ帝国の皇帝というのは、養子縁組での継承というのがやたらと多かったといわれる。ローマ帝国は、一夫一妻制の社会であったため、皇帝が必ずしも継承者となる男子を持っているとは限らなからである。

中世期のヨーロッパにおける養子縁組は容易ではなかったようである。ナポレオン民法典には、養子制度も規定されたが、それは成年の養子のみであり、氏や財産の継承の目的だけに認められた。養子は18歳以上でなければならず、養親は50歳に達していることが必要であった。

だが、貧しさのために教会の門前などに幼児を置き去りにする人々が絶えなかったといわれる。そこでカトリック教会は孤児院を運営し始める。こうした博愛の精神が、やがて養子縁組を社会に定着させるための原動力となっていく。

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ナポレオン民法典
2cd0d2567ffc5558b655727e0b4e13cf Code of Hammurabi
ハンムラビ法典

文化を考える その28 街角の風景 その8 「聴衆に視線を向ける」

なくて七癖とはよくいったものである。人それぞれに癖があるが、人前では、あまりよろしくない行為はなんとかしたいものだ。先日、図書館で調べものをしているとき、前に座った外国人から「足を振るわせないように」との注意を受けた。振動が伝わって不快な思いをさせたようだ。私は足をブラブラしたり貧乏揺すりをする癖がある。

人前で話をするとき、自分は「あー」、「えー」、「えーと」、「うーんと」などというつなぎがでてくるのを自覚している。文章の末尾に「、、、、と思います」というフレーズも多い。録音を聴きながら「、、、です」と直さなければとなんども言いかせた。だがなかなか改善しない。

以前、トーストマスター(Toastmaster)という団体に属したことがある。トーストマスターとは非営利教育団体で、座を和やかにする話し方、聴衆をひきつける話し方のスキルを高めることを目的とする。世界中にトーストマスターズ・インターナショナルの支部やクラブがある。月刊雑誌を出しているほど活動が活発で、日本にも支部がある。多くは英語圏の人で構成されている。

横須賀にいたとき基地内にある学校で、トーストマスターの例会に出席していた。この例会は英語で進められた。会員は、月に数回定期的に開かれる勉強会に出席することが求められる。会合の進め方だが、司会者からスピーカーや評価者などの役割を与えられる。会員は毎回持ち回りで司会を務める。

例会は時間厳守が求められる。参加者はマニュアルに基づいて準備されたテーマについてのスピーチ、即興スピーチをしなければならない。論評はスピーチの良かったことに対する「褒め」と、建設的な「改善点」の両方を述べることが要求される。私がしばしばこの例会で指摘された改善点である。それは、原稿に視線が向きすぎる、即興で与えられるテーマでしゃべる内容に精通していないこと、流れるようなスピーチの構成となっていないこと、言葉遣いで「ああ、、えーと、」が多いこと、ジェスチャーが不十分で訴える印象が薄い、声の抑揚が平坦であること、などが指摘された。

例会の終わりには、参加者全員による投票で最優秀スピーカー、優秀即興スピーカー、評価者などの賞が与えられる。講師は存在せず、会員同士による話し方のフィードバックによって、話し方を向上するために教育しあうことを活動の柱としている。

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文化を考える その27 街角の風景 その7 終身身分保障制度

アメリカの大学では、終身身分保障を得れば定年がない。研究費をとれるならば、建前上は死ぬまで働いてもよい。これを終身身分保障制度、英語でテニュア、あるいはテニュアトラック(tenure-track)と呼ぶことは前回記した。

アメリカの大学では、通常博士号を取得すると任期付きの講師、ポスドク研究員、そしてテニュアが期待される助教授のいずれかのポジションを取得することになる。基本的にはテニュアによって「審査期間を首尾良く経過し、正当なる理由があるときは、その地位が保障される」のである。テニュアというのは、優秀な研究者に与えられる身分保障制度のこと。これによって学問の自由が保障されると同時に、経済的に安定した生活も保障される。

どの大学でもテニュアになるための基準がある。テニュアの審査応募資格としてはテニュアのポジションに在籍していて、審査期間の5年間に優れた研究業績があり、しっかりした学生指導の実績があること、学部の教務に精励していること、助教授の肩書きを持っていることなどである。テニュアをとろうとする助教授は、いくつかの学内委員会の審査を通過して、大学の理事会が承認することになる。このように研究活動、教育活動、教務活動の全てにおいて優れていることが要求される。

研究活動においては査読付き学術論文を複数発表していることも要求される。審査付学会報告などを複数持っていないとテニュアの取得は困難である。テニュアをとると海外などでのサバティカルリーブ(Sabbatical leave)という自由な研究活動が与えられる。欧米では広く普及している休暇制度である。休暇の期間は半年か一年である。半年の場合は給与は半額が支給され、一年の場合は無給というのが一般的である。

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