お金の価値 その三 「欲しがりません、勝つまでは」

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 戦時中の通貨発行の経緯は貨幣を考えるヒントを与えてくれています。政府は、国威発揚のために新聞報道をとおして国民から「国策標語」を求めます。「強化標語を公募し、以つて一億国民蹶起の合言葉となし。御賛同の上、御後援賜はり度」というのが大手の新聞に載ったといわれます。いわば戦争遂行のための国民決意を表す標語です。全国から多数の標語が集まったようです。その中には、「ぜいたくは敵だ」、「すべてを戦争へ」、「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」などに混じって次の標語も選ばれます。「胸に愛国、手には国債」です。

戦時中の国策標語の一つ

 戦費の調達のために、国は多額の国債を発行します。戦時国債と呼ばれる財政出動です。国債発行とは、通貨の発行のことです。国債によって市場に通貨を供給し、工場を建て武器を製造することを促すために発行したのです。国債によって原材料を買い入れ武器を製造するために国民を雇います。国民はそれによって収入を得ます。国債とは、このように供給と需要を大いに刺激するのです。収入が増加すると所得税が政府に入ってきます。しかし、肝心の生活に直結する品物は作らず大いに不足するのです。この状態を示す標語が「黙つて働き 笑つて納税」です。収入を需要にまわすと商品の価格が上昇し、下手するとインフレーションが起こります。戦時中ですから政府はインフレーションといった混乱を歓迎するはずがありません。

「欲しがりません、勝つまでは」

 「欲しがりません、勝つまでは」という標語も同じことです。国民に我慢を強いて、戦争を遂行したかったのです。こうした我慢や倹約という行為は、どの国でも奨励していたのです。例えば、戦時中のアメリカでは、車を一人で利用する事は隣にヒトラーを乗せている事と同じだ、という論調がありました。また自家用車では相乗りを推奨しました。缶詰を兵器に使えるようにと金属を倹約するように奨励されたこともあるくらいです。働かない国民には、兵器工場で働いて尽くすように勧めたともいわれます。「我々は標語に“触発”されたというより“抑圧”、“支配”された」という回想記も残されています。

 このように、程度こそ違いますが、戦時においてはどの国でも国民に戦争を他人事と思わせず、倹約に努め勤労にいそしむように奨励したのです。国の巨大な国債発行とは、輪転機をぐるぐる回し過ぎることです。当然通貨の価値は下落し、物価が上昇して資産が目減りしたのが戦時中の国債です。そして国民の持つ債券は大きく下落したのです。このようなインフレというリスクを国民に伝えなかったのが戦時内閣でした。

(投稿日時 2024年10月3日) 成田 滋

お金の価値 その二 輪転機を回して紙幣を刷る

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 北海道大学時代に「貨幣論」という授業を受けたことがあります。そのとき、どんなことを学んだかはほとんど記憶がありません。ただわずかに記憶に残ることは、輪転機を回して紙幣を刷りすぎると物価が上昇し、社会が混乱するということです。そのからくりは理解できるのですが、どの位の紙幣を発行するかのさじ加減はどのように決めるか、という質問を教授に出すことができませんでした。

 最近、岩井克人という学者の 『貨幣論』を読んで貨幣の興味ある話題に触れることができました。筆者は、貨幣は共同体的な存在であるいうのです。人々は貨幣を使うことによって貨幣共同体の構成員となり、貨幣共同体は貨幣が未来永劫にわたって存在し続けるとの期待によって存続するというのです。別な言い方をすれば、1万円札に1万円の価値があるのは、人々が皆そう信じているから、ということです。「他の人々もこの紙切れを1万円の価値があると思って取引に応じてくれる」という期待が壊れれば、1万円はただの紙切れになってしまういます。一例として、アマゾン川の原住民から果物を買おうとしてドルや円紙幣をだしても買えません。原住民はその価値を知らないからです。

紙幣印刷機

 以上のような現象は、戦後間もなく起こった50銭紙幣が紙切れになったのと同じで、人々がその50銭の値を信じなくなったからです。貨幣が貨幣でなくなるハイパー・インフレーションが起こったのです。Wikipediaによりますとハイパー・インフレーションとは「通常のインフレを超え、通貨が信用を失ってしまったときに起こりうる状態」と説明されています。

Benjamin Franklin

 1万円紙幣は広義の中央銀行の債務証書とされます。中央銀行とは国ー政府のことです。逆にいえば、国民は1万円の資産をもっているということです。もし政府が債務の返済を履行できない、いわゆるデフォルト状態になれば、国は滅びることを意味します。しかし、そうした事態にならないのは、国は債務を返済する力、すなわち徴税能力を持つからです。いざというときは、税金によって負債を返済できるのです。しかし、実際には徴税によって負債を解消するのではなく、借換債という国債を発行して返済するのです。このように国債を発行し続けることでデフォルトは起きないというカラクリなのです。

(投稿日時 2024年10月1日) 成田 滋