ナンバープレートから見えるアメリカの州ルイジアナ州・クレオール

注目

ルイジアナ州では独特な文化や言語が発展してきました。本稿ではそれを取り上げます。クレオール(creole)がそうです。クレオールとは、16世紀にはアメリカ新大陸生まれの純粋のスペイン人を指す言葉として用いられました。スペイン語でクリオーリョ(creollo)と呼ばれ、その原義は〈良く育てられた〉といわれます。その後、拡大解釈され、ヨーロッパ以外のさまざまな植民地で生まれたヨーロッパ人、とくにスペイン人の子孫に用いられました。アフリカから連れてこられた黒人と区別するために、新大陸生まれの黒人がクリオーリョと呼ばれることもあったようです。

Creoles

クレオールは、アメリカ合衆国では、ルイジアナ地方に植民したフランス人やスペイン人、及びその血を純粋に受け継ぐ者を指します。ニューオーリンズを建設した奴隷労働力の上に優美なフランス的文化を育てた人々がクレオールと呼称されています。クレオールという言葉はしばしば誤用されてきたようです。フランス系やスペイン系と黒人との混血を意味するようになります。

アメリカ南部のルイジアナ州はもとはフランスの植民地でした。そこに黒人奴隷がサトウキビ農園で働き、白人地主と黒人奴隷との間の、あるいは黒人奴隷の間のコミュニケーションのための言葉が生まれました。それがクレオール語と呼ばれるようになりました。アフリカのさまざまな地域から連れてこられた黒人奴隷は、多くの異なった言語集団に属していたため、彼ら自身の共通の言語を持たなかったのです。そして子ども達はクレオール語を習得していきます。しかし、クレオール語は奴隷の言葉として差別の対象ともなります。クレオール語とは特定のものがあるわけではなく、全世界の旧植民地に広く点在するといわれます。

Creoles


植民地においては、そこで生まれるあらゆるもの、たとえば人、物、習慣、文化などすべてがクレオールと呼ばれるようになっていきます。やがて奴隷解放の機運や運動が起こります。それを促したのはフランス人権思想の影響といわれます。こうしてフランス植民地による奴隷制は、フランス自身の思想によって廃止されることになります。そのためアフリカからの労働力を期待できなくなります。やがてアジアの植民地であったインド、中国、レバノンなどから貧しい人々が安い労働力として連れてこられます。こうしていっそう、さまざまな文化要素の混交が起こります。これをクレオール化(Creolization)と呼ばれます。クレオール化を提唱したのは、マルティニーク生まれの詩人・作家・思想家のエドゥアール・グリッサン(Edouard Glissant)で、彼のコンセプトは言語、文化などの様々な人間社会的な要素の混交現象を指します。

ケージャン料理

フランスの植民地の1つであり、カリブ海に浮かぶ西インド諸島に位置するマルティニーク島(Martinique)があります。今の首都はフォール・ド・フランス(Fort-de-France)です。この島にもフランス本国と同様に人権の理念が及んでいきます。知識人の間だけでなく、一般市民レベルでもクレオール語は差別の対象となり、フランス語崇拝が広まっていきます。しかし、フランスへの文化的同化現象は起こりませんでした。1950年代から1960年代にフランス植民地の独立が進んだ時にも、マルティニークは同化されるべき植民地の扱いから脱することが出来ず、現在も植民地のままです。自治権が与えられていきますが、独立の問題を先送りにされています。今でも小・中学校ではクレオール語による教育は排除されています。マルティニーク島は、アジアやアフリカの植民地に比べ、人口の大部分が他所からの移住から成り立っているため、民族主義的地盤が弱いといわれています。フランスへの人口流失が続き、現地の産業は弱小で、フランスへの経済的な依存が続いています。
   (投稿日時 2024年5月16日)

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その五十二 ルイジアナ州—-クレオール

ルイジアナ州の特徴ある文化のことです。クレオール(Creole)と呼ばれる人々と文化です。クレオールとは、フランス人・スペイン人とアフリカ先住民を先祖に持ち、ルイジアナ買収以前にルイジアナで生まれた人々とその子孫、また彼らと関わりのある事物のことです。文化人類学では、人種を問わず植民地で生まれた者をクレオールと呼んでいます。フランスやスペインからの移住者は祖国で受けた教育や財産のほかに、料理人達も連れてきたので、独特の食文化も発展したともいわれます。

Creole Girls

クレオールの原義は「育てられた人々」という意味だそうです。もとは16世紀に新大陸で生まれた純粋のスペイン人を指します。やがて他国出身者でも新大陸に定着した者を指すようになります。アフリカからの奴隷として連れてこられた黒人と区別するために、新大陸で生まれた黒人もクレオールと呼ばれました。

アメリカでは、ルイジアナ地方に植民したフランス人やスペイン人、及びその血を純粋に受け継ぐ者もクレオールと呼ばれます。後に1755年のフレンチ・インディアン戦争(French-Indian War)でフランス領カナダのノバスコティア地方(Nova Scotia)を追われてきたケージャン(Cajun) と本来の植民者を区別する言葉として用いられました。しかし、クレオールという言葉はしばしば誤用され、フランス系やスペイン系と黒人との混血を意味するようになります。アメリカ人が大量に進出し、クレオールは次第に少数派となりますが、自己保存的な努力によって、文化的優越を守ろうと務めてきたといわれます。

Creole Family

我が国でもクレオール文化は盛んに研究されています。その背景としてはヨーロッパを相対化する脱ヨーロッパ中心主義的な思想があるからだといわれます。多文化研究の潮流は今も続いています。例えばクレオールの民族音楽についてです。フランスやスペインによる植民地支配のルイジアナの農園から生まれます。その音楽の特徴は、アフリカ由来の切分法とよばれるシンコペーション(syncopation)のきいたリズム、スペイン語のハバネラ・アクセント(Habanera accent)、フランス由来の四角になって踊る歴史的なダンスのテンポにあります。