ハングルと私 その14 ベエ先生とハーヴァード大学

兵庫教育大学の姉妹提携校である大邱教育大学校からベエ・ハンキョク(배한극)という教授も客員研究者として兵庫にお招きしました。既に紹介したキム先生と同様に一年間、学校教育研究センターで公私ともにご一緒しました。

この先生の専攻はアメリカ史です。いつも英語の論文をお読みの学者です。院生を連れてアメリカの学校を視察したとき、ベエ先生をお誘いしましたら同行されました。未だにアメリに行ったことがないというのです。少々驚きました。長男が研究者として働くハーヴァード大学(Harvard University)を訪ねました。ハーヴァード大学は、1636年に設置されたアメリカ最古の大学で、ボストンの隣にあるケンブリッジ(Cambridge)という街にあります。その隣はマサチューセッツ工科大(MIT)というこれまた世界トップの大学のキャンパスがあります。そばをチャールズ川(Charles River)が静かに流れています。

長男の案内で院生とベエ先生らとハーヴァードのキャンパスを散策しました。ベエ先生はさすがにアメリカの研究者で、ハーヴァードには13の博物館や美術館があること、ワイドナー記念図書館(Widener Memorial Library)には、グーテンベルク(Johann Gutenberg)の印刷機で最初に印刷された聖書の一つが保存されていることなどをこと細かく説明してくれました。

Widener Memorial Library

ハーヴァードヤード(Harvard Yard)とよばれる学生街に大学生協があります。ベエ先生は、一行と別れて生協の本屋に行きました。宿に戻るとスーツケースに一杯の本が入っています。「どうしても沢山の本が買いたかったのでスーツケースごと購入した」とのこと。このハーヴァード大学の旅にはたいそうご満悦で喜ばれたものです。ご夫婦とも敬虔な長老派(Presbyterian)という教会の信徒です。私淑し尊敬するお一人です。

ハングルと私 その13 大邱と慶州

韓国の大都会といえば、ソウル(서울)と釜山(부산)ですが、大邱(대구)も覚えていただきたい都市です。韓国第三の都会です。ソウルから新幹線のKTX (Korea Train eXpress) に乗って南に下り2時間。これまでの高速鉄道であるセマウル号(새마을호)も走っています。韓国の鉄道運賃は日本に比べて安く便利です。鉄道だけでなく高速バスも安いです。

KTXは東大邱駅で停まります。大邱の人口は250万人、大阪と同じくらいでしょうか。山に囲まれた盆地にあるのが大邱です。その周りにあるパルゴンサン(팔공산)という山からの景色はお奨めです。ケーブルカーで行きます。パルゴンサンは山脈の総称で最高峰は海抜1,192メートル。昔から霊山として千年以上の歴史を持つ把渓寺、桐華寺などのある仏教の山です。なんとなく雰囲気が京都の比叡山に似ています。

신라

かつての新羅(신라)の首都であった慶州(경주)は、大邱の東へ50kmのところにあります。ここはどうしても訪ねたい場所です。新羅、高句麗(고구려)、百済(백제)という朝鮮の三つの国があったのを私たちは歴史で学びました。慶州は新羅のかっての首都です。街並みが当時のまま残っているので、観光地にきたという印象はありません。仏国寺ープルグクサ(불국사)と石窟庵ーソックラム(석굴암)が1995年に世界遺産登録されていて、どうしても訪れる価値があります。仏国寺は石垣で固めた盛土の上に伽藍が配置され、伽藍は大きく3つの区域に分かれて回廊で区切られています。石窟庵は、東向きに作られており、日の出、月の出の名所とされています。Wikipediaによりますと、プルグクサとソックラムは、新羅美術の最高峰という呼び声があるそうです。私は幸い3度訪ねていますが、奈良に来たような落ち着きを感じます。

석굴암

ハングルと私 その12 スポーツと大学修学能力試験

韓国の最近のスポーツはとても賑やかです。それはなんといっても野球、サッカー、柔道、フィギアースケート、ゴルフなど、韓国選手の国際的な活躍が光ります。

수능

いつだったか山手線の電車で韓国人のグループと同乗しました。ハングルの練習と思い、話しかけました。「韓国はどこから来ましたか?」「韓日サッカーの試合を観ましたか?」サッカーという英語が通じなかったので「チュック」というと、笑っていました。韓国選手も欧州で活躍しています。たとえば、イングランド・プレミアリーグの名門マンチェスター・ユナイテッド(Manchester United)nにいたパク・チソン-朴智星(박지성)というフォワードは素晴らしい選手です。ピッチの中盤を超えてあらゆるところでプレーするユーティリティープレーヤーと(utility player)しても知られました。多くのスポーツ選手と同様に、今も慈善活動にも積極的に参加しています。

韓国の子ども海外で勉強するものが多くなっています。ある程度経済的に恵まれた家族のようですが、母親が同行して海外の英語を使う学校へ入り、父親は一人韓国に残って仕送りをするのです。こうした父親はキロギアッパ(기러기아빠)と呼ばれています。기러기(雁)と아빠(お父さん、パパ)の造語です。小さいときからの英才教育のようなものです。そして、大学に入るための「大学修学能力試験」が待っています。日本の大学入試センター試験に例えられるのですが、その激しさや熱気はけた外れです。

기러기아빠

大学修学能力試験は略して「修能(スヌン)(수능)」。受験生にとっては本試験以上に重要な試験で、「修能」の結果次第で希望の大学に行けるかどうかが決まります。一流大学へ入ると就職も保障されたようなものですから、スヌンは将来を約束されるかの最初で最後の登竜門です。かっての日本のように帝国大学に入る受験のようなものです。科挙もそうした試験でした。後輩や同郷の者、家族親戚が受験生を歌をうたったり、「頑張れ!」のプラカードを作ったりして応援します。チャンゴ(장고)という伝統的な打楽器を叩きながら激励する姿はまさにお祭りのようです。修能は1日で全ての試験を行い、今年は11月14日に行われました。

장고

ハングルと私 その11 韓国と儒教

韓国の宗教は、儒教が中心だと思われがちですが、町の中に教会が多いので、キリスト教が盛んであることがわかります。Wikipediaによりますと、韓国の宗教人口は総人口の53.1%を占め、非宗教人口は46.9%となっています。このうち、仏教が22.8%、プロテスタントが18.3%、カトリックが10.9%、儒教0.2%とあります。プロテスタントとカトリックを加えたキリスト教全体では29.2%となっています。ソウル市内にも巨大な教会堂があります。例えばヨイド(여의도)にある汝矣島純福音教会もそうです。この礼拝堂はキリスト教の新教に属するペンテコステ(Pentecost)という福音教会で、通常メガチャーチ(mega church)と呼ばれています。建物が壮麗の壮大さとともに信徒数の大きさを示しています。

汝矣島純福音教会

かつて、儒教は両班階級や軍人の間で信念の基本的支柱とされました。李氏朝鮮の時代、儒教は「宋明理学」と呼ばれていました。趙光祖 (조광조)という学者は、宋明理学を確立したといわれます。韓国では「私は儒教の信者です」と答える人はいませんが、その影響は人々の生活に深く根付いています。その儒教の教えとはなんといっても「長幼の序」でしょう。年齢、地位、先後輩などによる序列がとても厳しこと、組織の上司だけでなく身内の両親や兄、姉に対しても同様に敬語をつけることは、すでに述べました。儒教は教育を大事にします。韓国の進学率は日本以上で、その他先生を敬う態度も我が国ではみられない所作です。大学の教授の待遇は破格だといわれます。羨ましいことです。

趙光祖

ハングルと私 その10 キム医師

「金」という苗字は韓国ではダントツに多いですね。キム(김)と発音します。続いて李(イ) (이)、そして朴(パク)(박)という名前が御三家のようです。同姓不婚のしきたりが韓国にあります。それでもこのような苗字が多いのは不思議な感じがします。いとこや親戚はもちろん、全く知らない人でも事情によっては結婚できない場合があります。そのせいかも知れませんが、夫婦は別姓となっています。

旧京城帝国大学医学部

金先生のことです。先生は旧京城帝国大学医学部を卒業し小児科の医師として活躍されます。京城帝国大学は、朝鮮総督府の管理下で1924年に6番目の帝国大学として、現在のソウル(서울)市につくられます。朝鮮総督府は、武断政治という武力を中心として朝鮮を治めていましたが、それがうまくいかなくなり、やがて文化政治への政策へと転換します。この文化政治は「内地延長主義」と呼ばれます。それによって「内鮮共学」となり朝鮮の人々も大学に入れるようになります。金先生はたいそう優秀だったそうです。医学部に朝鮮人として入学するために大変な努力をされたはずです。

朝鮮総督府

実は、私は金先生の息子さんとアメリカで知り合います。そのきっかけはある教育とテクノロジーの活用に関する学会で彼と会ったことです。学会会場で名刺を交換しながらわかったことは、ソウルからやってきてノックスビル(Knoxville)にあるテネシー大学(University of Tennessee) の博士課程にいるということでした。彼の専門と私の専門が近かったので、アメリカの著名な研究者のことをお互いに知っていて、話しがはずんだものです。その後、何度か別な学会で会いました。彼はやがて、ソウルに戻り研究者として活躍します。彼が東京にきたとき、私のアパートに泊まったりしました。そのとき金先生からの土産も頂戴したりしました。