ナンバープレートを通してのアメリカの州  その五十五 ワシントンD.C. コロンビア特別区–Taxation without Representation

プレートには「Taxation without Representation」とあります。このフレーズですが、ワシントンD.C.は他の州とは違って、住民には連邦上院や下院への議員を選ぶ権利がありません。にも関わらず高い住民税を払っています。これまで何度も議会に抗議したり訴訟を起こして、選挙権の獲得運動がありました。しかしいまだに実現していません。そこでD.C.はナンバープレートに抗議のフレーズを入れているのです。「税金払えど選挙権なし」という意味が込められています。他の州には、このような主張を込めたものは見当たりません。興味あるナンバープレートです。

ワシントンD.C.は計画都市です。1791年に都市建設計画のコンペに当選し、基本計画案を作成したのはピエール・シャルル・ランファン(Pierre Charles L’Enfant)というフランス生まれの建築家・技師です。ランファンはバロック様式を基に基本計画を作成しし、環状交差路から放射状に広い街路が伸びて、開かれた空間と景観作りを最大限に重視したといわれます。

Thomas Jefferson Memorial and Cherry Flowers

ヴァジニア州やメリーランド州などと隣接するこの街は世界の政治の中心の一つです。国権の最高機関である大統領府(White House)、連邦議会議事堂(Capitol)、連邦最高裁判所(Supreme Court)や中央官庁などの行政機関が集まるほか、国立公文書館、日本銀行にあたる連邦準備制度理事会(FRB)、世界銀行(WB)や国際通貨基金(IMF)の本部、各国の大使館などが置かれています。

街の中心はナショナル・モール(National Mall)と呼ばれています。モールの中心にはワシントン記念塔があります。モールの両端にはリンカーン記念館と連邦議会議事堂が鎮座しています。スミソニアン協会(Smithsonian Institution) が運営する多くの博物館や美術館がモール内にあります。どれも質・量ともに世界一であります。加えて、多くの国立記念建造物や碑が建てられています。例えば、第二次世界大戦記念碑、朝鮮戦争戦没者慰霊碑、硫黄島記念碑、ベトナム戦争戦没者慰霊碑、アルバート・アインシュタイン記念碑など数えられないほどです。

Map of Mall

スミソニアンの博物館の中でも最も来場者が多いのが国立自然史博物館といわれます。子ども達に人気なのが国立航空宇宙博物館でしょう。いつも家族連れや団体で一杯です。。このほかに国立アメリカ歴史博物館、国立アメリカ・インディアン博物館、国立アフリカ美術館、ハーシュホーン博物館と彫刻の庭、芸術産業館などです。是非訪ねていただきたいのはユダヤ人の虐待とその歴史を遺品や写真などで紹介するホロコスト博物館です。どの館も安い入場料あるいは無料で見学できます。午前と午後に一つずつ見学しても一週間はゆうにかかります。

モールのすぐ南にタイダル・ベイスン(Tidal Basin)という池があります。ここにはかって日本から贈られた桜並木があります。3月末は花見客で一杯となる合衆国で有数の桜の名所となっています。今年の桜のピークは4月1日と予想されています。日本とアメリカの友好の歴史を物語る場所でもあります。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その五十四 ワイオミング州–Equal Rights

車のナンバープレートに印字される州のモットーを取り上げてきました。このモットーからそれぞれの州の歴史や特徴が分かってきます。今回はワイオミング(Wyoming)州です。北にモンタナ州、東にサウスダコタ州とネブラスカ州、南にコロラド州、西にユタ州とアイダホ州と境をなしています。州都はシャイアン市(Cheyenne)です。全米で最も人口が少ない州都でもあります。

ワイオミング(Wyoming)とはインディアンの言葉で「大平原」を意味するそうです。州の東側3分の1はハイプレーンズと西側3分の2はロッキー山脈東部の山岳地帯と丘陵の牧草地帯が広がります。州の主要な産業は鉱業と農業。鉱業ではウラニウム、天然ガス、メタンガス、農業では小麦や大麦、馬草、サトウキビが主たるものです。

Yellowstone National Park

イエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)がこの州の北西部に広がります。年間600万人が訪れます。合衆国で最古の国立公園で、シンボルになっている間欠泉や温泉の見所で有名です。同じく最初の国定記念物として指定されているのが、デビルスタワー(Devil’s Tower)です。アメリカ先住民族から神聖視される岩山で登ることができます。

Shane

州のモットーは、「Equality State」という少々地味な名称です。1869年に合衆国の地方議会で最初に女性に参政権 (Suffrage) が認められます。ほどなくして1870年2月に、エスター・モリス(Ester H. Morris)が州判事に任命されます。ララミー(Laramie)という街で、参政権によって最初に投票したのは、ルイザ・スエイン(Mrs. Louisa Swain)です。1894年には、エステル・リール(Estelle Reel)がアメリカで最初の州教育長官(State Superintendent of Public Instruction)になります。さらに、1924年にネリー・ロス(Nellie T. Ross) が合衆国で最初の女性知事として選ばれます。男女同権を意味するのが「Equality 」です。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その五十三 ワシントン州 「ヒマラヤ杉に降る雪」(Snow Falling on Cedars)

この小説の作家はグッターソン(David Guterson)というアメリカ人です。これを今回は紹介します。小説の舞台はワシントン州北西部の小さな湾のジュアン・デ・フカ(Strait of Juan de Fuca)に浮かぶ、人口5千の移民の島サンペデロ島(San Piedro)です。1954年12月、日系アメリカ人漁師のカブオ・ミヤモトは、同僚カール・ハイン(Carl Heine)を殺害したとして第一級殺人容疑で罪に問われます。カールは強い絆で結ばれる人々の中で慕われていた漁師でありました。カールの死体は漁網の中で発見され、彼の腕時計は午後1時47分を指していました。島全体を包む吹雪の中、戦争後の反日感情が広がっている時代です。

Ishmael & Hatsue

裁判を取材するのは、元海兵隊軍人であるイシュマエル・チェンバース(Ishmael Chambers)です。彼は、地元新聞サンペデロレビュー紙(San Piedro Review)の記者です。戦争中は激戦地タラワ島(Tarawa Island)で同胞の死に遭遇しています。幼い頃、イシュマエルは、高校時代にハツエという日系女性と同級で、ヒマラヤ杉の洞で愛を育くみます。青い目のイシュマエルと黒髪の美しいハツエは、密かに情を交わす関係にあったのです。しかし、二人の関係は太平洋戦争の勃発と共に打ち砕かれてしまいます。

検察側は、刑事のモーガン(Art Moran)と検察官のフックス(Alvin Hooks)です。カブオを擁護するのはグッダモドソン(Nels Gudmondsson)という老練弁護士です。何人かの証人の中でカブオが犯人であると主張するのがカールの母親のエッタ(Etta) で、人種差別や偏見の強い人物です。

裁判では、他に検死官(coroner)のワリー(Horace Whaley)やカールにイチゴを売る老人のジャーゲンセン(Ole Jurgensen)らです。裁判ではイチゴ畑が争点ともなります。この畑はもともとカールが持ち主でした。この土地に住んでいたのはミヤモトという一家で、ハイン家の人々にイチゴを売っていました。カブオとカールは幼馴染みでした。カブオの父親は、広いイチゴ畑を購入したいとハイン家に持ちかけます。しかし、エッタは反対しますが、カールは売ることに賛成します。支払いは10年間払いというものでした。最後の支払いが近づいた頃、真珠湾攻撃により大戦が勃発します。島に住んでいた日系人は強制収容所行きとなります。

Snow Falling on Cedars

1944年、カールの父親は心臓麻痺で亡くなります。エッタはジャーゲンセンにいちご畑を売却します。カブオが収容所から解放されて帰ると、エッタが土地を他人に売ったことを知り、酷く怒ります。ジャーゲンセンが脳卒中で倒れると、カブオが土地を買い戻そうとする前に、カールは土地を購入したいと申し出ていたのです。裁判ではこうした土地を巡る家族や住民の間の確執が、カブオに対する殺人の容疑の背景となります

記者のイシュマエルは、カブオの容疑を晴らす可能性の高い証拠をつかみます。しかし、カブオの妻であり彼自身の幼馴染のハツエとの間の過去の恋愛関係に対する感傷の想いが断ち切れないでいます。また、日系アメリカ人への厳しい偏見と大戦という厳しい出来事によって、成就できなかった自分達の関係についてイシュマエル自身は心が整理できないでいます。彼がつかんだカブオが犯人でないという証拠をどのように扱うべきかで悩んでいたのです。

イシュマエルはポイントホワイト (Point White) という灯台付近で、午前1時42分頃、カールが釣りをしていたこと、丁度その頃、付近に大きな貨物船が通りかかったことをつかみます。カールの時計が指していたのは1時47分でした。カールの小舟が貨物船の航跡を受けて沈没したことを知ったのです。カールは小舟のマストに登り、灯を降ろそうとしたとき、貨物船の波で倒れてきたマストに頭を打ち、海に投げ出されたことも判明します。幼馴染のハツエにふられたイシュマエルは、カブオへの容疑が晴れる証拠をつかんでいたのです。

カブオは無罪として釈放されます。カブオと結婚していたハツエは、昔の恋人だったイシュマエルに、無実の証言をしてくれたことに感謝するのです。イシュマエルは、自分の不可解な感情が無神論者であったためだと考えるのです。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その五十二 ルイジアナ州—-クレオール

ルイジアナ州の特徴ある文化のことです。クレオール(Creole)と呼ばれる人々と文化です。クレオールとは、フランス人・スペイン人とアフリカ先住民を先祖に持ち、ルイジアナ買収以前にルイジアナで生まれた人々とその子孫、また彼らと関わりのある事物のことです。文化人類学では、人種を問わず植民地で生まれた者をクレオールと呼んでいます。フランスやスペインからの移住者は祖国で受けた教育や財産のほかに、料理人達も連れてきたので、独特の食文化も発展したともいわれます。

Creole Girls

クレオールの原義は「育てられた人々」という意味だそうです。もとは16世紀に新大陸で生まれた純粋のスペイン人を指します。やがて他国出身者でも新大陸に定着した者を指すようになります。アフリカからの奴隷として連れてこられた黒人と区別するために、新大陸で生まれた黒人もクレオールと呼ばれました。

アメリカでは、ルイジアナ地方に植民したフランス人やスペイン人、及びその血を純粋に受け継ぐ者もクレオールと呼ばれます。後に1755年のフレンチ・インディアン戦争(French-Indian War)でフランス領カナダのノバスコティア地方(Nova Scotia)を追われてきたケージャン(Cajun) と本来の植民者を区別する言葉として用いられました。しかし、クレオールという言葉はしばしば誤用され、フランス系やスペイン系と黒人との混血を意味するようになります。アメリカ人が大量に進出し、クレオールは次第に少数派となりますが、自己保存的な努力によって、文化的優越を守ろうと務めてきたといわれます。

Creole Family

我が国でもクレオール文化は盛んに研究されています。その背景としてはヨーロッパを相対化する脱ヨーロッパ中心主義的な思想があるからだといわれます。多文化研究の潮流は今も続いています。例えばクレオールの民族音楽についてです。フランスやスペインによる植民地支配のルイジアナの農園から生まれます。その音楽の特徴は、アフリカ由来の切分法とよばれるシンコペーション(syncopation)のきいたリズム、スペイン語のハバネラ・アクセント(Habanera accent)、フランス由来の四角になって踊る歴史的なダンスのテンポにあります。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その五十一 ワシントン州–Evergreen State

ワシントン州(Washington)の最大都市はシアトル(Seattle)、州都はオリンピア(Olympia)です。このあたりは West Coast(西海岸)とも呼ばれています。日本人にはなじみのある州です。

Map of Washington

入り江と呼ばれるフィヨルド群(Fjord)からなるピュージェット湾(Puget)の東部には、シアトル、タコマ(Tacoma)、エヴェレット(Everett)などの大都市が連なります。プロ野球のマリナーズ(Mariners)の本拠地、マイクロソフト(Microsoft)の本社も近くにあります。航空機会社のボーイング(Boeing)の本社と工場があります。

州都オリンピアは兵庫県の田舎町、加東市とも姉妹都市です。誠に不釣り合いです(^^) シアトルから生まれたのがStarbacks珈琲ですね。これを始めて飲んだときは、そのコクと香りに驚いたものです。ワシントン州は製材、製紙業のほか、アルミニウム、食品加工が盛んでもあります。大豆、トウモロコシ、ジャガイモなどの栽培でも知られています。

ワシントン州の歴史ですが、日本との関係が深いのをご存じですか。戦前、日本から沢山の移民がこの地にやってきたのです。戦前、戦後、日系アメリカ人は辛い生活を余儀なくさせられます。そのことを記した小説に「Snow Falling on Cedars–ヒマラヤ杉に降る雪」 というのがあります。舞台は戦前で、ワシントン州の島における日系アメリカ人に対する人種差別を題材としています。この小説は、1995年にウイリアム・フォークナー賞(Faulkner Awards)をもらいます。この賞はアメリカの主要な文学賞の一つで、毎年優れた小説作品に贈られます。フォークナー(William C. Faulkner)はアメリカを代表する小説家です。

Mt. Shuksan

ワシントン州は雨が多いところです。松などの常緑樹が多いみごとな森林が発達しています。全米有数の林業の州です。ナンバープレートには「Evergreen State」とあります。Evergreenとは松の木のことで、別名クリスマスツリー(Christmas Tree)とも呼ばれます。

ナーンバープレートを通してのアメリカの州 その五十 ルイジアナ州–Sportman’s Paradise

ルイジアナ州(Louisiana)の名は、フランス王ルイ14世(Louis XIV) にちなんでつけられています。1541年にスペイン人の探検家、デ・ソト(Hernando de Soto) がやってきます。1682年にはフランス人、ラ・サール(Sieur de La Salle) がルイジアナ一帯をフランス領と宣言します。さらに、1803年にアメリカがルイジアナをフランスから購入します。これによりミシシッピー川(Mississippi River)の航行権を確保し、将来における西部への拡大や発展を可能にします。

Map of Louisiana

1803年にアメリカはフランスからニューオーリンズを含むルイジアナ領を購入します。1809年から1810年に欠けて、西インド諸島から10万人の人々がニューオーリンズへ渡ってきます。大多数は、フランス領であったハイチからで、フランス語を使う人々でした。そのうち3千人は奴隷から解放されて者だったようです。

ルイジアナ州はミシシッピー川河口の三角洲を中心とする低平な州で湿地が多いところです。ルイジアナの州都はベイトンルージュ(Baton Rouge)、最大の都市はニューオーリンズ市(New Orleans)です。メキシコ湾に通じる重要な港湾都市で、工業都市・観光都市としても発展しています。

Louisiana’s marsh

「ビッグイージー(Big Easy)」という愛称で知られるのがニューオーリンズです。ジャズ、クレオール料理、南部なまり、多文化のルーツ、そして世界的に知られるのがマディ・グラ(Mardi Gras Festival)です。ニューオーリンズのフレンチ・クオーター(French Quarter)と呼ばれる地区には、今なおフランス植民地帝国時代の雰囲気を残していて、大勢の観光客を招いています。2005年8月にハリーケーン・カトリーナ(Hurricane Katrina)がフロリダ州の南部先端に上陸、ニューオーリンズ市は、フレンチ・クオーターなど陸上面積の8割が水没しました。今はすっかり復旧し賑わいを取り戻しています。

French Quarter

ルイジアナは元々フランスの植民地でした。ルイジアナの南部に永住した人々はケイジャン(Cajun)と呼ばれました。もともとは祖先がカナダ南東部のノバスコシア(Nova Scotia)のアカディア地方(Acadia)に移住してきたフランス人の直系で、英国人によってノバスコシアから追放されルイジアナにやってきたのです。今も、一部の住民が話すフランス語はケイジャン・フレンチ(Cajun French)と呼ばれています

ナンバープレートを通してのアメリカの州 その四十九 ネバダ州–The Silver State

ネバダ州(Nevada)は、西にカリフォルニア州、北にオレゴン州、東にユタ州、南にニューメキシコ州に囲まれています。州都はカーソンシティ(Carson City)。最大の街はラスベガス(Las Vegas)となっています。

ネバダという名前は、雪をかぶった山々という意味の「Sierra Nevada」から由来すると言われます。北部は砂漠地帯、南部や渓谷と山となっています。ラスベガスの北104キロのところに原爆実験場があります。戦後はしばしば新聞紙上でこの地での原爆実験の記事が写真入りで載りました。

Map of Nevata

1776年、ネバダにスペインの探検家がやってきます。独立宣言が発表された年です。以来、この地はスペインの領土となり、その後スペインの植民地支配から独立したメキシコの領土になります。1846年にアメリカとメキシコの戦(Mexican War)が起こります。 その結果、メキシコは、ニューメキシコ,ユタ,ネバダ,アリゾナ,カリフォルニアの領土を1,500万ドルでアメリカに割譲します。

Death Valley

ネバダ州の一部のカウンティ(county) では、合衆国では唯一、売春が合法となっています。ラスベガスのカジノは多くの観光客を惹きつけています。これが大きな産業ともなっています。他の産業としては金や銀の採掘です。世界でも有数の金の算出となっています。

デスバレー国立公園(Death Valley National Park) の砂丘は公園の中で最も有名で、見やすい観光スポットです。デスバレーの中央に位置しています。この砂丘区は三種類の砂丘を含みます。新月形、線形、星形です。砂丘は古代の湖床で、海抜マイナス80メートルとなっていす。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その四十八 テネシー州–Volunteer State

テネシー州(Tennessee) は州境でケンタッキー州、ミズーリ州、ヴァージニア州など8つの州と接しています。最大の都市はメンフィス(Memphis)ですが、州都はナッシュビル(Nashville )となっています。「チュチュトレイン」(Choo Choo Train)のチャタヌガ(Chattanooga)もこの州にあります。アパラチア山脈(Appalachian Mountains)を中心とするグレート・スモーキー山脈国立公園(Great Smoky Mountains National Park) はハイカーが押し寄せるところです。産業では、タバコ、綿花、そして大豆などの農産物が有名です。

Map of Tennessee

ニューディール期(New Deal)のTVA(テネシー川流域開発公社)によって、多数の巨大なダムが建設されます。テネシー州はもともと遅れた農業州で南部なまりと密造酒に代表されるヒルビリー(hillbilly)地域といわれていました。ヒルビリーとは泥臭さとか田舎者といった意味です。TVAのお陰で農業の近代化や工業化が進みます。

テネシーはカントリー・ウエスタン(Country music)の発祥の地です。エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)もここの出身。彼が主に音楽活動を行ったのがメンフィスです。70代以上の方にはテネシー・ワルツ(Tennessee Waltz)が懐かしでしょう。ナッシュビルにも沢山の南部のライブを楽しめるところがあります。その響きはBluegrassと呼ばれるアコースティック音楽のジャンルです。演奏にはギター、マンドリン、フィドル(ヴァイオリン)、ギターなどの楽器が使われます。アパラチア南部に入植したスコッチ・アイリッシュ(Scotch Irish) といわれる北アイルランドやスコットランドから移住した人たちの伝承音楽をベースにしているようです。

Bluegrass Musicians

Bluegrassはアップテンポの曲が多く、楽器には速弾きなどの即興演奏(インプロヴァイズ)もあります。もちろん、ブルース感を表現する弾き方やハーモニーにも特徴があります。ナッシュビルへ行く機会がありましたら必ず本場のBluegrassを楽しむべきです。
 
テネシー州のナンバープレートには「Volunteer State」とあります。1800代のBattle of New Orleansに人々が駆けつけて応援したことに由来しています。この戦いでイギリス軍を破り、ルイジアナやテネシーがイギリスの植民地支配から解放されていきます。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その四十七 ペンシルベニア州–Amishとキルト

復習ですが、アーミッシュ(Amish)とはキリスト教徒の一派で、聖書の教えを忠実に実践しようとする人々のことです。政教分離を唱え、政治的な宣誓や戦争を拒否します。良心的兵役拒否という姿勢です。質素で簡素な生活を信条とする人々(plaine people)とも呼ばれています。

今回はアーミッシュの人々によって作られるキルトの話題です。アーミッシュ・キルトは日本でも知られ人気の高い飾り物です。アーミッシュが、無地の布をパッチワークしつくるアーミッシュ・キルト(Amish Quilts)は、 鮮やかな色合いと幾何学模様から生まれるデザイン、細やかなステッチが特徴です。聖書の解釈に従って質素な生活規範を守り続けるグループが製作する深い味わいを感じさせてくれるのがアーミッシュキルトです。謙遜・控えめであることを重視している人々は、決まった色の無地の布を用いた衣服を着用し、この布のみを使用したキルトが、アーミッシュの生き方を表現するものとなっています。

Amish and Quilts

アーミッシュ・キルトは、布地を有効に利用し、余った布や端布をつないで作ったのが始まりと言われています。当時は布の利用に主眼がおかれたため、デザインなどのモチーフなどを込めた制作は行われなかったようです。生活のまわりにある植物の色、農場の土の色、そして空の青などを基調としているので地味ながら深く重厚な雰囲気を感じさせてくれるのがキルトです。

Amish quilts

誕生する子どものために特別につくられる子ども用寝台、キルトも単色の布が用いられて配色やシンメトリー、モチーフに心を配り丹念に縫い合わされ、豊かなキルティングが施されるのも特徴です。キルトは、表地に薄い綿をかませ、重ねた状態で縫ったものです。三枚目の生地で綿を挟む場合も多い。綿の厚みで陰影の表情がうまれます。結婚を控える娘に持たせるために作られるベッドカバーなどはこうしたキルトの代表といわれます。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その四十六 ペンシルベニア州–Amishと子どもの教育

本稿はアーミッシュの子ども達の教育についてです。子どもはコミュニティの中にある一部屋の教室で8年間学びます。これはワンルーム・スクール・ハウス(One room school house)と呼ばれています。二部屋の教室もあります。学ぶのは聖書の読み書き、英語、ドイツ語、算数、歌唱などに限られています。教師は未婚の女性がなります。教員免許は持っていません。学びで大切なことは、両親らから教えられる農作業、家畜の世話などの実地体験です。子どもは大学に入ることはありません。高等教育は、アーミッシュの人々の考え方や生き方を乱す世俗のものであると考えるからです。

Amish School

教育年限が8年間であることについて、ウィスコンシン州に住んでいたジョナス・ヨーダ(Jonas Yoder)ら3名のアーミッシュがマディソンの近くにあるニューグレラス(New Glarus)高等学校への子どもの就学を拒否してウィスコンシン州教育委員会を相手に裁判を起こした有名な事例があります。これはWisconsin v. Jonas Yoder裁判と呼ばれます。初審はグリーン・カウンティ(Green County)裁判所で開かれ、原告の敗訴となり5ドルの罰金が科せられます。二審の州最高裁では、一転してヨーダー側の勝訴となります。それを不服としてウィスコンシン州教育委員会は、連邦最高裁判所に上告します。保護者には子どもに高等教育を受けさせる義務があるという主張です。

Amish Family

それに対して、ヨーダら保護者が、高等学校における就学義務について「アーミッシュの子ども達を信仰に反する態度・目的や価値といった点で世俗の影響にさらし、アーミッシュの子どもの宗教的発達と、アーミッシュの信仰による共同体での生き方の統合を、発達の決定的段階である青年期に本質的に阻害され、親および子どもの両方にとって高等学校教育がアーミッシュの基本的な教義と慣習に反する」と訴えたのです。アメリカでは、小学校が5年、中学校が3年、高校が4年の12年間が義務教育で無償となっています。ただし、アーミッシュは、子ども達の読み書きや算術などの基本的な技術を学ぶために公立学校に通うことに反対したのでありませんでした。

Amish girls on computers

アーミッシュ共同体外での高等学校段階での就学義務によって、子ども達を「人間の成長にとって極めて重要な意味をもつ青年期に、物理的、情緒的にからアーミッシュの共同体から連れ去ってしまう」という理由です。ウィスコンシン州はアーミッシュによる義務教育法の適用免除要求を拒否しますが、連邦最高裁判所は、1972年5月15日に州がアーミッシュの家族と子どもの宗教的権利を侵害したと判決を下します。最高裁のバーガー(Warren Burger)首席判事は、法廷意見においてアーミッシュはその共同体における生活のために、十分に適切な教育を子ども達に与えていると主張します。さらに、学校では人間に必要なものの半分しか得ることができない、アーミッシュは学校教育に全て委ねるのではなく、家庭や農場での実践を通して、良き市民を育ててきた長い実績があることを評価されたのです。この判事は共同体では低い犯罪率や社会保障給付の辞退を論拠として、アーミッシュは稀なほど子どもの教育に成功しているとも述べるのです。

この最高裁判決において、少数の反対意見をダグラスという判事(William Douglas)が述べています。憲法の修正第1条の言論や表現、結社、宗教の自由、さらに修正第14条にある市民の広範な権利は保障されるべきであること、しかし、コミュニティにおける8年の教育で十分であるという主張は、果たして子どもの幸福を保障するものかは疑問であるとします。保護者の訴えは子どもの訴えではないという主張です。子どもの意見を聞くべきであるというのです。