ダグ・ハマーショルドの「道しるべ」

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1961年9月、私は北海道大学一年のときに国連事務総長のダグ・ハマーショルド(Dag Hammarskjold)が飛行機事故で亡くなったのを知りました。アフリカへの紛争調停に赴く途中だったようです。このニュースを今も鮮明に記憶しています。イスラエルとアラブ諸国との停戦合意、国連緊急軍(UNEF)の創設、スエズ動乱の平和的解決の支援など、その高い外交手腕が評価された事務総長です。中立を掲げていたスウェーデン出身の外交官ならではの功績ではなかったでしょうか。国内では、政治家として社会民主党内閣で財政や経済問題と取り組んだといわれます。ですが政治的な独立性を主張し、どの政党にも属さなかったというのは興味深いことです。特定の主義や思想に偏るのを避けたのでしょう。

Dag Hammerskjold

今、ハマーショルドが書いた「道しるべ」という思索の翻訳を読んでいます。英語の題名は「Markings」で訳者は、元国際基督教大学総長であった鵜飼信成です。興味あることですが、著者は事務総長として取り組んだ外交上の諸問題や紛争の解決などについては一切触れていません。あくまで自己の内省を記録しています。この著作の冒頭で「これは私の、私自身との、そして神との交渉についての白書(white book)である」とあります。政治と宗教と社会の関係の中から、政治を省いているのです。政治というのはどうしてもドグマや教義、支配や強制ということが関わってきます。著者は、自己の分析や内省においては、政治の話題は雑音になるとでも主張しているかのようです。

ハマーショルドが直面したアフリカや中東の状況は、極めて重大な局面にあったと思われます。第二次大戦後の世界で最も注目すべき現象の一つは、新興独立国の成立です。こうした国々成立の歴史的な要因はいろいろな見方があるようです。その最たるものは、人々が個人の自由と独立を要求するのと同様に、国家や民族にとってもその自由と独立の要請が高まったということです。歴史的にみますと、その最も先駆的な役割を果たしたのは、アメリカの自由と独立だと考えられます。イギリスの植民地であった大西洋沿岸の13州が、本国の圧政に耐えかねて立ち上がる新興独立国家の原初的な形態を示したと思われます。

United Nation, New York

アフリカにおける諸国の独立運動は、宗主国であったイギリスやフランス、ベルギー、ポルトガルなどの列強とアフリカ各地の新興国との対立でありました。ハマーショルドは、事務局長として戦後のアフリカ大陸における自由と独立運動とそれに付随した紛争の調停に邁進します。1960年は、アフリカの17か国が一斉に独立を達成し、この年は「アフリカの年」と呼ばれます。1960年10月に国際連合総会において、ガーナのエンクルマ大統領が演説し、アフリカの独立への支援と、南アフリカにおけるアパルトヘイトの不当を訴え、大きな反響を呼びます。同年12月の総会で「植民地独立付与宣言」を反対票なしで可決するのです。そこではすべての植民地支配は人権の侵害であり、すべての人々は自己決定権を有すると宣言したのです。

しかしながら、植民地時代にヨーロッパの列強によって人為的に引かれた境界線がほぼそのまま残され、独立後の国境紛争や部族紛争が絶え間なく起こるのです。形式的には独立を達成したものの独裁政権が権力の座にすわり、経済支援に名を借りた欧米資本主義による間接支配と言う形の新植民地主義が起こります。ハマーショルドは列強と独立国との間の仲介に傾注するのです。やがて、アフリカ諸国は第三世界を形成し、東西冷戦での米ソの対立を牽制する力となります。ハマーショルドは、新植民地主義の台頭には警戒し、アフリカ諸国の民族自決の姿勢を肯定します。それが欧米諸国からは警戒されていたようです。これが、事務総長として「地球上で最も不可能な仕事」と呼ばれる調停で、この仕事に奔走します。ハマーショルドが飛行機事故で亡くなったとき、事故には列強が関与したのではないかという噂もありました。その真意は究明されずに終わります。

「道しるべ」からは、個人的な信仰の証しが伝わってきます。もう一つ興味深いことは、芭蕉の『奥への細道』に傾倒していたようで、彼の内省的な散文には俳句の影響が見られるとの指摘です。あわせてNew York Timesの書評も読みました。「Meditations of a Man of Action」 (瞑想と行動の人)とあります。稀代の思想家であり文学者であり宗教哲学者でもあったようです。
(投稿日時 2024年6月30日)     成田 滋

ルール・オブ・ローと政治資金規正法

注目

法の支配と訳されるルール・オブ・ロー(Rule of Law)は、全ての権力に対する法の優越を認め、基本的に権力に対する歯止めという考え方です。市民の権利や自由を保障することを目的とする立憲主義のことです。それは、今回の政治資金規正法の根本原理である国民の不断の監視と批判のもとに置かれるということに示されています。これまでの改正論議は、政府自民党のパーティ券の裏金づくりという行為に法という衣をまとわせることが、あたかも民主主義的な法治主義であるかのような印象を国民に与えたのではないでしょうか。

Rule of Law

裏金づくりに関わった議員は、追求されると表向きは法に従っているとか、法に則っていると釈明しています。今度の政治資金規正法は、既成の事実を作り、法をそれに合わせて解釈しさえすればよいという意図がいろいろな箇所にみられます。例えば10年後に明細書や領収書を開示するとか、収支報告書の「確認書」の作成を議員に義務づけるとか、政策活動費の幹事長の行う支出との領収書、使途公開は項目にとどめるとか、政治資金の透明性を外部監査で明らかにする、などと説明し、誰が、いつ、どの様に実施するかなど、具体的な内容は政府与党の裁量や解釈にまかされるのです。

その他、「政策活動費」の支出をチェックする第三者機関の制度設計などは検討事項となっています。制度設計などと謳って、実効性のある仕組みを先延ばしするような意図が現れています。こうした抜け穴を野党は追及したのですが、この法律は所詮多数に無勢で成立してしまいました。

法を実体に合わせて解釈することができるように与党が画策したのが、今回の政治資金規正法です。権力というのは、表向きには法に従って統治していると姑息に主張します。裏金作りの問題が一時的に世論は沸き立ったのですが、政治資金規正法の成立によって、国民は、「まあしょうがない」 ということで事態が終息していくような空気が漂うのを感じます。

民主主義とは、権力の掌握者を統制するための、これまで考えられてきた唯一の機構です。選挙民が権力の側の政治資金規正法の発議に現れた美辞麗句に反発する能力を失ったときに、民主主義は崩壊する危機があると考えます。
   (投稿日時 2024年6月28日) 
                         成田 滋

学歴詐称と不条理と思考停止詐欺と嘘のパタン】 

注目

梅雨の頃で感じることの一つは、狭い庭の木々にたわわに伸びる葉です。とりわけ柿の木の葉は日毎に広くなり、緑が濃くなっていきます。人は、自然を眺めて「絵のように綺麗だ」といいますが、自然は絵の美しさとは格段の違いがあります。絵は人が作ったもの、自然は被造物の作品なのです。その美しさは喩えようがありません。絵の具で描いた緑や景色は芸術家の世界であり、それはそれで価値のあるものでしょう。他人が作品に勝手に値段をつけて価値あるものにするのが、この世の中です。しかし、自然に価値を付与することはできません。

人によって美の意識は違うのは当然です。そこに善し悪しはありませんし、価値があるなし、ということもありません。人が対象となるものを目の前にしたとき、その人の生い立ちや生活が反映されて、なにかを感じたり感じなかったりするものです。ただ、なにも感じないとか、感動がないというのは寂しい気がします。感性が足りないといって非難するのは避けなければなりません。ただ、そうした無感動でいる人に対しては、気の毒だ、としかいいようがありません。

どうしたら感動の瞬間を捉えることができるでしょうか。それは、世の中の動き、例えば政治や経済のこと、身の回りで騒がれる流行とかファッションといったことに「どこかおかしい」とか「不思議だな」、「どうしてなんだろう」というある種疑いの感覚を持つことではないかと思うのです。卑近な例でいえば、昨今の裏金問題で記憶喪失のような政治家の発言、多様性とやらをうたう議員たちの研修や親睦の在り方、不倫などの不貞行為で議員辞職、選挙と学歴詐称、武力の放棄を宣言したこの国が、今続いている中東での争いに反対することを宣明にしないことなど、理解に苦しむことは枚挙に暇がありません。こうした不可解な現実に対して選挙で鉄槌を下すべきなのですが、依然として社会の仕組みが変わらないのが現実です。これは有権者の「思考の停止」の結果と言わなくてなんでしょうか。

留学体験と語学の関門

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」、「水に流す」、「線香花火で終わる」、「耳にたこができるほど聞かされる」「熱しやすく冷めやすい」といった諺があります。森友加計や公文書改ざん問題、裏金の疑惑は一体どこへ吹っ飛んだのでしょうか。こうした世相にあって、最近、一政治家の学歴詐称について、それに一部加担したことを吐露した人の手記が報道されました。その方はどこかにその罪意識がもたげ、良心の呵責に耐えかねて声を挙げたといわれています。

Campus of Brown University

卒業したと詐称するのは大学の質や権威をおとしめるだけでなく、学問そのものに対する挑戦といわなければなりません。卒業というのは、4年間や6年間の厳しい学びの果実が実り、それが晴れて認められることです。卒業証書によってそれが公にされるのです。とりわけ海外の大学の卒業というのは、国内の大学を卒業する以上に苦労が多いものです。言葉の問題がそこに立ちはだかるからです。専門の勉強はもちろんですが、その前に語学が第一の難関として立ちはだかります。レポートを書いてみても、文法上は正しくても、大学院生に徹底的に直されるのです。高校時代に文法を学び、英訳、和訳は得意だったはずなのですが、現地の人々には通じないことがわかってきました。自分のなかのかなりの自信が揺らいだのが大学生活で文章を書くという行為でした。卒業という目標の前に、こうした科目や単位を取得するうえでの障壁のようなものを感じたものです。

留学というのは一種の恐れが伴うものです。私の個人的な体験では恐れとは単に言語の問題だけでなく、それまでやってきた学問めいたことが、十分に基礎の上に立ったものだろうかという恐れです。それを体験したのが、最初に履修した科目の試験で酷い点数をとったときでした。それ以来、勉強の仕方を変えることにしました。授業が終わると記憶が冷めないうちに、メモをとっていた単語を繋いで文章化し、そこから授業の内容を再現するというやり方です。それ以来、落第点をとることはなくなりました。その間、レポートを修正してくれるセンターにせっせと通い、文法的に正しい文章ではなく「通じる文章」にするコツのようなものを習得していきました。特に英語の表現技法を学んだのが貴重な体験となりました。大分あとになって帰国してから、「英語で教育研究論文をどうかくか」といった少々冷や汗もののような本を出版するまでとなりました。そのポイントは、接続(Transition)、修辞法(Rhetoric)、簡潔な文章ということを強調する小本です。日本の高校や大学では、レポートや小論文を作るときに、表現を洗練し文章に説得力を持たせる技法は教えられません。

学歴詐称と「ディプロマ・ミル」

今、問題になっている東京都知事の経歴詐称や学位記偽造に関してです。外国語というのは、だれにとっても学問研究で大きな障壁のようなものです。特に我が国であまり知られていないアラビア語を国語とするエジプトの公用語は古代アラビア語である「フスハー」(Hussha)の名で知られています。エジプトの歴史や文化に興味を持つ知識層が学んでいるだけであり、これを話せる国民は極めて少ないといわれます。日常で使われているのはアラビア語エジプト方言といわれます。知事が4年間で難しいフスハー語の教科書で勉強し、大学の授業を受け、レポートを書き、試験にパスしたと主張するのは無理な話です。

学歴詐称の例

日本の多くの人々が知らない組織に「ディプロマ・ミル」(diploma mill)、または「ディグリー・ミル」( degree mill)があります。大学に就学せずとも金銭と引き換えに高等教育の「学位」を授与する会社・組織・団体・非認定大学のことです。こうした活動は学位商法と呼ばれます。アメリカ英語のスラングで、入学卒業が非常に容易な大学は、皮肉をこめて「ディプロマ・ミル大学」と呼ばれます。アメリカ合衆国のみならず世界中の有名大学では、卒業認定は厳格であるのは当然であり、「ディプロマ・ミル大学」は一笑に伏されます。

実在する大学の学位、すなわち卒業証書を偽造して授与する商法は世界中に広がっています。そして偽造技術も高度化していて本物かどうかを見分けるのは難しくなっています。このように金さえ払えば卒業証書を偽造するのはいとも簡単なことです。今回の学位記やカイロ大学声明文などの存在は、「ディプロマ・ミル」を利用した巧妙な手口の産物と考えられます。このアラビア大使館のフェイスブック(Facebook)に掲載されたという声明文がなぜかアラビア語で書かれず、英語が書かれ、そして日本語に翻訳されるというのは不可解なことです。難しいアラビア語による学業をまともに励んで卒業したとは考えにくいのです。ましてや首席で卒業などと主張するのは全くの茶番劇です。

カイロ大学の卒業証書が偽造で、なお経歴にカイロ大学卒業とかを記すとこれは外交上の問題になりかねません。なぜならカイロ大学は勝手に大学名を使われ、なお卒業したなどと名乗られると困惑するのはもちろん、東京都や日本国政府がエジプト政府やカイロ大学から抗議されかねないのです。カイロ大学の名誉に関わることです。このような偽造は、例えば私が「東京福祉大学」なる大学を正式に卒業していたとして著作や選挙運動で「東京大学」と称したらどうなりますか、東京大学側は、そうした行為に迷惑し、場合によっては抗議するのは当然なのです。

腐敗認識指数とエジプト

都知事は、「事実を明らかにしない、事実の裏付けをしない、黙り込むことに限る」と考え逃げ切ろうとしているようです。ノーコメントで押し通そうしているわけで、今年の都知事選挙で現知事が出馬するとなれば、選挙公報にカイロ大学卒を掲載するのかしないのかが関心の的となります。掲載しないとなると、「やっぱりカイロ大学卒は嘘だった」といわれるでしょうし、学歴を再度掲載するとなれば、「カイロ大学から訴えられ、外交問題に発展しかねない」かもしれません。彼女はエジプト政府に弱みを握られており、エジプト側は、彼女は自分たちの子飼いだとみなし、大事な金ずるとなっていきます。カイロ大学は、日本という先進国の元防衛大臣や環境大臣を歴任し都知事となっている政治家を輩出したと喧伝したいのです。都知事はエジプトの広告塔のような存在なのかも知れません。彼女は出馬についてはどっちみち板挟みになるのは明白です。それを避けるためには、政界から引退するという選択もあるかもしれません。全く唾棄したくなるような最近の選挙や政治、そして記者会見や新聞報道における大手メディアの消極的な姿勢です。

文芸春秋社からの出版による「女帝:Y. K.」などに対して、Y. K.は個人的な中傷だという理由で提訴できるはずなのに、「政治家は抑制的であるべき」などと弁明して提訴しないのは、提訴すると証拠の品を提出させられ、結果として嘘がばれるからだと考えるからです。「荒唐無稽な噓」が通ってしまうでしょう。都知事が、これだけの疑惑をもたれながら非難をかわしている理由はどこにあるのかです。ここにはカイロ大学とエジプト政府の現状を考える必要があります。

エジプトという国は長い間、軍事政権下で独裁体制が続き、今も政情が不安定な状態が続いています。世界各国の腐敗や汚職を監視する国際的な組織にNGO「トランスペアレンシー・インターナショナル(Transparency International)」があります。この組織は、賄賂、公権力の乱用、公的サービス分野での縁故主義、利益相反防止・情報開示などを基にしてクリーン度を公表しています。点数が高いほど汚職が少ないことを示します。2024年1月30日に発表された「2023年度腐敗認識指数によれば、首位はデンマーク、日本は16位、アメリカは24位、そしてエジプトは108位となっています。汚職や不正がはびこるエジプトが108位にあることは納得できそうです。

腐敗認識が低いエジプトでは卒業工作はいとも簡単にできるといわれます。例えば、クーデターにより就任した現大統領アブドルファッターフ・シーシー(Abdel Fattah El-Sisi)が大学学長に対して「誰それの卒業を認めよ」という指示をすると学長は職員に卒業証書を作成させることができるのです。政治家は誰それから賄賂を貰ってこうした工作を大学にさせるのです。そして学長にも賄賂の一部が回ってくるはずです。なぜなら、国立大学のカイロ大学の学長は、大統領が任命するので、証書の作成は日常茶飯事、政治家や軍人の命令で自由自在に行えるのです。そこで問題となるのは、こうした粉飾賄賂を渡したのは誰かということです。都知事がこの賄賂に関わっているのでは、と勘ぐるのはあながち間違いではなさそうです。2015年5月、現大統領のシーシーはカイロを訪問した日本エジプト友好議員連盟会長で元防衛大臣であった都知事と会談し、教育、防衛分野における協力関係を話し合ったといわれます。二人は旧知の仲であることも念頭に置く必要があります。

詐欺と嘘のパタン

エジプトはアラブ諸国、とりわけ石油産出国の盟主です。日本は石油の安定的な確保のために、エジプトなどに政府開発援助(ODA)による無償資金を与えています。東京都もエジプトなどへ視察と称して職員や若者を派遣し交流を深めています。令和4年11月には都知事は都職員10名に及ぶ随行団を連れてカイロ大学などを訪問しています。学歴詐称疑惑を否定する「カイロ大学声明」を出してくれたモハンマド・エルホシュト学長(Mohammad Elkhosht)に対し、都政と全く関係ない「カイロ大学に対する協力(無償援助)拡大」を表明します。席上、「カイロ大学文学部日本語日本文学科の学生など約90名に向けて、わかりやすい日本語で講演会を行った」ということもHPで紹介されています。進級試験に落第したような語学力なので、アラビア語での講演は難しかったのでしょう。エジプト日本技術科学大学と東京都立大学との関係を強化し、都としても支援することを約束するなど、都知事のエジプトへの思い入れは相当なものと伺えます。これもカイロ大学なるものの声明のお礼であり、重大な弱みをつかまれていることを粉装しているとしか考えられません。

果たしてカイロ大学声明なるものが本当にカイロ大学から出たものかです。実は、勝手に架空のカイロ大学の事務局のようなものをでっち上げて、そこから声明が出たかのように見せかけているらしいという噂です。もしそうであれば、当のカイロ大学はどのように受けとめるかです。カイロ大学は、この架空の大学事務局を黙認しておけば、都知事への生殺与奪の権利を持つ立場にあると考えるはずです。都知事の弱みをつかんでいる以上、カイロ大学は、都知事対応を強い立場を維持することができます。もしかしたら、資金援助の要請すらできるのです。

嘘の反応


2024年3月の都庁での記者会見で都知事の記者からの質問に対する答えでは、知事はYES, NOを決して言わないのです。「嘘はつかないが、本当のことは言わない」の姿勢で学歴の詐称の疑いが深まったようです。肝心なことを聞かれると「記憶が鮮明でない」と言い逃れる有様です。記者の調査も不十分なせいか、会見での質問が誠にお粗末でありました。質問に対してYES, NOをいわないのに、なぜか記者たちはそれ以上突っ込んだ質問をしないという体たらくです。新聞紙上でも、記者会見の様子を報道したものは全くありませんでした。なぜかマスコミは沈黙化しています。

嘘のパタンについてはいくつかあるようです。最もみられるのは自分を防御することです。名声や財産などを守るためです。もう一つは自分をひけらかしたり背伸びする行為です。都知事の記者会見では、この二つが明らかにみられます。自分を防御したり、ひけらかすことの嘘は、あくまで自分にはカイロ大学卒の学歴があるという主張です。だから選挙公報などでそれを明らかにする自己正統性の主張です。

次ぎにはぐらかしの嘘の例は「あまり鮮明に覚えていない」という発言です。「あまり」ということは、YES, NOを明確にしない曖昧な態度のことです。これははぐらかす行為の典型で政治家が使うことが多いようです。「カイロ大学の意思で発出されたものだ」というのは権威にすがるような背伸びした行為といえます。自分が関わってはいない、あくまでカイロ大学の行為であるとしてはぐらかすのです。決して自分が頼んで声明を出させたなどとは認めないのです。嘘のパタンがそのまま映し出される公僕の醜い姿です。

                     2024年6月25日  成田 滋

         shigerunarita@gmail.com

権利の上に眠る者時効の考え方

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今般の都知事がカイロ大学を卒業したとする学歴詐称の疑いや、自民党の政治団体が政治資金パーティーの収入を政治資金収支報告書に記載していなかったことに共通する本質的な課題を権利の保護と時効という法理から捉えてみます。

卑近な例として、ある人が借金をして催促されないのを幸いとして、ねこばばを決め込んで得をし、善人者が貸した金を取り戻せないことになる場合があります。なんとも不心情な話に思われます。しかし、催促や督促をしない者は、権利の上に長く眠っている者とみなされ、保護されないことが起こるのです。返済を催促する行為によって債権の時効を中断することが大事だということです。単に自分は債権者であるということに安住していると、ついには債権を喪失するというロジックのなかには、今般の学歴詐称や政治資金収支報告書不記載という問題に関連する重大な意味があると思われます。

日本国憲法の第十二条は次のように規定しています。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」この規定は基本的人権が憲法九十七条の基本的人権の由来と特質という次の規定と対応しています。つまり「日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果である。」自由とか権利という基本的人権は、それを不断の努力によって保持することが大事だというのです。このような「権利の上に眠ること」は、怠惰の行為であり、保護されないというのです。然して基本的人権の獲得という歴史的な歩みは、これからも将来に向かって継続すべき責任があるという教訓を残しています。

国民は憲法によって主権者となりました。ですが主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、いつか主権者でなくなっているという事態が起こります。ヒットラーの権力掌握や、我が国の軍部による特権的な地位による統制などの歴史であります。私たちが社会や生活の中で、自由だ、自由だといって自由であることを謳歌している間に、いつのまにかその自由の実質は空疎にならないとも限りません。自由は置物のようにどこかあるのではなく、実社会の現実でその行使によって守られる、いいかえれば日々自由になろうとする行為によって、はじめて自由でありうるということなのです。

その意味では、今日の自由とか権利というものは、世の中の動きに無関心で、毎日の生活さえ安全安心で暮らせたら、物事の判断は他人や職業政治家にあずけておけばよいと思っている人には無縁なもので、しかしそれは極めて危ない状態にあるのです。さきほどの債権者のように権利の上に眠る者と同じなのです。このように学歴詐称や政治資金収支報告書不記載に関わる問題から、以上の「権利の上に眠ること」、「権利を行使すること」と著しく共通する精神を読み取ることができます。

今般の都知事の学歴詐称問題を「権利の上に眠る者」に関連して言及してみましょう。公職選挙法235条は、虚偽事項の公表罪をうたい、当選を得る目的で候補者の身分、職業、経歴などに関して虚偽の事項を公にした者は2年以下の禁固または30万円以下の罰金に処すると規定し、その時効は3年となっています。「カイロ大学卒業」という選挙公報の記載の真偽がなんであれ、なんの異議の申し立てがなかったので時効となりました。いわば債権が消滅したのです。都知事は権利の上に眠る都民の在り方にほくそえんだのです。

次ぎに、裏金と政治資金収支報告書の不記載問題です。この不記載問題は、どうや20年以上の前から続いていたようです。しかし、誰も最近まで不記載を問題視したり、告発する者がいなかったのであります。つまり職業政治家を含めて国民も「権利の上に眠る者」であったために、「5年」という時効によって多額の金銭が一部の政治家の懐に入って闇に葬られてしまったのです。これは不記載を告発しなかったことにより、「政治家は時効によって救われた」のです。

このように、時効の考え方というのは、たとえ正当な権利者であったとしても、一定の期間、その権利を行使・維持するために必要な措置を採らなかった者を保護する必要はないという原則なのです。確かに意図的に不記載をして、その問題点を知っていても、誰も咎める者がいないのならば、罰せられないというのが民法の規定なのです。

時効のもう一つの考え方です。本来は正当な権利者であったとしても、長期間が経過した後にはそれを立証するのが困難になることがために、過去に遡っての議論に一定の限界を設けるのが時効です。つまり、かなり前に不記載問題があったとしても、それを立証するものがないときは、問題視しないという考え方です。立証の困難なことを救済するのです。つまりそうした職業政治家の責任を問わないのです。必要な措置を採らなかった者が損をする、自己責任であるという考えです。

民主主義とは、本来制度の硬直化や自己目的化を不断に警戒し、制度の現実を絶えず監視したり批判することによって始めて作用します。債権は行使することによって債権者となるというロジックは、現代社会におけるものごとの判断の仕方を深く規定しているエートスといえます。

(投稿日時 2024年6月13日)         成田 滋  shigerunarita@gmail.com

憲法改正論議を考える洞窟の比喩

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学者や政治家の間には、憲法改正の是非は結局国民自身が決めるべき問題であるという、それ自体もっともな主張によって、自分の態度表明を明らかにしなことが見られます。実際は自分の立場は決まっているのですが、現在それを表明するのは具合が悪いので、もう少し世論がそちらのほうに動いてくるのを待とう、あるいはもっと積極的に世論をその方へ操作誘導してから後にしようという戦術があるようです。また形勢を観察して大勢の決まる方に就こうとする日和見派もあるようです。

憲法改正問題は次の総選挙において大きな争点の一つとなると思われます。その結果によっては来るべき憲法第九条の改正が、国民投票において最後の審判が下されるべき話題となるはずです。いうまでもなく国民がこの問題に対して公平な裁断を下しうるためには最小限、いくつかの条件が満たされていなければなりません。第一は通信手段や報道のソースが偏らないこと、第二に異なった意見が一部の職業政治家、学者、評論家といった階層の人々の前にだけでなく、あまねく国民の前に公平に紹介されること、第三に以上の条件の成立を阻む、もしくは阻む恐れのある団体の示威行為、破壊活動防止法の発動、公安機関の登場を阻むことです。

真摯な動機から憲法改正を国民の判断に委ねようと主張する人々は、必ず以上のような条件を国内に最大限に実行する道徳的責任を感じなければなりません。憲法の護持や改正を謳う人々が、以上のような条件を無視し、もしくは無関心のままに国民の判断を云々するなら、国民は正しい判断ができるかは疑わしいと思われます。

現在、新聞やテレビ、インターネット上のニュースソースが偏っていたり、必ずしも嘘をついているとはいえないまでも、さまざまな意見が紙面や解説で公平な取り扱いを受けないことが見受けられます。全体主義国の独裁や海洋進出への批判などが多出するなか、アメリカの外交政策の批判やグローバリズムの問題はあまり取り上げないとか問題視しない状態、別な表現でいえば言論のフェアプレイによる討論を阻んでいる諸条件に対して、特段の異議を唱えることなしに、ただ、世論や国民の判断をかつぎだしてくるのは、早計であるといわざるをえません。現在の大手の新聞やマスコミの記事の取り上げ方にフェアプレイの姿勢が欠如していることを重々承知のうえで、逆にそれを利用して目的を達成しようという魂胆を持った政治家がいるのも事実なのです。

そこで注目したい報道がありました。2024年5月3日の東京新聞の社説です。私たち国民は、この10年間、囚人のように洞窟に閉じ込められ、政権が都合よく映し出した影絵を見ているのではないかというのです。これは、ギリシャの哲学者プラトン語る「洞窟の比喩」というエピソードを引用しています。囚人たちがいる洞窟の壁に影絵が映ります。囚人はその影絵こそ真実だと思っています。ある1人が洞窟の外に出ます。そこで見る世界は洞窟の影絵とは似ても似つかないのです。その者が洞窟の奥に戻り、囚人たちに自分が見た世界を語ります。でも洞窟の囚人たちは誰もその話を信じようとはしません。政権が都合良く推し進める風景が影絵なのですが、それを信じこまされているというのです。国民は、ようやく洞窟の外に導かれて数々の忌々しい影絵の実体を知ることになりました。

現在、職業政治家が使う言い回しの一つが「大国間競争や地域紛争で世界秩序が一段と不安定し不確実性が高まっている」ということです。確かに国際秩序は危機に瀕しているといわれます。大きな原因は、アメリカの国際社会への関与が弱まりつつあること、中国等の最大貿易国が強大な経済力に持つようになったことです。中国は海洋進出を続け、国際法違反を繰り返しています。加えて深刻な問題はロシアのウクライナ侵略などは、紛れもない国際法の違反行為です。こうした情勢を錦の御旗のように掲げて、防衛力の抜本的な増強、すなわち「国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」に備えるとしています。それを憲法第九条改正の根拠とするのです。

新憲法の精神を誉め、宣伝した学者や子ども達にその精神を教えてきた教育者の中には、今や「あれはGHQによって押しつけられたものである」と言う者がいます。国際情勢などにあまり関心も知識もない人ならともかく、少なくとも人並み以上にそうしたことに通じているはずの政治家や学者、評論家、教師などが「当時はまだ米ソがそれほど対立していなかった」という理由から戦争放棄の条項を説明し、今やそうした状況は変化しているという「事情変更の原則」を持ち出して憲法改正の伏線にしようとしているのです。

ところが第二次大戦の終了と同時に冷戦の火蓋は既に切られていました。その代表が1946年3月のウィストン・チャーチル(Winston Churchill)の演説です。「バルチック海のステッティンからアドリア海のトリエストにいたるまで、大陸を縦断する鉄のカーテンが降りている」と警告するのです。「全体主義と闘う世界中の自由な国民を支援する」という共産主義封じ込め政策であるトルーマン・ドクトリン(Truman doctrine)が宣明されたのは1947年3月です。アメリカ大統領トルーマンが、共産主義または全体主義的イデオロギーに脅かされているあらゆる国へ経済的、軍事的援助を提供すると宣言したのです。

ちなみに、現行の憲法草案要綱が内閣から発表されたのは1946年3月、その後審議修された結果、8月に衆議院を通過、貴族院での学者や政府当局者との論戦ののち、衆議院が再修正に同意し、かくて同年11月3日に公布され、翌1947年5月3日に施行されるのです。このように冷戦の真っ直中に憲法は施行されたのです。憲法の前文にある一切の武力を放棄し「国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」と謳ったのは決して四海波静かな世界においてではなく、米ソの抗争が今日ほどではないにしても、その緊張状態が世界的規模において繰り広げられることが十分に予見される情勢の下において施行されたのです。こうした冷戦の開始と進行にも拘わらず、敢えて非武装国家として新しいスタートを切ったところにこそ現行憲法の画期的な意味があったといえましょう。
成田  滋
(2024年5月10日)
                  shigerunarita@gmail.com

ナンバープレートから見えるアメリカの州ワシントンD.C・Taxation without Representation

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アメリカ合衆国のライセンスプレートを通して、各州の紹介をしてきました。このブログの最終回は合衆国の首都ワシントンD.C. (District of Columbia)です。ワシントンD.C. を紹介するには多くのページを必要とします。なにから始めたらよいか迷うほどです。まずはワシントンD.C.のナンバープレートからいきましょう。

License plate of Washington D.C.

プレートには「Taxation without Representation」とあります。このフレーズですが、D.C.は他の州とは違って、上院や下院への議員を選ぶ権利が住民にはないのです。にも関わらず高い住民税を払っています。これまで何度も議会に抗議したり訴訟を起こして、選挙権の獲得運動がありました。しかしいまだに実現していません。そこでD.C.はナンバープレートに抗議のフレーズを入れているのです。「税金払えど選挙権なし」という意味が込められています。他の州には、このような主張を込めたものは見当たりません。興味あるナンバープレートです。

首都のワシントンは、連邦直轄地という特別区で、東海岸のメリーランド州とヴァジニア州に挟まれたポトマック川河畔(Potomac River)に位置しています。各州とは別に、首都としての役割を果たすため、連邦の管轄する区域が与えられていて、合衆国三権機関である大統領官邸(White House)、連邦議会(Capitol)、連邦最高裁判所(Supreme Court)が所在し、多くの連邦省庁が集中しています。いわば日本の霞ヶ関のようなところです。

National Mall

バージニアやメリーランド州などと隣接するこの街は世界の政治の中心の一つです。国権の最高機関である大統領府(White House)、連邦議会議事堂(Capitol)、連邦最高裁判所(Supreme Court)や中央官庁などの行政機関が集まるほか、国立公文書館(National Archives and Records Administration)、日本銀行にあたる連邦準備制度(Federal Reserve System)、世界銀行(World Bank)や国際通貨基金(IMF)の本部、各国大使館などが置かれています。

街の中心はナショナル・モール(National Mall)と呼ばれています。モールの中心にはワシントン記念塔があります。モールの両端にはリンカーン記念館(Lincoln Memorial)と連邦議会議事堂が鎮座しています。スミソニアン協会(Smithsonian Institution)が運営する多くの博物館や美術館がモール内にあります。どれも質・量ともに世界でもトップクラスであります。加えて、多くの国立記念建造物や碑が建てられています。例えば、第二次世界大戦記念碑、朝鮮戦争戦没者慰霊碑(Korean War Memorial)、硫黄島記念碑(Iwo Jima Memorial)、ベトナム戦争戦没者慰霊碑(Vietnam War Veterans Memorial)、アルバート・アインシュタイン記念碑(Albert Einstein Memorial)など数えられないほどです。

Lincoln Memorial

スミソニアンの博物館の中でも最も来場者が多いのが国立自然史博物館(National Museum of Natural History)といわれます。子ども達に人気なのが国立航空宇宙博物館(National Air and Space Museum)でしょう。いつも家族連れや団体で一杯です。このほかに国立アメリカ歴史博物館(National Museum of American History)、国立アメリカ・インディアン博物館(National Museum of the American Indian)、国立アフリカ美術館(National Museum of African Art)、ハーシュホーン博物館と彫刻の庭C(Hirshhorn Museum and Sculpture Garden)、芸術産業館(Arts and Industries Building)などです。是非訪ねていただきたいのはユダヤ人の虐待とその歴史を遺品や写真などで紹介するホロコスト博物館(Holocaust Museum)です。どの館も安い入場料あるいは無料で見学できます。午前と午後に一つずつ見学しても一週間は確実にかかります。

National Cathedral

モールのすぐ南にタイダル・ベイスン(Tidal Basin)という池があります。ここにはかって日本から贈られた桜並木があります。3月末は花見客で一杯となる合衆国で有数の桜の名所となっています。毎年桜のピークは4月1日と予想されています。日本とアメリカの友好の歴史を物語る場所でもあります。1912年に日米の平和と親善の象徴として日本から3000本が贈られたものです。この寄贈は、紀行作家のシドモア女史(Eliza Scidmore)、当時のタフト大統領(William Taft)の夫人ヘレン・タフト(Helen Taft)、尾崎行雄東京市長を始め日米双方の多くの方々の尽力によって実現したものといわれます。

Cherry flowers of Tidal Basin

ワシントンD.C.の設計に携わってのは、ピエール・ランファン(Pierre Charles L’Enfant)というフランス生まれの建築家です。連邦都市建設計画のコンペに当選し、基本計画案を作成した人として知られています。ランファンはジョセフ・ラファイエット(Joseph La Fayette)と共にアメリカ植民地にやってきた移民です。独立戦争ではヨークタウンの戦いなどに一緒に参加してイギリス軍と戦った技師で軍人です。1791年、ランファンはバロック様式を基に基本計画を作成します。開かれた空間と景観作りを最大限に重視し、環状交差路から放射状に広い街路が伸びるという設計となっています。

Pierre Charles L’Enfant

興味深いのは、バラエティに富んだ建築物がワシントンD.C.にあることです。アメリカ建築家協会が選ぶ2007年の「アメリカ建築傑作選」では、10位までにランクされた建物のうち6つがワシントンD.C.にあることです。ホワイトハウス、ワシントン大聖堂(Washington Cathedral)、トマス・ジェファーソン記念館(Thomas Jefferson Memorial)、連邦議会議事堂、リンカーン記念館、ヴェナム戦争戦没者慰霊碑(Vietnam Veterans Memorial)といった建築物です。どれも第一級の気品を備えています。

Old Town of Alexandria

ワシントンD.C.には、ジョージ・ワシントン大学(George Washington University)、ジョージタウン大学(Georgetown University)、ハワード大学(Howard University)などもあります。ハワード大学は、全米屈指の名門歴史的黒人大学となっています。白人系やアジア系の学生も入学できる超難関の大学です。現合衆国副大統領のカマラ・ハリス(Kamala D. Harris)、元連邦下院議員のアンドリュー・ヤング(Andrew Young)、アフリカ系アメリカ人として初めての連邦最高裁判事のサーグッド・マーシャル(Thurgood Marshall) らも卒業生です。
(投稿日時 2024年6月4日)