アメリカの学校は今  その十四  Queen Lydia Lili’uokalani Elementary School

big_thumb titlei 220px-liliuokalani_holding_parasol_at_washington_placeハワイの州都はホノルル(Honolulu)。オアフ(Oahu)島にあります。ホノルルの東郊外にある公立学校、Qween Lydia Liliwakalani Elementary Schoolが今回の話題です。ハワイ王朝のかつての女王Lydia Liliwakalaniという人が寄付して1912年に創立されたとあります。この学校の付近はやや寂れた感じがするところです。

もともと貧しい家庭の子供に対する教育、という理念をこの女王は抱いてきたといわれます。今日、こうした子供への教育は連邦政府が膨大な資金を各州に提供しています。このプログラムを通称「Title I 」(タイトル・ワン)と呼びます。全米の90%以上の学校がこの支援を受けています。例えば、移民の子供への英語教育、障害が予想される、あるいは障害がのある子供への教育や給食サービス、虐待を受ける子供への支援、未婚の母親教育などがこの基金によって支えられています。Qween Lydia Liliwakalani Elementary Schoolもこの「Title I 」によって教育サービスを受ける子供が大勢います。

現在Qween Lydia Liliwakalaniでは120名くらいの子供がが学んでいます。そのうちハワイアンの子供がが80%を占め白人が13%という構成になっています。全生徒の45%が無料あるいは減額費用での給食サービスを受けています。教師と生徒の割合ですが、正規教員一人あたり平均12名となっています。ハワイ全体の平均は16名ですから結構いい割合です。手のかかる生徒が多いのが少人数学級の理由と考えられます。ワイキキ・ビーチ(Waikiki Beach)やアラモアナ・ショッピングセンター(Ala moana Shopping Center)の賑わいの陰に、貧しい家庭の子どもが学ぶ姿が隠れています。

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アメリカの学校は今  その十三 タマス・プリンス学校 (Thomas Prince School)

bragghall town_common_princeton_ma mamap今回はアメリカの田舎の学校です。マサチューセッツ州(Massachusetts)の州都ボストン(Boston)から西へ車で90分のところにあるプリンストン(Princeton)という小さな町の学校です。すぐ近くには広大なワチューセッッツ(Wachusette)州立公園があり、夏はハイキングやキャンピングで人々が憩い、スキー場が隣接していて冬の週末はたいそうな賑わいです。

プリンストンの人口3,700人。アメリカによくある田舎町です。プリンストンは豊かな森林資源を誇り、製材業、家具製作などで栄えた歴史があります。1800年代には鉄道も開通し、材木や製品の運搬に使われました。商人や旅行客も押し寄せホテルも繁盛しました。ですがこうした賑わいは戦後の自動車の普及ですっかり終わり、いまは静かな町となりました。農業は小麦が中心です。ブルーベリーやブラックベリー、リンゴなどのフルーツ農園があちこちに点在しています。

左上の写真は町役場の建物です。誠にもって風情のある姿です。このような規模の町ですから、学校や図書館は近隣の4つの町と一緒に運営しています。この学校区教育委員会はWachusett Regional School Districtと呼ばれ、二つの小中学校と一つの高校があります。Thomas Prince Schoolの学校名は、赴任してきた初代キリスト教会牧師の名前です。地域発展の黎明期は、多くの場合教会活動が活発な頃です。

Thomas Princeには、幼児から中学生までたったの150名くらいの子どもしかいません。ですが、言語治療士、障害児教育教師、発達障害教育教師、リソースルーム教師、図書館司書が常駐しています。私事ですが、二人の孫息子がこの学校に通い、発音の不規則さを指摘されて治療を受けました。校長は、自ら面接して教師を採用します。野外の運動場はすべて芝生。野球とサッカーが別々にできる広さがあります。芝の手入れはすべて機械でやります。数日毎に芝刈りをするのです。週末は試合があって保護者はチームの応援に駆けつけます。コーチは上手な子ども苦手な子どもも試合に出れるように配慮しています。お年寄りも折りたたみの椅子に座り、長閑に夕方の時間を過ごします。そして孫達の走り回る姿に目を細めます。

アメリカの学校は今  その十二 メディアセンターの充実ぶり

zentai2 kakari-mori1 02b0a2_f2f7a0b34192483393810bfbe55d1c65-jpg_srz_278_185_85_22_0-50_1-20_0アメリカの図書館は学校の華。学習の場として大きな役割を果たすのが図書館です。多くの学校は図書館を「メディアセンター(Media Education Center)」と呼んでいます。インターネットでつながった図書館は、印刷された本だけでなく電子情報で一杯なのです。メディアセンターはネットワークにつながるパソコンで満ちています。

メディアセンターには必ず図書館司書(librarian) が常駐しています。司書は教師と一緒になって授業もします。本の読み聞かせなどもするのです。小中学校のメディアセンターはいつも生徒で賑やかです。センターの入り口は沢山の飾り付けがあり、「なにか楽しいことがありそうだ、、」という雰囲気です。学校で一番行きたくなるところ、と宣伝するのがメディアセンターなのです。高校のメディアセンターは大学以上の設備を誇るところもあります。

情報を集めそれを活用することの大切さを知っているのはアメリカの学校です。そのせいか、図書館に多額の予算を付け、充実させる伝統があります。司書の能力の高さはそれを証明しています。いつか機会がありましたら、一度図書館に足を運んでみてください。その内部の底抜けの明るさと司書らの専門的な対応に驚きます。
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アメリカの学校は今  その十一 教育委員と学校長

692433ebd961fda36d1ffadc3d9758b1 school-budget-vote superintendent_sign-1067x600アメリカでは高校は義務教育です。学校はどのようにして支えられているかをご存じでしょうか。アメリカの学校の大半は市町村立か私立です。市民の税金が学校を支えています。州立高校というのはありません。

小さな町や村は、郡単位となって学校を運営します。人々の税金によって学校の建物を維持し教師を雇っています。もし、中途退学者が増えようものなら、市民は「学校は一体なにをやっているのか、教育長 (superintendent)や校長を代えよ、」と叫ぶのです。こうした記事は地方の新聞でよく見られます。市民には税金の使いみちと教育の成果は最も関心の高い話題の一つです。教育委員は公選です。教育委員会を統括するのですから、教育長や校長は教育委員会の下で教育行政に従事しなければなりません。教育長は教育委員が選ぶ仕組みとなっています。振り返って、日本では教育委員長(board of directors) や教育委員はなんの権限もなく、教育長の下に位置するという体たらくです。

学校税(school tax)というのがあって、自分たちの税がどのように使われているかがガラス張りとなっています。校長は、「スクールカウンセラーを雇いたい、PCを買い換えたい」などの提案を市民集会(Town Meeting)で説明します。ビジョンを持つ校長は市民にたいして、もう少し学校税を負担して欲しい、必ず教育の質を高める、と訴えるのです。

それでも資金が不足すると、校長は学校債権(school bond)の発行を提案して市民に学校への支援をとりつけます。債権ですから満期になると元金と利息を市民に返します。教育委員会から予算を獲得できるかが、校長の能力なのです。さらにロータリークラブ(Rotary Club)やキワニスクラブ(Kiwanis  Club)といった地域の経営者団体や福祉団体から寄付を集めるのも校長の仕事なのです。校長は地元の営業マン、ウーマンです。校長の権限と責任は大きいこと、市民の期待が高いのがアメリカの学校なのです。

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アメリカの学校は今 その十 人種のるつぼと公民権回復運動

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rosaparks_bus 11002062932一歩高校の建物に入りますと、そこは人種のるつぼといわれるほどいろいろな肌の色の生徒が闊歩しています。このような光景を見るには50年以上もかかったのです。

今週、南部のオクラホマ州(Oklahoma)で白人警察官が黒人男性を銃で撃って死亡させた事件が起こりました。「合理的な理由のない発砲」だったとして、女性警察官が過失致死の疑いで訴追されるという有様です。ノースカロライナ州(North Carolina)でも黒人の男性が警察官に銃で撃たれて死亡したことに対して激しい抗議行動が続いています。黒人や他のマイノリティの人権が未だに無視される傾向があるのを知ると過去の歴史的な出来事を思い出します。

かって黒人と白人の生徒は別々なバスに乗り別々な学校へ通っていました。1960年代、公民権運動やヴェトナム戦争が続くころです。運動の指導者はマーティン・ルーサー。キング牧師(Rev. Martin Luther King Jr.)でした。人種差別は憲法に違反するという主張を貫いたのです。アメリカでは今も非常に高い尊敬を受け、その功績を称えて一月の第三月曜日は祝祭日となっています。ジョージア州(Georgia) アトランタ (Atlanta)にあるMartin Luther King Jr. National Historic Siteは是非訪ねて欲しい歴史地区です。そこにキングセンター(King Center)があって公民権運動の歴史がわかりやすく展示されています。

キング牧師の提唱した公民権回復運動の思想は「非暴力主義」(Nonviolence) といわれています。インド独立の父、マハトマ・ガンディ(Mohandas Gandhi) の教えを受け継ぎました。この運動は1963年の首都ワシントンD.C.にあるリンカーン記念堂 (Lincoln Memorial) の前でおこなった“I Have a Dream”(私には夢がある)という演説で最高潮に達します。人種差別の撤廃と異なる人種の協和という高い理想を易しい言葉で訴え、広く共感を呼びました。今もこの演説は中学や高校の教科書でも取り上げられています。

「公民権運動の母」と呼ばれたのがローザ・パークス (Rosa Parks) です。彼女は白人専用のバスに乗り込みます。すぐに運転手に引きづり出されるのですが、これをきっかけにバス・ボイコット運動が始まります。やがて連邦最高裁判所からバス車内での人種分離は違憲であるという判決を勝ち取ります。

とまれ、話は先に人権の回復運動に及んでしまいました。折しも、9月24日に国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館 (National Museum of African American History and Culture) がワシントンDCの「ナショナル・モール」(National Mall) の一画にオープンしました。スミソニアン協会 (Smithsonian Institution) の19番目の博物館です。奴隷制度や公民権運動、著名なアフリカ系米国人にまつわる3万7000点の品々が展示されます。

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アメリカの学校は今 その九 卒業パーティ:プロム

89acd8b9ae6e71604fd9af7e71ff361c prom 13fff370-e618-0133-2423-0e1b1c96d76b高校の卒業が近づくと4年生には大きな行事が待っています。卒業パーティ:プロム(Prom)というものです。プロムナード(promenade)、舞踏会パーティですから、男子生徒は同伴するパートナーを探します。誰を誘おうか、どんな服装にしようかと思案します。シニア・プロム(Senior prom)とも呼ばれています。

プロムでは男子生徒が自分で選んだ女性と一緒にでかけます。この時、保護者もまた緊張します。「息子の相手は誰か」、「娘を誘ってくれる生徒はいるだろうか」。服装ですが、男子生徒はタキシード、女子生徒はドレスにコサージが一般的です。

プロムの内容はダンスや食事、会話です。飾り付けをした学校の体育館とかホテルを会場にします。ロックバンドやDJが登場してパーティを盛り上げます。プロムで誘った友だち同士は、大抵は一時のデート相手です。結婚相手はまだまだ先の話なのです。

プロムが終わると皆進学、就職に向けて準備します。遠く西海岸や東海岸、あるいは南部の大学などに向かいます。やがて楽しくも厳しい4年間のカレッジライフが始まります。

ついでですが、ロンドンの夏の音楽祭、BBC PROMSはPromenadeの複数短縮形です。Promenade Concertというものでしょう。2カ月にわたって開かれるというのですから豪華です。

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アメリカの学校は今  その八 パラプロフェッショナルの存在

fit%e5%89%8d pttp_paraprofessional-teacher-training-program c0156996_431298今回は高校の教職者陣についてです。アメリカの高校には、各教科担当の教師の他に特別支援教育の教師がいます。その他に、進路相談を担当する「ガイダンス・カウンセラー(Guidance Counselor)」、心理や学力検査を担当する「スクール・サイコロジスト(School Psychologist)」、貧しい家庭の保護者のカウンセリングを担当する「ソーシャル・ワーカー(Social Worker)」、職業実習を担当する「ジョブ・コーチ(Job Coach)」、言葉の遅れを指導する「言語治療士(Speech Therapist)」もいます。看護師ももちろんいます。こうした人々は教員免許状を持っていません。教師以外の者は「パラプロフェッショナル(Paraprofessional)」といいます。給与も教師とは違う体系となっています。学校は教師だけの集団ではないのが日本とは違うところです。パラプロフェッショナルを認定するのは、資格要件を規定する民間の認定機構です。

こうした教職員の業務は分業であるということです。自分の専門分野のことを仕事としているのです。例えば生徒の非行があるとすると、教科担当や担任がそれを受け持つのではなく、ソーシャル・ワーカーかスクール・サイコロジストです。原則、教師は専門分野以外のことができない仕組みなのです。

教員もパラプロフェッショナルも必ずといってよいほど修士号を持っています。特にパラプロフェッショナルというの資格要件がそうだからです。教師もまた大学院へいって勉強し、教える知識や技術を高めると給与が高くなるのです。博士号をもつともっと給料が上がります。アメリカの教職員の待遇としては、定期昇給だけでは不十分なのです。

アメリカの学校がこのように様々な専門家から成るのは、生徒のニーズが幅広いということです。その源は貧困とか家庭環境の悪さなどにあります。特に大都市の街中にある高校は問題行動の生徒が多いといわれています。時には校内に警官が巡回するのはこのような理由によります。大都会の真ん中にある学校で教職者は厳しい環境で仕事をしています。

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アメリカの学校は今  その七 保護者の責任で団体旅行

fig_international_1 p1170137 as20160619002080_commlアメリカの学校には修学旅行という行事はありません。基本的に団体旅行というのないといってよいでしょう。例外とすれば、保護者が自主的に組織してスポーツのイベントや見学旅行を計画する場合があります。あくまで保護者が主体です。州内のカウンティのスポーツ大会や音楽会に参加するのがせいぜいのところです。この場合、教師が引率することはありません。保護者が生徒を引率します。

修学旅行ですが、かって人々が貧しいときに児童生徒が遠方へ行く機会が持てなかったため、学校が主催して「見聞を広めさせること」が修学旅行の大きな目的とされていました。しかし、生活の向上とともに、見聞を広めさせるという趣旨から大きくはずれて、テーマパークを楽しむことが多いです。

今年の初夏、孫娘がバスで首都のワシントンD.C.へ団体で旅行しました。保護者と貸し切りバス会社が企画したようです。こうした企画で教師が職務で参加することはありません。学校がそのような企画をたてるとすると保護者から「余計なお世話だ、、、」といいわれるのがおちです。自分のことは自分でするのが大事だと考えているのです。教師もまた、「そんな無聊な業務は契約にない」と一蹴するはずです。学校は旅行などを企画するところでないのです。

最近、国内では教育課程の上で特別活動の1つとして修学旅行で外国に出かける学校があります。お隣の韓国や中国へ行くのも聞きます。いろいろな違いとともに似たような生活習慣があることを学ぶ機会となるでしょうが、国外への修学旅行を学校の宣伝材料としている場合も多いと聞いています。誰のための旅行なのかと頭を傾げてしまいます。「修学旅行で国際感覚を養う」といううたい文句はどんなものでしょうか。

日本ほど全国大会と銘打ったイベントを企画する国は知りません。野球や俳句の甲子園大会、少年サッカーや囲碁の全国大会、駅伝大会など素晴らしいものです。ですが学校や教師への負担も考えなければならないでしょう。スポーツでは生徒の能力を高めるために倶楽部チームでの専門家による指導が欠かせないように思われます。
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アメリカの学校は今  その六 プナホウ・スクール (Punahou School)

punahou_logo_thumb obama_ss5 punahou-copyハワイの私立学校の双璧はカメハメスクール、もう一つがプナホウ・スクール(Punahou School)です。プナホウ・スクールの創立は1841年。ミッションスクールとして会衆派 (Congregational church)と呼ばれるプロテスタントの教会が運営しています。今もキャンパスの一角には1851年に建てられた校舎の一部が残っています。「Punahou」とは現地語で「泉」という意味だそうです。

この学校は、ハワイ大学の基幹キャンパスであるマノア校(University of Hawaii, Manoa) のすぐ近くにあり、閑静な住宅地を控え実に良い環境にあります。一歩校内に入ると、そこは大学にいるかのような雰囲気です。バラク・オバマ(Barack Obama)大統領が卒業したことがこの学校を一層世の中に知らしめました。そのほか、全米一位となったゴルフのミッシェル・ウィ(Michelle Wie)もこの学校を卒業したことで知られています。幼稚園から高校までの生徒数は3,750名、高校(Academy)は1,750名です。授業料は年間平均して22,950ドル。日本円で230万円くらいです。

カメハメハ・スクールはハワイの原住民を優先的に入学させますが、プナホウ・スクールは誰でも入学することができます。ミッションスクールの伝統を引き継ぎ、礼拝や聖書の勉強が課せられています。日本語教育もしっかり行われています。多民族の子どもが学ぶせいか、グローバール教育(国際理解教育)が盛んで、アメリカ本土の大学へ進学する者も多いことで知られています。

この学校のスポーツ活動は全米で知られています。初等科には空手部もあります。最も読まれているスポーツ雑誌、Sport Illustrateは2008ー2009年度の全米ナンバーワン学校としてとプナホウ・スクールを評価しています。21のスポーツの種類、参加する生徒数、そして州や全米の大会実績などが評価されています。ハワイの政治や経済、文化、教育の分野に多くの人材を送り出している学校です。

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アメリカの学校は今 その五 カメハメハ・スクールズ(Kamehameha Schools)

bishop-memorial-chapel-old-kamehameha-schools-campus-1 untold_story_pic_1_1 kamlogo 28025-slq_0「アメリカの学校は今」という話題になりますと、大学の予備校でもある高校の姿をとりあげたくなります。最初はハワイ(Hawaii) はホノルル(Honolulu)にある由緒のある学校です。ハワイは1959年に合衆国としての最後の州となりました。50番目です。州都はホノルル。ハワイは先住民がハワイアンと言われています。他に日系、中国系の人々が大勢住んでいます。先住民は州内人口の民族構成で3位になっています。

1885年2月に最初の日本人集団153名がハワイにやってきます(Japanese settlement in Hawaii)。1868年以降、労働者として日本からハワイへ移住していった人びとはサトウキビ労働に従事します。サトウキビ労働者の70%が日本人で、その規模は27,000人といわれます。移住といっても、当初は出稼ぎ労働者だったようです。契約期間が終わり沢山の人がハワイに残りました。

日系アメリカ人の活躍がハワイの政治や経済を支えています。政治の面では、ハワイ州選出でアメリカ初の連邦上下院議員となったダニエル・イノウエ(Daniel  Inouye)とかアメリカ全土の州知事で最初のアジア系知事となったジョージ・アリヨシ(George Ariyoshi) らが有名です。日本の文化は、仏教徒の比率が高いこと、寺院や神社が州内のあちこちでみられることにあらわれています。

ハワイの学校で目立つのは、私立学校が非常に人気があることとです。その代表がカメハメハ・スクールズ(Kamehameha Schools)です。1887年に創立といいますから歴史は古いです。かってハワイを治めていたカメハメハ一世(Kamehameha I) の直系の子孫であるバーニス・ビショップ (Bernice Pauahi Bishop) という人が設立した学校です。この学校には、先住ハワイアンの血筋を引く者が優先的に入学できるようになっています。

カメハメハ・スクールズの創立は1887年。学校はハワイ全土で展開し、早期教育から高校教育までの課程に5,416名の子どもが学んでいます。単独の学校としては全米一の生徒数を誇っています。カメハメハ・スクールズはカメハメハ一世の遺産を継承して、豊かな資金を誇っています。そのため施設はもちろん、教育内容がきわめて充実しているという評判です。ホノルル市街の丘陵にメインのキャンパスがあります。メディア教育センター(Media Education Center) の充実は特に目を奪われるほどです。予約をすれば見学ができます。

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