二文字熟語と取り組む その38 「籠絡」

img_0 77cbed23 mig他人をうまく丸め込み自分の思うとおりに操ることが「籠絡」です。どうも先日の都知事の辞任という話題がいまだに尾を引くせいか、この熟語が話題になります。知事の権限を乱用して好き勝手に振る舞うことは、周りを籠絡できたからです。

「籠」とは竹でつくられた土を運ぶもっこのことです。訓読みはもちろん、カゴ、こもるという具合です。「絡」とは「ひっかけてつなぐ」という意味です。

「政を得てより士大夫、其の籠絡を受けざる無し」というフレーズがあります。周りの意見や注進に動かされず、自分の考えで政務を行う、という意味です。「士大夫」とは科挙を通った官僚とか地主のことです。

ついでに、駕籠という漢字ですが、「駕」は乗り物、他より上に出る、という意味です。「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」というフレーズが江戸時代に流布しました。階級や貧富にはいろいろあって、その境遇の差は甚だしいということのたとえです。

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二文字熟語と取り組む その30 「注進」

img_0 416804_137495110613155001761_600 789「事変を注して上に申し進めること、大事を急いで報告すること」と広辞苑にあります。「注進」は告げ口という含みを持って使われることもあります。発言や報告に対して非難する意味合いでも用いられます。

現在、「注進」の語を使う表現はあまり報道などでは聞かれなくなりました。その理由の一つですが、土地やその状況を調査し、その明細を注記して具申したものが「注進状」と呼ばれていました。それが見られたのは平安時代後期から室町時代にかけてということです。相当古いものですから聞かない訳です。

最近では、自分の意見に反論しない「イエスマン」で周囲を固め、知人などを通して二人の弁護士を特別調査委員に任命し、裸の王様になってしまった首長がいました。自分が裸だと気づかない、周囲にそのことを指摘する人間を置かなかったので「注進」するような調査はできなかったのです。「事件」はすっかり迷宮入りとなりました。大事な税金の行方をうやむやにしていいのでしょうか。ほくそ笑むのは一体誰でしょうか?

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二文字熟語と取り組む その25 「睥睨」

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この熟語は目偏から成る似た意味の語を並べてあります。「へいげい」と読みます。「睥」はからだを低くかがめてのぞくこと、「睨」も子どものような目つきで下から睨(にらむ)ことを意味します。「邪めに見るなり」ともあるように、斜めに物を見ること、横目で見る、にらむという意で用いられます。古くは城の上の垣根も「睥(膰)睨」と呼ばれていたようです。高い所から敵をうかがい、隙あらばとにらんでいる様子が現在の使われ方に転じたと「字訓」にあります。

以上、要約しますと「睥睨」は二つの意味があります。
1  にらみつけて威圧し勢いを示すことです。 その例は「あたりを-する」といった按配です。
2  横目で,じろりと見ること。また,にらみつけることです。流し目に見ることという意味でもあります。

昔から、示威的態度とか 高圧的姿勢は国と国、人と人との間で使われた戦術です。従わせるために脅しとか睨みといった具合に権威を誇示するのが世の常。今日は1945年6月23日に沖縄戦が終結し、それを記念する慰霊の日です。

二文字熟語と取り組む その22 「恬淡」

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今回は「恬淡」という熟語です。欲が無く、物事に執着しないこと、また、そのさまです。無欲であっさりして、名誉や利益などに執着しない状態です。「名利に恬淡な人」という使い方です。

「恬」の訓読みは「やすらか」とか「やすんずる」といいます。 平気でいることとか平然としているさまを意味します。部首のとおり心の状態を表します。「淡」はあわい、うすいという状態です。

「虚静恬淡」という四文字熟語があります。静かで落ち着いていて、欲がなくわだかまりがないことという意味です。「無欲恬淡」も似たような意味で「淡泊で欲がなく、物に執着しないさま」といわれます。同じ読み方で「無欲恬澹」という熟語もあります。「恬然」もよい響きをもっています。

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二文字熟語と取り組む その21 「矜持」

f0200795_15475284 kyouzi-yoko f0186852_834242「矜恃」とも書きます。読み方は「キンジ」か「キョウジ」。「字源」にある「矜恃」の由来の説明はなかなか手強いです。声符は「今」で、意府は「矛」とする漢字です。「矛」は「おおう」という意味から、矛を覆う柄という意味だそうです。侍や兵士を連想させます。

「矜」の訓はあわれむ、つつしむ、ほこるという意味です。「哀矜」といったように人の性情や態度をいう語として使われます。「矜持」はその代表格といえましょう。自分の能力を優れたものとして誇る気持ち、自負、プライドといった意味です。自分に固く自信をも持つさまです。「政治家としての矜持」、「矜持を傷つける」、「矜持を捨てる」といった按配で使われます。

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二文字熟語と取り組む その17 「虚仮」

tokyo_map slide_485228_6662636_free 76893083「漢字は国語表記の上からは、国字である。音訓を通じて自在に表現するという方法は、わが国独自のものであり、文化的な成就といってもよい」。これは白川静氏の「字通」の序にある言葉です。「字通」と並んで白川氏が著した「字訓」という辞書は漢字の日本語としての読みをまとめたものです。漢字の意味を調べるとその由来や背景が解って、使うと使うほどのめり込む思いです。

今回は「虚仮」です。うそ、いつわりを指します。仏教からうまれた言葉で、「心の中は正しくないのに外見のみをとりつくろうこと」、内心と外相とが違うことを指します。1) 真実でない、2) 思慮の浅薄なこと、愚かなこと、またはそういう人、とあります。以上は名詞としての使い方です。

次に接頭語のような使い方です。名詞などに付き、見せかけだけで中身のない意を表します。むやみやたらに、あることやそのような状態であることをけなしていうの用いられます。例えば、「虚仮にする」はそうです。「虚仮の行」とは偽りの修業を指し、「虚仮の後思案」は、愚者は必要なときに知恵が出ず、事が過ぎてから考えがでるという按配です。なにか、昨日の都議会の総務委員会の雰囲気です。

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二文字熟語と取り組む その16 「莞爾」

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「字通」は甲骨文から今日の常用漢字まで、漢字を体系化した漢和辞典です。読み物としても時間を忘れるほどのめり込みます。毎回、この辞書を利用してブログを綴っています。

「莞」は、「まるみをおびる」とか「にっこりと」という意味です。「莞」は「いぐさ」とか「むしろ」という意味もあると「字通」にあります。「爾」は、「しかり」「なんじ」などの意味もあります。もともと人の正面形の上半身と胸部に文様をいれた字で、あざやか、華やか、美しいという意味です。

さて、「莞爾」の意味は「にこりとした様子」のこと、悠然とほほえむこととあります。「莞爾たる面もち」「莞爾として死地に赴く」といった使い方です。従って「莞爾として笑う」という表現は、「馬から落ちて落馬した」と同じで、使い方として適当ではありません。
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二文字熟語と取り組む その14 「出自」

src_28292541 images 09d2b29f077251d8eea47d45544cfbde数日前に掲載されたN経紙の熟語作成パズルの問題です。各、独、出、刀の下に付く漢字を入れる問題です。この漢字の下には、伝、首、然、決という自で熟語が作られます。答えは、「自」でした。易しい問題ですが、今回は熟語の「出自」を取り上げます。

「出自」とは、広辞苑によれば、「人の生まれ、出どころ」とあります。少々説明が簡明すぎるので、もっと調べてみました。文化人類学でこの「出自」が使われるとあります。「個人が出生と同時に組み込まれる特定の祖先を共通にする集団を決定する原理」というのです。この説明から、昔の身分社会や封建社会では「生まれ」が重視されることに納得がいきます。今も、貴族とか王族、公爵とか伯爵という世襲制度(Hereditary Peer)が存在するのは、この「出自」によります。

「自」は、いわずもがなですが、「みずから」という意味です。この由来は「人間の鼻」を表すといわれます。鼻と「出自」は無関係のようですが、事物の出どころ、人間でいえば「鼻」がそれにあたるという少々無理くさい解釈はどうでしょうか。人間としての、あるいは人生のある段階での出発点となっている元の所、それが「出自」であり「歴史」です。

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二文字熟語と取り組む その12 公金流用と「信義誠実」

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有斐閣の「六法全書」を暫くぶりに広げました。北大時代に購入した50年以上も前のものです。「六法」とは、日本国憲法、民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法といわれます。時が経っても「六法」は不動です。中身は少しは変わっただろうと察します。

さて、「民法典」と呼ばれる民法ですが、第1条第2項にある基本原則の条文が「信義誠実」です。これは信義則ともいわれます。第1条は3項から成ります。すなわち、
1  私権は、公共の福祉に適合しなければならない
2  権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない
3  権利の濫用は、これを許さない
というものです。

信義則は、別称として禁反言(エストッペル: estoppel)の原則、クリーンハンド(clean hands) の原則、そして事情変更の原則ともいわれます。禁反言の原則とは、自分の言動に矛盾した態度をしてはならない、という原則です。クリーンハンドの原則とは、自ら法を尊重し、義務を履行する者だけが、他人に対しても法を尊重することと、義務を履行することを要求ができる、という原則です。そして、事情変更の原則とは、契約を結んだ後に、その契約条件をそのまま当事者に強制することが著しく不公平になる事情が生じた場合には、契約条件の変更ができるという原則です。

信義則ですが、世の中には、できるかぎりの手を尽くしても、どうしても該当する規定が見つからないことがあります。従って他に論拠がない場合には、この「伝家の宝刀」ともいうべき「信義誠実」が登場するのです。

さて、今回の東京都知事の言動です。公的資金の疑惑に関して、弁護士団は「違法ではないが不適切だ」という結論をだしています。民法の1条2項では、私的取引においては、相互に相手方の信頼を裏切らないように行動すべきであるとうたっています。さらに権利濫用の禁止である第1条3項は、外形上権利の行使のようにみえても、権利の社会性に反する場合には、権利の行使は許されない、とうたっています。

果たして今回の都知事による公金の使い方に関する疑惑と弁明は、「いつわりなく、まめやかなこと」「行き届いて懇切なさま、まじめなさま」という「信義誠実」の原則に抵触しないのかということです。「伝家の宝刀」は「違法ではないが不適切だ」ということに抜かれるのが然りと考えられます。

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二文字熟語と取り組む その11 説明責任と「粉骨砕身」

image1 28 t02200391_0480085413650440840このところ二文字や四文字熟語が爛漫と花咲くようにニュースに登場しています。その代表は、「説明責任」(accountability)でしょう。Accountabilityという語が英語になったのは13世紀といわれます。大雑把にいって、「行動や結果、製品、決定、政策などの責任について承認をうける必要のこと」とされます。利害関係者に自分の活動や権限行使、内容、結果等を報告することです。しかし、Accountabilityの考えは、政治や交易においてエジプト(Egypt)、ギリシャ(Greece)やローマ(Rome)、バビロン(Babylon)の時代に存在したことがわかっています。

東京都知事というのは、政策の立案から予算の執行まで相当な権限を有する首長のようです。このような立場の人間が、「政治資金」で「クレヨンしんちゃん」の漫画を買ったとか、「回転寿司」で食べたとか、別荘や美術館に公用車ででかけていたなどが報道されています。何度も高額な海外出張をしていることも庶民の感覚からかけ離れているといわれます

「まだまだあるのでは、、」と多くの人々が思っています。こうした都民の「疑心暗鬼」とは、疑いの深さからあらぬ妄想にとらわれることです。まさに、「いもしない暗闇くらやみの亡霊が目に浮かんで、次々と疑わしく恐ろしくなる様」です。

さてこうした疑心暗鬼にとらわれている民に対して、知事の態度はどうかです。「粉骨砕身、都政の運営に努める」というのですから、これはもう「厚顔無恥」、「鉄面皮」といわれても仕方ないでしょう。言葉や態度などが丁寧すぎて、かえって不遜である「慇懃無礼」という熟語もぴたりとあてはまります。語れば語るほど嫌味でがつきまとい、誠意が感じられなくなります。

「骨を粉にし、身を砕くほど努力する」という言葉はきわめて礼儀正しく丁寧ですが実は尊大で、追求をかわして逃げ延びようとする姿勢が見え見えです。別荘を売る、給料を減額する、美術品や流用金を慈善団体に寄付するなどという言葉は、空疎な響きがあります。
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二文字熟語と取り組む その10 「氵」と漢

yamataikoku1 img9ed1db45zikdzj中学時代の教科書に、福岡県志賀島で「漢委奴国王」という金印の写真がありました。この金印によって中国の王朝と日本の交流があったことが裏付けられたという内容でした。「後漢書東夷伝」の記述では、当時中国の諸王朝は日本列島にあった政治勢力や国を「倭」とか「倭国」と呼び、その王の一人が卑弥呼であるとしています。

「倭」は中国に恭順の意を示すために貢ぎ物や人を送っています。当時の日本は「邪馬台国」だったそうです。まだ、文字が通用していなかった日本のことが、後漢書などで記述されていることで、畿内ヤマトや佐賀平野などの所在地論争というロマンが続くことになります。

今回の記事は、「漢」です。「漢」とは元々は長江の支流である漢水に由来する名称です。漢水は漢河ともいわれます。前漢時代と呼ばれるのは、紀元前206年から紀元後8年のことです。秦が滅び項羽との争いに勝利した劉邦が王となり都を長安におきます。後漢時代は紀元後25年から220年までで、都は洛陽におかれます。この時代に書かれた歴史書が「後漢書東夷伝」です。当時の日本を知ることができる唯一の資料ではないでしょうか。

「漢」の説明を広辞苑で調べると、「あまのがわ、中国の王朝名、前漢、後漢など中国の異称、晋の五胡が中原を乱したとき、漢民族の男子を罵って漢児と称したことから、男子、おとこ」などとあります。こうして、中国本土古来の民族や中国に関することがらから、沢山の熟語が生まれます。「漢民族、漢人、漢土、漢字、漢語、漢文、漢詩、漢学、漢籍、漢訳、漢方、漢風」などです。男子やおとこ、という「漢」からは、 「漢魂、好漢、悪漢、巨漢、怪漢、酔漢、暴漢、」そして「痴漢」という按配です。男は「漢児」とも呼ばれたようです。

「漢」または「水の流れていない川」をあらわす形声文字で「あまのかわ」ともいわれます。音読みは「乾」に通じるようです。
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二文字熟語と取り組む その9 「氵」と滋

p0092 wst1507300007-p2 76315_photo2私は昭和17年11月10日生まれ。父母は「滋」と命名しました。長男は「實」、三男は「守」です。太平洋戦争の最中です。緒戦は連戦連勝だったようですが、昭和17年6月のミッドウェー海戦 (Battle of Midway) があり、戦いの潮目が変わり、戦局はだんだん厳しくなります。父母はそのために「滋」、「守」とつけたと後で話してくれました。

「滋」という時は、水に恵まれて草木が茂り育つとか、潤す、ふえる、栄養になるといった意味です。「氵」と「艹」の両方がつく漢字はそうはありません。熟語として滋味、滋養など恵まれた字といえましょう。「茲」というのがJIS第2水準にあります。音読みは「し」、「じ」、訓読みでは「とし」、「しげる」、「ますます」とあります。

ついでに「慈」という字です。語源的には「友」「親しきもの」を意味する「mitla」という単語から派生したものであり,真実の友情,純粋の親愛の念を意味しているとブリタニカ事典にあります。仏教用語だそうです。いつくしむ、情けをかける、恵み深いという字です。慈愛、慈雨、慈善、慈母、仁慈などの熟語が形成されます。また、母のことは「家慈」というのだそうです。愛をもって苦しみを除くのが慈悲とか大慈です。どの熟語も感動的ですらあります。

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二文字熟語と取り組む その7 「人」と漢字

kokoro 31 12265060「人」という漢字についてです。「人という字は、人と人が支えあっている様を表す、、」ということをよくききました。「休」は「木の側に人が憩っているのだ」という説明もききます。同じようなことを「親」という漢字でもききます。「立つ木を側で見守る、それが親という字だ。」以上の説明は、余りにも俗っぽいというか、作り話のような気がします。そこで白川静氏の「字通」で調べてみましたが、以上のような説明は全くありません。「親」ですが、神事に用いる木を選ぶために切り出した木は「新」というのだそうです。その木で神位を作り拝することを「親」という、と白川氏は主張しています。

「人偏」を調べることにしました。取り上げたい漢字は他、仁、仏、夫です。全くランダムです。「他」の也とは不特定の対象という意味だそうです。也に人がついて人称化されます。次に仏です。仏とは「見ること審かならざるなり」という意味だそうです。仏さまは覚者そのもの。仏の連語から彷彿があります。ほのかにしてさだまらぬさまをいいます。

次に「仁」です。したしむ、めぐむ、いつくしむ、という人の最高の徳です。孟子の言葉では「人に(二)従う」というのが語源だそうです。ついでに「夫」ですが、「大」は人の正面の形で、頭に髪飾りの「一」をつけると男子の正装になり「夫」となります。その読みは「かの」です。夫人は文字通り夫の人です。夫は労務に服し、そこから「大夫」が生まれます。「大夫」は管理者だそうです。ついでに、先生のことを「夫子」という熟語で呼ばれていたと白川氏は書いています。

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二文字熟語と取り組む その6 国字と漢字

201010a3 2010112012505209f jitai-002中国から伝来した漢字ではなく、日本で作られた漢字は国字とか和字、倭字と呼ばれます。漢字の分類法の一つに「会意」があります。2つ以上の漢字を組合せ,両者を合せたものに近い意味と字形をもつ1字の漢字をつくる構成法のことです。「会意」によって作られた漢字を和製漢字とか和字と呼ばれます。この「会意」を意識すると漢字を覚えやすくなります。

「会意」の例ですが「木」であれば林、森、「車」であれば轟といった按配です。その他、凧や凪、凩など、身近なものとしていろいろとあります。「めとる」という漢字は「娶」ですが、「女」を「取」るという具合です。姑という漢字も古いと女が合わさっています。合点がいきます。

漢字の別な会意ですが、神道の神事で神棚や祭壇に供えられる植物が「榊」です。これもなるほどと頷けます。椋、杼、栢、樫、椚、椙、橿など漢字自体が意味を表すものです。

国字はもともとは中国の漢字の字体にならって新たに作られた漢字のこと。その特徴といえば、漢字は通常、音と訓読みがありますが国字には音がないのが通例です。畠、峠、粁、躾、鮨など音のない漢字が多数あります。

次に「国訓」です。漢字が日本語を表記するようになると、次第に漢字には、中国とは異なる意味や用法が現れてきます。それが「国訓」と呼ばれる姿です。「水」を訓で「みず」、「侵」を「おかす」と読ませることです。いわば日本製の字の意味のことです。「愛」とは立ち去るときに後ろ髪がひかれる心情の「いつくしみ」であり、国語では「かなしみ」となります(常用字解 白川静著 )。「杜」という字は「杜甫」という詩人や「杜絶」という熟語がありましたが、日本でモリと呼ばれるようになったのが国訓の例といえます。

二文字熟語と取り組む その5  大きな枡目の漢字

1nen maxresdefault k1-kuruma1放課後こども教室から学ぶことです。漢字の書き方を覚えるのに低学年は練習帳を使います。練習帳には範の漢字がでてきて、その下に10個の枡があります。枡目の大きさは2センチくらいです。やがて部首を意識できるようにするためでしょうか、十字の区切りが薄くでています。

どの子も何度も書いては消しています。中には声を出して書いている子供もいます。まだ熟語としては学んでいません。「青」、「空」を別々に学ぶのです。どうして「青空」を一緒にしないのかと思案してしまいます。「男」、「女」も別々になっています。画数が違うといっても「男女」を一緒に学ぶ方ほうがよいと思うのですが。

放課後こども教室では、隣あわせで友達と一緒に学んでいることに気がつきます。このほうが張り合いがあるのでしょう。一人での学習は自分の進み具合がわかりにくいこともあります。

宿題を終えると、早速外に飛び出して遊びに熱中する子、囲碁をやりたくて寄ってくる子。彼らは、「さあ、バトルだ」といって対戦相手を見つけます。「バトルってなに?」ときくと「闘うこと」と答えます。漫画やゲームの影響が強いようです。囲碁で大事な礼儀やマナーは二の次といった感じです。

小学一年は80文字、小学二年は160文字と取り組みます。身の回りの漢字が多いこともありますが、漢字に取り組む姿をみると読み書きは問題なく通過するはずです。吸収力が早いです。

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二文字熟語と取り組む その4  部首と漢字

info33 img019sk2ks-sコピー漢字は、偏(へん)、旁(つくり)、冠(かんむり)、脚(あし)、構(かまえ)、垂(たれ)などさまざまな「部首」で構成されています。たとえば、偏の一つである「さんずい」の漢字には「江」「洋」「汐」「池」「泳」「河」「港」「漁」「湖」「潮」など、水に関連するものが多いことを念頭におくと、理解がいっそう深まります。ちなみに漢字の「漢」も「さんずい」ですが、水とは関係ないように思われます。ですがこの字はもともと中国の「漢水」という川の名前を表す漢字として作られています。水と深く関わりがあることがわかります。ソウル市内にもハンガン、「漢江」が流れています。

「部首が無い漢字はない」ということを聞いて少々驚きました。どんな漢字にも部首はあるというのです。例えば、「上」とか「目」といった簡単な漢字は部首だけで成り立っています。漢字にはこうした部首が214個あるというのですから驚きです。

漢字を覚えるコツは、漢字辞典や漢和辞典を使ってこうした知識を深めることです。漢字の奥深さは部首にあるといえるかもしれません。部首をとおして漢字を探求的に学習することにしましょう。そして手書きができるようになると漢字が、不思議とパタンとして浮かび上がってきます。二字文字熟語も同じ部首から成るものが多いのに気がつきます。今日は、「部首が無い漢字はない」ということを「指摘」する「挨拶」で始めることにします。

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二文字熟語と取り組む その3  読書と漢字

B000_h27_02 kanji-11 edd006a22759d93681e0d173bb240567これまでなんども言っていることですが、私は毎日文字や数字を1,000字位手書きすることにしています。1,000字というと、このブログの一回分くらいです。ワープロばかり使っていると、新しい表現や熟語を手書きすることができないのです。手書きできない語いはワープロ化しないことにしています。「語彙」はワープロが勝手に画面に出してくれるだけです。私は「語彙」はまだ手書きできません。

ベネッセの「教育情報サイト」をときどき覗くのですが、そこに【漢字を覚えるコツ】とあって、その3には「読書しながら漢字を勉強しよう」というのがあります。私は「小説を読みながら覚える」ことにしています。いつもノートが脇にあって、知らない熟語や表現があると書き留めることにしています。

英単語の学習では、一つひとつ暗記するよりも、覚えたい単語が組み込まれた例文を覚えるほうが忘れにくく、実際に英語を使う場面で活用しやすくなると言われています。これは、文章中の他の単語との関連を一緒に理解できるからです。漢字の学習も同様です。文章の中にある漢字に触れることで、いわば脈絡や状況のなかで漢字を習得できます。誰もが得意な学習の仕方があるでしょうが、読書を通して漢字を学ぶ学習が推奨されます。

知らない漢字が出てきたら、その都度読みや意味を確認したいものです。「わからない漢字はノートに10回書く」などとルールを決めておくのです。読書ですが、漫画は子どもが読みやすいようにひらがなを多用しています。漢字の学習に適している材料かどうかは、わたしには解りません。

昨日の夕刊にあった二文字熟語のクイズは、背、心、濃、条、義、通、電、受が周りにあって、その中に「?」という漢字を入れると熟語ができるかという問題でした。幸い5秒で「?」の漢字がわかりました。ときどきどうしても解らないクイズもあります。

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二文字熟語と取り組む その2  佐伯泰英の時代小説と漢字 

img_0 iwane_edozoshi_03 200905271007120a8東京の街中、特に文京区、中央区、台東区などを歩く楽しみは堪えられません。文京区は、昔家庭教師をしたり社会教育館でアルバイトをしていたので、史跡を通してある程度の歴史や特徴を知ることができました。「文の京 (ふみのみやこ)」の名前の通り住宅の街ともいえそうです。大学の街でもあります。 孔子廟である湯島聖堂もあります。

中央区は、なんといっても日本橋や京橋など下町として栄えたことが特徴です。神田川、日本橋川、竜閑川、そして隅田川など水運によって栄えた下町です。銀座や築地はや東京湾の側です。銀座は名前のように江戸時代に銀貨幣の鋳造所があったのです。築地は埋立地です。佃島など関西とも通じる地名です。

台東区といえば、江戸時代を通じて、最も古い市街地の一つです。その代表格は浅草でしょう。寛永寺や上野公園、谷中の街並みや墓地も散歩にいいです。旧岩崎邸庭園も落ち着くところです。蔵前や浅草橋地区は人形の街。さらに玩具や衣料品、雑貨関係の卸も多数有ります。

江戸時代の文京区、中央区、台東区を知るには、古地図を調べるのもよいのですが、佐伯泰英の時代小説を読むと今の東京と昔の江戸の違いや変遷を知ることができます。その果実として、今まで書けなかった二字熟語の意味や使い方を学ぶことができます。

「巻紙も 痩せる苦界の 紋日前」という川柳にでてくる「紋日」という熟語は、知らなければ絶対に文章にしたり口にでることがありません。「紋日」とは遊郭において衣服を着替えるお祝いのことのようです。通常は客が費用を出してくれたようです。こうした表現を使えるかは、日本語も英語も全く同じで、この熟語を知っているか否かです。

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二文字熟語と取り組む その1 「放課後子ども教室」と漢字

o0800066410379335275 yytr khokago私は経済新聞を30年以上も購読しているのですが、経済や金融に強い関心があるわけではありません。ですが定年退職後は時間ができたせいか、経済は国民の生活に直結していること、景気が良くなったり悪くなったりすること、どうして物価が上がるのか、円安になるのか、企業の業績の上昇や下降はどうして起こるのか、貿易収支の黒・赤字などのからくりはなにかといった身近な話題に興味がうまれます。こうして退職後は、頭の体操の一環として投資や為替の動きに注目するようになりました。

今回の話題は、新聞の経済記事に関することではありません。漢字熟語についてです。新聞の夕刊には「熟語作成パズル」というのがあります。二文字熟語を作る問題です。どんな漢字をあてはめると周りを囲むすべての二字熟語ができるか、という問題です。時に難しい問題がでてきます。そのときは、辞書の助けを借りることにしています。思いもよらない熟語があることもあります。まだまだ知らない漢字、特に手書きできない漢字がたくさんあって好奇心がかき立てられます。例えば「天網恢々疎にして漏らさず」の「天網恢々」といった熟語です。

漢字の学習に関連してですが、毎週、月曜日と水曜日に近くの小学校で囲碁を教えています。この活動は「放課後子ども教室」の一環です。教室に行くと、子供達が一生懸命宿題をしています。囲碁を教える前に、宿題をみることにしています。彼らの多くは漢字や九九を学習します。大きな枡目のノートに教室で習った漢字を書いています。一年生から結構難しい漢字を習うのに驚きます。私は、一年生のときどんな漢字を学んだのかは全く覚えていません。宿題をやったという記憶もないのです。

一年生では80字、二年生では160字、そして六年生では181の漢字を学びます。六年間で1,006文字を覚えるというのです。この1,006文字をいろいろと組あせて無数ともいえる熟語を学ぶのですから襟を正す思いです。

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