ナンバープレートから見えるアメリカの州ネバダ州・The Silver State

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ネバダ州(Nevada)のナンバープレートには「The Silver State」とあります。「Home Means Nevada」と印字されたのもあります。西にカリフォルニア州、北にオレゴン州、東にユタ州(Utah)、南にニューメキシコ州に囲まれています。州都はカーソンシティ(Carson City)。最大の街はラスベガス(Las Vegas)となっています。

この地域に人類が定住したのは2万年以上前のことといわれ、先史時代の居住者の証拠である住居跡や岩絵が残っています。初期の居住者はショショーネ族(Shoshone)やパイユート族(Paiute)、ワショー族(Washoe)です。18世紀にはスペインの宣教師が、1820年代には毛皮商人のジョン・フレモント(John C. Fremont)とキット・カーソン(Kit Carson)による大規模な探検と地図作成が行われる前に到着していました。

Map of Nevada

ネバダ人の大多数はヨーロッパ系の祖先を持ち、そのうちの5分の4以上がアメリカ国内で生まれています。ネバダ人のごく一部は、ピレネー(Pyrenean)の故郷から羊飼いとして徴兵されたバスク人(Basques)に祖先をたどります。主にメキシコとキューバ系のヒスパニック系住民が州住民の約4分の1を占め、南東部に集中しています。アフリカ系アメリカ人は主にラスベガスとリノ(Reno)地域に住んでおり、人口の10分の1以下です。パイユート族、ショショーネ族、ワショー族(Washoe)のネイティブ アメリカンはいくつかの居留地に住んでおり、州の人口のほんの一部を占めています。

Valley of Fire State Park


ネバダ州は1848年にメキシコからアメリカに割譲された土地の一部で、ユタ準州(Utah Territory)に含まれました。1859年にヴァジニア・シティ(Virginia City)で豊富な銀鉱脈であるコムストック・ロード(Comstock Lode)が発見されると、入植者が増加します。1861年にネバダ準州となり、1864年にはアメリカ36番目の州となりました。大恐慌の時代にギャンブルが合法化され、近代経済への移行が始まっていきます。フーバー・ダム(Hoover Dam)の建設がネバダ州南部の経済を助けます。伝統的な経済基盤である鉱業と農業は、政府活動や観光業によって影を潜めていきます。

ネバダという名前は、スペイン後で雪がかぶった山々という意味の「Sierra Nevada」から由来すると言われます。北部は砂漠地帯、南部や渓谷と山となっています。ラスベガスの北104キロのところに1951年1月11日に設置されたネバダ核実験場(Nevada Test Site)があります。最後の大気圏内実験は1962年7月、地下核実験は1992年9月となります。この地域は合衆国の中でも最も核爆発回数の多かった場所となります。戦後はしばしば新聞紙上でネバダでの核実験の記事が掲載されたものです。

Lake Mead

ネバダの主産業は合法化されたカジノ(casinos)を代表とする娯楽産業と鉱業です。最大都市はラスベガスで、世界有数のカジノ街として名高いです。また、州西部のリノ(Reno)もカジノの町として知られています。24時間営業のカジノは、合法ギャンブル業界で最も広く知られている側面です。カジノに付随する重要な施設は、高級ホテル、グルメレストラン、ゴルフ コース、ナイトクラブなどのライブエンターテイメントです。

観光とその関連活動は、鉱業、農業、製造業を合わせたよりも多くの収入をもたらし、労働力の5分の2以上を雇用しています。何百万人もの人々がミード湖(Lake Mead)やタホ湖(Lake Tahoe)その他のレクリエーション地域や景勝地を訪れますが、観光の中心は主にネバダ州に特有のカジノというスポットです。

鉱業はネバダ州経済の中で依然として重要な位置を占めています。金の産出は有名で世界第4位となっています。ネバダ州中部の田舎の郡に特有なのは合法売春(legal prostitution)ですが、これらの地域では近年、売春を非合法化する取り組みが高まっています。

Las Vegas

1850年代のカリフォルニア・ゴールドラッシュ(California Gold Rush)で数多い中国人が抗夫としてワショー郡(Washoe County)に入ってきて以来、アジア系アメリカ人が州内に住むようになります。中国人に続いて19世紀後半には日系人が農業労働者としても移住してきます。州を潤していた鉱産資源が底を突き始めると人口流出が深刻となります。州政府は窮余の策として移住者の離婚を認め、定住者の娯楽と産業創出のためにカジノを公認するようになったとあります。

ネバダは乾燥地帯で疫病が少ないため住みやすく、諸税の少なさから都市部での人口増加や企業進出が顕著となっています。主要な宗教グループはモルモン教徒(Mormons)とローマ・カトリック教徒(Roman Catholics)です。プロテスタント(Protestant)にはさまざまな宗派があり、少数のユダヤ人(Jewish)も住んでいます。

州の大半を砂漠が占めており、農業はほとんどみられません。そのため気候は砂漠の影響で夏は乾燥して高温、冬は厳しい寒さが襲います。寒暖の差は合衆国で一番といわれています。
(投稿日時 2024年3月5日)

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その45 The Beehive State

ユタ州(The State of Utah)の歴史といえば、1847年にブリガム・ヤング(Brigham Young)に率いられたモルモン(Mormonism)教徒が迫害から逃れ、入植したことで知られています。モルモン教会は、末日聖徒イエス・キリスト教会(Church of Jesus Christ of Latter-day Saints)といわれます。ユタの北西部は世界最大級の塩砂漠で、これは「Great Salt Lake Desert」と呼ばれています。州都はソールトレーク(Salt Lake)となっています。現在州民の70%がモルモン教徒です。

ヤングらのモルモン教徒は、乾燥した盆地に潅漑農業を興します。そして1849年にはその地をデゼレット州(State of Deseret)と命名します。「Deseret」とはモルモン教徒の言葉で「勤勉な蜜蜂」という意味だそうです。ニックネームにある「 Beehive」とは蜜蜂の巣という意味の単語です。

ヤングはモルモン教会の大管長などをつとめたのですが、最も著名なのが多重婚推進とか黒人教会員の聖職叙任の禁止とった議論を醸したことです。しかし、1890年に一夫多妻制度が廃止され、1896年にユタは連邦政府に加入します。

ユタの産業としては、石油、金、ウランなどが主となっています。世界最大の銅の露天掘り鉱山であるビンガム・キャニオン(Bingham Canyon Mine)もあります。

観光地としても知られています。西部劇のロケ地となった「 Monument Valley」があります。ここでジョン・フォード(John Ford)は「駅馬車 (Stagecoach)」や「捜索者(The Searchers)」を撮影しています。一帯は古くからのナバホ族(Navajo)居住地域で、今もナバホ族の聖地となっています。