「どんなことにも感謝しなさい」という聖句があります。「ありがとう」はわたしたちの生活の土台になるものです。私は、家内にそれを素直に言葉に表わすことができません(..;)。「Thank you」は「Think of you」からきているともいわれます。「あなたのことを考えること、思うこと」が感謝の土台にあるというのです。勤労感謝の日は、大切な人々に心からの「ありがとう」を伝える日です。家族や友人、近所の人たち、働く人たちが私たちを支えてくれることに感謝をする日でもあります。
60年間の避難生活を経て、オハイオ川の向こうに住むデラウェア州の人々は部族同盟を再燃させ、イロコイ族からの独立を主張し、進入してくる入植者に抵抗していきます。彼らはフレンチ・インディアン戦争(Frenchi-Indian War)でイギリスの将軍エドワード・ブラドック(Edward Braddock)を破り、当初は独立戦争では北軍を支援するのです。1795年のグリーンビル条約(Treaty of Greenville) で、彼らはオハイオ州の土地を譲渡し種族の多くは散り散りになります。1835年までに一部はカンザスに再び集ますが、ほとんどは186 年にオクラホマ州に移されます。21世紀初頭のデラウェア州の子孫の数は16,900人以上でした。
Delaware Beach
デラウェア最初の白人定住地は、1638年にスウェーデン人がフォート・クリスティーナ(Fort Christina)、現在のウィルミントン(Wilmington)に築きます。1655年にニュー・スウェーデン(New Sweden)は、ニュー・アムステルダムのオランダ軍(Dutch of New Amsterdam)に、1664年にはイギリス軍に占領されてしまいます。その後、デラウェアは1682年にウィリアム・ペンに割譲されるまでニューヨークの一部でした。
デラウェア州で有名なのは、大財閥企業デュポン・ド・ヌムール社(DePont de Nemours)であす。フランスの貴族ピエール・デュポン(Pierre DePont)が州最大の都市ウィルミントンに火薬工場を作り、やがてアメリカ有数の化学企業となります。ついでに「Pierre」とはギリシャ語で「石」という意味です。英語ではPeter、スペイン後ではPedroと発音されます。
アメリカ本土やカナダから大勢の観光客が訪れるのがアラスカ州(Alaska)です。西南のアラスカへクルージングでやってくるのです。300万以上の湖が点在し、動物も植物も手つかずの大自然のままです。ナンバープレートには「The Last Frontier」(最後の秘境)とあります。「North to the Future」というフレーズのもあります。かつては「The Great Land」とも呼ばれたようです。灰色熊のグリズリー(grizzly bear)が描かれていて、私には喉から手が出そうな一枚です。まだ持っていないのです。
アラスカ州の南側は、地球上で最も活発な地震帯のひとつである環太平洋地震帯となっています。アラスカには130以上の活火山があり、そのほとんどはアリューシャン列島(Aleutian Islands)と隣接するアラスカ半島にあるといわれます。1964年3月27日にアラスカ中南部で発生したのがアラスカ地震(Alaska earthquake)で、その規模はマグニチュード9.2といわれます。1906年のサンフランシスコ地震の少なくとも2倍のエネルギーが放出されたと記録されています。人口が過疎のため犠牲者は131人といわれます。コディアック島(Kodiak Island)からプリンス・ウィリアム湾(Prince William Sound)にかけて、局地的に25メートルの高さまで地塊が突き上げられた大規模な地震だったといわれます。
アラスカは面積においてアメリカ最大の州です。それに引きかえ、最も人口過少の州です。州都はジュノー(Juneau)。1906年までは、シトカ(Sitka)が州都でした。 最大の都市はアンカレッジです。かつてアンカレッジは日本からヨーロッパやアメリカに飛ぶときは最短距離の航路にあたりました。航空機の性能で給油のために立ち寄った懐かしいところです。給油の間、ターミナルで待つのは過去の話となりました。最近では2008年の大統領選挙で共和党の副大統領候補に州知事だったMs Sara Palinが指名されました。
Alaska bears
ロシアの軍艦、聖ピーター号(St. Peter)に乗ったビタス・ペーリング(Vitus Bering)が1741年7月15日、現在のシトカあたりの陸地を発見したといわれます。その後アメリカは1867年にロシアから720万ドルで購入した歴史があります。当時の国務長官スワード(William H. Seward)はロシアからの買い取りを提案したのです。当時は「巨大な冷蔵庫を買った」とか「スワードの愚行(Seward’s Folly)」と蔑称されるなどと非難されたとか。今で言えばアメリカはロシアから安い買いものをしたものです。領土は決して売ったりするものではないのです。地下資源、森林、漁業資源などが豊かなところです。それにもましてアメリカにとっては国防、軍事上の重要な位置にあるのがアラスカです。そのためか、大地の65%が連邦政府の管理にあります。ほとんどが不毛の地ですから、埋蔵量が豊富な原油の採掘地帯以外は誰も所有しないのです。1968年に油田が発見され、1977年トランス・アラスカ・パイプライン(Trans Alaska Pipeline)が完成すると原油生産による収入で人口が増加に転じ、インフラ整備が進みます。
格差是正のためにマイノリティに割り当てを行う手法の一つに「クオータ制(quota)」があります。「quota」とは、ラテン語に由来する英語で「一定程度の割り当て、取り分」(a proportional part or share)といった意味です。日本では輸入の枠を設けるクオータ制度を使って、国内の産業を守っています。企業にも一定の枠で障害者を雇用しなければならない仕組みがあります。