ウィスコンシンで会った人々 その118  富くじと火事噺 「富久」 

目蒲線目黒駅のそばに急な坂がある。有名な行人坂である。なぜ有名かというと坂の途中に大円寺があるからである。この寺は明和9年(1772年)の大火の火元となり、江戸八百八町のうち、六百三十町をなめ尽くした。火事は日本橋あたりまで延焼し、多数の死者も出たという記録がある。大円寺はお咎めを受けて、その後70年間再建が禁止されたという。

大火によって多くの寺社仏閣が焼失した。その復興のために、寺社奉行は富くじを認め、復興資金集めを許した。富くじ興業はその後、娘を売ったり人を殺めて金を工面するなど、射幸心を煽るという理由で次第に自粛され中止となっていく。「富久」は火事と酒、そして宝クジにまわつる演目である。

日本橋の花柳界に久蔵という太鼓持ちー男芸者がいた。いわゆる幇間である。性格はよく如才ないのだが酒を呑むと喧嘩をふっかける。酒乱が元ですっかり客がつかなくなり仕事にあぶれ、こ汚い長屋に住んでいる。そこに湯島天神の富くじを売って歩く男がやってきて、残り物のくじを一本を買わされる。それを大事に大神宮のお宮にしまう。

半鐘の音で起こされた久蔵、火事場にかけつけて手伝うように差配の旦那に言われる。急いで消火を手伝い、その甲斐あって用意された酒を徹宵して飲てみ寝込む。その夜、また半鐘が鳴る。なんでも自分の長屋のあたりから出火したと言われる。かけつけると長屋はすっかり焼け落ちている。とぼとぼと旦那の所に戻る途中、大勢の人だかり。その日は湯島天神の境内で富の開帳があるという。

やがて、目隠しをした坊主が富の番号を読み上げる。

坊主 「鶴の1555番! 鶴の1555番!」
聴衆 「あっ残念、もうちょっとの違いだ、、」
別な聴衆 「2,3番の違いか?」
聴衆 「500番違いだ、、」

久蔵 「あ、たった、、あ、たった、、、、」 と久蔵は座ってしまう。
聴衆 「富の開帳には、こんな男が必ず出てくるんだ、、、」

千両と引き換えに富札を求められた久蔵だが、火事で札が無くなったことに気づきガックリ。だが、近所の者が大神宮の神棚を持ち出してくれていたので富札は無事久蔵のもとにかえり千両を手にするという噺である。

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ウィスコンシンで会った人々 その63 富くじ噺

「富久」という演目は古き良き江戸の風物や庶民の姿を描いている。江戸の華といわれた火事と富くじが舞台である。富くじは、寺社にとっては大切な収入源。あちこちに広がって行ったため、江戸幕府は禁止令を出したほどだ。だが寺社普請のための富くじが再開される。幽霊話にも富くじや博打がでてくる。今も昔も宝くじは廃れることがない。

幇間の久蔵。人間は実直だが大酒のみが玉に瑕。酒の上での失敗で仕事にあぶれている。幇間とは男芸者。年の暮れ、久蔵は深川八幡の富札をなけなしの一分で買う。深川八幡は富岡八幡ともいわれる。札は「松の百十番」。一番富に当たれば千両、二番富でも五百両。ところでWikipediaによれば、一両は今の6〜10万円、一分は1〜4万円といわれる。

久蔵は長屋の大神宮の神棚に札をしまい、「二番富でも当たるように」と柏手をうつ。とある夜更けにまた半鐘の音。今度は久蔵の家がある浅草方向というのだ。久蔵急いで長屋に戻ると既に遅く、家は丸焼け。仕方なく出入り商人の居候になる。

数日後、深川八幡の境内を通ると、ちょうど富くじの抽選。「オレも一枚買ったっけ」と思い出したが、あの札も火事で焼けちまったと、諦め半分で人混みの興奮を見ている。
役人 「一番、松の百十番」
久蔵 「あ、当たったッ」

久蔵は卒倒した。今すぐ金をもらうと二割引かれるが、そんなことはどうでもいい。「冨札をお出し」と役人からせっつかれる。
久蔵  「札は………焼けちまってないッ」

「水屋の富」という演目も富くじが主役である。そして江戸時代に流行った「水屋」が主人公である。玉川上水とか神田上水がつくられたのは江戸時代。これによって水が曳かれた。それでも桶に水を入れて担いで売る「水屋」が多かったといわれる。坂の多いのが江戸の町。重くて安い料金だが、お得意さんが待っているから一日も休めない。

ある水屋が、大事な金をはたいて富くじを買う。それが、幸運にも千両が当たる。「水屋から足が洗える」と大喜びで、手数料の二割を引かれた八百両を持ち帰る。しかし、水屋はお得意さんが待っているので、代わりが見つかるまで辞めることができない。

お宝の八百両の隠し場所にも水屋は困る。持ち歩くわけにもいかず、悩んだ挙句、ボロ布でくるんで縁の下に隠す。やれ安心と商売に出てみるが、周りがすべて泥棒に見える。商売もそこそこに家に戻って、縁の下のお宝を確かめて安心して寝るのだが、今度は泥棒が夢に現れて殺される夢ばかり見る。毎日これの繰り返しで、水屋はもうフラフラ。

水屋が毎晩縁の下を確かめるのを見ていたのが隣の遊び人。何かあるなと縁の下を探して、お宝を見つけそっくり盗んでしまう。戻ってきた水屋、縁の下のお宝が無くなっている。そして一言、「これで苦労が無くなった」。

31 DSC01716-1 IMG_0012 富岡八幡