旅のエピソード その3 「入国審査官との会話」

最近の成田国際空港の出入国審査官は、すこしゆとりや笑顔を見せるようになってきたように感じます。始めてやってくる外国人にとって入国審査官とのやり取りによってその国の印象が決まるといっても過言ではありません。入国審査を受ける番になると「ようやくこの国に来たな、、」と、気持ちが高揚します。

毎日何百人もの入国者を相手にする入国審査官は、入国者との生真面目で紋切り型の会話には飽き飽きしているかもしれません。審査官も実は会話をしたいと思っているはずです。私はアメリカへ行くときは、マイレージ(Mileage)を貯めるためにNW航空を使います。今はD航空に吸収されました。このハブ(hub)はミシガン州(Michigan)のデトロイト(Detroit)国際空港です。ここではいろいろな審査官に会いましたが、二つの思い出となるやりとりを紹介します。

私「こんにちは。」
 審査官 「入国の目的は?」
私 「ビジネスです。」
 審査官 「どんなビジネスか?」
私 「学会発表です。」
 審査官 「何の学会か?」
私 「障害児教育です。ハンディキャップです。」
 審査官 「それは大事な勉強だ。」
私 「そのとおりです。その学会でこれからミネアポリスへ行きます。」
 審査官 「ミネアポリスは初めてか。」
私 「ええ、初めてです。ですがミネソタツインズという強いプロ野球チームがあるのを知っています。」
 審査官「野球好きなのか?」
私 「大好きです。ヤンキースも好きです。イチローはシアトルで活躍しています。」
私 「デトロイトに野球チームはありますか?」
 審査官 「タイガースというのがあるよ。まあ、弱いけど。」
私 「それじゃイチローやマツイを引き抜いてはどうでしょうか。」
 審査官 「それはいい考えだ。(ここでニヤリとする)」
 審査官 「ではいい旅を。」
私 「ありがとう。」

実に他愛のない会話です。同じくデトロイト国際空港で、別な機会に家内と審査官とで交わした会話を隣で聞いていたときです。
入国審査官 「アメリカになんで来たのか?」
家内 「観光です。」
 審査官 「ニューヨークへ行くのか?」
家内 「いいえ違います。」
 審査官「フロリダのディズニーワールドか?」
家内 「いいえ、そこにも行きません。」
 審査官 「では一体どこへ?」
家内 「リンカーンです。」
(審査官は怪訝な表情)
 審査官 「リンカーンはどこにあるのか?」
家内 「ネブラスカです。」
 審査官 「ネブラスカでなにを観光するのか?」
家内 「とうもろこし畑です。」
 審査官 「あんたのような日本人は初めてだ。」
家内 「ネブラスカへ行ったことがありますか?」
 審査官 「あそこはアメリカではない。」
妻「、、、、」

こんなジョークをいう入国審査官もいるという実際の小話でした。

旅のエピソード その2 「コンバーチブルに乗るときは雨傘を」

旅は人びととの出会いです。景色はどうだった、食べ物はどうだったというのはあまり大事ではありません。人との出会いは一期一会なのです。二度と会えないこと、経験できないことがあるのです。まさに「旅は道連れ、世は情け」です。このシリーズでは旅にまつわる失敗事、笑い事、珍事などを紹介してまいります。

旅の思い出は、やはりその国、その場所でないと起こりませんね。例えば「温泉地でカラオケをやっている人びと」というのであれば、台湾の北投(べいとう)温泉となります。アメリカでは公園でのカラオケはありえません。

私は毎年必ず研修と称してアメリカやカナダの学校へ視察に行きました。いつも院生を連れていきます。院生の大半は、教育委員会から派遣されてくる教師です。2年間大学で研究してまた元の学校に戻るのです。中には夫婦でやってくる者がいれば、家族を残して単身でやってくる者もいます。

ハワイに大学院生と一緒にいったときです。一行は8名。私の仕事は、現地の教育委員会や学校と交渉して訪問を段取りすることです。院生は航空券の手配、ホテルやレンタカーの予約、夕食の場所探しなどを担当します。8名で出かけるにはどうしてもレンタカーは2台必要です。院生は2台の車を予約したのですが、なぜか1台はコンバーチブル(convertible)となりました。たたみ込みのルーフ付き乗用車です。

学校を周りホテルに帰る途中、夕立が降り始めました。わたしは通常のセダンを運転しながら、ミラーでコンバーチブルがついてくるのを確認していました。コンバーチブルの中では、院生が屋根を広げようとあたふたしています。車を借りるとき、屋根の広げ方を確認しなかったようです。びしょびしょになりながら、ようやく屋根を広げることができましたが、雨足は弱くなっていました。

The beautiful coastline of Honolulu Hawaii shot from an altitude of about 1000 feet during a helicopter photo flight over the Pacific Ocean with Diamond Head in the foreground.

旅のエピソード その1 「小さな首都タリン」

私もこれまでいろいろな旅をしてきました。人生は旅ともいわれます。そこでのエピソードを紹介することにします。最初は、エストニア(Republic of Estonia)の首都タリン(Tallinn)です。元大関力士、把瑠都の出身地です。

フィンランド(Finland)の首都ヘルシンキ(Helsinki)からフェリーに乗ってバルト海(Baltic Sea)を3時間で、バルト三国(Baltic States)の一つエストニアの首都タリンに着きます。エストニアは1940年ソ連に占領され、1941年から1944年まではナチス・ドイツに占領されます。第二次大戦中、そして戦後はソ連により支配されます。ようやく1991年に独立回復をかちとり、2004年に欧州連合(EU)に加盟します。大国に翻弄された歴史を有します。他にバルト三国のラトビア(Latvia)、リトアニア(Lithuania)も同じ運命にあってきました。

タリンの旧市街は城壁で囲まれています。世界文化遺産に指定されたタリン歴史地区です。その中に広場があります。古い教会が建ち並び、タウンホール(Townhall)といういわば役場が広場の一角にあります。タウンホールでは、かって集会が開かれていたという説明書きがあります。街中には、商工組合の原点とされるギルトのあった建物があり、政治とは切り離された独自の商行為をしていたことがうかがわれます。その建物は今は歴史博物館となっています。

広場の朝は市場で賑わいます。物と物、人と人が出会います。昔はここで市民集会が開かれ、裁判が行われ、処刑も行われ、そして死者を弔う礼拝も行われました。いわば俗なるものと聖なるものが交わるところでありました。タリンのあちこちに銃弾の跡が残る建物があります。教会の尖塔がそびえ、街はすっかり復興し広場は活気に溢れています。

ガイドに案内されてこうした説明をきいていると、中世に勃興した自治都市というものが、広場を起点として発展したことがわかります。広場の果たした役割とその重要性がすり減った古い石畳に刻まれているようです。小さな国を歩くのも旅の楽しみです。