心に残る名曲 その百八 ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ 「教皇マルチェルスのミサ曲」

16世紀後半、最大の教会音楽家がパレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina)です。パレストリーナは北ヨーロッパのポリフォニー様式の影響下にあった音楽家の世代に属します。イタリアにおけるルネサンスの時期、音楽は今のオランダやベルギー、北フランスのフランドル(Flandre)が中心でありました。ローマ教皇庁の音楽隊にもフランドルの音楽家を招くという有様でもありました。ところが、パレストリーナはイタリア人音楽家として大きな名声を得て教皇庁も無視できない存在となります。やがて、イタリアでポリフォニー様式が支配的地位を得ていく理由は、前述した作曲家ジョスカン・デ・プレ(Josquin Des Prez)の影響によるところが多いといわれます。

 パレストリーナ作品の大部分をなす教会音楽は、均整のとれた構成、静かに流れるおおらかな旋律、荘重で厳粛な典礼性を有しています。グレゴリオ聖歌に次ぐ典礼音楽の模範となっています。作品はミサ曲105曲、モテット375曲、マニフィカート35曲、宗教的マドリガル50曲、世俗的マドリガル90曲に及びます。ほとんどの作品が無伴奏合唱音楽の形態を持ち、4〜5声部が一般的です。

初期の作品は、一般にフランドル楽派の技巧的対位法を駆使しています。中期には歌詞の理解、楽曲の構成に高い統一がみられます。これがパレストリーナの独自の形式となります。後期になるとマドリガルの適用で2重唱の技法が輝かしい響きとなり、ラッソのような主観的で激情的な表現をしません。

パレストリーナの音楽の基礎は、ルネッサンス期の声楽ポリフォニーにおける模倣対位法の技法です。自然に流れる全音階的な美しさで知られます。旋律はきわめて厳格な声部進行の原則を保っています。跳躍も長・短3度、完全4度、5度、8度までとなっています。数多くの教会音楽を作曲し、中でも「教皇マルチェルスのミサ曲」(Missa Papae Marcelli)は彼の代表作とされています。

一種の抑制された静観的な雰囲気は、彼の言葉に対する信仰から発していると思われます。新しい表現の分野や様式を開拓するのではなく、あくまで伝統的な技法によって声楽ポリフォニーの理想を追い求めているかのようです。

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心に残る名曲 その百七 ジョスカン・デ・プレ 「祝福されし聖処女のミサ」

ルネサンス最盛期のフランスの作曲家、声楽家がジョスカン・デ・プレ(Josquin Des Prez) です。フランドル楽派の音楽形式を確立し、ヨーロッパ中に広げた功績があります。


 デ・プレは1474~79年までミラノのスフォルツァ公(Ludovico Maria Sforza)の聖歌隊の歌手を務めたのち,1486~94年頃までローマ教皇礼拝堂の聖歌隊員となります。1489年にノートル・ダム教会(Notre-Dame)及びサント・メール( Saint Omer)教会、サン・ギラン(Saint Ghislain)教会、1493年にはバス・イトル(Basse Yttre) 教会及びエノーのフラーヌ(Frasnes)教会 、1494年には、カンブレのサン・ゲリ( Saint Gery) 教会の聖職禄を認められており、1494年にはカンブレで実際に聖職に就いた記録が残されています。

1503年にはパトロンであったフェララ (Ferrara)のエステ公エルコレ1世(Ercole I d’Este)の楽長に任ぜられ,その後ハプスブルク家(Haus Habsburg)の皇帝マクシミリアン1世(Maximilian I)の保護を受け,経済的に保障され作曲活動の晩年を送ります。

ミサ曲,モテト,シャンソンなど多くの作品を残しますが,ミサ曲「祝福されし聖処女のミサ」(Missa de beata virgine)、「パンジェ・リングァ」(Pange Lingua)、「平安を与えたまえ」,「ミゼレーレ」(Miserere mei Deus)などが特に有名です。

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心に残る名曲 その百六 オルランド・ディ・ラッソ その2 「マトナの君よ」

 ラッソの作品約1,200曲の中の一つが「マトナの君よ」(Matona, mia cara)です。フランドル楽派(Flemish School)の伝統である対位法を基礎にとしながら劇的な情緒表現がこの作品に顕著にみられます。フランドル楽派とは、15〜16世紀のルネッサンス期(Renaissance)にヨーロッパで活躍した楽派です。フランドルとは、今のオランダ、ベルギー、そして北フランスを含む低地地方です。この楽派はモテット(Motet)やミサ(Mass)などの教会音楽、さらにシャンソン、マドリガルなどの世俗的な音楽の分野で活躍し、主として声楽ポリフォニー様式によっています。


 モテットはラッソの作品中でもっとも重要なジャンルとなっています。彼の音楽語法のすべてが示されているといわれます。モテットの語源ですが、言葉を意味するフランス語の「Mot」に由来します。モテットは、中世およびルネッサンス時代の最も重要な楽曲形式です。16世紀に完成した「通模倣様式」(through-imitation style)による多声部分による教会用ポリフォニー、いわゆる多声唱曲がモテットです。

 通模倣様式とは、ルネサンス音楽期における作曲技法です。 各声部がまったく均等な関係で模倣を行う多声作曲様式のことです。いずれかの声部が定った旋律を保持し,他の声部がそれに対位する定旋律を歌います。ルネッサンス期のモテットは4声部が一般的ですが、ラテン語による典礼歌詞では4〜6声部の合唱曲が主流となります。ラテン語の宗教詩とフランス語の恋愛詩が一緒になり、宗教的要素と世俗的要素が共存していきます。

 ラッソは、当時のルネッサンス人文主義の影響を受けたようです。ルネッサンスとはギリシアやローマの文化を復興しようとする文化運動で、14世紀頃にイタリアに始まりヨーロッパに広がります。「文芸復興」とも呼ばれます。人文主義運動とも云われます。音楽と言葉の結びつきに強い関心を示し、歌詞に対する絵画的な、あるいは劇的な感情表現を強く打ち出したのがラッソです。「マトナの君よ」は、田舎者の兵士がマドンナをくどく歌です。強弱のメリハリがきき、主旋律が4回繰り返され、毎回どこかの音を変えている複雑な音程です。

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