文化の日を考える その十一 広場と市民の生活

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ヘルシンキ市内の大きな広場にやってきます。側にある案内板には、古今、政治も経済も祭りごとなど貴族や庶民の生活は、この空間で繰り広げられたと記されています。議会が開かれ、政治が語られ、裁判も行われ、処刑者へのとりなしの礼拝が行われたとあります。いわば神も市民もこの広場に集まっていたようです。

中世に勃興した自治都市の成立と発展は広場とともにあるようです。広場に立ちながら、しばし広場が市民の生活や文化の形成にどんな役割を果たしたのだろうと考えます。

街の賑わいは広場にあることです。どこの広場もこと食べ物に関しては、例外なく賑わいが演出されています。毎日早朝から市場が広場にできます。近隣の農家が競って新鮮な野菜や果物を山のように並べます。広場は、生活の場。そういえば、マーケット広場とかマーケット通りという地名が必ずといってよいほど大きな街にはあります。ここヘルシンキも、あとで訪れることになるタリン(Talin)も例外でなはありません。広場は食の交流の場のようです。

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文化の日を考える その十 ヘルシンキ・オリンピック

フィンランドの思い入れの話題です。ヘルシンキの街中に立ったときです。それは北海道の片田舎で小さな私が経験した興奮の瞬間のような時です。ラジオや新聞で初めて文化の祭典、オリンピックに接したのです。

paavonurmi_500 856fd60a03dba893ea4c4b8ece2153d8404683ca 20150727-3-emilこのとき私は10歳。新聞やラジオからのオリンピックの話題はひとつも漏らさず、今も鮮明に記憶にあります。戦後の日本にとって、フィンランドは記憶に残る国です。それは1952年にヘルシンキで開かれた夏季オリンピックです。その前の1948年のロンドン・オリンピックには戦争責任のために日本は参加できませんででした。フィンランドは第二次世界大戦後初の夏季オリンピックへの復帰です。

復興しはじめた日本が国際舞台で再出発する大きな転機となります。聖火を点火したのは、パーヴォ・ヌルミ(Paavo Nurmi)。1920年から1928年の間、オリンピックで陸上の中長距離で合計9個の金メダルを獲得した彼は今も国民的な英雄です。

新聞で大賑わいだったのが、チェコスロヴァキア(Ceskoslovenska)のエミール・ザトペック (Emil Zatopek)です。ヘルシンキでは陸上競技長距離種目で3つの金メダルを獲得したのです。彼はそれまで「人間機関車」というニックネームがつくほどの驚異的なランナーでした。5,000m、10,000m、マラソンでの優勝は前人未踏の偉業となりました。

それにもまして、日本人を驚喜させた活躍が選手がいました。唯一の金メダルを獲得したのが、レスリングバンタム級の石井庄八でした。決勝戦の相手は、優勝確実との下馬評の高いソヴィエトの選手。フィンランドの選手らは雑巾のように叩きつけられたと報じられました。

その他、水泳1,500m自由形の橋爪四郎が銀メダルをとります。彼のライバルは古橋廣之進。「フジヤマのトビウオ」の異名で世界中の水泳界で知られ、1,500mで泳ぐたびに世界新記録を塗り替えてきました。ロンドンオリンピックに出場していれば、金メダル確実といわれました。古橋はヘルシンキ五輪ではすでに峠を越えていました。
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文化の日を考える その九 鰊漬けと馬鈴薯

ヘルシンキでの二日目の朝。宿の朝食では沢山の種類の鰊漬けが並んでいました。マリネとどう違うのかは分かりませんが、鰊漬けをたらふく食べたのは稚内時代以来のことでした。

81cc6cda1849d5c2562eb78a9468947c-608x456 123c13c9a4da4e853b050c55475f81f8 dee61c9f914f1727efb233ba17a712b2街頭に繰り出しました。時折、地図やガイドブックを手にする地元の人を見かけるだけです。多分田舎から汽車でやってきたかと思われる家族連れなどに出会います。身なりが質素なのと、なんとなく酪農や畑仕事を生業とする風情が感じられる旅人です。ダウンタウンにはこうしたお上りさんやまわりの国からの旅人が行き交っていますが、東洋からの若くて元気の良いギャルの群は見かけません。

通りに面したカフェやレストランは、競うように色鮮やかなパラソルをひろげ、テーブルや椅子を並べて客を迎えています。丁度待ちに待ったつかの間の夏。街のあちこちに広場があります。大道芸人のアクロバットや道化師のパントマイム(pantomime) 、弦楽三重奏をかなでるアマチュア音楽家、そうした芸術を楽しむ通りがかりの人々がいます。

野外のマーケットがあり、数時間前に掘り出したかのように土がべっとりとついている馬鈴薯を人々はせっせと買っています。日本人では米のない食生活が考えられないように、北欧諸国は馬鈴薯なしに食文化は語れないようです。アメリカも馬鈴薯が主食のようなところがあります。

そして白夜という舞台が用意されています。なんとも贅沢な光景です。

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文化の日を考える その八 ヘルシンキの白夜

1985年7月のことです。タラップを下りるとオランダ (Netherlands) 最大の都市アムステルダム(Amsterdam) の空港でした。乗り換えのためです。初めてのヨーロッパでした。静かな緊張が襲ってきました。田舎者の気分です。それを鎮めようと、空港のカフェに入りました。これからフィンランド(Finland) のヘルシンキ(Helsinki) へ向かうつかの間の待合時間です。田舎者を気づかれまいとして、できるだけのんびりと振る舞おうと気取るさもしい自分を感じました。会計を済ますと金髪の店員が「お金を落としましたよ」と英語で呼び止めてくれた。笑顔が印象的で、なにかこの旅はいいことがありそうな気がしました。

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ヘルシンキで泊まったのはダウンタウンに近い三流ホテル。カウンターには若い女性一人がテキパキと客をさばいています。ここには客の荷物を無理に運ぼうとするいんぎんなホテルボーイなどは宇なせん。部屋に入りテレビをつける。ポルノビデオをやっていました。この類のテレビ番組はアメリカでも見たことがありません。フィンランドとはこれほど性表現が自由な国なのかと考えました。

白夜 (White Nights) というものを始めた経験することになりました。シベリウス (Jean Sibelius) とフィンランディア (Finlandia) のことが思い浮かんできました。なにせ午後11時になっても外は明るいのです。窓からサッカーをする人を眺めながら、睡魔がくるのを待ちました。

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