ウィスコンシンで会った人々 その69 「家見舞い」噺 

ある二人組男。この兄貴分が所帯をもち家を建てた。その引越祝いにと、二人の男は水瓶を贈ろうと考える。だが、銭を持たない二人。いろいろ考え、古道具屋なら安いものがあるのではと歩き回る。当然そんな水瓶があるわけがない。

困っていると、ある古道具屋の主人がこの瓶なら金はいらないという。二人は喜ぶが、なぜかその瓶には水がいっぱい張ってある。早速、差し担いで運ぼうとする。

道具屋 「あんた方、それを何に使いなさる?」
二人組男 「水瓶だよ」
道具屋 「そりゃいけねえ。見たらわかりそうなもんだ。おまえさん方、毎朝あれにまたがるだろう」
二人組男 「ん……? 毎朝またがる? 」

よくよく見ると、果たしてそれは紛れもなく、もとの肥瓶であった。しかし、タダという言葉には勝てず、二人はその瓶を引き取る。そんなわけで瓶を手に入れた二人、そのまま渡したらバレるであろうから、まず瓶に水を張り、湯屋に行ってさっぱりして兄イの新宅に瓶を持っていく。

何も知らず、もらった兄イは大喜びし、お礼にと酒を振る舞いご馳走をしてくれる。ご飯に焼き海苔、おしたし、香の物、湯豆腐。うめえ、うめえと食っているうちに、ふと気づいて二人、腰が抜けた。出される料理はどれもその瓶から汲んだ水であつらえられている。

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ウィスコンシンで会った人々 その68 講中噺 

リーダーを中心に今も昔も団体旅行は盛んである。古くは伊勢詣や熊野詣、金比羅詣りなど信心深い人々。先達というまとめ役を先頭にして何日もかけて無病息災を祈って出掛けた。

相模国、神奈川県の名山に大山がある。丹沢の山々とともに丹沢大山国定公園に属し、日本三百名山や関東百名山の一つで美しい姿をみせている。大山は江戸時代に山岳信仰で盛んになった大山詣りで知られている。江戸からは先達が中心となって講中という相互扶助組織の男達が団体で山に登った。

大山の山頂には大きな石を御神体として祀った阿夫利神社の上社があり、中腹に阿夫利神社下社、大山寺が建っている。大山は別名を「阿夫利山」、「雨降り山」ともいわれる。阿夫利神社には雨乞いの神を祀られている。大山はもともと女人禁制。大山詣りというのは表向きで、大山詣りの後には男たちの楽しみがあった。男だけの大山講になっていた。

講中噺の古典落語の代表が「大山詣り」。ホラ吹きの熊による講中の金沢八景沖における水難遭難報告から、女房連中が一斉に剃髪して尼になるという噺である。途中のエピソードは飛ばすが、主人公のホラ熊が大山詣りから長屋に一人で帰ってくる。そして残された女房達に男連中は全員溺れて死んだと報告する。そして自分は、僧侶になって菩提を弔うためといって坊主頭を見せる。それを見た女達は遭難を信じてしまう。ホラ熊に唆されて尼さんになろうとして剃髪する。

そうとは知らない講中の一行。帰ってみると、長屋中「忌中」の札が張ってある。そして百万遍が聞こえてくる。

ホラ熊 「さ〜ぁ、みなさん、死んで間もないから、亡者が入口あたりで騒いでいる、しっかりお念仏を唱えてくださいよ。」
女房達 「あら、いやだ。うちの旦那だわ。」
男達 「誰がこんな事を。熊の野郎か。お前は決め式で坊主になったのだろう。」
ホラ熊 「ワラジを履いている内は旅の最中だ。腹を立てたら二分ずつ出しな。」
男達 「う〜ぅ。先達さ〜ぁん、、、?」
先達 「これは目出度い事だ。」
男達 「あんたのかみさんも坊主なんだぞ?どこが目出度いんだ?」
先達 「お山は晴天、家へ帰ればみんなが坊主、お毛が(怪我)なくってお目出度い。」

A1903450-1_im  阿夫利神社118925619777716113779 相模の大山

ウィスコンシンで会った人々 その67 吝嗇噺

以前、「ドケチ噺」を取り上げた。ケチは吝嗇ともいう。広辞苑には「吝嗇」を過度にもの惜しみをすることとある。度を越した節約ぶり、ケチのことである。かつては、落語では「三ぼう」という言葉があった。どんな観客にも不快を催させない、といわれそれぞれの語尾からとられた。

まずは「泥棒」。落語の中ではどんなに悪く言っても、自ら名乗りでて怒鳴り込んでくる泥棒はいない。次に「けちん坊」。わざわざ金を出して噺を聴き笑いに来る客にケチな人はいない。最後は「つんぼう」。耳の聞こえない者は落語を聴きにこない。今では差別語とされるが、落語の噺なのでお許しをいただこう。

▽吝嗇にまつわる小咄がいろいろとある。ケチの人間を俗に「六日知らず」という。なぜなら一般に日付を勘定するときには、「1日、2日、、」と指を折っていくが、吝嗇家は6日目を勘定しようとすると、一度握った指を開くのが惜しくなってしまうそうだ。

▽ある男の向かい側の家が火事で丸焼けになった。それを知った男は、妻に焼け跡から種火を取って来させようとした。当然、相手は怒る。男はふてくされ、「今度こっちが火事になっても、火の粉もやらん」

▽ある大店の旦那。10人の使用人を雇っていたが、節約のために5人にする。それでも仕事に余裕があるので、その5人も解雇し、夫婦だけで経営を続ける。主人は自分ひとりでも仕事が間に合う、というので妻と離縁し、最後には自分自身もいらない、と自殺してしまう。

▽ケチの親子が散歩をしていると、父親が誤って川に落ちてしまう。泳げない息子は通行人に助けを求めるが、ケチの通行人は「助けはお代次第」という。値段交渉になり、2千円、3千円、4千円と値が釣り上がっていく。沈みかけている父親が叫んでいわく「もう出すな! それ以上出すなら、俺は潜る(または、「それ以上出すぐらいなら、もう死んでしまう」)」

▽店の内壁に釘を打つことになり、主人は丁稚に、隣家からカナヅチを借りてくるよう命じる。丁稚は手ぶらで帰ってきた。隣家の主に「打つのは竹の釘か、金釘か」と聞かれ、丁稚が金釘だ、と答えると、「金と金(金属同士)がぶつかるとカナヅチが擦り減る」と言って貸してくれなかったという。主人は隣人のケチぶりにあきれ果てて、「あんな奴からもう借りるな。うちのカナヅチを使え。」

▽男は「1本の扇子を10年もたせる方法」を考案した、と言い出す。半分だけ広げて5年あおぎ、次の5年でその半分をたたんで、残りの半分を広げて使う、というものだ。男は「始末はしてもケチはしてはいかん」と評し、「わしなら孫子の代まで伝えてみせる。扇子は動かさんと、顔の方を動かす」。

▽うなぎ屋の隣に住んでいる男。飯時になると、うなぎ屋から流れてくるかば焼きを焼く匂いをおかずにして飯を食べていた。それを知ったうなぎ屋が、月末に「匂いは客寄せに使こうてるさかい、代金を支払え」と言って家に乗り込んでくる。

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ウィスコンシンで会った人々 その66 死人噺

猛暑の時候。少しは涼しくなる話題といきたい。以前「片棒」という演目を紹介した。赤にし屋ケチ兵衛はある時三人の息子のうち一人に店の身代を譲ろうと考え、三人の金銭感覚を試すために自分が死んだらどんな葬式をだしてくれるかを話させる、という演目であった。自分が死んで入れられている棺桶の片棒を自分が担ごう、と申し出るケチの噺である。

長屋に住むのが卯之助。あだ名を「らくだ」という男。そのらくだの長屋に、ある日兄貴分の熊五郎がやってくる。返事がないので入ってみると、何とらくだが死んでいる。フグにあたったらしい。兄弟分の葬儀を出してやりたいが、熊五郎だが金がない。考え込んでいると、上手い具合に屑屋の久六がやってきた。早速、久六を呼んで室内の物を引き取ってもらおうとするが、それまで久六はらくだの家財道具はガラクタばかりを引き取らされたらしく断られる。ますます困る熊五郎。

「月番を呼んでこい」と久六を月番の所に行かせ、長屋から香典を集めてくるよう言いつけさせるの。久六は断るが、仕事道具を取られ、しぶしぶ月番の所へ。「らくだが死んだって? フグもうまくあてやがったか!」と喜ぶ月番。香典の申し出には「一度も祝儀を出してもらったことはない」と断るが、結局「赤飯を炊く代わりに香典を出すよう言って集めてくる」と了承した。

安心した久六だが、らくだ宅に戻ると今度は大家の所に通夜に出す酒と料理を届けさせるよう命令される。ところが、大家は有名なドケチ。そのことを話すと、熊五郎は「断ったらこう言えばいい」と秘策を授ける。死骸を文楽人形のように動かし、久六に歌わせて「かんかんのう」と踊らせる。本当にやると思っていなかった大家、縮み上がってしまい、酒と料理を出すと約束する。

可哀想に、またもや久六は八百屋の所へ「棺桶代わりに使うから、漬物樽を借りてこい」と言い渡される。しぶしぶ行くとやはり八百屋はらくだの死を喜び、申し入れは断わる。久六が「かんかんのう」の話をすると「やってみろ」と言われる。「つい今しがた大家の所で実演してきたばかりだ」と言うと「何個でもいいから持っていけー!」。

これで葬式の準備が整った。久六がらくだ宅に戻ると、大家の所から酒と料理が届いている。熊五郎に勧められ、しぶしぶ酒を飲んだ久六。ところが、久六という男、普段は大人しいが実はものすごい酒乱。呑んでいるうちに久六の性格が豹変する。もう仕事に行ったらと言う熊五郎に暴言を吐き始める。これで立場は逆転、酒が無くなったと半次が言うと、「酒屋へ行ってもらってこい! 断ったらかんかんのうを踊らせてやると言え!!」

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ウィスコンシンで会った人々 その65 親孝行噺

越後の小さな松山村に、18年間毎日両親の墓参りを欠かさないという百姓がいた。名前は正助。それがお上に聞こえ、褒美を貰うことになる。無欲な正助は、地頭が申し出る褒美に全く関心を示さない。「金を貰えばそれを使って働かなくなる」とか、「土地をもらっても小作人を雇わなければならない」、「新しい服をもらっても着る機会が無い」、、といって断る。地頭も正助の真面目さに少々困惑する。そして正助に云う。「それでは、お前が欲しいものを必ずかなえてやろう」

正助はそこで「18年前に死んだ父親に、夢でもいいからもう一度だけ会いたい」という。困った地頭、思案して「父親は何歳で無くなったのか」ときく。45歳であることがわかる。そして正助も45歳であった。二人は瓜二つの顔をしていたことを聞き出す。しめた、とばかり地頭は家来に鏡を持ってこさせる。松山村には鏡というものがなかった。

正助は鏡を見て「おとっつあん、、、」と感涙にむせぶ。まだ鏡というものを知らない。それを大事に持ち帰り、納屋の古葛籠中にしまっておく。それからは、毎日納屋に通い、とっつあんに会うのである。正助が蔵に出入りするのを不思議がった女房のお光が、正助のいない間、納屋に入って鏡を見つける。それを見て驚く。「何だぁ、この女は?」写った自分を夫の愛人と勘違いし、お光は嫉妬に狂って泣きだす。そして帰ってきた正助とつかみ合いの喧嘩となる。

そこに通りかかった隣村の尼。二人の話に割って入り、二人の言い分をきいてから、「その女に会ってみるべ、、」ということになる。鏡をみると二人にいう。「正さん、お光さん、喧嘩しちゃいかん、お前さんらが喧嘩するんで、この女きまりが悪いって尼さんになって詫びている、、、、」
この演目は「松山鏡」。文楽や志ん生名人の話芸は聞き応えがある。

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ウィスコンシンで会った人々 その64 地噺と「塩原多助一代記」

この落語シリーズの46で「鰍沢」という地噺を取り上げた。http://naritas.jp/wp1/?p=1969
地噺は笑いを誘うというよりは、語りで聞かせようという落語である。今回は、五代目名人古今亭志ん生が演じる「塩原多助一代記」である。演目のようにかなり長大なストーリーとなっている。落語でしばしば演じられるのは、「多助序」と「青との別れ」である。

塩原多助は実在の人物で、後に「塩原太助」となり江戸で冨をなした人といわれる。そのためか、歌舞伎や浪花節の演目としても脚色されたようである。以下、「多助序」と「青との別れ」である。
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裕福な塩原角右衛門が亡くなる。彼には後妻のお亀がいた。その腹違いの息子、多助が将来家を継ぐはずなのだがお亀には邪魔になり、色と欲に目がくらんで愛人、原丹治と一緒に多助を亡き者にしようと画策する。

ある夜、お亀は多助に隣の元村まで油を届けるように頼む。その途中で多助を殺す手はずをする。多助は愛馬、青を曳いて出掛ける。ところが隣村との境にくると青がどうしても先へと進もうとしない。なんとしても青は動かない。困っているとそこに朋輩の円治郎が通りかかる。事情をきいた円治郎が代わって青を曳いて隣村に向かう。そしての元村の庚申塚で円治郎は丹治にめった切りにされる。青は逃げ帰る。

多助が家に戻るとお亀は驚く。そして多助が円治郎を殺したに違いないとでっち上げる。馬の青が丹治を見ると激しくい鳴くのを多助は見て、丹治が円治郎を殺したことを確信する。多助はもはや塩原家に住まうことは困難だと判断し青と別れ江戸に向かう。

落語は笑うだけでない。会話や仕草といった通常の演出を避けるのが地噺。叙物語をしみじみ聴くことにも楽しみがあると思うのである。「多助序」と「青との別れ」はそれを感じさせてくれる。

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ウィスコンシンで会った人々 その63 富くじ噺

「富久」という演目は古き良き江戸の風物や庶民の姿を描いている。江戸の華といわれた火事と富くじが舞台である。富くじは、寺社にとっては大切な収入源。あちこちに広がって行ったため、江戸幕府は禁止令を出したほどだ。だが寺社普請のための富くじが再開される。幽霊話にも富くじや博打がでてくる。今も昔も宝くじは廃れることがない。

幇間の久蔵。人間は実直だが大酒のみが玉に瑕。酒の上での失敗で仕事にあぶれている。幇間とは男芸者。年の暮れ、久蔵は深川八幡の富札をなけなしの一分で買う。深川八幡は富岡八幡ともいわれる。札は「松の百十番」。一番富に当たれば千両、二番富でも五百両。ところでWikipediaによれば、一両は今の6〜10万円、一分は1〜4万円といわれる。

久蔵は長屋の大神宮の神棚に札をしまい、「二番富でも当たるように」と柏手をうつ。とある夜更けにまた半鐘の音。今度は久蔵の家がある浅草方向というのだ。久蔵急いで長屋に戻ると既に遅く、家は丸焼け。仕方なく出入り商人の居候になる。

数日後、深川八幡の境内を通ると、ちょうど富くじの抽選。「オレも一枚買ったっけ」と思い出したが、あの札も火事で焼けちまったと、諦め半分で人混みの興奮を見ている。
役人 「一番、松の百十番」
久蔵 「あ、当たったッ」

久蔵は卒倒した。今すぐ金をもらうと二割引かれるが、そんなことはどうでもいい。「冨札をお出し」と役人からせっつかれる。
久蔵  「札は………焼けちまってないッ」

「水屋の富」という演目も富くじが主役である。そして江戸時代に流行った「水屋」が主人公である。玉川上水とか神田上水がつくられたのは江戸時代。これによって水が曳かれた。それでも桶に水を入れて担いで売る「水屋」が多かったといわれる。坂の多いのが江戸の町。重くて安い料金だが、お得意さんが待っているから一日も休めない。

ある水屋が、大事な金をはたいて富くじを買う。それが、幸運にも千両が当たる。「水屋から足が洗える」と大喜びで、手数料の二割を引かれた八百両を持ち帰る。しかし、水屋はお得意さんが待っているので、代わりが見つかるまで辞めることができない。

お宝の八百両の隠し場所にも水屋は困る。持ち歩くわけにもいかず、悩んだ挙句、ボロ布でくるんで縁の下に隠す。やれ安心と商売に出てみるが、周りがすべて泥棒に見える。商売もそこそこに家に戻って、縁の下のお宝を確かめて安心して寝るのだが、今度は泥棒が夢に現れて殺される夢ばかり見る。毎日これの繰り返しで、水屋はもうフラフラ。

水屋が毎晩縁の下を確かめるのを見ていたのが隣の遊び人。何かあるなと縁の下を探して、お宝を見つけそっくり盗んでしまう。戻ってきた水屋、縁の下のお宝が無くなっている。そして一言、「これで苦労が無くなった」。

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ウィスコンシンで会った人々 その62 習い事噺

人は,余裕がでてくると何か習い事をしたくなる。筆者もそうである。そこで始めたのは囲碁である。結局はものにならないということが多い。どうも真剣味が足りないというところらしい。昇段の決勝戦で何度も敗れた。それ以来、昇段ということを気にしないで、無心に打つことを心掛けている。

習い事を始める男を可笑しく取り上げた演目が「あくび指南」であり「寝床」である。今でいうカルチャーセンターに通う者が主人公である。江戸時代、茶の湯、長唄、常磐津、新内などを習うことが粋とされたようである。「欠伸」の仕方も教えるという長閑な時代だったのだろう。

「あくび指南」だが、町内に変わった看板がかけられる。黒々と「あくび指南所」とある。妙齢の女性が掃き掃除をしている。この女が教えてくれるのだろうと、若い衆はすっかり舞い上がる。いろいろな稽古処があるのだが、あくびの指南は珍しい。金を払って習う指南所なので、なにか有るに違いないと、好奇心の旺盛な男が友達を誘ってでかける。

男達は妙齢の女性が応対してくれると出掛けると、そこに指南役の旦那が現れる。名前は「長息災欠伸」。男たちはガッカリする。指南役がいうには、普段やっているあくびは、「駄あくび」、一文の値打ちもないと云う。そして「あくびという人さまに、失礼なものを風流な芸事にするところに趣があるのだ」と講釈する。男どもには、なんだかわからない。そして夏のあくびの指南が始まる。それを眺めていた同輩が欠伸をし始める。

「寝床」は大店の旦那が主人公である。義太夫を始めた旦那、どうしても習い事の成果を披露したくて、人前で騙りたくなる。店の者達は、旦那のだみ声や唄いに辟易している。最初のお披露目は、お付き合いもあって、近所の長屋連中が仕方なしにやってくる。そしておべんちゃらを振っては、「良かった、良かった、またやってくれ、、」という。それに気をよくした旦那、二回目の講談会をやろうとする。

丁稚が旦那の指示で触れ回る。だが誰一人として参加したいという者はでてこない。「旦那の義太夫をきくと義太熱にやられる」、「酒を飲んで聞かないと、神経がやられる」なんていうのもでてくる。「風邪をひいた」、「成田山へお詣りの約束がある」、「かみさんが臨月だ」、「法事に出す生揚げやがんもどきをたくさん発注されて忙しい」といった口上を述べては断る。

そこで旦那、「今回は店の者に義太夫をきかせる」と宣言する。丁稚や小僧達はこれまた「飲み過ぎた」、「眼から涙が出てとまらない」といって全員仮病をつかってでようとしない。旦那は怒って店の者は全員クビだ、長屋の住人には「店立て」、強制退去という乱暴なことをいいだす。追い出されては大変とばかり、長屋の連中は義太夫を聞きにくることになる。旦那はそれが気にくわない。そして義太夫が開始する。だが、だが神経を麻痺させようとして酒を飲んできた長屋一同、途中から居眠りを始める。

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