素人のラテン語 その三 日常使われるラテン語

私たちが日常で、なにげなく使う英単語や略語がラテン語(Latin)であることを説明します。ラテン語は特にヨーロッパ諸国で使われる言語の源となって今も多くの影響を与えています。その例を説明します。

AM 4:00 とかPM 6:00 といった表記をポスターなどで見ます。正しくは4:00AM とか6:00PMと書くすべきです。“AM “は “ante meridiem “というラテン語の短縮形で、 before noonというので午前となります。“PM“ は “post meridiem “というラテン語で、 after middayつまり午後ということです。

同じように西暦を示す“AD“は「 Anno Domini」で紀元後を意味し、“BC“は「Before Christ」というように紀元前を表します。“per cent“, パーセントも “per centum“ というラテン語です。 “vs“という「…対…」で使われる単語は“versus“でこれもラテン語です。その他、“etc.“「エトセトラ」は “et cetera“、“e.g.“は「例えば」 “exempli gratia“の略語であり、“vice versa“ は「逆もまた同様に」というラテン語です。

“per capita“ 一人当たりとか一人につきという意味です。“per“ はラテン語で「~につき」、“capita“ は「頭をに対して」となります。これと同じ使い方が“per diem“で、一日につき、日当というようになります。“diem“は日という意味ですね。

“per se“は、それ自体とか本来はという意味で使われます。 “se“は“itself“という英語にあたります。
“de facto“もラテン語です。de はラテン語で「~から、~にしたがって」、facto は「事実に」の意味。“de facto standard“とは 「事実上の標準」とか「業界標準」というように訳されています。

“nota bene“は、よく注意せよ、つまり“Note well“ の意味で、nota は「注意せよ」、bene は「よく」となります。”NB”という略語が使われます。“&” という単語は”ampersand”(アンパサンド)と発音するラテン語です。”and”という意味です。

素人のラテン語 その二 レクイエム-Requiem

昭和36年に北海道大学に入ると同時に男声合唱団に加入しました。幸い、中学や高校でも歌っておりました。合唱団での合唱曲のレパートリ(repertoire)は多種多様でした。そこでいろいろな言葉の歌詞に出会いました。その一つがラテン語(Latin)です。ラテン語の歌詞の多くは宗教曲にありました。例えば、「Gloria」、「Agnus Dei」、「Sanctus 」、「Credo」、「Kyrie」といった曲です。こうしたラテン語から英語がうまれていることを知って英語にますます興味が湧くとともに、ラテン語にも興味を抱くようになりました。

その後、私は札幌ユースセンター教会で洗礼を受けました。この教会はルーテル派です。そこで学んだことは、マルチン・ルター(Martin Luther)という神学者のことです。宗教改革(Reformation) の先駆者です。宗教改革当時の礼拝はすべてラテン語で執行されていました。聖書もラテン語で書かれ、よっぽどラテン語を勉強した人でないと理解できませんでした。司祭といわれる聖職だけがラテン語の読み書きができた時代です。ルターはこうしたカトリック教会の典礼という礼拝のやり方に疑問を呈していくのです。そして「万人が祭司」(universal priesthood)であるということを主張するのです。

今もカトリックの総本山であるバチカン市国(Vatican City) の公用語はラテン語です。ラテン語はスペイン語(Spanish)やフランス語(French)、ポルトガル語(Portuguese)、プロバンス語(Provence)、カタルーニャ語(Catalunya)などロマンス諸語(Romance)の母体となった古典語でもあり、現代語では同じイタリアで話されるイタリア語が最も近いといわれます。

カトリックやプロテスタントを問わず聖歌や賛美歌には、つぎのような聖句が登場します。
Dona nobis pacemは、「われらに平和を与えたまえ」
Gloria in excelsis Deoは、英語ではGlory to God in the Highestといいます。「いと高きとこでみ栄えあれ」と歌われます。

素人のラテン語 その一 「進駐軍がやってきた」

私は外国語に興味を持つ人間の一人です。そのきっかけを振り返ると、昭和21年の秋に北海道は美幌に進駐軍がやってきたことにありそうです。美幌には第41海軍航空基地があったので、進駐軍があのカーキー色のトラックでやってきました。トラックからチューインガムやチョコレートが投げられ夢中で拾いました。チョコレートの甘さは忘れられません。レーション(ration)と呼ばれた携帯食も珍しいものでした。

それから中学生になって英語がとても大好きになりました。名寄中学校で眉毛の太い藤田という先生に英語を教わりました。教科書の文章は不思議と頭にすらすら入りました。「Who Has Seen the Wind?」という教科書にあった詩も今も覚えています。この詩の作者はChristina Rossettiというイギリス人の女性です。

Who has seen the wind?
Neither I nor you:
But when the leaves hang trembling,
The wind is passing through.

Who has seen the wind?
Neither you nor I:
But when the trees bow down their heads,
The wind is passing by.

後に、この詩がいろいろなレトリック(rhetoric)と呼ばれる修辞法を使っていることを知りました。韻を踏んでいること、対比や反復をつかっていることです。例えば、wind、trembling というような語尾の韻、passing through、passing by という前置詞の使い方、 I nor you、you nor I といった倒置、the leaves、the trees という対比です。真にほれぼれする詩です。

この修辞法は、大分あとに研究者として文章を書くときに大いに役立ったことはいうまでもありません。学生や院生の論文を読むときにも文章を修正してやるときにも、修辞を大切にするよう指導しました。