初めに言葉があった その13 我が国の「下流老人」

「初めに言葉があった その8 「未富先老」http://naritas.jp/wp1/?p=2896 」の拙稿で、中国で使われている熟語の意味について触れました。ところがこの熟語をより詳しく調べてみると、中国の高齢化問題は、程度の差はあれ我が国とも共通した課題であることに気がつきました。

拙稿では次のように書きました。

「(我が国は)終の棲家を得てささやかながらの年金暮らしや介護医療保険制度などによって、「未富先老」という実態はあまり顕在化しなかったようです。」 この説明には事実の誤認がありました。申し訳ありません。

2015年の新語や流行語に「下流老人」があります。「生活保護基準で生活する、あるいはその恐れがある高齢者」をこのように呼ぶのだそうです。その人口は600万から700万人といわれています。これは65歳以上の人々の20%にあたるというのです。低年金の高齢者は1,250万人います。私もその一人ではあります。国民年金の月平均は5万円、厚生年金の月平均は約14万円といわれます。高齢者の20%が預貯金がゼロというのです。

加えて、年金以外でのセイフティネットが弱まっています。息子や孫に頼れない、息子の世代も自分の生活で手一杯である、などが理由です。2015年の総務省統計局の発表では、非正規労働者は19万人増加し1,971万人だそうです。これでは安心して結婚も子供もできません。とてもとても高齢の身内の面倒をみることは困難です。これはもう中国で使われる「失独失能」状態と同じです。

1950年代から1970年代は、急激な経済成長によって皆が豊かになっていけそうになった時代といわれました。1956年の経済白書では「もはや戦後ではない」という言葉が使われるほどでした。確かにマイホームを持ち、子供も二人以上いました。人口の増加や教育の普及は質の高い労働力を供給してきました。しかしながら、こうした高度の経済成長は一回限りのものでした。「富める者が富めば、貧しい者にも自然と富が浸透する」などというのは神話であることもわかってきました。皆が富めるような事態は起きませんでした。今、こうした状況は中国や韓国が経験しているといわれます。

今参議院で、生活保護基準を下回るお年寄りへの三万円臨時給付金のことが論議されています。一回限りの支給です。これと「一億総活躍社会」とはどんな関係なのでしょうか。どうも近づく選挙目当てだ、という指摘が正鵠を射ているようです。「ばらまき」はどの政権でも選挙前になるとやってきました。所得倍増も経済成長も、三本の矢も「一回限り」。それでお終いというわけです。

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初めに言葉があった  その12 「Government of the people, by the people, for the people」

先日、一読者から有り難い指摘を受けました。私の記事に誤解があるという内容でした。それは合衆国大統領のリンカーン (Abraham Lincoln) のゲテイスバーグ演説 (Gettysburg Address) と奴隷解放(Emancipation Proclamation) 宣言は別であるという指摘でした。

早速Wikipediaで調べますと、奴隷解放宣言は二部にわかれていることがわかりました。第一部の奴隷解放宣言は1862年9月22日にリンカーン大統領は、奴隷解放 (Emancipation Proclamation) を宣言し、南北戦争中である連邦軍の戦っていた南部連合が支配する地域の奴隷たちの解放を命じたことです。

第二部の奴隷解放宣言は、南北戦争の2年目である1863年1月1日の奴隷解放宣言の発布です (presidential proclamation and executive order) 。リンカーン大統領はこの宣言で、連邦軍から脱退した州の中で、1863年1月時点で連邦側に回帰していない全ての州の奴隷が解放されることを宣言しました。そして1863年11日19日のゲテイスバーグ演説です。

ゲティスバーグ演説は、272語1449字という約2分間のスピーチでになっています。リンカーンの演説の中では最も有名な箇所が演説の最後で締めくくられます。

 ,,,,and that government of the people, by the people, for the
 people, shall not perish from the earth

南北戦争と奴隷解放宣言に関して、年度別に整理すると次のようになります。
・奴隷解放宣言 1862年9月22日
・奴隷解放宣言の発布 1863年1月1日
・ゲテイスバーグ演説 1863年11日19日
・南北戦争の事実上の終結 1865年4月9日

私は、リンカーンがゲテイスバーグ演説の中で奴隷解放を謳っていたと勘違いしました。ご指摘に沿って、「留学を考える その24」の拙稿を修正させていただきました。http://naritas.jp/wp1/?cat=363

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初めに言葉があった その9  「失独失能」

中国では現在、高齢化、少子化、失能化(生活能力の喪失)、空巣化(老人だけの世帯)という4つの現象が並行して進行しているといわれます。夫婦が子供から独立して生活するのが困難な状態にあるというのが、「失独失能」の意味のようです。

失能化・半失能化した高齢者は2014年時点で4,000万人に達し、高齢者全体の19%に達し、また空巣世帯は高齢者の50%に達しているといわれます。大中都市に限れば70%に達しているとの報告もあります。このように地域ごとの失能化状況の違いも大きく、政府の対応を難しくしているといわれます。

時間が経つにつれて、「一人っ子」政策の負の影響が大きく現れているのが中国で発表されている論文や新聞紙で報じられています。高齢者の中で、特に一人っ子の両親は、子供が結婚して独立したとき、自分たちを世話してくれるだろうという期待を持てなくなっています。子供が複数いたときは、家族に両親とか障害のあるものがいたとしても子供が交代で世話をする習慣がありました。

政府は、こうした急速に進む高齢化社会の需要に対して、公共の介護福祉施設を増設すると同時に、これまでと違う新しい方法で対応する政策を打ち出しています。例えば、コミュニティ力を活かした家庭介護と社会介護の連携、「居家養老」と呼ばれる在宅養老・介護環境の整備などです。

特に、コミュニティ内に高齢者サービス拠点を置いて、高齢者が買物、清掃、付き添い、看護、緊急救護などといった各種サービスを利用しやすいようにするという考えです。また、生涯学習とか娯楽やスポーツ、レクリエーションなどといった高齢者のニーズに応えたコミュニティ内のサービスも振興しようとしています。

コミュニティと家庭の力を活用する養老・介護体系を支えるため、より多くの企業にこの分野に参入促そうと税制上の優遇措置を考えたり、補助金を出すなどにも力を入れています。こうした政策に呼応して、シルバービジネスに関心をもつ企業や経営者が増えてきています。私が指導した中国からの留学生も福祉資格取得養成施設の立ち上げを北京市内で準備しているとの便りが届いています。

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初めに言葉があった その8 「未富先老」

最近、中国でしばしば使われる四文字熟語に「未富先老」とか「失独失能」があります。こうした熟語に接すると高校時代に取り組んだ漢文の学習を思い出します。

新年早々、中国経済の減速と株価の下落が報道されています。「サーキットブレーカー」の発動などが取りざたされています。政府が株価を操作するかのごとき政策は市場経済といえるのか、とさえ思われます。

中国の経済現象とともに懸念されるのが「高齢化社会」の進行です。60歳以上の人口が総人口の13.3%を占め、前回の調査より3ポイント上昇したと報じられています。上海は中国で最も早く高齢化社会に突入したとも報道されています。60歳以上の人口は2012年に25%、2020年には37%に達する見込みだというのです。そして最大の課題は急増する高齢者の介護問題というのです。これには「一人っ子」政策のツケが回ってきているともいわれます。親を介護する者が少なくなったのです。

ブリタニカ国際大百科事典によりますと、世界保健機構(WHO)や国連から出された報告書に高齢化の定義があります。それによりますと65歳以上の老年人口の比率が総人口の 7%をこえた社会を「高齢化社会」(aging society)、14%をこえると「化」が抜けて「高齢社会」(aged society)というのだそうです。日本では 1970年に 7%をこえ,その後 1995年には 14.5%に達しています。

高齢社会は今日、明日の現象ではありません。総務省は2015年12月の推計人口において、65歳以上の総人口に占める割合が27%、75歳以上が13%を超えたと発表しています。日本の総人口は2006年をピークに減少に転じています。団塊の世代が2015年にすべて65歳以上になるので、この間の高齢者人口の急増を「2015年問題」と呼ぶこともあります。「2015年問題」とは、少子化に伴う若年労働者の減少と、それにカバーする定年年齢の65歳以上への引き上げ、部分就労といったことです。

「未富先老」という熟語の意味を考えてみましょう。文字通り「豊かになる前に高齢化する」ことです。この熟語は中国固有の現象を表すとされます。急激な経済成長によって、一部の階層の人々は豊かになったようですが、大多数の人民は豊かさに取り残され、高齢化後の生活に不安を抱えているというのです。老後の生活に必要な蓄えが不十分であるとか、介護施設を問わず介護スタッフなど高齢者の受け皿が足りないといった不安です。

中国人のGDPは一人あたり約4,000ドルで、日本やイギリス、ドイツ、フランス、スウェーデンなどの発展国が高齢化社会となったとき、人口一人あたりのGDPはすでに1万~3万ドルに達していたといわれます。これが「未富先老」という言葉が生まれた理由です。経済規模が世界2位になった今の中国にはこうした側面もあります。

我が国では「未富先老」という現象はあるのかという問いですが、高度経済成長を契機に、三種の神器とか所得倍増、マイホームなどの社会現象が起こりました。1990年代初頭のバブル景気の崩壊以後も経済成長は安定した成長を続けているといわれます。終の棲家を得てささやかながらの年金暮らしや介護医療保険制度などによって、「未富先老」という実態はあまり顕在化しなかったようです。このあたりの事情はより詳しく調べる必要は感じますが。

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初めに言葉があった その7 「あなたがたは地の塩である」

昔も今も人々は塩と非常に深い関係を持って生活しています。ドキュメンタリービデオで観たのですが、チベットやブータンに住む人々は、大事な塩を背中にしょってヒマラヤ越えをしています。地殻変動は海水をヒマラヤの大地に閉じ込めたようです。中国では前漢時代より塩の専売が行われ、2000年にわたる皇帝支配の財政基盤となったといわれます。日本でも1997年にようやく塩の専売制が廃止になったというのですから、塩の重要性がわかろうというものです。

古代ローマ時代には兵士への給料として、塩を買うための銀貨が手渡されたいわれます。ラテン語で塩とは 「sal」、塩(salt)の原型です。そこからサラリー(salary)がうまれました。 「sal」に由来する単語として、塩漬けされたサラミ(salami)、塩の効いたサラダ(salad)、健康的な(salutary)などがあります。サラリーマン(salaryman)とはローマ時代の兵士のなごりということです。

わたしたちが生きていく中で塩のない食べ物はありません。醤油と味噌はその代表ですね。味のない漬物なんて考えられません。戦国時代、上杉謙信が、敵将武田信玄の領国の甲斐が塩の不足に苦しんでいるのを知り、塩を送らせたという故事があります。敵の弱みにつけこまず、逆にその苦境に手を差し伸べる美談です。

味を調整をすることを「手塩に掛ける」といいます。「手塩」とは、もともとは食膳に置いて不浄を払うために小皿に盛った少量の塩のことです。そして、手塩で料理の味加減を自分の好みで調えるようになりました。やがてこのフレーズは、「自分で気を配って大切に世話をすること」に使われるようになりました。

自分自身を生かし、同時に他者を生かすことができるとき、わたしたちは初めて地の塩となります。多くの日本人が上杉謙信に好感を持つのは塩の大切さを彼が知っていたからです。少々違和感があるかもしれませんが、私たちもまた、塩だということです。わたしたちは、知らず知らず、それぞれの小さな役割を果たしています。お互いに、どこかで誰かの「地の塩」となっていることを思い起こしたいのです。「地の塩」とは人の模範や鏡としての喩えです。(マタイ福音書5章13節)

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初めに言葉があった その6  「沈黙の春」

自然には均衡があるといわれます。私たちは、かつてはそんなことを気にしないで生きてきました。「自然は蘇えり復元する力をもっているから、開発の影響なんてちっぽけなことだ、、、」とうそぶくこともありました。人は世界中で勝手な驕りを繰り返してきました。そのツケがまわっています。

我が国にも生息していた珍しい動物が絶滅しました。オオカミもコヨーテもいたといわれます。今の田舎では、イノシシや鹿が里におりてきて木の実や野菜を食べつくしています。畑の周りに電線を張り巡らしてもそれを飛び越える、人の脅し声を流してもそれに慣れて怖がらないのです。動物は人の知恵を出し抜く力を編み出しています。野生動物の連鎖が消えたことによって、特定の動物が繁殖しているのです。

病原菌については、薬品に対する抵抗性の問題がでてきました。ある種の病原体に効く農薬をつくりそれを散布するとします。病原体はほとんど死滅しますが、不思議なことに一部のものが生き残り、ふたたび増殖するのです。そして次世代へ遺伝していきます。

「沈黙の春」(Silent Spring)の作者、レイチェル・カーソン(Rachel Carson)は警鐘を鳴らします。彼女は合衆国連邦漁業局で海洋生物学者として勤務します。アメリカでは、化学物質がつぎつぎと開発され実用化されていましたが、その危険性についてはあまりにも知られることなく、大量に生産され使用されるという状況にありました。なかでもDDTなどの殺虫剤が空中散布されるなど乱暴な実態がありました。

「日本のコメ作りは世界農業のなかで最も多くの人手を要し、最も土地あたりに生産高をあげてきた。つまり本来の自然の姿からいえば、最もはなはだしいバランスの破壊を前提にしている。」このことを彼女が指摘したのは1964年のことです。かつて住んでいた兵庫県でも田圃では殺虫剤がまかれていました。

「沈黙の春」の出版を契機に、一方で化学物製造会社は猛烈に反論し、他方で科学者が彼女の立場を擁護し大きな論争へと発展します。当時のケネディ大統領は、大統領特別委員会の設置を命じます。この委員会から出された結論は、「沈黙の春」とカーソンの立場を支持するものでした。その後アメリカでのDDTの使用は政府の管理下におかれ、やがて使用が全面的に禁止されます。

自然の生態系には「食物連鎖」と「生物濃縮」という「自然の摂理」がはたらいています。彼女は、この「食物連鎖」と「生物濃縮」が失われると環境汚染がジワジワと進むと警告します。

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初めに言葉があった その5 「野のユリはいかにして育つか」

小寒。図書館へ通う途中、散歩の道すがら、人様の庭の木や花をながめるのが楽しみです。四季折々の変化をみせてくれます。世話をする人々の心が伝わります。ラベンダーの小さな青、ツバキの華麗な赤、冬ばらや梅の一輪、パンジーやビオラ、スズランのようなアセビ、雪中花の水仙、ボケのふくらみ、。四季を通じて花を愛でることのできる幸いを感じます。寒風にさらされながらも、短い日光を浴びて精一杯咲いています。これから大寒を迎えます。

冬の花は夏とは違い、より綺麗にみえるようです。空気が乾き澄んでいるからもしれません。寒さの中の花に「よく咲いているね」、と声をかけたくなります。元気さを与えてくれます。年令のせいでしょうか花を見る目が違ってきているようです。

かつて「野のユリ」(Lilies of the Field)という映画がありました。流浪の黒人青年がアリゾナの砂漠の中で東欧からきた修道女たちと出会い、不思議な手に導かれて、小さな会堂を建てて立ち去っていく、というシナリオでした。野のユリとはなにか。この素朴な青年なのか、信仰に生きる修道女なのか、会堂に十字架や祭壇を寄付する貧しい人々なのか、、ユリは清浄と純粋さと上品さの象徴とされます。

ルカによる福音書12:27(Gospel according to Luke)からの引用です。
「野のユリはいかにして育つかを思え、労せず、紡がざるなり。されど、我汝らに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだにその装いこの花の一つにも及ばざりき。」
Consider the lilies, how they grow: they toil not, they spin not; and yet I say unto you that Solomon in all his glory was not arrayed like one of these. King James Version (KJV)

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初めに言葉があった その4 「この子らを世の光に」

滋賀県湖南市に近江学園という知的障害児等の療育や訓練、そして医療を行う複合的な施設があります。この施設が始まったのは1946年といますから、戦後のドサクサで大量の孤児が路上に溢れていたころです。その子供達を収容することから始まった活動です。この運動に関わったのは糸賀一雄、池田太郎、田村一二という人々です。当時としては先駆的な出来事です。

この三人の精神は、「この子らを世の光に」というフレーズに表れています。「この子らに世の光を」をいうのが当初のモットーだったようです。彼らは「を」と「に」の使い分けによって意味は全く違うこと、「に」を使うとこの子どもたちは憐れみを受ける対象となることに気がついていきます。「を」を使うと子どもは回りの人々に、広く社会に向かって自分の生命という光を放つ素晴らしい人格ということになる、と主張したのです。光輝く存在であるということを「この子らを世の光にする」ということばに込め、それを宣言したのです。

「この子らを世の光に」というフレーズには、実は下地があります。それはマタイによる福音書(The Gospel according to St. Matthew)5:13-16に「あなたがたは地の塩であり、世の光である」という聖句です。ここでの「世」とは「地」とか「闇」ということです。ほっておけば汚染され腐敗するのが「世」であり、「地」や「闇」は光を必要としているというのです。World English Bibleという聖書を見ますと、「あなたがたは地の塩であり、世の光である」を”Ye are the salt of the earth.”Ye are the light of the world.”とあります。「塩」と「光」に定冠詞 ”the” が使われているのは、特別なもの、かけがいのないものであることを示唆しています。

糸賀一雄はその著書のなかで次のように語ります。
「この子らはどんな重い障害をもっていても、だれと取り替えることもできない個性的な自己実現をしているものである。人間と生まれて、その人なりに人間となっていくのである。その自己実現こそが創造であり生産である。私たちの願いは、重症な障害をもったこの子たちも立派な生産者であるということを、認め合える社会をつくろうということである。『この子らに世の光を』あててやろうという哀れみの政策を求めているのではなく、この子らが自ら輝く素材そのものであるから、いよいよ磨きをかけて輝かそうというのである。『この子らを世の光に』である。(「糸賀一雄著作集3」より引用)

「を」と「に」という一字から生まれる文章の意味は、天と地ほどの違いがあります。「この子らは、、、」でも同じ意味となります。

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初めに言葉があった その3 「飾り気ない仕草、優しい言葉」

二週間あまりの「里帰り」を終えて長女と家族がマディソンへ戻りました。孫と毎日戯れたことを思いおこしながら、ビリビリに破られた障子の張り替えも済ませました。

長女から無事戻ったというメールが届きました。その中に本シリーズの話題に関連するフレーズがありました。短い滞在中に観察し感じた彼女の文章です。それは日本人の態度と言葉です。「機内でも空港でも駅でもバスでも店でも人々の態度と言葉はアメリカと違う」というのです。

家の近くにある、今はあまり見かけなくなってきた小さな八百屋の前を通ったとき、焼き芋の匂いが漂ってきました。長女は懐かしそうに、食べたいというので一包みを求めました。応対したのは七十過ぎの店主です。孫の頭をなでながら、芋を新聞紙に包んで孫に手渡しました。孫は「Hot!、」と大声を上げました。孫と長女と見比べてその店主は「あんたに似ていないな、、」と話しかけてきました。

翌日、散歩がてらまたその店に焼き芋を買いに行きました。店主の奥さんも出てきて「これは私が作った煮豆だよ、」と勧めてくれました。白と黒の煮豆と焼き芋を買って帰りました。長女はこの老夫婦とのやりとりと会話にいたく感じ入ったようでした。飾り気ない仕草、優しい言葉が印象に残ったようです。

帰りの便は日本のJ社だったようです。フライトアテンダントの接待やサービスがアメリカのとは全然違っていたとも書いてありました。「おもてなし」という言葉は英語では「Hospitality」といわれますが、英語圏では家に訪ねてきたお客様に対して使う言葉なのです。しかし、日本では接客のサービス全般に「おもてなし」が使われます。長女はそのことに気がついたようです。

前回、神学者のアウグスティヌス(Augustinus)が、時間の三様態を「記憶、知覚、期待」と云ったことを述べました。長女の八百屋での体験は、「記憶、知覚、期待」という彼女なりの時間意識ではなかったかと思われるのです。普段何気なく過ごしている日常に思いがけない体験と回想があるのだな、と思った次第です。

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初めに言葉があった その2 「すべてのわざには時がある」

このブログの中心的なテーマの一つが「時」「とき」ということです。この話題をいろいろな角度から考えながら、どう味付けし咀嚼したらよいかと考えるのですが、なかなか手強く難しいです。「時」という概念は古代宗教や古代ギリシャ神話、そして現代の哲学者や科学者が取り組んできました。私たちも「今日という一日を大切にして生きる」というとき、そこには時間があり、それを意識しています。古代ギリシャ人も私たちも同じことを考えながら生きてきました。

広辞苑によりますと時間とは、「空間と共に人間の認識の基礎を成すもの」とあります。「あらゆる出来事の継起する形式で不可逆的な方向を持ち、前後に無限に続き、一切がそのうちに在ると考えられ、空間と共に世界の基本的枠組みを形作る」ともあります。Wikipediaにも「出来事や変化を認識するための基礎的な概念が時間である」という記述があります。

宗教的な立場からの時間の概念です。永遠から生じ、永遠に期するとされ、厳正の時間は有限の仮象である、とあります。神学者のアウグスティヌス(Aurelius Augustinus)は、時間の三様態である「過去、現在、未来」から、時間というのは被造物世界に固有のものであるし、人間の時間意識を「記憶、知覚、期待」と仮定します。「天の下の出来事にはすべて定められた時がある」ということで一応ここでは納めることにします。

私たち人間が経験する具体的な現実、特に意識に直接与えられる事実をとらえているのが時間ということです。普通、人々は時間を時計の文字盤の目盛りによって測ったり、ある感覚が他の感覚の何倍も強いとか弱いとかで示します。悲しみの時は長く、喜びの時は短く感じられるように、わたしたちにとっては具体的な時間とは、かなり主観的な側面があり、さらに等質的とか量的なものではなく、重ねたり比較することもおよそ不可能であることがわかります。

以下、列記した時に関する現象とは、現在といういろいろな出来事の瞬間であることがわかります。たとえば「入学する時」の記憶にある瞬間と「卒業する時」の瞬間が比較されるので、そこに時の意味が回想されます。そうしますと、私たちは、瞬間瞬間をより高みを求めようとし、より深く生きることがよりよく時間を過ごすことになるのではないかと考えるのです。

旧約聖書の伝道の書(Ecclesiastes)3:1-8を引用して本稿を終えます。

「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。生きるる時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある」

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