イスタンブルとソフィアの旅から その2 電車でウル・ジャーミへ

私は、昔からいわゆる団体パック旅行はしません。旅の自由度が制限されるという偏見があるからです。ネットや旅行会社の窓口で航空券やホテルの値段を聞いて、その情報をネット上でも調べて比較し、いつも値段の一番安いのを選びます。あまり空港やダウンタウンから遠い宿は避けるようにします。タクシー代は馬鹿になりません。

空港からホテルへは、地下鉄や電車、バスを利用して出費をケチります。乗り放題の券を買うと小銭を使って切符を求める手間が省けます。イスタンブルやソフィアでも、もっぱらこうした公共交通機関を利用しました。

イスタンブルから、オスマン帝国(Ottoman Empire)の最初の首都ブルサ(Bursa)という街へ行ったときです。高速船に乗り、次ぎにバスで電車駅まで向かい、そこからブルサ市街に電車を利用しました。バスや電車に乗るときは乗り放題の券が使えます。目指す電車に乗り込むと、座席はほぼ一杯。だが、青年が二人さっと立って席を譲ってくれました。もちろん、使い始めた「ティッシュキュル(Tesekkur)」 ”ありがとう”を使います。降りる駅を聞くと英語が通じません。側に立っていた若い女性が流暢ではないが、綺麗な英語で加勢してくれました。

1326年から1365年までにオスマン帝国が首都として選んだところがブルサです。帝国初期のスルタン(Sultan)の廟が残り、緑が溢れる街です。ブルサにある由緒あるモスク(Mosque)、ウル・ジャーミ(Ulu Camil)が目当てです。現地ではジャーミー(Camil)と呼ばれます。木製の説教壇の細工や内部の壁にあるイスラム書画(カリグラフィ)が美しいと本に書かれています。駅で出会った英語のできる女性にそのモスクへの行き方をきくと、彼女はトルコ語のメモを書いてくれ、”これを歩行者に見せるといい”と言ってくれました。

ブルサの街

“ウル・ジャーミへ行きたいのですが” Ulu camiye gitmek istiyarum.
“オルハン・ガージィー・ジャーミへ行きたいのですが”  Orhan Gazi camil gitmek istiyarum.

ブルサの遠望

女性にどこで英語を学んだかを尋ねますと、大学の看護学部で学んだそうです。今は、イスタンブルの病院で看護師をしているとのこと。この清楚で親切な女性から渡されたメモのお陰で、歴史的な遺産を存分に満喫できました。