日本にやって来て活躍した外国人 その四十九 アリス・ベーコン

Alice M. Bacon

アメリカの女子教育者にアリス・ベーコン(Alice M. Bacon) がいます。日本の初めての女子留学生大山捨松、津田梅子の親友で、彼女らの要請で1884年、華族女学校、後の学習院女学校の英語教師として来日します。

捨松はコネチカット州(Connecticut)のニューヘイブン(New Heaven)のベーコン牧師(Rev. Bacon)の家族のもとでホームステイし、ベーコン家の末娘アリス・ベーコンと出会います。捨松は高校卒業後、東部の名門女子大学であるヴァッサーカレッジ (Vassar College)に入学します。捨松は成績優秀で学級委員長を務めるなどして大学生活を送ります。捨松は帰国までに時間があったので、アリスの兄が開いた看護婦養成学校で3ヶ月の訓練を受け看護婦資格も得ました。スイス留学から帰国した大山巌と結婚し積極的な活動を開始しました。世は鹿鳴館時代です。大山巌夫人として捨松は「鹿鳴館の華」と謳われます。

日本の女子教育に強い関心を持っていた捨松は、華族女学校の設立に参加し、津田梅子も華族女学校で教授補として教壇に立ちます。そして、二人の要請に答え、アリス・ベーコンが1888年に華族女学校英語教師として来日します。捨松、梅子、アリスの3人の再会です。

梅子は高校卒業後1889年に再度渡米し、ペンシルベニア州(Pennsylvania)フィラデルフィア(Philadelphia)にあるブリンマーカレッジ(Bryn Mawr College)に入学します。大学を卒業し帰国した梅子は、1900年に女性英語教師育成のための「女子英学塾」を開校します。現在の「津田塾大学」です。捨松は顧問に就任して梅子を支えます。そしてアリスが再来日して「女子英学塾」で教えます。

津田梅子

ベーコンは帰国後はハンプトンHunpton)師範学校校長となりますが、1900年、大山と津田の再度の招聘により東京女子師範学校で後のお茶の水女子大学と女子英学塾、後の津田塾大学の英語教師として赴任します。1902年4月に任期満了で帰国するまで明治期の女子教育に貢献します。彼女の著作は後にルース・ベネディクト(Ruth Benedict)の『菊と刀』(Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture) の重要な参考資料になります。