日本にやって来て活躍した外国人 その四十八 ピエール・ロチ

Pierre Loti

南フランスはロッシュフォール(Rochefort)出身であるピエール・ロチ(Pierre Loti)を紹介します。海軍大佐で世界中を旅し、1885年、修理のため長崎に停泊した巡洋艦ル・トリオンファント(La Triomphante)号の乗員として来日します。中国に発つまでの約2ヶ月間長崎に滞在し、周旋人を通して17歳のおかねという少女と愛人関係を結びます。十人町の家を借りて1ヵ月ほど共に暮らしその経験を後に「お菊さん(Madame Chrysantheme)」という小説に書き、1887年にフランス国内では最も古い歴史を持つフィガロ紙(Le Figaro)に発表します。

お菊さん

日本の自然や生活様式などを異国情緒たっぷりにリアルに描いたこの作品は、また従順で大人しい日本女性のイメージが強く印象づけられています。日本および日本文化に対する強烈な好奇心をかき立てられたようです。フランスのジャポニズムにも大きな影響を与えます。アメリカのジョン・ロング(John L. Long)はこの日本人女性の話を長崎にいた妹、コレル(Correll)から聞き、短編小説にします。これらがプッチーニ(Giacomo Antonio Puccini)のオペラ『蝶々夫人』の原型になります。

鹿鳴館の時代の真っ只,「お菊さん」の他に「秋の日本」,「ニッポン日記」,「日本の婦人たち」 などの作品を発表します。長期間にわたって日本で暮らした経験のある“親日家”(例えば,ラフカディオ・ハーン)の著作とは大きく異なり,フランス人のロチがはじめて目にする日本の印象が冷えた眼差しで鋭く克明に綴られています。フランス人のエスプリ(esprit)でしょうか、ロチの描く日本人女性の姿はひどく、「意思も感情も表情もない」などと描写しています。また日本を「遅れた野蛮な国」のように書いているのが気になります。

日本の婦人たち」 には,ロチは鹿鳴館についての印象を次のように記しています。
『東京のど真ん中で催された最初のヨーロッパ式舞踏会は,まったくの猿真似であった。そこでは白いモスリンの服を着て,肘の上までの手袋をつけた若い娘たちが,象牙のように白い手帳を指先につまんで椅子の上で作り笑いをし,ついで,未知のわれわれのリズムは,彼女たちの耳にはひどく難しかろうが,オペレッタの曲に合わせて,ほぼ正確な拍子でポルカやワルツを踊るのが見られた。』

『この卑しい物真似は通りがかりの外国人には確かに面白いが,根本的には,この国民には趣味がないこと,国民的誇りが全く欠けていることまで示しているのである。ヨーロッパのいかなる民族も,たとえ天皇の絶対的命令に従うためとはいえ,こんなふうに今日から明日へと,伝統や習慣や衣服を投げ捨てることには肯(がえ)んじないだろう。』