日本にやって来て活躍した外国人 その五十 ラフガディオ・ハーン その1

八雲とセツ

山陰へ行かれたときは、松江市にある小泉八雲記念館を是非訪ねて欲しいものです。記念館には第1と第2展示室があり、第1展示室では「その眼が見たもの」「その耳が聞いたもの」「その心に響いたもの」というコンセプトで紹介し、第2展示室では八雲の事績や思考の特色を「再話」「ジャーナリズム」「教育」「いのち」「八雲から広がる世界」などが紹介されています。小泉八雲という名前ですが、「小泉」は妻・セツの姓で、「八雲」は、出雲の国の枕詞が「八雲立つ」なので、そこから拝借したといわれます。

ラフガディオ・ハーン( Patrick Lafcadio Hearn)、1850年6月にギリシャ西部のレフカダ島(Lefkada)で生まれます。父チャールズ(Charles)はアイルランド(Ireland)出身の軍医、母ローザ(Rosa)はギリシャ人でした。アイルランドは当時まだ独立国ではなかったので、ハーンはイギリス国籍でありました。2歳の時にアイルランドに移り、その後イギリスとフランスでカトリックの教育を受けます。16歳の時、遊戯中に左目を失明します。

小泉八雲記念館

19歳でアメリカに単独で移民し、シンシナティ(Cincinnati)でジャーナリストとして文筆が認められようになります。その後、ルイジアナ州(Louisian)ニューオーリンズ(New Orleans)などで旺盛な取材や執筆活動をします。ニューオーリンズ時代に万博で出会った日本文化、ニューヨークで読んだ英訳『古事記』などの影響で来日を決意し、1890年4月に日本の土を踏みます。その時ハーンは39歳でした。

まもなく島根県尋常中学校及び師範学校の英語教師となります。その後は熊本第五高等学校をはじめ神戸など、日本の各地の学校や新聞社で働き、1896年には東京帝国大学の講師になっています。

日本の各地を渡り歩いて,『知られざる日本の面影』(Glimpses of Unfamiliar Japan),『心』 (Kokoro) ,『仏の畑の落穂』 (Gleanings in Buddha-Fields) などで日本の風土と心を紹介していきます。