心理学のややこしさ その一 「プシュケー」といのち

心理学という学問は、誠に「ややこしい」く複雑な内容を呈しています。その発展の歴史は古代ギリシャや旧約聖書時代に遡ることができます。この「ややこしさ」を心理学という用語の語源や使い方から調べてみようとするのがこのシリーズです。

 

 

 

 

 

 

 
皆さんがご存知の心理療法とかカウンセリングの技法の数を調べてみると、あまたの療法があることに気がつきます。なんと160もあるのですから複雑です。この理由は、すべて人間の精神とか内面に分け入って悩みや苦しみを和らげるにはいろいろな方法が試みられているということです。人間そのものがいかようにも定義できる「ややこしい」存在であるからです。100人いれば100人の人が何らかの説をたてられそうです。

さて、心理学とは英語で「Psychology」。「プシコロジー」とも呼べるようですがこの単語は「P」を発音しないで、サイコロジーとなっています。ですが、「プシコロジー」と発音することもあながち間違いではないことが分かります。それは、古代ギリシアのアルファベット表記である「Psyche」は、「プシュケー」と発音さます。「Psyche」とは「息とか呼吸」を意味し、その後転じて「いのち、心、霊、魂」を意味するようになります。

Psycheは「Psuche」とも綴られていました。もともと「息とか呼吸(breath)」という意味ですが、新約聖書のキングジェームズ・ヴァージョン(King James Version: KJV)にはこの「Psuche」が105回登場します。主に魂 (soul)という言葉で使われるのは58回、いのち(life)は40回、精神(mind)は3回、心(heart)、その他という具合です。呼吸は生命の証として最も顕著なものでありますが、「Psuche」という言葉は、やがて精神や魂をも意味するようになります。 [contact-form][contact-field label=’名前’ type=’name’ required=’1’/][contact-field label=’メールアドレス’ type=’email’ required=’1’/][contact-field label=’ウェブサイト’ type=’url’/][contact-field label=’コメント’ type=’textarea’ required=’1’/][/contact-form]

認知心理学の面白さ その四十九 アイゼンクの人格説

遺伝か環境かの論争の話題は「天才」とか「狂気」についてもつきまとっています。レオナルド・ダ・ビンチ (Leonardo da Vinci)やモーツアルト (Wolfgang Amadeus Mozart) など天才といわれ芸術家の物語もそうです。古代ギリシアの哲学者アリストテレス(Aristoteles)の時代から天才は本性的に遺伝とみなされてきたようです。

多くの心理学者が人格の特性を測定し定義しようとしてきました。既に述べた古代ギリシャのヒポクラテス(Hippocratesやガレヌス (Claudius Galenus)もそうでありました。記述しましたが、ガレヌスは、人格のタイプは人体を流れる体液のタイプの増減に応じて出現すると考えられ、気質には多血質、胆汁質、粘液質、憂うつ質の四つがあるとしました。

ガレヌスの生物的アプローチに、ドイツ生まれでアメリカで活躍した心理学者のアイゼンク(Hans Eysenck) は共鳴したようです。アイゼンクは気質を心理的、遺伝的に決定されたものと見なします。アイゼンクは二次元からなる人格の円状の形をする「特別因子」の測定法を考案します。それは、「神経症」<ーー>「情動的安定」、「内向的」<ーー>「外向的」という縦と横の軸としてその間にさまざまな心理的な特徴を列記します。

神経症的な人は共感の閾値 (threshold)が低く、狼狽しがちなこと、情動的安定している人は信頼度があり、落ち着いていること、内向的な人は人見知りで物静かで、平穏と孤独を求め注意深く自己管理ができている、外向的な人は他人との間にさらなる刺激を求めて自らを鼓舞しがちなこと、快活で屈託がないといった特徴があるといいます。以上の記述は広く知られていることですが、実はアイゼンクの研究が基になったものなのです。「認知心理学の面白さ」のシリーズは今回で終わりとします。

認知心理学の面白さ その四十八 ジェーン・ドー裁判

1984年に6歳の女児の父親が、母親が女児を性的虐待をしたという訴えを起こします。「ジェーン・ドー 裁判(Jane Doe case)」と呼ばれてました。この裁判は子供を巡る複雑で数奇な展開をするので、全米の関心を集めました。後に映画にもなるほどでした。学校でも性犯罪の話題として教室で取り上げられました。

この裁判の中心課題は、はたして人間のトラウマのできごとについての記憶は正確なのか、何が真実なのかということであります。記憶の研究者であるエリザベス・ロフタスもこの事件に関わっているので、それを紹介することにします。

被害者とされたのは、ジェーン・ドー(Jane Doe)という仮名の女児です。母親がジェーンを虐待した、という父親の訴えです。11歳になったジェーンもまた虐待を受けたと証言していきます。例えば母親がぶったとか、髪の毛をひっぱったり、ストーブで足をやけどさせたといったエピソードです。母親は養育権を剥奪され、娘と定期的に会うことも禁じられます。その間、裁判所から鑑定をするように任命されジェーンの治療にあたったのは精神病理学者で性的虐待の研究者であるデビッド・コーウィン (David Corwin)という人です。コーウィンはジェーンと何度も会いビデオテープなどで面談の記録を残します。

ジェーンが17歳になると、父親が再婚した妻と別れるとジェーンは父親と一緒に住むことになります。父親が亡くなると後見人となった継母と生活します。さらに産みの母親とも再会するようになります。ジェーンはコーウィンとの面談を続けるのですが、以前コーウィンに語った母親による性的虐待のことは覚えていないというのです。ロフタスらは、ジェーンの記憶はトラウマ的なできごとゆえに、無意識のうちに抑圧された状態での記憶 (repressed memories)による証言だったと結論づけます。裁判が結審するとコーウィンやロフタスはこの事案の経緯を本に著します。

しかし、ジェーンは以前語ったような母親からの虐待はなかったと告白します。さらにコーウィンやロフタスは自分のプライベートなことを公にしたとして逆に訴えるのです。結局ジェーンは記憶に誤りがあり偽証ということで訴えは却下されます。

ジェーン・ドー裁判は、長い時間の経過のなかで偽った記憶の再生が周りの人々を混乱させ、ジェーン自身もまた精神的な傷を負うという結果となります。性的虐待というトラウマ的なできごとの再生や証言は正確だ、と本人も周りの人も思い込むという事例であります。

認知心理学の面白さ その四十七 偽りの記憶の研究

ロフタス(Elizabeth Loftus)の記憶に関する研究では、「心のどこかに過去の体験の映像が確かな形で保存されているのではないか」という精神分析学における無意識の存在に疑問を提起することに始まります。

ロフタスがおこなった別の実験では、被験者に自動車事故の詳細に関して口頭で誤った情報、例えば現場付近に道路標識があったという情報が与えられたとします。すると大半の被験者はその情報がそのまま再現されたというのです。これによって当のできごとの起こったあとで与えられる示唆や誘導的な質問によって再生が歪められることが明らかになります。誤った情報が観察者の再生のうちに「植え付けられる」(inprint) ことがあり得るということです。

「植え付けられる」ことは法的審理において重要な意味を持ちます。目撃同定証拠の信頼できない性質は刑事上の正義、および陪審員裁判の経過において影響するのです。記憶はその後の示唆や誤情報によって持ち込まれる細部の不正確さによって歪められるばかりでなく、初めから誤っている場合すらありうるからです。

1987年にロフタスは、10万人のユダヤ人虐殺に加わったとして訴えられた被告の証人を依頼されます。ユダヤ人であるロフタスは記憶と目撃証言に関する研究の第一人者ですが、彼女は「被告人を有罪とする目撃者の記憶は科学的にいうならば確かとは言えない」というコメントを残して結局は証言しませんでした。与えられた情報などによって、偽りの記憶が生成されることを理解していたからだと考えられます。

「脳での記憶は見たもの、聞いたものという認知的事実が保存されているわけではない」、「記憶を思い出すことは、記憶を思い出す時に再構成されている」、「ほんの些細な暗示によって記憶が書き換えられてしまう」、「過去のできごとの映像がそのままの形で記憶のなかに保存されているなどということはまったくあり得ない話である」とロフタスは指摘します。精神分析学への痛烈な反論です。

認知心理学の面白さ その四十六 ロフタスの記憶の研究

フロイド(Sigmund Freud) は、心には受け入れられない、もしくは苦痛をもたらす考えや衝動を「抑圧」という無意識のメカニズムとして説明します。このメカニズムによって自覚されない領域に隔離することで自分自身を守ろうとする傾向があると主張します。こうしたトラウマ的なできごとの記憶が意識的な再生の手の届かないところに貯蔵される、つまり抑圧されたという見解は多くの人に受け入れられました。

しかし、戦後のいわゆる「認知革命」によって、脳がどのように情報を記憶へと処理するかについて新しいモデルを示唆するような研究が進みます。すでにこのブログで取り上げたシャクター(Daniel Schacter)の記憶(memory)と忘却(amnesia)に関する研究もそうです。

エリザベス・ロフタス(Elizabeth Loftus)という研究者を紹介します。彼女はアメリカの心理学者です。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で数学と心理学の学士号を得、その後スタンフォード大学 (Stanford University)で学位を取得します。彼女の研究ですが、それまで主流とされた抑圧された記憶の回復ということに疑問を持つようになります。

彼女は記憶の再生への誤りについていろいろな実験をします。例えば、自動車事故の動画を見せて、目撃証言の正確さを調べます。その結果、判明したことは被験者がどのようなできごとを報告するかは、実験者からどのような言い方で問いかけられるかによって重大な影響を受けるということでした。「事故を起こした車の速度はどの位だった?」と尋ねられるとしますと、問う言葉の中に事故を形容する「ぶつかった」、「衝突した」、「大破した」などの言葉が使われたかによって、答えに大きな幅があることが判明し、さらに被験者に「事故のあとにガラスの破片はあったか?」と尋ねられます。ここでも車の速度を問うのにどのような単語が用いられたかに応じて答えは違ったのです。

認知心理学の面白さ その四十五  生成文法とチョムスキー

言語とか言葉の発達については、オペラント条件付け (operant conditioning) によっては言語の生成とか創出、ましてや独特の発達過程は説明することが困難です。子供を育てた方なら、子供の意外な言語の発達には驚いたはずです。それは子供による自発的な文法とか単語の理解などをいつのまにか習得するその技能です。それまで学んだことも耳にしたこともないルールを説明できないことや、個々の単語の意味をきちんと理解していなくとも、文全体の意味を理解してしまう子供の示す能力も説明するのは困難です。

先日マンションの自転車乗り場で会ったコウキ君という5歳の子供との会話です。
筆者 「昨日保育園でどんな遊びをしましたか?」
コウキ 「ブロックであそんだ」
筆者 「ブロックでなにをつくったの?」
コウキ 「しんかんせん」
筆者 「凄い、天才やな、、」
コウキ 「うん、てんさい、」

会話から、「てんさい」の意味を推測できていることが伺われます。たいした能力だと思いました。

チョムスキーの言語発達の考えは実に革新的な発想です。言語能力は人間に生得的なもので、言語器官はどの身体器官とも同じように成長するというのです。確かに子供を取り巻く環境が言語の内容を刺激し導くが、子供が使う文法それ自体は、もともと備わっている生得的に決定された人間的能力だというのです。チョムスキーは、子供の自発的な文法規則の発現を生成文法 (generative grammar)と呼びます。

チョムスキーは自身の論点を説明するために人間の能力の別の側面を引き合いにだします。例えば、思春期の始まりは「言語器官の成長」と似た人間の成長の過程の一側面であるといった説明です。それは遺伝に基づく必然の結果なのだという前提です。

ところで、言語獲得が学習ではなく、生得的なものであるとはどのように証明されるのかです。チョムスキーは生成文法がその土地の人々のネイティブな言語に応じた多少の修正は受けるものの、生成文法は世界中で観察されると主張します。それはどんな言語の獲得に際しても土台として機能するあらかじめ定められたメカニズムから生まれるというのです。このことは全ての子供が自分に提供されるどの言語も同等に学習していくという事実によって証明されるいいます。この事実は、一連の同じ言語の特徴が言語器官のうちに遺伝的に組み込まれていて、そこには文法や意味、発語といった要素が含まれていることを示唆します。

子供には言語についての生得的な知識があり、子供は言語を学べるようにできている、という考え方は広く受け入れられているのですが、言語の発達は養育者からはさほど影響を受けないという見解には多くの異論もあります。

認知心理学の面白さ その四十四  ノーム・チョムスキーと反覇権主義

アメリカの言語学者にして哲学者であるノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)は心理学者でもあります。ペンシルヴァニア州(Pensilvania)でユダヤ人の両親のもとで生まれます。両親は、もともとはロシア帝国支配下のウクライナ (Ukraine) の出身だったのですが、迫害(ポグロム: pogrom)や戦乱を避けて1913年にアメリカへ移住します。

チョムスキーは子供時代、ユダヤドイツ語とも呼ばれるイディッシュ語 (Yidish)を使い、ユダヤ教の教えを受けたといわれます。やがて労働シオニズム(Labor Zionism) という建国思想に傾倒していきます。労働シオニズムとはユダヤ人がパレスチナ(Palestine)に入植し、農村部のキブツ (Kibbutz) などにおけるユダヤ人共同体の進歩主義的な社会を創り上げようとする思想です。

やがてペンシルベニア大学 (University of Pennsylvania)で言語学の博士号を取得します。その後、マサチューセッツ工科大学(MIT)の言語学および言語哲学の研究所教授 (Institute Professor) 兼名誉教授となり、その業績は言語学分野にとどまらず、政治・マスメディアなどに関する100冊以上の著作を発表します。

現代言語学の父の一人ともいわれたりしますが、政治的反体制者にして急進主義者ともいわれ、アメリカの外交政策に対する激しい批判を展開します。特にヴィエトナム戦争反対運動は有名です。

認知心理学の面白さ その四十三  「自閉症・うつろな砦」とその批判

「自閉症・うつろな砦(Empty Fortress)」は広く読まれた臨床記録書です。この本の出版社であるみすず書房は今も哲学・思想、宗教、心理、社会科学、教育、歴史、文学、芸術、自然科学の分野における老舗の出版社です。どの本も表紙は白を基調としています。

ブルーノ・ベッテルハイムは長年自閉症の治療も手がけてきましたが、その考えは自閉症というのは、養育者の態度などの後天的な原因で発症するという説、いわゆる「冷蔵庫マザー」(refrigerator mothers)ということを強く主張するのです。やがてこの主張は精神医学界から大きな反撃を食らうことになります。

「冷蔵庫マザー」という養育者の育児態度に関する見解については、自閉症に関する研究で知られるレオ・カナー (Leo Kanner)の影響があったと思われます。カナーは1943年に書いた「情動的交流の自閉的障害」(Autistic Disturbances of Affective Contact)という著作で、冷えきった感情のこもらない子育ての結果ではないかと示唆していたからです。

ベッテルハイムの、「自閉症の原因は養育者の背景や責任にある」という説に対して、児童精神医学会から強い批判が起こります。その旗頭ともいえるリムランド (Bernard Rimland)は、自閉症とは神経発達上の障害 (neurodevelopmental disorder)であるとして、自閉症の「養育態度説」を論破します。

認知心理学の面白さ その四十二  自閉症研究とブルーノ・ベッテルハイム

ブルーノ・ベッテルハイム(Bruno Bettelheim)は、小児自閉症(infantile autism)の研究で知られた心理学者です。1960年代には日本でも多くの学者や教師が影響を受けました。私もみすず書房から出版された『自閉症・うつろな砦(Empty Fortress)』という専門書を購入したものです。しかし、後年はその学説が否定されて不遇な生涯を送ります。

ベッテルハイムはオーストリア(Austria)生まれ。最初はウィーン大学(University of Vienna)で カント哲学 (Immanuel Kant)を学びます。しかし、ユダヤ系オーストリア人だったため、1938年にダッハウ(Dachau)強制収容所、そしてブーヘンヴァルト(Buchenwald)強制収容所に送られます。ですが戦争勃発前の1939年、ヒットラーの誕生日である4月20日に特赦を受けて解放される幸運に恵まれ、同年12月にアメリカに移住します。その後、1944年にアメリカに帰化してからは、シカゴ大学 (University of Chicago)で教鞭をとり1973年まで心理学教授として働きます。

ベッテルハイムはシカゴ大学の知的障害児の訓練教育施設の所長や情緒障害児のホームの世話をしながら、健常児や障害児の心理学についての彼の数多くの著作をあらわし、その道の権威として知られてきました。我が国でもそうでした。しかし、彼は、やがてさまざまな批判を受けるようになります。まず、彼はウィーン大学での経歴についてです。彼はきちんとした訓練を受けてきたと主張しますが、不幸にもナチスが大学の記録を破棄していたため、その経歴詐称の確証がなかったようです。彼のクライエントに対する問題行動の数々が明るみに出されます。

認知心理学の面白さ その四十一 セルフヘルプと構造化された技法

エリス (Albert Ellis) の論理情動行動療法(Rational Emotive Behavioral Therapy: REBT)は、認知の中でも評価的認知に注目すること「理にそぐわない信念」とか思い込みを現実的で柔軟な願望に変えていくことを重視するものです。より健康な考え方に変えるための指針として、その考え方が「論理的か,実証的か,有益か」をチェックするのです。エリスさらにその指針にそって、新しい健康な考え方を再構築し、それが自分に身につき腑に落ちるまで日常生活の中で練習するという過程を強調します。この考えを「認知枠組みの再構成 (cognitive reconstruction) 」と呼びます。

REBTには、セッションを行う上で以下の特徴があります。
1.  セルフヘルプ(self-help)
REBTは健康な思考・感情・行動の主体は自分自身であり、REBTの技法と発想を身に付け、自らが日常生活で絶えず実践しつづけていくことを重視する。クライエントは、自らが己の「カウンセラー」になることを目指す。
2.  構造化された技法
REBTでは問題を具体的に絞り込んで把握していくためのABC理論(A=できごと、B=信念、C=結果[感情・行動])というプロセスが標準ステップとして構造化される。REBTが学習・実践の両面において取り組みやすく、誰が取り組んでもほぼ同一の効果が期待できることを意味する。
3.  日常生活での実践の重視
カウンセリング・セッションや授業以上に、問題を日常生活で自分自身で取り組んでいくことを重視する。

ABC理論により問題を具体化していくこと、各ステップを適切に遂行することを支援する標準ツール例えば、「セルフヘルプ・フォーム(self-help form」があります。これを使うことで初心者でも早い段階から一人で取り組むことができるとエリスは言います。