アメリカの学校は今 その四  奨学金にはROTCかPell GrantかGI Billを

rfdfdr-sfspan images rotc-image2「どこの大学で勉強しようか」と思案するのは高校生には一つの関門であり特権でもあります。大学能力評価試験であるSAT、またはACTの成績が良い生徒は99%、志望するところへ入ることができます。高校には進路相談の専門員、Guidance Counselorが必ずいます。自分の学力と大学の評価基準を秤にかけ大学を推薦してくれます。

多くの生徒は地元の州立大学へ行くのが普通です。授業料が比較的安いからです。私立大学も人気があります。自分の家系の宗旨によって決めるのです。例えば、カトリック系、ルーテル系、バプテスト系、モルモン系などの大学です。こうした大学の多くは4年間勉強する単科大学(college)となっています。カリキュラムは、よくいわれるリベラルアーツ(Liberal Arts)です。学生数でいえば1,500人から2,000人くらいの規模です。

宗教系の大学には家庭が裕福な高校生が進学するのが多いです。4年間のカリキュラムがしっかりし、個別の指導が徹底し、規律のよい大学生活が魅力のようです。カレッジを卒業すると総合大学の大学院へ進むのが一般的です。私立の大学も高校も、人々から高い評価を受けるのがアメリカです。

州立でも私立でも成績がよいと奨学金を貰ったりローンを組んで勉強します。アメリカの大学は、資産 (endowment) が公表されています。多くは企業や地元からの寄付や同窓会からの支援金、教会信徒からの献金のことです。奨学金はこうした資産が基となっています。有名大学ほど資産が多いのは当然です。

ほとんどの大学には、陸海空軍および海兵隊の将校を養成する予備役将校訓練課程 (Reserve Officers’ Training Corps: ROTC)もあります。在学中は学費の一部か全額が支給され、加えて数百ドルの奨学金が与えられます。こうした学生は軍服姿で校内を歩いています。ただ卒業後は2年間の兵役義務があります。経済的に貧しい学生や将校となりたい学生は、兵役と引き替えにROTCプログラムで勉強するのです。日本政府もROTCを参考にした仕組みを作ろうとしたことがありますが実現しませんでした。韓国ではソウル大学など全国16大学でROTCプログラムを導入しています。

「Pell Grant」という連邦政府が支出する学部学生向けの返還不要の奨学金もあります。最高限度額は5,815ドルとなっています。「GI Bill」という一種の奨学金もあります。一定期間以上兵役について退役すると大学や職業学校の授業料や生活費として貰える資金のことです。なお「GI Bill」とは「復員軍人再復帰法」 (Servicemen’s Readjustment Act)という法律のことです。

[contact-form][contact-field label=’お名前’ type=’name’ required=’1’/][contact-field label=’メールアドレス’ type=’email’ required=’1’/][contact-field label=’ウェブサイト’ type=’url’/][contact-field label=’コメントをお寄せください’ type=’textarea’ required=’1’/][/contact-form]

アメリカの学校は今  その三 国際バカロレアとは

img_0212-250 images eb国際バカロレア(International Baccalaureate: IB)の歴史です。創立は1968年というのですから、意外と歴史は浅いです。この組織はスイス民法典に基づく財団法人国際バカロレア事務局で、スイス(Switzerland)のジュネーヴ (Geneva) にあります。

IBとは、本質的には単なる大学への入学資格をとるものでも、教育プログラムでもありません。「教育を通してよりよき世界を創造することにある」と謳っています。創設以来、世界共通の大学入学資格として広まり資格認定書であるディプロマ(Diploma)を使って、若者へ海外の大学へ進学することの門戸を広げてきました。現在、IBプログラムを有する高校は世界で4,527校、IBプログラムの種類は5,865に及んでいます。日本は今なお、たったの28校という寂しさです。

IBプログラムの分布を地理的にみれば高校の61%が、IBプログラムの57%が南北アメリカ大陸にあります。その大半は北米にあるといわれ、そのせいでしょうかアメリカやカナダの大学は、IB-Diplomaを受験生の選抜に使っています。

次に、「Baccalaureate」の意味です。もともとは、17世紀にフランスで始まった国家公務員になるための行政学院の最終試験のことです。今は、フランスの大学入学資格および試験のことを指します。Baccalaureateはフランス語では「学士」という意味です。ラテン語の「baccalureatus」が語源で、学士ーbachelorというように使われました。ちなみに、「laureate」とは知的で創造的な業績に対する賞を意味します。ノーベル賞受賞者(Nobel Laureates)はその代表です。Baccalaureateのもう一つの意味は、卒業式直前の日曜日に挙行される卒業記念礼拝ということです。

IBディプロマを取得するためには以下の3つの分野での単位が要求されます。
1  課題論文 (Extended Essay)
2  知識の理論 (Theory of Knowledge)
3  創造性・活動・奉仕 (Creativity, Action, Service)

ディプロマの試験で、「個人と社会」のうちの「歴史」の問題の一例を紹介します。これを英語で回答するのには、日頃の時事問題の理解と英語力、特に修辞が要求されます。

●What were the most frequent causes of persecution of minorities? Support your answer with specific examples.
(少数民族を迫害する最も多くの原因はなにかを、いくつかの具体的な例を挙げて答えてください。)

さて、ディプロマの試験45点満点で24点以上をとるとディプロマを取得することができます。志望するアメリカの大学に受験申し込みをするには、ディプロマの他にTOEFLなどの英語能力試験の結果を添えなければなりません。

[contact-form][contact-field label=’お名前’ type=’name’ required=’1’/][contact-field label=’メールアドレス’ type=’email’ required=’1’/][contact-field label=’ウェブサイト’ type=’url’/][contact-field label=’コメントをお寄せください’ type=’textarea’ required=’1’/][/contact-form]

アメリカの学校は今  その二 新しい教育プログラムと留学

images-1 images 2012-03-21-staibworldschoolpageimage現在、新しい教育プログラムを提供する高校が日本で増えています。それは国際バカロレア・プログラム (International Baccalaureate: IB)です。16歳から19歳を対象としたプログラムであり、二年間の所定のカリキュラムを履修し、最終試験にて一定程度の成績を収めると、国際的に認められる大学受験資格 (国際バカロレア資格)が得られるというものです。

今、国内には28の高校がこのプログラムを提供しています。我が国でIBプログラムが始まったのは1979年。多くは私立の進学校、大学附属校、国際高校などです。こうした高校は国際バカロレア認定書(Diploma)を取得させることをうたい文句にして、生徒を集め海外の大学への進学を促進しようとしています。

世界中の多くの大学が、 IB取得を入学選考の対象にしています。アメリカのほとんどの州立大学や私立大学、イギリスのケンブリッジ大学、オックスフォード大学もそうです。日本でもすでに多くの大学が、 IB資格の点数を推薦入試に利用しています。国際基督教大学、上智大学、早稲田大学、筑波大学、慶應大学、東京大学、北海道大学など306校が海外のIB取得者に入学の門戸を開きました。

先日のUS Education Fairで、ウィスコンシン大学のブースにやってきた高校生が、どの位のIB得点が必要だろうかと問い合わせてきました。ウィスコンシン大学システムにある13のキャンパスはすべてIB取得を選考の基準の一つに含めています。大学によってIB資格の点数は異なりますが、超一流大学では45点満点中、35点から40点以上は必要といわれています。

[contact-form][contact-field label=’お名前’ type=’name’ required=’1’/][contact-field label=’メールアドレス’ type=’email’ required=’1’/][contact-field label=’ウェブサイト’ type=’url’/][contact-field label=’コメントをお寄せください’ type=’textarea’ required=’1’/][/contact-form]

アメリカの学校は今 その1 海外留学の説明会

img_0567

An aerial view from a helicopter highlights the central portion of the UW-Madison campus including the historic Bascom Hill area during a sunny autumn day on Oct. 7, 2006. Clockwise from lower left is Music Hall, the Law Building, South Hall, Bascom Hall, North Hall, the Education Building and Science Hall. In the background is Picnic Point and the Lake Mendota shoreline. ©UW-Madison University Communications 608/262-0067 Photo by: Jeff Miller Date: 10/06    File#:   D200 digital camera frame 1178

An aerial view from a helicopter highlights the central portion of the UW-Madison campus including the historic Bascom Hill area during a sunny autumn day on Oct. 7, 2006. Clockwise from lower left is Music Hall, the Law Building, South Hall, Bascom Hall, North Hall, the Education Building and Science Hall. In the background is Picnic Point and the Lake Mendota shoreline.
©UW-Madison University Communications 608/262-0067
Photo by: Jeff Miller
Date: 10/06 File#: D200 digital camera frame 1178

img_0572今回から暫く海外留学を巡る大学や高校教育の内容を、アメリカに焦点をあてて紹介することにします。

今やどの大学も学生の募集に躍起となっています。人口の減少とか貧困の蔓延などによって大学進学者が減少傾向にあることが起因しているようです。

先日、在日アメリカ大使館主催のUS Education Fairという留学説明会に参加しました。説明会に出展する多くは私立の単科大学(College)やコミュニティカレッジ(Community College)です。出展する中には、州立大学もあります。私は昨年に続き東京と大阪の説明会にボランティアとしてでかけました。アメリカの大学も海外からの留学生の獲得に奔走しています。世界中にある同窓会組織を通して大学のPRに努めているのです。

留学生集めに忙しいのは単科大学(College)だけではありません。ハーヴァード大学(Harvard University)、プリンストン大学(Princeton University)、コロンビア大学Columbia University、スタンフォード大学(Stanford University)、マサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology:MIT)も積極的です。以上の超一流の大学は私立大学です。ウィスコンシン大学マディソン校(University of Wisconsin-Madison)は州立ですが、留学生募集活動に積極的なのは例外ではありません。

海外からの優秀な学生や院生、研究者を取り込み、教育や研究の質を高めようとしているのが大学の実情です。留学生の能力が高いことは大学関係者なら皆知っています。ですからこうした頭脳を一人でも集めたいのです。

今回、東京大学でアメリカ史を研究しているという博士課程の院生がウィスコンシン大学のブースにやってきました。東大で博士号を取得するか、ウィスコンシン大学で取得するかで迷っているという贅沢な志望の女性でした。既にウィスコンシン大学の歴史学の研究内容や師事したい教授を調べていて留学の動機は極めて高い人です。多くの論文も読んでいることが十分に伝わってきました。

私の助言は、推薦状やレジメ、志望動機のエッセイをきちんと作ることくらいでした。英文での修辞に注意を払うように伝えました。こうした志望生がブースに立ち寄ってくれるときは、こちらもついつい熱がはいります。同時に気楽でもあります。

[contact-form][contact-field label=’お名前’ type=’name’ required=’1’/][contact-field label=’メールアドレス’ type=’email’ required=’1’/][contact-field label=’ウェブサイト’ type=’url’/][contact-field label=’コメントをお寄せください’ type=’textarea’ required=’1’/][/contact-form]

聖書の中の女性の生き方 その二十 「シオニズム」

pic2 palestine3 02b 202471_a_palestinian_child_sits_above_the_ruins_of_his_ruined_home1時代を経て、イスラエルの地に故郷を再建しユダヤ教を中心としたイスラエル文化の復興という近代的運動が起こります。これがシオニズム (Zionism)です。この運動を最初に唱道したのはモーゼス・ヘス (Moses Hess)というユダヤ系のドイツ人哲学者です。

ヘスは、歴史を次のように把握します。すなわち、歴史とは民族の囲み合いであり国家間の闘争であるというのです。1800年代になるとイタリアで民族主義が台頭しドイツもまたそうした主義に呼応していきます。

イタリアの中部を旅行しますと城塞都市があちこちに見られます。中世以降、イタリアは都市を中心とした小国に分裂していたことが分かります。こうした小さな国家はオーストリアやスペイン、フランスの後ろ楯で権力争いが行われていた歴史があります。こうしてイタリアの統一と独立の機運が起こるのです。これがイタリアの民族主義運動です。さらにドイツを中心にに反ユダヤ主義 (anti-semitism)も勃興します。Anti-semitismとはユダヤ人に対する敵視、偏見、差別意識のことです。歴史学者のハインリヒ・トライチュケ(Heinrich Treitschke) がユダヤ人、社会主義、普通選挙などを強く排撃します。反ユダヤの言動は後年のナチスによって継承されます。とまれ話はいささか進み過ぎました。

少し時代を戻します。ユダヤ人の同化主義(assimilationism) が広まります。ヘスはこうした同化主義に対して、1862年に「ローマとエルサレム」(Rome and Jerusalem)という本の中で「ドイツ社会はユダヤ人に対して寛容ではない。ユダヤ人は自分の民族性を否定することによって他の民族の軽蔑を招いている、反ユダヤ主義には、パレスチナ地にユダヤ人社会主義共和国(Jewish socialist commonwealth)を建設することで対抗すべきだ」と主張します。ヘスはナチズム(Nazism)をすでに予言していたといえます。

Encyclopedia Britannicaによりますと、ヘスは1897年の8月にスイスのベーゼル(Basel, Switzerland) においてシオニスト世界会議(World Congress of Zionists)を主宰し、世界シオニスト機構 (World Zionist Organization) の初代会長となります。イスラエルが独立を宣言したのが1948年です。ヘスは独立の40年前に他界します。

失われた祖国イスラエルを取り戻すシオニズム運動の活動家の一人にセオドア・ハーツル(Theodor Herzl) がいます。ジャーナリストや作家として1895年に「The State of the Jews」という本をあらわします。ハーツルはヘスを高く評価し、 ユダヤ系オランダ人の哲学者、スピノザ (Baruch Spinoza) を凌ぐ哲学者であると書いています。ハーツルもまた後に世界シオニズム機構で活躍します。

ユダヤ人は1948年5月にイスラエル独立を宣言します。これに対しアラブ諸国はパレスチナ人を支援するためパレスチナに侵攻、第一次中東戦争が勃発します。国連の仲介により両陣営は6月11日から4週間の停戦に至ります。これ以来四度にわたる中東戦争が続きます。

1956年10月、エジプトのナセル大統領 (Gamal Nasser)のスエズ運河(Suez Canal)国有化宣言に対応して、英・仏・イスラエル連合軍がスエズ運河に侵攻し、第二次中東戦争が起こります。イスラエルはゴラン高原 (Golan Heights)やエルサレム旧市街を含む東エルサレムとヨルダン川西岸(West Bank)を占領します。さらに1967年5月に6日間の第三次中東戦争、そして1973年10月にはエジプトとシリアによるイスラエルの奇襲、いわゆる第四次中東戦争へと続きます。

1978年9月にイスラエルの占領地からの撤退とパレスチナ人の自決権についての合意がなります。これが「キャンプ・デービッド合意」(Camp David Accords) です。この合意によりシナイ半島(Sinai Peninsula)はエジプトに返還されますが、パレスチナの自治については協議は決裂します。その後パレスチナ人の統治について協議を開始しますが、今もパレスチナ問題は根強く続いています。

[contact-form][contact-field label=’お名前’ type=’name’ required=’1’/][contact-field label=’メールアドレス’ type=’email’ required=’1’/][contact-field label=’ウェブサイト’ type=’url’/][contact-field label=’コメントをお寄せください’ type=’textarea’ required=’1’/][/contact-form]

聖書の中の女性の生き方 その十九 「イスラエル」

michelangelo_buonarroti_020 10145224957 sadat_carter_begin_handshake_cropped_-_usnwrイスラエル(Israel) は中東のパレスチナに位置し、東はヨルダン (Jordan)、北東はシリア (Syria)、北はレバノン(Lebanon)、西は地中海に、南はエジプト(Egypt) と紅海に接しています。ガザ地区(Gaza)とヨルダン川西岸地区を支配するパレスチナ自治政府(パレスチナ国)(Palestinian National Authority) とは南西および東で接しています。首都はエルサレムです。

イスラエル(Israel) という国名ですが、アブラハム(Abraham)の孫にあたるヤコブ(Jacob)の別名である「イスラエル」に由来するといわれます。ヤコブが神と組み合った際に与えられた「神に勝つ者」を意味する名前が「イスラエル」です(創世記32:23-33)。ヤコブは古代イスラエルの王の祖先であり、伝統的にはユダヤ人の祖先と考えられています。

古代イスラエルはカナン (Cannan) の地と呼ばれ、カナン人をはじめ様々な民族が住んでいました。この地は肥沃な三日月地帯であり、ユダヤ人の祖先となるヘブライ人(Hebrew)も移住してきます。ですが、飢饉などが襲い子孫たちはエジプトに移住しエジプト人の奴隷となります。長い期間を経てエジプトを脱出したヘブライ人は、イスラエルを征服し紀元前11世紀頃イスラエル王国をつくります。いわゆるダヴィデ王 (David)やソロモン王(Solomon)の時代です。古代イスラエルの最盛期といわれます(サムエル記, 列王記)。

イスラエル王国はアッシリア(Assyria)に滅ぼされます。アッシリアは今のイラク(Iraq)といわれます。さらに南のユダ王国(Judea)は新バビロニア(Babylon)に滅ぼされます。新バビロニアもペルシア帝国(Persian)に滅ぼされ、その後パレスチナの地はアレクサンドロス大王(Alexander the Great) の東方遠征により征服されます。さらにローマ帝国によってユダヤ属州となります。総督の一人がポンティウス・ピラトゥス(Pontius Pilatus)です。

このような戦乱は多くのユダヤ人を海外に離散させる結果となります。いわゆる離散ユダヤ人(ディアスポラーdiaspora) です。Diasporaとは「散らされたもの」という意味のギリシャ語に由来する言葉です。世界中にユダヤ人は「蒔き散らされ」ます。

[contact-form][contact-field label=’お名前’ type=’name’ required=’1’/][contact-field label=’メールアドレス’ type=’email’ required=’1’/][contact-field label=’ウェブサイト’ type=’url’/][contact-field label=’コメントをお寄せください’ type=’textarea’ required=’1’/][/contact-form]

聖書の中の女性の生き方 その十八 「エジプト」

135704553148913115823_kaidokuhyou pyramid_by_flucid-dah6yq9 pyramiddatepalms古代では、所有物扱いをされていたのが女性です。人質、側女、女郎、、、性の奴隷といえます。誠に女性には生きにくかった時代だろうと察します。ですが当時の文化や風習を乗り越えるほどの意志が強い女性がいたのも事実です。その舞台となった二つの国、エジプト (Egypt) とイスラエル (Israel)の歴史を振り返ることにします。

エジプト人は紀元前3000年頃には早くも中央集権国家を形成していたというのですから驚きです。ピラミッド (Pyramid) や岩窟墓群である王家の谷、聖刻文字と呼ばれるヒエログリフ(hieroglyph)などを通じて、人類の文明史の歴史観でいわれる世界四大文明発祥の一つとして発展してきました。教科書にはメソポタミア文明 (Mesopotamia)、インダス文明 (Indus)、黄河文明 (Yellow River)、そしてエジプト文明 (Egypt) とあります。すべて大河の流域で発展したところです。

エジプトとイスラエルの歴史はなかなか複雑です。多くの争いの渦中にあって人々はしぶとく生きてきた歴史があります。旧約の時代、アブラム(Abram)とサライ(Sarai)はユダヤの地が飢饉におそわれたとき、一族と家畜を連れてエジプトへ逃れたことがあります(創世記12章)。

エジプトの国力の基礎はナイル川(Nile) 流域とデルタ広がる豊かな穀倉地帯です。経済的な豊さと政治的な安定は世界中から人々の移住をもたらしたといわれます。何世代にもわたってエジプトに移住したイスラエル人も多く、古代イスラエルの民族指導者といわれたモーセ (Moses) に率いられたユダヤ人がファラオ(Pharaoh)が王のとき、エジプトを脱出したこと(Exodus)も出エジプト記で知られています(出エジプト記13-14章)。後に、ヨセフとマリアもイエスと連れてヘロデ王(Herod)の迫害を避けて一時エジプトへ避難したこともあります。

エジプトはその経済的な豊かなのゆえに、周りの国々からの侵攻を受けます。リビア (Libya) 、アッシリア (Assyria) 、スキタイ (Skythai)といった古代国家です。そのため北アフリカやアジアに対する支配力の弱体化を招きます。新興国であるバビロン (Babylon)の攻撃、そしてペルシャ (Persian)帝国による占領と属国化など幾多の変遷を辿ります。当時最も豊かであった国も他国の侵略には抗することができない時代がやってきます。

その後のエジプトの近代と現代は、植民地主義という国家主権の対外的拡大と富の収奪に翻弄される歴史です。

[contact-form][contact-field label=’お名前’ type=’name’ required=’1’/][contact-field label=’メールアドレス’ type=’email’ required=’1’/][contact-field label=’ウェブサイト’ type=’url’/][contact-field label=’コメントをお寄せください’ type=’textarea’ required=’1’/][/contact-form]

聖書の中の女性の生き方 その十七 「万人祭司」

106154 theprieshoodofallbelievers 111355旧約聖書の時代の女性は、男性優位の伝統と文化にあって辛い地位にありました。その中でも男性に伍して傑出した指導者や預言者、そして家長のように家族をとりしきった女性がいたことを既に紹介しました。エリザベート(Elizabeth)、レベカ(Rebekah)、デボラ(Deborah)などの女性です。あたかも祭司のような役割を担った女性です。そうした女性の存在は今に至るまで宗教の世界にも及んでいます。

あまり聞き慣れない言葉かもしれません。それが「万人祭司」(the priesthood of all believers) です。「万人祭司」とは、プロテスタント教会の根本的な教義の一つのことです。その原典は新約聖書の聖句にあり、すべてのキリスト者が祭司であるというキリスト教の教えのことです。

宗教改革者(Ecclesiastical reformer)といわれたマルティン・ルター(Martin Luther)は、1520年その著書「ドイツのキリスト者貴族に与える書」 (To the Christian Nobility of the German Nation) の中で、神の目からみれば、キリスト者がすべて「祭司ーPriest」であると主張したのです。

ルターが「万人祭司」の考え方の根拠とした聖句は、「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の庇護にある民です(第一ペテロ2:9) 」です。
‘You are a chosen people, a royal priesthood, a holy nation, God’s special possession.

さらに、「私たちの神のために、この人々を王国とし祭司とされました。彼らは地上を治めるのです(黙示録5:10)」という箇所も「万人祭司」とか「全信徒祭司」という考え方の根拠となっています。

ルターがなぜ「万人祭司」ということ主張したかには理由があります。中世カトリック教会には、ローマ教皇によって叙任された「聖職者」が神とつながり、一般の信徒は聖職者を通してのみ神につながると考えられていたことです。さらに「霊的」(Spiritual) と「世俗的」(Secular)という二つのグループにキリスト者が分けられていると考えていたのがカトリック教会でした。彼はこうした教条的なあり方を批判します。

「祭司」ですが、初代キリスト教会では長老(Elder、Presbyter)、監督教会や聖公会では司祭(Priest  Clergyman)、メソジスト(Methodist)やバプテスト(Baptist)教会では牧師(Pastor, Minister) という名称を使います。

宗教改革後のプロテスタント諸派には「聖職者」との呼称や役割は存在しないとして、祭司は、教役者とか教職者としての意味で使われ、教会の指導にあたるとされます。

[contact-form][contact-field label=’お名前’ type=’name’ required=’1’/][contact-field label=’メールアドレス’ type=’email’ required=’1’/][contact-field label=’ウェブサイト’ type=’url’/][contact-field label=’コメントをお寄せください’ type=’textarea’ required=’1’/][/contact-form]

聖書の中の女性の生き方 その十六 「エバ」

139 b0140046_42382 adam_and_eve_expelled_from_paradiseまたの名をイブ(Eve)。彼女は旧約聖書の最初の書、創世記 (Book of Genesis) に出てきます。 創造という神話のような世界ですが、最初に登場する女性がエバです。イスラムの世界では、彼女はアダム (Adam) の妻とされます。Eveという名は、生きもの (living one)とか 命の源(source of life)という意味です。ヘブル語の「Eve」 とはアラビア語の蛇(snake)に類似するというのですから興味あることです。

創世記によりますと、神は最初の人間アダムを土の塵から造ったとあります。アダムとはヘブル語の「Adama」、「土」という意味です。最初の男女の一組を「神にかたどって創造した」というのです(創世記1:27)。「神にかたどって」とはどのような生きものも大切な存在であり、神の豊かさを現す必要があるということです。これが聖書の人間観です。他方、バビロニア人 (Babylonians)は、人間は神の奴隷であると考えます。聖書では人間は被造物の支配者として描かれます。

神はエデンの園(Garden of Eden)でアダムを眠らせそのあばら骨から女を作ります(創世記2:22)。神はアダムとその妻エバに「産めよ、増やせよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地に動く生き物をすべて治めるよ」と命じます(創世記2:28 )。エデンの園には命の木と善悪の知識の木という特別な木が生えています。不幸にもアダムは蛇の嘘を信じたエバから禁断の実(Forbbiden fruit)をもらいそれを口にします(創世記3:6 )。ために子孫は死すべき運命を背負うとされます。これが原罪 (Original sin)で、やがて人間は原罪で苦しめられていきます。

エバを誘惑した蛇を断罪した神は次にエバに対して二つの罰を科します。出産の際に苦しむこと、夫によって支配されることです。アダムもまた死すべき運命と、報われない厳しい肉体労働を宣告されます(創世記3:16-19 )。

[contact-form][contact-field label=’お名前’ type=’name’ required=’1’/][contact-field label=’メールアドレス’ type=’email’ required=’1’/][contact-field label=’ウェブサイト’ type=’url’/][contact-field label=’コメントをお寄せください’ type=’textarea’ required=’1’/][/contact-form]

聖書の中の女性の生き方 その十五 「サラ」のその後

michelangelo_buonarroti_020 images noahペルシャ湾 (Persian Gulf) の近くのウル(Ur)で生まれたアブラハムはノアの方舟(Noah’s Ark) で知られるノアの子孫です。異母兄弟であったサライ(Sarai)と結婚します。やがて「サラ(Sarah)」と呼ばれることについては以前述べてきました。

創世記12:1には「わたしが示す地に行きなさい」とあります。この地とはパレスチナ(Palestine)のカナン(Cannan)でありました。こうして神はアブラハムにパレスチナを与えると、富、名声、子孫を約束します(創世記12:3)。

アブラハムとサラは高齢になりますが、子供が生まれません。当時の習慣にそって僕に家を継がせようとします。サラの意見に従ってアブラハムは、サラのエジプト(Egypt) 人女奴隷であるハガル(Hagar)を側女に迎えます。そしてイシュマエル(Ishmael)が産まれます。神はアブラハムに対してイシュマエルは約束した子孫でないと告げます。やがて高齢のサラも妊娠しイサク(Isaac)を産みます(創世記21:2-3)。

サラが跡取り息子のイサクを産んだので、アブラハムにハガルとイシュマエルを一族から追放するよう願い出ます。そのときアブラハムは86歳でした。その後、アブラハムは神からの試練を受けます。イサクを捧げ物とするようにアブラハムに命じますが、最後の瞬間に止めさせ、代わりに雄羊を捧げさせます(創世記22:12-14)。

サラが127歳で亡くなると、アブラハムは再婚しイサク以外に妻や側女との間に子を儲けます。彼が亡くなったのは175歳とあります(創世記25:7)。

後年、サラの側女ハガルに対する扱いが虐待のようであったという説があります。またサラは自立した女性としても描かれています。一般にサラの性質を象徴する言葉として豊穣、忍耐、寛容があげられています。

[contact-form][contact-field label=’お名前’ type=’name’ required=’1’/][contact-field label=’メールアドレス’ type=’email’ required=’1’/][contact-field label=’コメントをお寄せください’ type=’textarea’ required=’1’/][/contact-form]