「アルファ碁」(AlphaGo) その八 碁の心理と目算

碁の楽しみの一つに目算があります。対局の中盤や後半で自分は優勢か劣勢かを振り返るときです。自分と相手の地を数えて形勢判断することです。転じて、目論見や見込み、計画を立てることが目算です。

アマチュアには目算することが好きな人と全く目算には無頓着な人の二つのタイプがあります。私は後者に近いようです。原則、私は目算はしないことにしています。特に、自分のほうに弱い石がなく、相手を攻めているときです。攻めながら自分の地を稼ぐのですからこんなに気持ちの良いことはありません。明らかに優勢な場面となっています。

目算とは、強い石か弱い石を抱えるかによって必要かどうかが決まるのです。弱い石を抱えると逃げる一方で、一向に地は増えないのです。こうした形勢では目算は不用です。もっとたちの悪いのは、大勢がほとんど決まっているのに、目算をする人がいることです。弱い石を二つも抱えているとか、種石を取られているとか、あちこちに味の悪い箇所を持っているとかの場面です。味悪とは相手に付けいられる可能性を残している状態のことで、将来どんどん侵入されたり荒らされたりする危険があります。

目算は、自分を楽観視したり悲観視する場合にしばしば起こる心理でもあります。楽観視しすると打ち手が緩むことが往々にして起こります。逆に悲観視すると勝負手を放ったりしがちです。勝負手とは形勢を挽回しようとする無理がちな手のことです。

形勢がどうであれ、その場その場で最善の手を探すことがよいようです。これは大変難しいのですが、無理をせずじっと我慢してヨセで追いすがることが肝要といえるでしょうか。

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「アルファ碁」(AlphaGo) その七 英語の囲碁用語

チェス(chess)からきた用語を囲碁でも使います。例えば、チェック (check) があります。自分の駒を利かせて取ろうとする手のことです。囲碁では「アタリ」にあたります。

「打って返し」という技があります。これは「snap back」といいます。打って返しとは、駄目が詰まってしまい、逆に即とられることをいいます。こんなポカをしてはいけません。ちなみにポカの英語は「blunter」といいます。もともと「鈍い」という単語がからきています。

何度も出てきた「定石」のフレーズは 「a set of sequence」。両者が最善を尽くして打ってできる形、という用語が sequenceです。取れた石、「アゲハマ」の単語は「prisoner」。文字通り捕虜です。終局なると、「アゲハマ」を相手の陣地に埋めて小さくすることができます。「アゲハマ」を沢山持つと有利です。囲碁には「味」とか「味悪」という用語があります。相手を攻める余地がある、あるいは攻められそうな余地があることです。「味」は英語で「potential」、「味悪」は「bad potential」といいます。なにか危険な兆候があるという意味です。

「ナダレ」という戦術があります。これは、盤上の中央を重視し相手の石を隅に封じ込める定石です。これを英語では「small avalanche」大ナダレ、とか「large avalanche」小ナダレと呼びます。ところで「avalanche」とは雪崩のことです。中央を重視する戦術は宇宙流といわれますが、中央をまとめるのはとても難しいことではあります。

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「アルファ碁」(AlphaGo) その六 「詰め碁」と「手筋」

碁の能力は棋力と言われます。棋力をいかにつけるかはいろいろな本で指南されています。中でも「詰め碁」を解く練習は、囲碁の上達には欠かせない挑戦といわれます。

「詰め碁」とは石の死活を調べることです。詰め将棋と同じです。どのように打てば自分の石を活きにもちこめるか、または相手の石を殺すことができるか、すなわち死活を考えるものです。黒番で黒の石を活かす場面は「黒番、白死」という問題です。逆にいいますと「白番、白活き」ということです。パタンを覚えれば、実戦に類似した形が生じた場合に短時間で活き死に対応できるようになります。また、読みの力を養う絶好のトレーニングにもなるともいわれます。

次に「手筋」です。本には「接近戦において石の効率が最もっとも良よい打ち方、最善手のこと」とありますが、わかりやすくいいますと、「魔法のような手」のことです。死活に関係なく、局所的ながら得を図るような手といってもよいでしょう。「ゲタ」や「オイオトシ」などの比較的わかりやすい手から、「サガリやオキ」、「二目にして捨てる」、「鶴の巣ごもり」…などの高度な ”魔法の手筋” へと進んでいきます。手筋は、別名「筋」とか「形」ともいわれます。手筋を知り、実戦で使いこなしていければ、より高次元の碁の面白さを体験できます。

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「アルファ碁」(AlphaGo) その五 囲碁とチェス

囲碁は世界中で楽しまれています。最近はヨーロッパでも盛んになっています。チェス (chess) が広まっている欧米では囲碁の普及はさほど障壁とはならないようです。というのも、チェスは「スポーツ」とか「芸術」、「科学」と呼ばれることもあります。囲碁も頭のスポーツであり芸術であります。

囲碁とチェスはどう違うかです。囲碁は黒と白の石だけであり、種石となったり捨て石となったりして固定した役割はありません。他方チェスや将棋は駒にそれぞれの役割があり、それは変わりません。

両者が類似する点の一つに中央志向があります。盤面の中央を支配することによって陣地が広がるのです。地よりも中央での展開を重視した大模様作戦は、「宇宙流」と呼ばれます。この独特の感覚からの打ち方を編み出したのが武宮正樹九段です。

「大局観」または戦略(Strategy) とは、局面を正しく評価すること、長期的な視野に立って計画を立てて戦うことでです。「手筋」または戦術(Tactics)とは、より短期的な数手程度の作戦のことで、優位に立とうする打ち方です。

囲碁では原則的にどこへ石を置いても構いません。もちろん石を働かせるためや地を確保するためには、石を打つ箇所が決まってきます。高段者は石の効率を考えるのに秀でているので、無駄な所に石を持っていくようなことはしません。

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「アルファ碁」(AlphaGo) その四 人間と介護ロボット

今、介護ロボットの開発が急がれています。人工知能 (AI) を備えたロボットです。近い将来、人間の介添えをしたり相談相手になることが期待されています。どうしてかというと、感情や心理を読み取る能力を有するようになると予想されるからです。こうしたロボットは人の悩みの相談相手になれるはずです。相当な精度で言葉を理解し、対話の間合いや空気を読み、適切な言葉を返してくるようになるかもしれません。

カウンセリングは、悩みを訴える人の相談に応じて助言や指導をすることです。日常生活や職場生活において、心にため込んでしまった気持ちを誰かに聴いてもらいたい、誰かに自分を理解してもらいたい、寂しいので誰かと会話をしたいという場面が生まれます。愚痴を聞いてもらいたいときもあります。カウンセラーは悩める人の側に立ち、聴き手になったり伴奏者となったりして、悩みの解決へと導きます。

もし、人工知能を備えたロボットが人の心理や感情を理解することできるようになれば、介護ロボットとして人間の代用をすることは十分に考えられます。カウンセラーとして最善の対応ができるようになるかもしれません。このように、人工知能を備えたロボットがさまざまな分野で登場することが予想されます。自動運転もそうです。ですが人間が介護ロボットにとってすべて代わられるような事態にならないように、人間もまた進化しなければなりません。

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「アルファ碁」(AlphaGo) その三 人間の対戦心理

私は数字の裏に隠された事実を探すことを研究の対象としてきました。調査や測定の結果を分析することです。このとき統計の技法を使います。統計には記述統計と推測統計の二種類があります。記述統計は、収集したデータの平均や分散などから分布を明らかにすることです。例えば子供の習熟度についての傾向や性質を知るものです。他方、推測統計は採取した標本データから全体の母集団の性質とか将来の傾向などを確率によって推測するものです。投票所前での投票調査による結果の予測もその一例です。

「アルファ碁」という本によりますと、アルファ碁が打ち手を決めるのは膨大な過去の対戦棋譜に基づくデータであるとあります。この棋譜が多ければ多いほど、どのような手を打つのが最善なのかを確率的に予想するのです。

アルファ碁は、過去の棋譜から学んだことを復習するのです。復習するのは、覚えるためではなく新しい新しい手を発見するというか予測するためです。棋士もまた「定石を覚えたら忘れて」新しい定石を探す努力を続けているはずです。アルファ碁が世界のトップ棋士に勝利しているのは、棋譜というデータの集積を分析する能力に長けているからです。その能力は疲れを知らないというとてつもない性能から生まれています。

人間の人間たる所以は、勢いに乗ることができることです。勢いがつくと自信がでてきて普段の力よりさらに良い方向へ引き上げてくれます。学習すれするほど知識が増して、試験の結果がよくなり、自信がついてきます。このときは、まだ疲れを知らない状態です。しかし、逆に追い詰められると心理的に打撃を受けて自信がぐらつきます。碁でいえば対戦心理とやらでポカをしたり一手パスをしてしまう状態です。今のアルファ碁には勢いとか自信とかはないはず。ポーカーフェイスとか冷静なのです。

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「アルファ碁」(AlphaGo) その二 人間の実戦心理

人工知能囲碁プログラム「アルファ碁」(AlphaGo)の登場には棋界が驚きました。韓国の一流の棋士を四勝一敗で破って一躍注目を浴びました。今年は、井山裕太本因坊が挑戦するようです。「アルファ碁」が本因坊に挑戦するようです。済みません、間違えました。

「アルファ碁」は、一手を打つのに平均30秒から2分間の考慮時間を使うそうです。その間、過去の膨大な棋譜に基づくデータから最善の手を探すといわれます。最善の手を打てばアルファ碁が勝つ確率は53%とか次の最善の手は48%ということになるそうです。アルファ碁はたった僅かの時間内での計算によって、こうした確率をだすのです。まさに「電子計算機」の真骨頂が盤上に示されるといえます。アルファ碁の着手は確率、つまり「偶然性を持つある現象について、その現象が現れることが期待される割合」です。凄いことです。

理論的にいいますと、計算によって着手が決まっているので人間の考える着手とは無関係といえます。ところがです。人間は着手をあれこれ考えるうちに疲れるのです。ところが人工知能は疲れという概念は存在しません。実戦の心理状態という概念もありません。人間は疲れるから人間の価値がでてくるのです。感情があるから人間なのです。もし人工知能が感情や心理を有するようになると、人間と同じように間違って手を打つことが考えられます。より人間に近い「存在」となるはずです。そうなれば、碁を打ちながらミスも生まれるでしょう。感情や心理を持たないから棋士に勝てるのが人工知能なのです。人工知能の研究者にはジレンマに陥るような未来の対局の姿です。
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「アルファ碁」(AlphaGo) その一 定石と固定観念

今年最初のブログです。本年もまたお付き合いの程お願いいたします。昨年から少々暖めていた人工知能囲碁プログラム「アルファ碁」(AlphaGo)にまつわる話題を取り上げてまいります。

私の「道落」の一つが囲碁。強いとはとてもいえないのですが、碁の深さや難しさに魅了されつつ、毎日練習するのを日課としています。囲碁には「定石」といわれる昔から度重なる研究と実践によって生まれた石の形があります。定石とは対戦者が最善を尽くして「部分的」に互角に分かれる石の形のことです。どちらかが有利なら、それは定石とはいいません。私も定石を何度も練習しています。ですがいざ実戦となるとその手順を間違えることがしばしばあります。対戦相手は定石にないような手を打ってきます。高段者は新しい定石を学び低段者を翻弄します。

1954年製作の「十二人の怒れる男」というアメリカ映画がありました。ある裁判で一人の陪審員が他の十一人の陪審員たちに、固定観念に囚われずに証拠の疑わしい点を一つ一つ再検証することを提案します。やがて少数意見が多数意見となり無罪評決となるというストーリーでした。イスラエルでは会議をするとき、もし出席者七人のうち六人が賛成する発言をしたとき、七人目の人は無条件に反対意見を述べなければならないというのです。多数とは違う少数意見はそれ自体に価値があるというのです。

この陪審員の評決に関するエピソードを囲碁に当てはめてみますと、固定観念を捨てるとき思わぬ妙手が生まれるときある、ということかもしれません。最近は定石の考え方が変わって、新しい定石が生まれています。こうした変化には、固定観念から離れて新しい手を考えて打とうという姿勢があるからです。そういえば「定石を覚えて二目弱くなり」という定石信奉者を皮肉った川柳があります。イスラエルの格言にもう一つ。「何も打つ手がないときにも、ひとつだけ必ず打つ手がある。それは勇気を持つことである。」 私には後学のために役立ちそうな含蓄のある言葉です。
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