世界を旅する その二十二 アイルランド その10 スウィフトと合理主義

「世界を旅する–アイルランド」は今回でお終いです。話題が尽きました(; ;) おさらいですが、アイルランド人はアイリッシュ(The Irish)と呼ばれます。アイリッシュであったスウィフトは、散文風刺作家であっただけでなく、教会の聖職者、一流のジャーナリストでもありました。1710年頃、イギリスは二大政党であったトーリー党(Tory)とホイッグ党(Whig)が政権争いをしていました。前者は現在の保守党の前身、後者は後の自由党です。両党とも有力貴族出身の議員を中心とする派閥の連合体でありました。

スウィフトはホイッグ党の支持者でした。トーリー党は伝統的に王権神授説(The Doctrine of Divine Right of Kings)を信奉してきました。スウィフトそれを否定し、究極の主権は国民にあると主張し、それはイギリスの政体においては国王、貴族、庶民の協力によって行使され、三者の間で権力のバランスが図られることが専制を防ぐ保証となると考えたのです。

スウィフトは1720年頃からアイルランドの政治や社会問題についてのパンフレットを数多く書きます。アイルランドの後進性を知っていたスウィフトは、それをイングランド人の責任に帰しながらも、アイルランド自身がその運命を改善する方途を考えるように注意を喚起していきます。そうした問題意識をとらえたのがガリヴァー旅行記です。

ガリヴァー旅行記の原題は「レミュエル・ガリヴァーの筆になる遠い世界の国々の探訪記」といいます。1725年に脱稿したとき、友人への手紙の中で「世間を楽しませるよりはむしろ、腹立たせるためにこれを書いた」と云っています。立腹させる対象はイングランド人だったようです。

ダブリンにあるスウィフトの墓

スウィフトの思想は、17世紀後半のイギリスの合理主義(rationalism)にありました。日本大百科全書(ニッポニカ)によりますと、合理主義とは「非合理的、偶然的なものを排し、理性的、論理的、必然的なものを尊重する立場」とあります。感覚的経験によってではなく、理性的な思考によって導かれたもののみを確実な認識であるとします。強い道徳的な傾向や常識の尊重ではなく、人間行為の評価の基準と遵守すべき規範とはなにかという考えをスウィフトに与えます。ガリヴァー旅行記には、そうしたスウィフトの思いが風刺にいきいきと表現されています。