心に残る一冊 その49 「風土–人間学的考察」

私の小さな本棚に岩波書店からでた「風土–人間学的考察」があります。昭和45年の第37版というものです。いかに世間で読まれてきた本かがわかります。著者は和辻哲郎。題名が示すように、人を取り巻くさまざまな現象の中に自然科学の対象ではない「風土」という概念を持ち込んで、人を風土における「関係」という視点で考察するのがこの本の中心テーマのようです。一般に風土の現象といいますと、人は単に風土に規定されるのみでなく、人は風土に働きかけてそれを変化させると考えられています。

和辻は、風土に関連して子どもと保護者の関係をかなり難解に説いています。ここでは私なりに「人を子どもとし、保護者や家族を風土として置き換えて」考えることにします。子どもは保護者によって完全に規定される存在ではありません。子どもには天賦の才能が備わっています。モンテッソーリ(Maria Montessori)はそれを秩序感と言っています。子どもの才能については様々に言われるのですが、この才能は保護者という風土が育み伸ばすものと考えられます。

子どは保護者の庇護にあり、保護者を変えたりすることができません。ですが、本来の生きることへの志向性があります。それをどのようの伸ばすかは、保護者や家族という風土にあるのではないかと考えられます。ここでの風土とは、時間を経て形成された暗黙のうちに他の時代にも受け入れられる普遍的なものです。

和辻は子どもと保護者という関係から論を進めて、次のように人間、男と女の存在をとらえます。
「人間の第一の規定は個人にして社会であること、すなわち「間柄」における人である。人の「間」とは、アリストテレス(Aristoteles)も指摘したように、男と女との「間」である。男といい女という区別は、すでにこの「間」において把握せられている。すなわち「間」における一つの役目が男であり、他の役目が女である。この役目を持ち得ない「人」はいまだ男にも女にも成っていないのであり、男にも女にも成っていないものをいくら結合させてもそこに「男女の間」は成立しない。」

子どもを育てることは、男女のそれぞれに役目によってなされるのであり、そのことによって、子どももまた個人にして社会であるという「間柄」における存在として大人になるというのです。子どもをどのように育てるかは、もはや一家族のしつけや教育の方針に規定されるのではないというのが和辻の主張であります。